「恭喜発財!」本場で体感するチャイニーズニューイヤー

12 2月
2011年2月12日

2月3日は春節でした。
ここ中国では今でも旧暦のお正月を「新年」として盛大に祝います。
大連の街のあちらこちらでは爆竹が鳴り響き、昼夜を問わず打ち上げ花火が上がり賑やかなことと言ったらありません。
今回はそんな「爆竹と花火」が織りなす“いかにも中国らしいお正月風景”についてご紹介します。

CHI_0202_0101

そろそろ爆竹が鳴り始めたな…、最初に気付いたのは春節より10日以上も前のことでした。
それはまだどこか遠くで響く「雷」程度のものでしたし、打ち上げ花火は幾つものビルの向こう側で上がっていました。
「お正月気分はこんな風に盛り上がっていくんだね」などと話していた矢先のことです。
いつもより格段に大きな音で鳴り響く花火の音に「見えるかな」と期待してカーテンを開けてビックリ仰天!
見えるどころじゃありません。
花火は我が家のすぐ目の前で上がっていたのです。

CHI_0202_0102

窓に火花が当たらんばかりの至近距離で花火を見るのは生まれて初めての事なので、本当にビックリしました。
打ち上げ場所はその真下、我が家から100メートルも離れてはいません。
近年は花火や爆竹の使用を規制する都市もありますが、ここ大連にはそんなものは一切なし、どこでやろうと警察が飛んでくるわけでもありません。
皆やりたい放題、場所も時間も選ばずに派手な音を鳴らします。

そしてその盛り上がりは大晦日にピークとなります。
早朝から始まる大音響は時にテレビの音をかき消すほどです。
この日だけで一体どれだけの爆竹が消費されたことでしょう。
夕刻に外を歩いてみました。

CHI_0202_0103

道路と言う道路は見事なほどに“真っ赤”に染まっています。
すべて爆竹の残骸です。
爆竹から飛び散った紙きれがまるで“真っ赤な池”のごとく2,3メートル四方に降り積もっています。
中にはまだ煙を出して燻ぶっているものもありました。
道路を清掃する人が片付けてくれるので、皆“やりっぱなし”で立ち去るのです。
それにしても爆竹の残骸までもが春節飾りのごとく、街を赤く彩るとは流石です。

CHI_0202_0104

大晦日の夜は家族団欒の時です。
ご馳走を囲んで中国の紅白と呼ばれる「春節の夕べ」を観て過ごすのが習わしのため、陽が落ちる頃には外を歩く人の姿は殆んどなくなります。
それでも爆竹の音が鳴りやむことはありません。
どんな時でも“どこかで誰かが”ちゃんと鳴らしているのです。

そして大晦日の夜も佳境に差しかかると、大音響は激しさを増します。
幾重にも重なるように開く大輪の花火、地面を燃やすように弾ける爆竹の火花。
空気は既に真っ白で一寸先も見えにくい状態です。
至近距離で上がる花火は家の周り360度をグルリと囲み、まるで「別世界」にいる気分です。

CHI_0202_0105

いよいよ12時になる瞬間には激しい爆音と閃光に包まれ、まるで世界が揺らいだようです。
なんという迫力でしょう!!
これまで経験したどの年越しよりもボディーソニックで感動的な体験でした。

CHI_0202_0106

爆竹には厄除けの意味があると言われています。
また「この大きな音が賑やかでいい」という中国人らしい嗜好もあるのだとか。
「大音響の宴」は春節の風物詩、切っても切れない関係なのです。

CHI_0202_0107

ところで大音響の合間に響いていたこちらのサイレン。
この音も実に何度も耳にしました。
火の取り扱いには注意して、良い新年を迎えたいものですね。

「恭喜発財!」春節は1カ月遅れのお正月

08 2月
2011年2月8日

CHI_0201_0101

新年明けましておめでとうございます。
なんて言うと「今頃何を言っている」と叱られそうですが、ここ中国では春節(旧正月)
こそが本当の年明けなのです。

CHI_0201_0102

2011年度の春節(元日)は2月3日、まさに今はお正月気分の真っ最中です。
春節は旧暦に従って決まるため、太陽暦上(新暦)では毎年その日程が変わります。
例えば来年2012年の元日は1月23日、また昨年の2010年は2月14日でした。
春節とバレンタインデーが重なった昨年は、別の街に故郷を持つ若者たちが
「家族と過ごすか、恋人と過ごすか」を迷ったとか。
新・旧歴の両方を活用している中国ならではの悩みですね。

