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ギリシャ神話とオリーブ

22 11月
2008年11月22日

ギリシャでは、11月になると、たわわに実ったオリーブの実の収穫が始まります。農家では、低い枝の実は手摘みで、高い枝の実は棒で叩いて下に敷いたマットの上に実を落とし、収穫します。家族総出、臨時作業員を雇ったりして行う大変な作業です。

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ギリシャにとってオリーブは、なくてはならない存在。日本の醤油、味噌、梅干し、米に匹敵するような主要食材です。ギリシャの各地にオリーブ畑が見られ、その種類は100種類以上、国民一人当たりのオリーブ油の消費量はなんと世界一です。ギリシャ料理には、おたまで何杯分ものオリーブ油を使ったりしますし、食用の他、美容や医療、燃料などにも古代から珍重されてきました。教会の聖油として使われるオリーブ油は「光」を象徴し、ギリシャ正教の洗礼式には、体にふりかけたりもします。

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オリーブの記述はギリシャ神話の中にも多く見られ、歴史的にもその関わりの深さが伺われます。今日は、ギリシャ神話の中のオリーブにまつわるお話をご紹介しましょう。
一番有名なのは、アテネの守護神であるアテナ女神のエピソードでしょう。その昔、アテナイの守護権をめぐり、海の神ポセイドンと知恵の女神アテナが争った時に、人民に、より多くの恵みを与えた方を勝利者とすることになりました。ポセイドンは塩水の泉を進呈し、一方知性の女神アテネは、聖なるオリーブの樹を創り出し、アクロポリスの丘に植えて、食料、燃料、美容、医療の糧となる豊饒なる富(オリーブの収穫)をもたらしました。その結果、人々に実質的な利益を与えたと評価されたアテナが勝利者となり、アテナ神を守護神としたアテネは、現在のギリシャの首都として栄えています。アクロポリスの丘に立つ壮大なパルテノン神殿は、その女神アテナを祀った神殿で、世界遺産にも認定されています。そのアテナが植えた聖なるオリーブの木は、ペルシャ兵が侵攻してきて木を燃やした時も、次の日には蘇って葉を茂らせ、アテナ神の力を示したと伝えられます。

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ギリシャ神話は様々な伝承があることから、矛盾や違うバージョンもあります。アテナ神はクレタ島から来て、ミノア人に聖なるオリーブの木を与えたという話や、最初の聖なるオリーブの木は、ペロポネソス地方が起源とする話もあります。また、ヘラクレスの逸話では、彼がダニューブ河の岸にはえていたオリーブの木を最初にオリンピアに持ってきたとか、彼が敵を倒すために使っていた棍棒は、オリーブの幹で作られていたとか伝えられています。
また、アルテミスとアポロンの母であるリトが、デロス島で出産場所を探していた時に、聖なるオリーブの木の木陰で休み、安産の神の去来を待ち望んでいたという逸話もあります。そのアポロンの息子であるアリステウスは、初めて抽出したオリーブ油によって疫病を治療したと伝えられており、オリンポスの女神達は、オリーブ油と他のアロマオイルをブレンドして、美容用のクリームとして使用していたという逸話もあり、昔から、医療用・美容用としても、オリーブが珍重されていたことが分かります。
どれも、ギリシャにおけるオリーブの重要性を示す逸話ばかりで、興味がそそられるところです。
個人的には、私の中でも、今ではオリーブはなくてはならない食材になってしまい、いつもスーパーで、どのオリーブにしようか迷ってしまいます。(でも、味見をさせてくれるのが嬉しいです。)

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2004年のアテネオリンピックでは、オリーブの枝の冠がオリンピックの勝利者に与えられ、平和の象徴として、オリーブは国連の旗のデザインにも使われています。樹齢が何千年と言われる古木もあり、夏は40近い炎天下に半年くらい雨の降らないこともあるギリシャの気候も耐える、本当に貴重で強靱な、まさに神の恵みを象徴した木だと思います。去年の夏の山火事で、そのオリーブの木がたくさん失われてしまったことを、本当に残念に思います。

マラソンの発祥地、ギリシャで走る秋のイベント

14 11月
2008年11月14日

マラソンの発祥地であるギリシャにて、アテネ・クラシック・マラソンが11月9日に開催され、女子部門では、見事、日本の田上麻衣選手が2時間36分58秒で優勝しました!男子部門では末次巧幸選手が2時間17分10秒で7位に食い込みました。ちなみに、男子1位はケニアの選手で、2時間12分42秒の新記録を出して優勝しました。

