カテゴリー: 文化

動物園、ペットについての無駄話

20 7月
2011年7月20日

大昔から、人は動物を家畜としたり、ペットとして一緒に生活して来た。
動物園というのも昔からあった。

動物園は人間には都合がよく、普段見れない動物を見る意味ではいいが、飼われている動物達は、どう思っているのか動物達に聞いてみないと。。。。
私自身も動物園に動物を見に行くのは好きで、チャンスがあると行くけど。 続きを読む →

最も古い時代に始まった大きな都 モンテ・アルバン

05 6月
2011年6月5日

メキシコシティにある国立人類学博物館は折々特別展をやる。
この特別展はなかなかよろしい。
世界の文化展もよくやるが、メキシコの展示でも、個人所有の物で、普通には見られないものや、
地方の博物館にある物で、地方まで行かなければ見られない物も展示されている。 続きを読む →

結婚のお祝い

16 5月
2011年5月16日

メキシコ人は、祝い事、祭り事が好きである。
人生で、色んな祝い事があるだろう、その祝い事の折々には、必ず大々的に親戚、友人を招待してパーティをやり皆に祝ってもらう。
パーティには、もちろん金がかかる。金がなくっても借金してでもパーティーはやらなくちゃあと言う人も結構多い。
祝い事のパーティの中でも結婚式は、結婚という新しい門出の大事なセレモニーであろう。 続きを読む →

メキシコの歴史を知るための歴史博物館・チャプルテペックのお城

10 5月
2011年5月10日

ツアーではほとんど行かないけれど、国立人類学博物館を見学して、あと時間の余裕があったら、是非お勧めが、歴史博物館。
人類学博物館から、チャプルテペック公園を徒歩で丘の上まで登ってチャプルテペックのお城 歴史博物館まで足をのばそう!

先住民時代のメソアメリカ文明、考古学的歴史は国立人類学博物館でたっぷり見学するといい。
が、スペインの侵略それに続く300年の長い植民地時代、そして独立以後のメキシコの歴史を、知らずして、メキシコの歴史を知る事には、ならない。
この歴史博物館には植民地以後のメキシコの歴史が、その建物チャプルテペックのお城自体の歴史と共に詰まっている。

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写真の説明:チャプルテペックのお城

メキシコシティの平地より45m高い丘、チャルテペックの丘からは眺めもいい。

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写真の説明:お城からの眺め 東側。レフォルマ大通り。
メキシコ一(エディフィシオ マジョール)・二(石油省ビル)・三(写真ではちょっと分かり難いが、ラテン アメリカタワー)番と高いビルが見える。

登りや、歩くのはちょっと苦手と言う人は、電車に乗って行けばいい。ちょっと遊園地のチンチン電車に乗った気分も楽しい。(往復13ペソ)

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アステカ族のゆかりの地でもあるチャプルテペックはアステカ王の保養地としての場所であったらしいが、植民地時代に副王の舘が建てられた。
が、植民地時代には、あまり使われた訳ではないようだが、メキシコの歴史の中では、お城は、1947年のアメリカの侵略戦争の舞台となる。

それは、当にメキシコ版白虎隊である。
ここは当時、兵学校として使われていたが、そこの13歳~19歳の少年兵がメキシコシティ最後の砦となるチャプルテペックの丘で戦い命を失う。

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写真の説明:6人の英雄少年の像

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写真の説明:博物館の階段の天井に描かれた壁画。国旗を守り体に巻いて丘から飛び降りたと。

1864~67年、このお城は、メキシコがフランスに征服された後のフランス統治のマキシミリアム皇帝の城とするために改築されたが、
結果的には皇帝と王妃カルロッタはほとんど住まわなかったらしい。

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写真の説明:当時のフランス皇帝ナポレオン三世から贈られたピアノ。額の肖像ががカルロッタ王妃とマキシミリアム皇帝。

その後、独裁政治家ポリフィリオ ディアスが大統領官邸とした。
フランス好みの贅を尽くした輸入品家具などを使った。

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メキシコ革命戦争後の何代かの大統領の官邸とされた。

そして、お城は、ラサロ カルデナス大統領時代に歴史博物館とされた。

お城はメキシコの時代時代で、何度か改築増築をされている。
ディアス大統領時代に、丘の下から上に抜けるエレベーターを取り付けた。
このエレベーターは新しい機械を取り付け、現在機能しているが、一般には丘に登るのが大変な体の不自由な人専用になっている。
たまたま、私は今回、足を捻挫して杖ついて、丘に登る電車を待っていたら、「こっちにおいで!」とエレベーターに案内してもらちゃった。
得しちゃった。初めてこのエレベーター使わせてもらった。
エレベーターは、丘に穴開けて作った訳だが、狭い。車椅子一台分の広さ。せいぜい3人乗りくらいだ。