CHI_0201_0103

さて春節の準備は、私たちのお正月気分がすっかり抜けた頃から始まります。
家や店先には目も覚めるような真っ赤な春節飾り、街路にはイルミネーションが瞬き、
街は次第に活気づきます。
豪快なお正月音楽があちらこちらで流れ、店で買い物すると「ポチ袋」がオマケで
ついてくることもしばしば。

CHI_0201_0104

しかし、何と言っても春節の一大イベントと言えば「民族大移動」で有名な
「帰省ラッシュ」でしょう。
今年、帰省のために移動する人の総人数は28億人に上るとか。
これは鉄道、道路、水上、空路利用者すべてを見込んでの数字ですが、
鉄道利用者だけでも2億3000万人に上るというからまったくスケールが違います。
切符を確保するだけでも大変でしょうに、なぜお正月だからと言ってそうまでして
故郷に戻ろうとするのでしょうか。

CHI_0201_0105

「春節を家族で過ごす」ことは中国人にとってとても大切なことです。
それは昔から続く伝統、習慣であり、いまだにその意識は薄れていません。
また中国では大量の出稼ぎ労働者が都市部に出て仕事をしているため、彼らの帰省が
この大移動に大きな影響を与えていることも間違いなさそうです。
そして故郷で待つ者たちは、仕事で帰ることのできない家族の席は空けておくと
言われています。
家族の絆が強い中国の人々にとって春節はまさに「家族団欒」の時なのです。

CHI_0201_0106

大連では2月4日から末日まで毎年恒例の「迎春煙火爆竹節」が開催されます。
盛大な爆竹や花火の音の中、春節気分は大いに盛り上がることでしょう。
かく言うワタクシ、昨年までは華南で暮らしていたため、このイベントは初体験。
一体どれほどの賑わいなのか、とくと拝見させて頂くことにします。

また北方では春節前夜には、「年越し蕎麦」ならぬ「年越し餃子」を食べる習慣があります。
主流は水餃子、家族揃って餃子を食べて新しい年を迎えるというのも中国らしくて
良いですね。
皆さんも「年越し餃子」を食べて、春節気分を味わってみてはいかがですか。

「日本の面影」を残す街、大連

23 1月
2011年1月23日

CHI_0102_0101

私が大連に住み始めたのは2010年の5月。
その前に住んでいたのは同じく中国の深セン市でした。
しかし、同じ中国の一都市と言えどもこの二つの街は全く違った印象を持ちます。
深センはまだ独自のカルチャーが定着していない新興都市、それに対して大連は
歴史の流れの中で形成された“自我”を持った街です。

CHI_0102_0102

かつて日本の街(正確には租借)としての歴史を持つ大連は、大変ユニークな基礎の上に
成り立つ街と言えるでしょう。
当時の日本による建築物が数多く残されているのはもちろんのこと、日本語や日本の味
などの「日本カルチャー」がごく自然に入り込んでいる感じです。
日本語を話す若者の数も多く、突然話しかけられた時など「この人日本人かな?」と
思ってしまうほど発音も正確です。
たどたどしくも話せる人まで入れたら、日本語を習得している人の数はずい分多いこと
でしょう。
これは深センと大きく異なる点です。
深センでは日本語のみならず、外国語を話せる人はごく少数なのです。

CHI_0102_0103

そしてもう一つ、忘れてはならないのが大連で出会える「日本の味」です。
大連の日本食レストランは、他国と比較してもクオリティーが高いように思います。
それも「美味しいけどその分値段が高い」というのではなく、「そこそこの値段で味が良い」
と言う店が多いのです。
中には「すごく安くてすごく美味しい」という店もありますから、在住日本人のみならず
日本人旅行者にとっても嬉しい限りです。

CHI_0102_0104

CHI_0102_0105

その中でも良く見かけるのが「九州の味」です。
大連から福岡までは飛行機で約1時間半程度という近さのせいでしょうか、大連市内では
「博多」を始めとした「九州の味」を提供する店が多いのです。
水たき料理、モツ鍋、博多ラーメンに久留米の焼き鳥などなど、「初めての博多料理を食べ
たのは大連」と言う人もいるほど店舗数が多く人気もあります。

CHI_0102_0106

海外での日本食レストランは、それ自体が高いバリューを持ったり、「行き過ぎた高級感」
に利用者側が振り回されることや、「高すぎる値段設定」に辟易させられることがあります。その点、大連の日本食の店は“ごく当たり前にそこにある”と言った風で、日本で居酒屋
に行くのとさほど変わらない気分です。
これも大連の土地柄、そのバックグラウンドの上に成り立つ事なのかもしれません。
もっともここ数年、在住日本人の数が年10パーセント台の伸び率を見せていることから、
これから先、必要に応じて使い分けのできる「高級店」が現れないとも限りません。
大連はまさに今、過渡期にあるのです。