優勝した田上選手、目標とする選手は、あの2004年アテネオリンピックで優勝した野口みずき選手とのこと。その野口選手と同じコースを走り、野口選手の記録より10分ほどの遅れでゴール、見事に優勝した田上選手。夢と目標に、どんどん近づいている感じですね。競技後のコメントとして、「今年は4回もマラソン大会に参加して疲れていたけれど、このアテネのコースも、事前に一部走ってみて、その厳しさを実感していたので、本番で抑制したことが勝利につながりました。」というようなことがギリシャの記事で書かれていました。現地新聞にも田上選手のゴールの写真入りで、記事が載っていました。どうも、このアテネのマラソンコースは、日本女性選手と相性が良さそうです。

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今年も、通常の42.195キロコースの他、ちょっとそこまで自信の無い方用に、10キロ、5キロのプチマラソンもあり、全世界から1万人以上の選手が集い、参加したとのことです。

今では世界中で愛されているマラソン競技ですが、その起源は、紀元前5世紀の「マラトンの戦い」です。第一次ペルシャ戦争で、ギリシャ軍とペルシャ軍がマラトンの地で戦い、数的にも圧倒的不利な状況から一転、ギリシャ軍が勝利しました。この喜びのニュースを一刻も早くアテネの市民に伝えるため、足の速い伝令がマラトンからアテネまでの長距離を必死で走り、アテネに到着してギリシャ軍の勝利を伝えた後、力尽きて息絶えたという英雄伝があります。この伝説が元になってマラソン競技が始まったのです。アテネ・クラシック・マラソンはこのマラソンの起源となった歴史的コースを走るもので、スタート地点は、ギリシャ東海岸沿いのマラトン市、ゴールはカリマルマロと呼ばれる、アテネにあるパナティナイコ・スタジアム。途中坂が多く、かなり厳しいコースです。ちなみに、ゴールになるこのスタジアムは、1896年に第1回近代オリンピックが開催された記念すべき場所で、2004年アテネオリンピックでも、マラソンのゴールとなった所です。(下の写真は、2004年オリンピック時のスタジアムの様子)

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そして、アテネ・クラシック・マラソンよりもずっと知名度は低いのですが、ギリシャには、もう一つのマラソンの国際大会があります。それは、1983年から始まった超長距離マラソンの「スパルタスロン」。こちらは、第1次ペルシャ戦争の際に、アテネ軍の伝令フィディピデスが、援軍を求めるためにスパルタまで走り、往復約500km近くを4日で駆け抜けたという故事が起源となっています。

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その名前が示す通り、こちらは、アテネからスパルタまでの約250キロの距離を36時間以内に走るウルトラレースで、標高1100mのサンガス山越えなどがあり、完走率も低い厳しいサバイバル競技です。今年は9月27、28日に行われました。コースも苛酷だし、出場資格条件も厳しいことから、少人数の戦いになっていますが、いつも日本人の参加が多いのが驚きです。開催地のギリシャや近隣のヨーロッパ諸国の出場者よりも、日本の選手数の方がずっと多いのです。
そういえば、ギリシャは、公園でジョギングしている人もあまり見かけない反面、日本人はマラソン向きな性質なのかもしれません。発祥地ギリシャよりも、マラソンに賭ける情熱は日本の方が上かもしれませんね。

ギリシャ国家記念日(オヒ・デー)のイベント

04 11月
2008年11月4日

10月28日は、ギリシャの歴史上重要な国家記念日(祝日)で、通常「オヒ・デー」と呼ばれています。ギリシャ語で「OXI(オヒ)」というは「NO」の意味です。

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1940年10月28日、ムッソリーニ率いるイタリア軍がギリシャに侵入してきて、占領しようと試みた時、イタリア軍の「降伏するか」の問いに、ギリシャのメタクサス将軍が毅然と「オヒ!」と言って拒否したことが、この「オヒ・デー」の由来です。圧倒的に不利な状況であったにもかかわらず抗戦の道を選択し、イタリア軍と厳しい山岳戦を闘い、最後には見事にアルバニア国境を越えて撃退した、記念すべき日なのです。誇り高いギリシャ魂と、自由への強い意志を感じるエピソードです。ギリシャには、「自由か、さもなければ死を!」という有名なスローガンが昔からありますが、これはギリシャ人の気質を象徴しています。

