カテゴリー: 自然

サボテンが簡単に見られる!チャプルテペック公園の植物園

26 7月
2011年7月26日

メキシコというとサボテン!というイメージらしい。
実際、メキシコは世界一、サボテンの種類が多くある国だろうと思う。
だが、メキシコに来たら、すぐ何処でも大きなサボテンの木が見られると思っても、そうはいかないのです。
地方の荒野っぽい場所まで行かないと、にょきにょき柱のようなサボテンやお化けのように大きくなったサボテンや何百年ものの大きな丸型ビスナガサボテンはなかなか見られないのです。 続きを読む →

ソチミルコのチィナンパ

26 4月
2011年4月26日

メキシコシティの南部のソチミルコは、メキシコシティの中心部の歴史地区と一緒に世界遺産である。
ソチミルコと言うと、ベニス的で、運河を手漕ぎの小船で舟遊びという事で観光地としてみんなが行くソチミルコである。
大都会の片隅ののんびりした雰囲気の、メキシコ的雰囲気の舟遊びというのもいい。

だが、世界遺産としてのソチミルコは、メキシコ盆地にわずかに残った湖の名残と、もともとの大きな湖の人工の浮き島で行われていたチィナンパ栽培という多収穫な農業が今も行われているという事にあるのだ。

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写真の説明:ここは、ソチミルコでも、観光舟の行かない地区。

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写真の説明:水路の周りでチィナンパ栽培が行われている。

スペインの侵略以前、今のメキシコシティの中心部ソカロの場所にアステカ王国が栄えていた。
メキシコシティのある盆地全体に5つの湖が広がり、その一つテスココ湖の小さな島テノチィティトゥランが、大アステカ王国の地であった。

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写真の説明:アステカ王国の都の想像絵 島の周りは人工の浮き島

これらの湖のあちこちで、チィナンパという浮き島の畑耕作が行われていた。
このチィナンパの浮き島の構造は、木で筏を作り、その上に湖の底の泥をのせる。
その筏の周りにahuejoteなどの木を植えた。
木を植える事で木が根を張り、浮き島がしっかりする。
湖の泥は豊かな養分を含んでいるので、豊かな農地となる。
普通の土地では、雨季の時期(半年)しか農業ができないので主食であるトウモロコシも一年に一回の収穫しかできないが、このチィナンパ方式だと、湖の水をかける事により、また、湖の豊かな泥を積む事により土地の再生を行い、一年につまり3回ものトウモロコシ栽培が可能だったというものでる。
それは多収穫な集約農業であったといえる。

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写真の説明:今は浮き島ではないが、島の周りは木の杭がされたりや木が植えられている。

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写真の説明:今は乾季なので、畑の灌漑をソチミルコの水をポンプでかけてしている。

機会があり、ソチミルコでそのチィナンパ栽培をやっているのを、見学させてもらった。

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実家が農家であり、また自分でも小さな家庭菜園をやっている私としては、興味深かったが、同時に今のソチミルコの抱える問題も深刻である事を知った。

ソチミルコには、もともと湧き水がでる泉があり、その湧き水がソチミルコ湖の水の元であったが、
その泉の水は、大都会メキシコシティの水道の一部として、利用されるようになり、その代わりに使用済みの水を洗浄してソチミルコ湖に返すという。
また、メキシコシティの地盤沈下もソチミルコに大きな弊害をもたらしている。

アステカ大国が栄えていた時代と今の時代では圧倒的に人口に違い(数十万の人口から2千万に近い人口の差)があるのだから、
人が住むことによる自然破壊や公害は当然おこる。

ソチミルコの湖のもともとの動物植物は瀕死や絶滅の危機であり、外来種が幅を利かせている。
世界でも唯一というサンショウウオの一種アホロテ(ウーパールーパ)は、外来の魚に食われて、もう、自然の環境では生存していないだろうといわれている。
保護のための生殖飼育が行われているのみ。

ソチミルコの木も昔はahuejoteの木が植えられていたが、今は外来種の兎に角成長が早いという理由だけでメキシコのあちこちに植えられているユーカリの木がソチミルコも幅をきかせている。
ユーカリの木は、このソチミルコの環境で害はあっても利はないのに、隣の土地で植えられているのに、人様の土地だから、迷惑だけど、文句を言えないと、訪ねたチナンパの農家の人がこぼしていた。

ソチミルコの人工の島は、かつてはもちろん浮き島であったであろうが、今は浮き島ではないが、そこに多くの人が住み、舟で出入りをして、畑も耕している訳である。
人工の島に住む人たちの下水はどうなっているの?
下水道はあるのだが、地盤沈下で、機能しなくなっていて、人々は湖に流すようになったと。湖の汚染問題である。