CHI_0102_0107

日本に近い街、大連。
距離的にも心情的にも近いこの街で、「中国の中の日本」を探してみるのも面白いでしょう。
他の都市とはまた違った中国の一面が見えるはずです。

在住日本人に大人気!「切り絵アート」の魅力とは

07 1月
2011年1月7日

CHI_0101_0101

中華料理店の窓に赤い「福の字」の切り絵が貼られているのを見た事ありませんか?
あの切り絵、実は「剪紙(せんし)」って言うんです。
剪紙は中国の伝統文化のひとつ、紙を切り抜いて描く“絵”のことです。
本来はその用途に合わせ種類や貼る場所も色々ありますが、色の違った台紙に合わせ、
額に入れた装飾用の剪紙を、私は特に美しいと感じます。
筆も絵の具も使わない「剪紙」が描く“絵”の世界、今回はその魅力についてご紹介します。

CHI_0101_0102

ひと口に“紙を切り抜く”と言っても、その方法にはいくつかの種類があります。
ハサミで切るもの、小刀を使って彫るもの、先の細いナイフで刺しながら切り抜いて
いくもの、そして手でちぎるもの。
いずれも「剪紙」ですが、手法ごとに個別の名称があります。

使う道具によって、出来上がった作品の風合いにも違いがあります。
例えば、手でちぎって作る作品には「手作業」ならではの味わいがありますが、
繊細な線を描き出すことはできません。
逆に、先の細いナイフを使って刺すようにして切り抜いた作品は、細かな線まで緻密に
表現することが可能です。
繊細な曲線が描く剪紙の世界は、作者の手によって無限大の広がりを見せるのです。

CHI_0101_0103

剪紙では動物や人物のほか、花や鳥、物語などがモチーフとなります。
中でも干支や十二支などの縁起物は、春節の季節に限らずいつでも人気があるのだとか。
白の台紙に赤の切り絵というシンプルな組み合わせが、部屋のインテリアとしても
好まれるのでしょう。
実際、額に入った剪紙は、色を重ねた絵画にも引けを取らぬほど、爽やかな存在感があります。

CHI_0101_0104

上の写真は剪紙家の趙放(チョウ ホウ)さん。
今回私に剪紙のことを色々教えてくださった方です。

趙放さんは剪紙歴8年、大連市内で剪紙の店を経営するオーナーであると同時に、
新しい作品を生み出す剪紙デザイナーでもあります。
またオーダーメイドの注文はすべてご自身が手掛けるという、超多忙な人物です。
かつて日本にも長く住んでおり、日本語を大変流暢に話されることもあって、
店を訪れるお客の多くは日本人とのこと。
しかし趙放さんの作品が日本人に人気の理由は、それだけではありません。
彼の描く作品の世界は中国の伝統的なモチーフにとどまらず、海外のテイストも積極的に
取り入れた、ユニークで斬新なものなのです。
まずはこちらをご覧ください。

CHI_0101_0105

これはアンモナイトのような渦の中に「人間の一生」を描いた作品です。
新しい生命の誕生から老いへと続く時間の経過を見ていると、喜びと同時に切ない感情が湧いてきます。
想像力を膨らませ、絵の中に自由に入り込むことが出来るのは、まるで投影を思わせる
切り絵ならではの魅力と言えます。
また、作風がシンプルだからこそ多くの要素を同時に描くことも可能なのでしょう。

そしてこちらはクリスマスの一日を描いた作品。

CHI_0101_0106

太陽が輝く時刻には、皆クリスマスの準備に向けて賑やかに動き回っていますが、
日が暮れて夜になると、次第に厳かなクリスマスムードへと変わっていきます。
曲線の繊細さも見事ですが、何より今にも動き出しそうなライブ感と、朝から夜へと
移行する時間の経過が、物語を読むように伝わってくることに驚かされます。

さらに趙放さんは新たな試みとして「切り絵の表札」作りも始めました。
デザインから名前の字体まで全てがオーダーメイドです。
これが在住日本人から大変な人気で、いまや出来上がりまで数カ月待ちの状態だとか。

CHI_0101_0107

意外な作風が日本人の若い世代にも受け、次第に知られつつある中国「剪紙」の世界。
趙放さんのような存在が、その文化を世界に広める担い手となっていることは間違いありません。
中国の伝統文化から生まれた“現代アートとしての剪紙”、皆さんもお気に入りの一点を
探してみませんか。
部屋を彩る素敵なオブジェとなることは間違いないでしょう。
趙放さんの店 三星文化礼品店 zhaofang71@gmail.com (日本語可)