博物館の展示は、その名の通り、メキシコの歴史。
植民地時代、独立戦争、アメリカの侵略戦争、フランスの侵略とマキシミリアム皇帝時代、ベニート ファレス大統領の改革政治時代、ポリフィリオ ディアス大統領の独裁政治時代、メキシコ革命戦争、そして現在。

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写真の説明:マキシミリアム皇帝時代、ファレスはこの馬車でメキシコ国内を移動して、あくまでも自分が正当なメキシコ政府と主張した。

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写真の説明:マキシミリアムの馬車

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写真の説明:独立戦争を描いたファン オゴールマンの壁画

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写真の説明:革命戦争を描いたファン オゴールマンの壁画

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写真の説明:お城の上の階の庭 塔は一時期天文台として使われた。

時代を追って展示物を見てゆく事で、メキシコの歴史を知る事ができる。
メキシコの歴史を垣間見るために、チャプルテペックのお城 歴史博物館訪れてみませんか?

世界一の金持ちの美術館・ソウマヤ美術館

29 4月
2011年4月29日

メキシコは貧富の激しい国で、貧しい人が多い国であるが、また、大金持ちは、桁外れの大金持ちもいる国である。 世界一の大金持ちがメキシコにいる。カルロス・スリムである。 メキシコの一社独占企業の電話会社テルメックス、サンボーズなるファミリーレストランなどの店etc.の大企業のオーナーである。

なんせ世界一のお金持ちなんだから、そのお金は、使い放題できるのだろうが。 その美術品のコレクションは半端じゃあない。 その彼の金に糸目をかけないコレクションの美術館、ソウマヤ美術館は、もともと、サン・アンヘル地区にあった。

だが、1ヶ月ほど前に、メキシコシティのポランコ地区(ブティック繁華街また高級マンションの地区として知られている)にPlaza Carsoなるものオープンした。 これは、高級マンション、オフィス、ショッピングセンター、劇場、映画館などを含む総合プラサなるものだそうだ。 Carsoはカルロス・スリムの大企業グループの名前である。

そこに、かれの美術品コレクションの美術館ソウマヤ(ソウマヤというのは彼の亡くなった奥さんの名前らしいが)も、超斬新な近代建築に移動させ、ニューオープンとなった。

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美術 芸術好きの人は、是非行くべき美術館の一つと言えるだろう。 サン・アンヘルにあった時は、あまり知られていなかったのか、知る人ぞ知るの美術館で、ほとんど来館者が少なかったけど。 今回ショッピングセンターもニューオープンで宣伝効果もあってか、メキシコ人がいっぱい、なんせ美術館の入場料はタダだし。 もっとも、高い電話料金で、がっぽり儲けているんだから、美術館タダでもいいさ。

国立美術館と比較しても、決して劣らないコレクションである。 しかもメキシコの芸術作品だけでなく、世界の有名な画家彫刻家などの貴重な作品がごっぞりあったりするのだ。 彫刻の階は、まだ準備中で見られなかったが、ロダンの作品などは世界でも、ロダン美術館に次ぐ多さなのだそうだ。

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16世紀からの宗教画・教会芸術に始まって、近代の世界の芸術作品まで、美術史の勉強にもなるかも。 世界の芸術家、ルノワール、ドガ、ゴッホ、ダリ、ミロetc.

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そして、メキシコの芸術家 Dr. Atl、ベラスコ、リベラ、シケイロス、タマヨetc. その他、工芸美術品などなど。

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美術好きの人なら、ゆっくり半日、一日かけてゆっくり見て回ってもいいかも。 お茶して、ショッピングセンターで買い物して。(美術館はタダだけど、またまた世界一の金持ちに金儲けさせちゃう事になるけど。。。)

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ソウマヤ美術館 http://www.soumaya.com.mx/index.html

 

