カテゴリー: 観光

もしも上海で6時間だけ遊べるとしたら

20 7月
2011年7月20日

先日、大連から上海経由でタイのバンコクへと飛ぶ予定がありました。
しかし大連は朝からものすごい霧のため、フライトは3時間遅れ。
そのため上海発バンコク行きの便を昼から夜に変更せざるを得ませんでした。 続きを読む →

労働公園ではバラの花が満開です 

19 6月
2011年6月19日

正直なところ、「バラ」のイメージからはほど遠い大連ですが、花は分け隔てなく美しく咲いてくれます。
労働公園の一角にあるバラ園はまさに今が満開の時期。訪れる人々の注目を集めています。 続きを読む →

春いちばんの「天津街」で美味しく楽しく遊んじゃおう!

26 5月
2011年5月26日

冬の間は閑散としていた「天津街」が再び賑わい始めています。
春の日差しと共に観光客が戻ってきたのです。 続きを読む →

「労働公園」で見たり食べたり遊んだり

19 4月
2011年4月19日

大連の中心部に位置する「労働公園」は、市内で最も大きな公園です。
広さは約102万㎡、広々とした公園内には自然溢れる風景と広場や遊園地が共存し、歩くたびに違った表情を楽しめるのが特徴です。

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入口を入ると広々とした空間が行く手いっぱいに広がっています。
そのすぐ左手には日光東照宮にも似たカラフルな門が目を引き、そこをくぐると屋根つきの休憩所から大連の街が眺められるようになっています。
この公園はどこもかしこもゆったりとしたスペースで造り上げられているのです。

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もともとはロシアがこの地を租借していた時代に造られた公園でした。
その後1905年に租借権は日本に委譲され、この公園も日本人の手によって、多彩な遊び場として造り上げられていきます。
「中央公園」と呼ばれた公園の中にはテニスコート、野球場、乗馬場にスケート場まであり、当時としては贅沢とも言えるほどの充実ぶりだったようです。
そして、租借権を中国に返上した後、「中央公園」は「労働公園」と名を変え、今のように大連の“街のシンボル”として、人々に親しまれるようになったのです。

公園の中ほどに進むと一転「遊園地」の登場です。
ジェットコースターや観覧車、他にも様々な遊具があり、小さな子供が危険なく遊べるように用意されたカートは子供たちに(それとも親に?)大人気のようでした。

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人だかりがあるので何かと思って近づいてみると…どうやら輪投げでウサギを取るゲームのようです。
他にも玉入れゲームや空気トランポリンなど、半日では遊びきれない程の遊具があり、家族連れが多い理由も頷けます。

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子供たちの歓声を抜け更に奥に進むと、そこには知る人ぞ知る「EURO BAKE(ユーロベイク)」があります。
ここは欧米人たちの御用達、ピザやパン、スイーツ類が美味しいことで有名です。
店舗は見た目が地味で見つけにくいかもしれませんが、途中に看板が出ています。
見つけたらぜひ立ち寄ってみてください。

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そしてサッカーチームが強いことで有名なこの街らしい、サッカーボールのモニュメント。
大連の街のどこからでも眺めることができますが、実物はこの労働公園内にあります。

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広い公園内を歩いていると、「やっぱり中国は大きいなぁ」と実感します。
そしてその中には、人々が求める「憩いと楽しみ」がすべて詰め込まれていると言っても良いでしょう。
中国らしさ、そして大連の街ならではの風景を「労働公園」で味わってください。
もしかしたら100年もの昔、この公園で遊んでいた日本人の姿を想像することができるかもしれません。
「労働公園」はそんな歴史を持った場所でもあるのです。

「上野」「小樽」そして「大連」へと続くもの

06 3月
2011年3月6日

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大連がその昔「日本の街」であったことはご存知のことと思います。
その当時に造られた建築物は今なお大連の歴史を語る上での重要な存在として残され、また活用され続けています。

ところでそうした建築物の中に、ひとつ面白いものがあります。
それは日本と大連をいまだに繋ぎ止めているパイプ役と言っても良いでしょう。
今では「よく知らない街」となってしまったここ大連が、かつては「日本の街」であったことを、現代の私たちに教えてくれる存在です。

「上野」「小樽」「大連」を結ぶキーワード。
何か思い浮かぶものはありますか?
答えは「駅」です。

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上野、小樽、大連の「駅舎」は、デザインがとてもよく似ています。
よく「大連駅は上野駅を模して造られた」と言われますが、写真で見ても確かにソックリです。
両翼を広げたような形、縦長の窓、そして人の流れをスムーズにするために工夫を凝らした構造までもが似せて造られているのです。
また上野駅が造られたのは1932年、小樽駅は2年後の1934年、そして大連駅は更にその3年後の1937年といずれも近い時期に建築されています。

そこまで似ているのなら設計者も同じなのではないか、と思うところですが、上野と小樽の駅舎は同じ酒見佐市氏の設計であるものの、大連は当時の南満州鉄道の太田宗太郎氏によるもので、別人の設計と言うことになっています。
この二人の設計者の間にどのような繋がりがあるのか、また南満州鉄道の太田氏が実際に大連駅の設計を手掛けたのかどうか興味を惹かれるところですが、残念ながらハッキリとしたことはわかりません。
ちょっと不思議な話です。

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大連駅は1937年に新駅舎が誕生するまではロシアが建てた駅舎を使っていました。
それは支線のみの小さな駅だったと言うことです。
その後ロシアから租借権を譲り受けた日本が、大連駅を満州の中でも重要な駅のひとつとして位置づけ、鉄道を中心とした「日本の街づくり」を始めます。
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2003年の大連駅開設100年記念に合わせた改築の際には、従来の駅舎を取り壊す案も出されたそうです。
しかし結局は増改築にとどまりました。
こうしていまだに「上野駅に模して造られた」大連駅は、この街の「顔」として生き続けているのです。

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70数年前、この場所に現れた斬新な駅舎の姿を、当時の在住日本人たちはどんな思いで見上げたことでしょう。
私たちの中から歴史の記憶が薄れても、上野、小樽、大連は目に見えない線路で繋がっています。
冬の間観光客も少なくひっそりとしていた大連の街は、これから暖かな春を迎え、また賑やかな街に戻ります。
大連駅の周辺が早朝からカオスと化すのももうじきです。

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