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さて、この日は祝日で、様々なギリシャの街でパレードが行われますが、この日の数日前には、学校でもパレードやお祭りが行われる習慣となっています。まだ意味も良く分からない幼稚園の頃から、こういう行事が行われるということによって、自然と愛国心が育ち、歴史に興味を持たせることができるのですね。この記念日に関する歌も多くあり、かなり難しい歌詞なのですが、語呂が良くできていて節が単調なので、子供は、お経のようにすぐ覚えてしまいます。学校のイベントでは、これらの歌を合唱し、生徒が一人ずつ詩(台詞)を斉唱したりします。
ギリシャの有名な詩人、ソロモスの「自由への讃歌」が原詩となってできたギリシャの国歌や「国旗」という歌では、ギリシャ人の自由への熱い思いを歌い、「ドゥーチェ(ムッソリーニ)が軍服を着る」では、イタリア軍との山岳戦で、ギリシャ兵がいかに勇ましくイタリア軍を撃退したかを歌い、「ギリシャは決して死なず」という歌では、ギリシャの栄光と威信を歌っています。

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長女の幼稚園では、当時の新聞のコピーをくれ、「家でこの日のことを話し合って下さい。」との宿題が!(私には歯が立ちませんね。)ムッソリーニやメタクサ将軍の写真などが載っていました。

ちなみに、幼稚園年長の長女と保育園に通う次女も、園のイベントで言う台詞をもらってきましたのでご紹介しましょう。ギリシャは演劇発祥の地ということもあり、小さい頃から、人前で台詞を言う機会や、演劇の催しがとても多いような気がします。こうやって、度胸がついていくのですね。

長女の台詞
「この記念すべき日、一同集え、国旗を高く掲げよ、志を高く持て!」
次女の台詞
「全ての民が、今日、私たちと共に祝う。偉大なる我々の祝祭、我々の勝利をたたえよ!」

10月28日は、街中に国旗が翻り、いずれにしても、「ギリシャ万歳!」の日です。

聖ディミトゥリオスの日

02 11月
2008年11月2日

ギリシャで、10月26日は、聖ディミトゥリオスの日です。ギリシャはギリシャ正教の国なので、1年のうちには、聖人を記念する日がたくさんあります。他には、1月1日の聖バシレイオスの祝日、6月の聖ヤニス(洗礼者ヨハネ)の日、12月の聖ニコラウスの祝日などが有名ですが、この10月末の聖ディミトゥリオスの日あたりからギリシャでは冬が訪れると言われ、冬時間に変わります。

さて、聖ディミトリオスとは、どんな人だったのでしょうか?

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聖ディミトリオスは、ギリシャ第二の都市、北部テッサロニキの裕福な家庭に生まれ、青年時代にはローマ軍に従事していましたが、キリスト教に出会って洗礼を受けてからは、教義の流布、宣教の道に励んでいました。

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しかし、当時、ギリシャを支配していたローマ帝国の皇帝マクシミアノスは、キリスト教を弾圧していました。そして、皇帝がテッサロニキを訪れ、聖ディミトリオスの噂を聞くと、彼を牢屋に投獄してしまったのです。しかし、聖ディミトリオスは、牢屋の中でさえ、宣教の道を諦めませんでした。
当時、ローマ帝国支配の時代は、皇帝の娯楽のために、様々な競技が開催されていましたが、千客万来のあるスタジアムでレスリングが行われた時、当時の怪物レスラー、リエオがキリスト教徒に対戦を挑みました。「キリスト教徒のやつは、相手になるぞ。誰でもかかってこい!キリストとやらの力を借りて、俺に打ち勝ってみろ!」怪力・巨人の彼の前には、恐れて誰も志願しませんでしたが、遂に、ネストラという若者が、キリストが冒涜されることに堪えられず、戦う決心をしたのです。彼は、こっそりスタジアムを抜け出し、聖ディミトゥリオスが投獄されている牢屋に行き、彼から神の祝福の力を授けてもらい、帰還しました。戻ってきた彼は、自信満々に「俺が相手になる。キリストの力を借りて、お前に勝ってみせるぞ!」と挑みました。そして、試合が始まって最初の一撃で、なんと怪物レスラーを倒し、相手は息絶えてしまいました。キリストの力が勝利したのです。
この結果に激怒した皇帝は、ネストラと、祝福を与えた聖ディミトリオスを死刑にしてしまいました。
信者は悲しみにくれながら彼をお墓に埋葬しましたが、そのお墓から、没薬(もつやく:古代から、薬や香の材料として珍重されてきた樹脂、救世主の象徴とも言われる)がしみ出てきたという伝説があります。そして、後に信者は、テッサロニキに壮大な聖ディミトリオス教会を建て、街の守護神として崇め、現在では、毎年10月26日に、彼を偲んで、盛大なミサが行われるようになりました。

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