白鳥の湖

26 3月
2011年3月26日

「白鳥の湖」と言ったら、バレエや音楽に詳しくない人でも、思い起こすだろう。チャイフコスキーのバレエ「白鳥の湖」

日本から来た友達に、「チャプルテペックの公園の湖でやっている白鳥の湖を見に行きたい、とっても素晴らしいって!」と言われた。
「え!?知らなかった。」

残念な事に友人の滞在中は、公演がなかったけれど。

チャプルテペック公園の湖の小島という自然の野外の舞台での「白鳥の湖」のバレエ公演は、1977年から毎年、この時期2月末から3月の週末行われてきたと。
湖の自然の中の夜の公演は、なかなか雰囲気があってよろしい。

メキシコは雨季と乾季があるが、野外での公演は、はやり乾季でないと。。。。ではあるが。
日本の友達と一緒に行けなかったけど、是非行こうと、切符を買いに行ってみると、売り切れ。
翌週の公演の切符を買った。
高い席と安い席の差が30ペソくらいで差がそれほどないので、せっかくならいい席と思ったのだが、売り切れで一番安い席になってしまった。
人気なんだねえ。

バレエというと、なんか切符高いんじゃあないか?と思ったりするのだが、高い席で180ペソ(円高なので、1400円くらい)、安い席で152ペソであった。

日本ではこんな値段ではバレエさすがに見られないでしょう!
メキシコで見ては?
安いから、たいした事ないんじゃあないかって?いやいや。とんでもない。
私、バレエ知らないけど素晴らしかった!欲を言えば、もっと近くで見たかったけど。

私が見に行った日は、乾季のはずが、公演が始まる前、6時頃結構な雨が降ったのだ。
公演がキャンセルになるんじゃあないかと心配しながら、行ったが、雨も止んで、結局、係りの人が客席の椅子をせっせと拭いて回って、舞台もせっせと雨水拭いて
30分遅れになったが、観覧できた。

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(夜の遠景の動きのある写真って、難しい。いい写真が撮れなかった。残念!でも雰囲気は分かってもらえるかな?)

始まる前、湖を見ていたら、一羽の白鳥が、泳いでいた。
そう、ここは白鳥の湖でしたねえ。

もし、この時期、メキシコにいらっしゃるんだったら、「白鳥の湖」をチャプルテペック公園の湖で観覧いかがですか?なかなかお勧めですよ!

この時期じゃあない人も、白鳥の湖でなくっても、メキシコでバレエをみるのもいいかも?!で、

「眠れる美女」
4月6日~24日 チャプルテペック公園のお城の広場

「シンデレラ」
5月29、30日 6月2、5日 国立芸術宮殿

「BALANCHINEの祭典」
6月30日 7月3日 国立芸術宮殿

などなど
12月には、毎年、「くるみ割り人形」を国立アウディトリオで確かやっている?と思う。

国立芸術宮殿で毎月配布している案内書でチェックしてみると、バレエ何かやってるかも?です。

メキシコでバレエ 観劇いかが?

なお、切符、国立芸術宮殿で買うと正規の値段だけど、チケットマスターで買ったら、20%ほどコミッション分高いようでした。

ミトラ遺跡とミステカ族の芸術とオアハカ州立博物館

14 3月
2011年3月14日

オアハカ州で、モンテ・アルバンと並んで重要な遺跡で、やはりオアハカツアーでは、必ず入っているミトラ遺跡。
この遺跡の特徴はなんと言っても切石のモザイク模様の建造物の壁。
いくつかの中庭を囲む部屋のある建造物の外内部の至る所の面がこの石切モザイク模様で覆われている。
実に、細かく、繊細に一つ一つの石を切りそれを組み、色んな種類の幾何学的美しい模様を作り上げている。
その石切モザイクの模様は昔は色づけされていて、今以上に綺麗なものだったのだろう。
このモザイクの壁を持つ部屋は、メソアメリカ文明の中でも最も装飾の素晴らしい豪華な部屋であったと言えるだろう。

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この模様を見たら、何か美術的な事を考えている人は、真似してみようと思うに違いない。
偉い近代の建築家も真似たとか?