遥かなる「チベット」に行ってみませんか

31 12月
2010年12月31日

私にとってチベットは、未知の国のイメージです。

どんな人たちが住んでいるのか、どんな生活が営まれているのか、ほとんど知りません。

そんなチベットについて、旅のプロフェッショナルである和田智子さんからお話を伺うことができました。

心を揺さぶるエピソードの数々、そのいくつかをここにご紹介します。

 

CHI_1202_0101

 

和田さんがチベットを訪れようと思ったのは、映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」を見たことがきっかけでした。

中でも世界遺産に登録されている「ポタラ宮」に対する思いはひとしおだったそうです。

「現実世界に存在する建物と言う感じがしないんです。その美しさ、圧倒的な存在感は、まるでお伽話と言うか、この世に本当に存在するのかと疑ったほどです。一度この目で確かめたいと思いました。」

 

CHI_1202_0102

 

2010年8月、念願のチベットの地に降り立った和田さんは、まず迷うことなくラサの「ポタラ宮」に向かいました。

ポタラ宮はダライラマ5世によって建立された後、増設を繰り返し今の形となりました。

その建物の内部には歴代のダライラマのご遺体を収めた霊塔があります。

「これでもかというくらい、たくさんの「金」が使用されています。チベットの人々にとって、ダライラマがいかに大切な存在なのかを改めて知りました」

 

しかしこのポタラ宮は建物の劣化が著しく、この先見学者の入館が制限される可能性もあるのだとか。

そのことでは地元ラサの人々も頭を悩ませているそうです。

 

CHI_1202_0103

 

和田さんが次に向かったのはギャンツェ。

ここには15世紀に創建されたパルコンチョーデ(白居寺)があります。

中でも有名なのは“大きな目”が描かれた「パルコン・チョルテン」。

その螺旋を上へと登る途中には70以上の小部屋があり、それぞれに壁画や仏像が安置されています。

さぞかし素晴らしい作品ばかりだろうと思い「全部見たんですか?」と聞いたところ

「いえいえ、よほど好きじゃなければとてもじゃないけど無理です」とのこと。

確かに“観賞”するには数日かかりそうですね。

 

CHI_1202_0104

 

この白居寺内の多くの寺院は文化大革命の際に破壊されました。

近年になって中国政府により一部修復されたそうですが、悲しい歴史の傷跡がそれで消えるわけではありません。

上塗りされた現実が、新たな歴史となって残るだけです。

「パルコンの上から見下ろすギャンツェの街は見渡す限りの土色。とても豊かな街には見えません。それでもここは人口6万人の“チベット第3の都市”なんです」

複雑な思いを胸に見渡す街は、きっと特別な印象だったことでしょう。

 

CHI_1202_0105

 

次なる目的地はチョモランマ。

前日に滞在していたツガツェの町から、悪路を5時間車に揺られベースキャンプに到着しました。

雲の多い夏場であるにもかかわらず、到着したその日の夕方にはチョモランマを拝むことが出来たと言う和田さん。

「ラッキーでした。厚い雲の合間から山が姿を現したとき、周りから大きな歓声が上がりました。チョモランマの姿は、それはそれは神々しく、世界中の人々がここを訪れる気持ちがわかったような気がします」

 

CHI_1202_0106

 

しかし、和田さんの幸運はその時すでに兆候を現していた「高山病」の症状によって一転します。

長時間の悪路の移動と、急激な高度の変化がその原因でした。

「前日との高度差は1300メートル。体力の消耗も相まって、高山病対策も功を奏さなかったのです」

吐き気と酷い頭痛、食欲不振の上、眠れば呼吸量が減るため苦しくて目が覚めるという、なんとも絶望的な状況だったと言います。

それでも夜が明ける頃には症状は改善に向かいました。

「朝日を見る頃には、身なりを整えることも忘れ帰途についたのですが、その途中、昨日以上にはっきりとチョモランマの姿を見ることが出来たのです。体調の悪さも忘れるほど清々しい朝でした」

 

CHI_1202_0107

 

この話を聞いて、私もチョモランマを臨みたくなりました。

ハードな旅ですが、素敵な体験となることは間違いありません。

皆さんも遥かなるチベットに出掛けてみませんか?

和田さんは次回、自転車で周る計画を立てているとのこと、これにはとてもかないませんが。

Copyright© 2017 中国情報 All Rights Reserved.