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写真の説明:民家の多くある地区は、水が特に濁っている。各家の前には自家用舟が止めてある。

ソチミルコでの観光の舟遊びで行くところはほんのわずかで、大体手漕ぎ舟で1時間くらいで往復するだけだが(3時間コースくらいのもあるが)、実にソチミルコの水路の長さは180キロもある。
その水路も場所によって、地盤沈下のため高さに差があり、ダム方式で水の調整を行っているそうだ。
生活使用済み水、つまり下水の水を洗浄してソチミルコ湖に給水しているわけだ、もちろん雨季の雨水もソチミルコにとって、恵みの水であるだろう。
昔メキシコ盆地にあった大きな5つの湖には、山からのいくつもの川が流れ、湖を潤していたのであろうが、その多くの川はなくなり、湖もなくなった。
そして、その湖の名残のソチミルコも水の水位がさがり、乾くかもしれない危惧。

自然破壊、環境汚染や湖が干上がるかも?の現実がある。
その真実、現実を土地の人が認識して、対処していかないと、と、案内してくれた人が言った。
そしてもちろん、ソチミルコの汚染が進んだり、ソチミルコが干上がってしまったら、世界遺産認定も取り消しだ。
個人の今日のエゴをやめて、未来を見る目を持つ事が、環境汚染のないソチミルコ、ソチミルコを永遠に残こす事でもあるのだろう。

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世界遺産の洞窟って、いかに?その2

15 2月
2011年2月15日

その絶壁の岩の横を登る、山登りコースにはいる。

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その岩絵の見えた丘の上に出ると、なんとそこは畑がある。オアハカ地方の名産のお酒メスカルの材料にするアガベ畑など。

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その畑は石もゴロゴロだが、昔の時代の土器の破片がいっぱい。

その畑の向こうで仕事しているおじいさんがいて、その近くにはそのおじいさんの家らしい小屋まである。
ヤグール遺跡の一部の建造物の跡らしいものもある。この高台の建造物は、当時見張り台の役割をした建物だったらしい。

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高台から、下を見下ろす。
丘が入り江のように入り込んだところがあり、案内の人は、そこはその又昔々は海の入り江だった?と。

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確かに大昔は、メキシコは今の地図とはまるまる違って、メキシコ大陸のほとんどが海だったらしいけど。

さてさて、その肝心の世界遺産指定の洞窟であるが。
白い馬という丘の周りの洞窟に、一万年の昔にメキシコでも最初の農業をやった人達が住んだという事であり。
そこに、岩絵も描いたという事である。
そして、その後の時代、モンテ・アルバンが栄えた同時代にこの場所にも人が住みヤグールの都も栄えたという事である。

世界遺産になったとはいえ、まだ、誰も観光に来ない、来れないのだから、道はもちろんない。
枯れ草や大きなサボテンの生える道なき道や畑の中を歩いて、丘をぐるりと回る形で、洞窟めぐりである。

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丘はところどころはクライマー達の恰好の場所らしく絶壁の岩壁に差し込まれた鉄の鎖がある。

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写真の説明:鎖が岩についているけど、分かるかな?

いくつかの洞窟には岩絵も描かれているものもある。
だが、色が残っているのは分かるが、あまり絵の様子がわからない。
なかでもはっきり分かる絵は赤い人の手の形。これははっきり分かった。これは手形である。

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このような赤い手形は、メキシコの他の遺跡でもある。
よく知られているのは、ウシュマル遺跡の尼僧院のアーチの入り口の壁にいくつも見られる赤い手形がある。

うちの旦那は、すぐ言う。
「これは、先史時代の昔のものじゃあないだろう、誰かの落書きだろう。」
案内人の人は、「いや昔のものだ!専門家がちゃんと言ってる!じゃあもっと他のも案内する!」と。
うちの旦那は専門家ではないのだから、余分な事を言わないでもいいのだが。。。。

洞窟はいっぱいある。

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それにしても、洞窟よっては黒ずんだ焚き火の跡があり、それは土地の人が、畑耕作や牧畜にきて洞窟で焚き火をした跡らしいし、
その洞窟の地面は、馬などの糞の層もできている。馬と人間(現代の)が洞窟で、焚き火をして、仮小屋代わりにしているというものだ。
メキシコ革命時代には、革命兵士達もこの洞窟を隠れ家としたと聞いた。
そして、今現在、ある洞窟の一つに住んでいる人もいると。

旅行社の人も言ったが、せっかく世界遺産に指定された洞窟なんだから、保存しないとねえ。
さもないと、わずかに残っている岩絵もますます消えて、ただの洞窟だ。一万年以上前にそこに農耕する人が住んだという事実だけで。

時代は違うかもしれないが、シエラ・サンフランシスコの洞窟の岩絵ほどよく残っていないこの岩絵や洞窟だけでは、観光のアトラクションにはならないかも?