ミトラ遺跡やヤグール遺跡の後方の山の洞窟は、紀元前1万年も昔に、農耕を始めた人々が住み始めた痕跡があるというので、2010年の世界遺産に、指定されたように、この地は、モンテ・アルバン遺跡と同様に、最も古い時代、紀元前500年頃には、サポテカ族の都として、栄え始めたというところである。
サポテカの都は、後に、ミステカ族によって侵略され、今残っている遺跡の建造物はそのミステカの都のものである。
だが、そこを、16世紀スペインの侵略で、そのミステカの美しいモザイク模様の壁を利用して、スペイン人たちは、教会を建てた。

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ミステカ族は、モンテ・アルバムなどにも進入したけれど、そこの都のサポテカ王のお墓を利用して、そこに彼らの王を埋めた、サポテカ族の都、モンテ・アルバンを彼らの王のお墓としただけだから、モンテ・アルバン遺跡は、サポテカ族の都と言えるが、ミトラ遺跡はミステカ族の都と言える。

それにしても、ミステカ族のその芸術的工芸の素晴らしさは、その都のモザイク模様の壁だけではない。
ミステカ王の墓、モンテ・アルバン遺跡の7号墳墓が発見された。
その墳墓の発見は、マヤのパレンケ遺跡のパカル王の墓の発見と並ぶ大センセーションの発掘であったと言える。
その墓の奉納品の財宝は、メキシコ考古学史上最高のものであった。
そして、いかにミステカ族がその芸術的工芸に秀でていた部族であったかを知らしめる。
金銀の鋳造、彫工、細工の素晴らしい技術力。
またその美しいモザイク模様などは陶器にも遺憾なく発揮されメキシコでも最も美しい陶器を作り出した。
その細かな芸術性は、骨細工、石などの細工などにも発揮されている。
ミステカ王の装飾品、墓の奉納品の数々の素晴らしいさ、はやり一見すべき。

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オアハカシティのサント・ドミンゴ派修道院跡の建物を使ったオアハカ州立博物館も、足を運こぶべきところ。
7号墳墓の発掘物のほとんどがこの博物館に展示されている。

サント・ドミンゴ派の修道院跡とその教会自体も、大変興味深い建物で、スペイン植民地時代史、カトリックの布教、建物、その装飾などなどの観点からも、オアハカ旅行で必見の場所と言えるあろう。
お見逃しなく!

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写真の説明:サント・ドミンゴ教会正面

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写真の説明:サント・ドミンゴ教会内部天井の装飾

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写真の説明:サント・ドミンゴ修道院跡(現在博物館)の内部の中庭

世界遺産の洞窟って、いかに?その2

15 2月
2011年2月15日

その絶壁の岩の横を登る、山登りコースにはいる。

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その岩絵の見えた丘の上に出ると、なんとそこは畑がある。オアハカ地方の名産のお酒メスカルの材料にするアガベ畑など。

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その畑は石もゴロゴロだが、昔の時代の土器の破片がいっぱい。

その畑の向こうで仕事しているおじいさんがいて、その近くにはそのおじいさんの家らしい小屋まである。
ヤグール遺跡の一部の建造物の跡らしいものもある。この高台の建造物は、当時見張り台の役割をした建物だったらしい。

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高台から、下を見下ろす。
丘が入り江のように入り込んだところがあり、案内の人は、そこはその又昔々は海の入り江だった?と。

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確かに大昔は、メキシコは今の地図とはまるまる違って、メキシコ大陸のほとんどが海だったらしいけど。

さてさて、その肝心の世界遺産指定の洞窟であるが。
白い馬という丘の周りの洞窟に、一万年の昔にメキシコでも最初の農業をやった人達が住んだという事であり。
そこに、岩絵も描いたという事である。
そして、その後の時代、モンテ・アルバンが栄えた同時代にこの場所にも人が住みヤグールの都も栄えたという事である。

世界遺産になったとはいえ、まだ、誰も観光に来ない、来れないのだから、道はもちろんない。
枯れ草や大きなサボテンの生える道なき道や畑の中を歩いて、丘をぐるりと回る形で、洞窟めぐりである。

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丘はところどころはクライマー達の恰好の場所らしく絶壁の岩壁に差し込まれた鉄の鎖がある。

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写真の説明:鎖が岩についているけど、分かるかな?

いくつかの洞窟には岩絵も描かれているものもある。
だが、色が残っているのは分かるが、あまり絵の様子がわからない。
なかでもはっきり分かる絵は赤い人の手の形。これははっきり分かった。これは手形である。

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このような赤い手形は、メキシコの他の遺跡でもある。
よく知られているのは、ウシュマル遺跡の尼僧院のアーチの入り口の壁にいくつも見られる赤い手形がある。

うちの旦那は、すぐ言う。
「これは、先史時代の昔のものじゃあないだろう、誰かの落書きだろう。」
案内人の人は、「いや昔のものだ!専門家がちゃんと言ってる!じゃあもっと他のも案内する!」と。
うちの旦那は専門家ではないのだから、余分な事を言わないでもいいのだが。。。。

洞窟はいっぱいある。

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それにしても、洞窟よっては黒ずんだ焚き火の跡があり、それは土地の人が、畑耕作や牧畜にきて洞窟で焚き火をした跡らしいし、
その洞窟の地面は、馬などの糞の層もできている。馬と人間(現代の)が洞窟で、焚き火をして、仮小屋代わりにしているというものだ。
メキシコ革命時代には、革命兵士達もこの洞窟を隠れ家としたと聞いた。
そして、今現在、ある洞窟の一つに住んでいる人もいると。

旅行社の人も言ったが、せっかく世界遺産に指定された洞窟なんだから、保存しないとねえ。
さもないと、わずかに残っている岩絵もますます消えて、ただの洞窟だ。一万年以上前にそこに農耕する人が住んだという事実だけで。

時代は違うかもしれないが、シエラ・サンフランシスコの洞窟の岩絵ほどよく残っていないこの岩絵や洞窟だけでは、観光のアトラクションにはならないかも?

旅行社の人は、「観光客を呼ぶには、遊歩道もつくり、それなりにしないと。それには、土地の人達とも話し合いをしてゆかないと。。。。。」と。

そう、世界遺産に指定されたから、はい、じゃあ、観光客がいっぱいやってくるだろうというのは、???だろう。

そこでうちの旦那また言う。
「世界遺産だからと言って、洞窟だけで観光客を呼ぶのは無理だろう、今はエコロジーツアーというのも流行だから、世界遺産とエコツアーをミックスして、
ここの自然環境を説明できるツアーを考えるべきだろうね。」
うちの旦那もたまにはまともな事言う時もあるかあ?

旦那の「この手形の絵は、昔のものじゃあない」説に、ちょっとムキになった案内人の他の岩絵も案内するというのを、時間がないからと断って、2時間ほどの
わが家族のメキシコ2010年世界遺産のほんの一部であるだろうが(世界遺産の指定の範囲は5000ヘクタールの地区)初お目見えツアーを終了。

一年後かに、遊歩道が作られ、観光ルートになるか?

世界遺産の洞窟って、いかに?その1

08 2月
2011年2月8日

2010年の世界遺産に登録されたオアハカ中央渓谷のミトラ遺跡とヤグール遺跡の後方の山の先史時代の洞窟。
ここは一万年以上前に最初の農耕栽培が行われた跡があり、沢山ある洞窟を住居としていたというもの。

洞窟と言うと、メキシコの世界遺産で、バッハカルフォニア半島のサンフランシスコの洞窟の岩絵がある。
ここの洞窟・岩絵はなかなかのものらしい。

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写真の説明:メキシコシティの国立人類学博物館の岩絵のコピー

残念ながら、私はまだ行った事がない。なかなかアクセスが難しいのだ。
バスや車でブーと簡単に!とはいかないのだ。
セスナ機で最寄の町までゆき、その後は、砂漠の中を馬やロバに乗ってキャンプして行かなければならないと。
私、お金と時間が許してくれたら、是非是非行きたい!

バッハカルフォニアの洞窟・岩絵は、放浪狩猟の人々が
多分一時的に雨風をしのぐのに、洞窟が利用されたであろうが、
そこの洞窟の壁に彼らの願いを込めて、つまり沢山の食料(動物の狩り)が得られますように!と。
祈りの絵が描かれたと言える。
時代的には、紀元前1000年以上前から紀元後にわたる時代だそうだが、バッハカルフォニア半島は、メソアメリカ文明圏(トウモロコシを主食とする農業文化)には入らないように、その気候風土のため、それほど農業の発展はなかったと言える。
農業が主食料の糧でないところは、やはり狩猟が主食料元になる。
その狩猟民によって、動物や狩をする人々が描かれている。

さて、今回、家族で、オアハカへの旅行をしたので、2010年登録の新しい世界遺産を訪れたいという思いがあった。
洞窟というので、一般にアクセスができるのか?情報はまだ何もない。現地で確かめるしかない。
ミトラ遺跡後方の洞窟は、ミトラから相当遠いと言う事もだが、まだまだ不可能という事。
期待したのは、ヤグール遺跡の後方の山の洞窟。

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ヤグール遺跡を訪れた時、入り口の管理人に訊いたが、まだアクセスできないとの事。
徒歩で4時間くらいかかり、案内する人もいないし、不可能との事。
アクセスできるようになるにはあと4年くらいかかるだろうと。
残念、諦めるしかないかあ。

現地の旅行社とコンタクトのある婿が旅行社の人に訊いたところ、まだ一般公開されていないが、現地の人で詳しい人が最短距離の行路を知っていて、2時間で行けるとの事。
案内をお願いして翌日行く事になった。
ヤグール遺跡の近くで合流して、早速、徒歩での世界遺産、初お目見えである。

しばらく歩いて、「あそこ!あそこ!」と案内の人。
指差す方を見ると絶壁の岩に絵が!

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あの高い絶壁に昔の人はどうして絵を描いたのか?
バッハカルフォニアのサンフランシスコ洞窟の絵も場所によって、人間が届かないほど高い場所に岩絵が描かれているところもあるそうだが。

この岸壁のある高台が「白い馬」と名が付けられている。
この高台をぐるりと囲むように沢山の洞窟とそこにいくつかの岩絵があるようだ。

さてさて、その世界遺産の洞窟は一万年もの昔、人々がメキシコで、最初のかぼちゃなどの農耕を始め、そこに住んだという価値ある場所であるのだが。。。。

世界遺産の洞窟って、いかに?その2へ続く。

防塞都市 ソチカルコ遺跡

18 1月
2011年1月18日

メキシコシティから行ける世界遺産の遺跡と言うと、まず、ティオティワカンの遺跡であり、規模的にもまずティオティワカンへ行くというのが当然であろう。
だが、もう一日時間がある人は、世界遺産の遺跡ソチカルコへ是非どうぞ!

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写真の説明:二つの象形文字のステラの広場の都で一番大きなピラミッド。雨の神トラロックを祭った神殿ピラミッド

ツアーでは、世界遺産「ポポカテペトル山麓の16世紀初頭の14の修道院跡」の一つであるクエルナバカのカテドラル教会を見て、ソチカルコ遺跡へと言うパターン。
また、時間的に無理をすれば、それに、もうひとつコロニアル都市、銀の町タスコを追加する事も可能で、盛り沢山ツアーもあったりする。

高速を外れて、田舎の村を抜けると、もう、何もない。道路はちゃんとある。電線もない。(遺跡の博物館は、太陽熱利用でエコー博物館)
で、上り坂の道路を行くと、ソチカルコの遺跡が130mくらいの丘に突如現われる。

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写真の説明:博物館から遺跡全体を眺める。

ソチカルコは山の山頂を平らにして作られた町。山の上に作られた防塞都市である。
ソチカルコは650年~900年 当にティオティワカンが衰退し崩壊した時期に興りそして250年後には、やはり都は焼かれ破壊され崩壊した都。
ティオティワカン崩壊後の時代は、戦国時代というか?
いくつかの国々が連立した形で、防塞的都をつくり、敵の侵入を都作りの最重要事項とした事が窺われる。
言ってみれば、日本の山城のようなものか?
山の側面は、何重にも段々畑風の塀と堀で囲んだらしい。
そして、山の最上が、一番重要な宗教センターであり、支配者階級の住居もそこにある。

丘の遺跡の最上段の広場に、最も有名かつ重要な素晴らしいピラミッド神殿、羽毛の生えた蛇神のケッツアルコーアトル神殿がある。

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写真の説明:ケッツアルコーアトル神殿のレリーフの一部

石のレリーフが残り、それは、何を物語るのか?

ここで国際会議が開かれた?
暦の修正をした?
皆既日食の記録?
多くの他部族から租税を徴収した記録?
武器を持った兵士は軍事国家のソチカルコの兵士?
ソチカルコの「二つの球技場を動かし背負う王」は、新しい火の祭りをした?
長い袋を持った神官達らしい人物は何を表す?
ケッツアルコーアトルが主神となる事が決められた?
伝説の地、タモアンチャンは、ソチカルコ?

メソアメリカ文明は天文学に優れていた事は周知だが、ソチカルコにも天文台があった!
洞窟天文台だが。

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写真の説明:洞窟天文台の煙突から太陽が差し込む

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写真の説明:洞窟天文台で、話を聞く学生さん達。

洞窟に作られた煙突の穴から太陽の直射日光が入る日を観察するという。

メキシコシティで時間の余裕があって、遺跡好きの人は、是非ソチカルコ遺跡にも足を運んでみてはいかが?

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