旅行社の人は、「観光客を呼ぶには、遊歩道もつくり、それなりにしないと。それには、土地の人達とも話し合いをしてゆかないと。。。。。」と。

そう、世界遺産に指定されたから、はい、じゃあ、観光客がいっぱいやってくるだろうというのは、???だろう。

そこでうちの旦那また言う。
「世界遺産だからと言って、洞窟だけで観光客を呼ぶのは無理だろう、今はエコロジーツアーというのも流行だから、世界遺産とエコツアーをミックスして、
ここの自然環境を説明できるツアーを考えるべきだろうね。」
うちの旦那もたまにはまともな事言う時もあるかあ?

旦那の「この手形の絵は、昔のものじゃあない」説に、ちょっとムキになった案内人の他の岩絵も案内するというのを、時間がないからと断って、2時間ほどの
わが家族のメキシコ2010年世界遺産のほんの一部であるだろうが(世界遺産の指定の範囲は5000ヘクタールの地区)初お目見えツアーを終了。

一年後かに、遊歩道が作られ、観光ルートになるか?

世界遺産の洞窟って、いかに?その1

08 2月
2011年2月8日

2010年の世界遺産に登録されたオアハカ中央渓谷のミトラ遺跡とヤグール遺跡の後方の山の先史時代の洞窟。
ここは一万年以上前に最初の農耕栽培が行われた跡があり、沢山ある洞窟を住居としていたというもの。

洞窟と言うと、メキシコの世界遺産で、バッハカルフォニア半島のサンフランシスコの洞窟の岩絵がある。
ここの洞窟・岩絵はなかなかのものらしい。

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写真の説明:メキシコシティの国立人類学博物館の岩絵のコピー

残念ながら、私はまだ行った事がない。なかなかアクセスが難しいのだ。
バスや車でブーと簡単に!とはいかないのだ。
セスナ機で最寄の町までゆき、その後は、砂漠の中を馬やロバに乗ってキャンプして行かなければならないと。
私、お金と時間が許してくれたら、是非是非行きたい!

バッハカルフォニアの洞窟・岩絵は、放浪狩猟の人々が
多分一時的に雨風をしのぐのに、洞窟が利用されたであろうが、
そこの洞窟の壁に彼らの願いを込めて、つまり沢山の食料(動物の狩り)が得られますように!と。
祈りの絵が描かれたと言える。
時代的には、紀元前1000年以上前から紀元後にわたる時代だそうだが、バッハカルフォニア半島は、メソアメリカ文明圏(トウモロコシを主食とする農業文化)には入らないように、その気候風土のため、それほど農業の発展はなかったと言える。
農業が主食料の糧でないところは、やはり狩猟が主食料元になる。
その狩猟民によって、動物や狩をする人々が描かれている。

さて、今回、家族で、オアハカへの旅行をしたので、2010年登録の新しい世界遺産を訪れたいという思いがあった。
洞窟というので、一般にアクセスができるのか?情報はまだ何もない。現地で確かめるしかない。
ミトラ遺跡後方の洞窟は、ミトラから相当遠いと言う事もだが、まだまだ不可能という事。
期待したのは、ヤグール遺跡の後方の山の洞窟。

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ヤグール遺跡を訪れた時、入り口の管理人に訊いたが、まだアクセスできないとの事。
徒歩で4時間くらいかかり、案内する人もいないし、不可能との事。
アクセスできるようになるにはあと4年くらいかかるだろうと。
残念、諦めるしかないかあ。

現地の旅行社とコンタクトのある婿が旅行社の人に訊いたところ、まだ一般公開されていないが、現地の人で詳しい人が最短距離の行路を知っていて、2時間で行けるとの事。
案内をお願いして翌日行く事になった。
ヤグール遺跡の近くで合流して、早速、徒歩での世界遺産、初お目見えである。

しばらく歩いて、「あそこ!あそこ!」と案内の人。
指差す方を見ると絶壁の岩に絵が!

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あの高い絶壁に昔の人はどうして絵を描いたのか?
バッハカルフォニアのサンフランシスコ洞窟の絵も場所によって、人間が届かないほど高い場所に岩絵が描かれているところもあるそうだが。

この岸壁のある高台が「白い馬」と名が付けられている。
この高台をぐるりと囲むように沢山の洞窟とそこにいくつかの岩絵があるようだ。

さてさて、その世界遺産の洞窟は一万年もの昔、人々がメキシコで、最初のかぼちゃなどの農耕を始め、そこに住んだという価値ある場所であるのだが。。。。

世界遺産の洞窟って、いかに?その2へ続く。

石化した滝 イエルベ・エル・アグア

29 1月
2011年1月29日

大自然と時の合作は、人をあっ!と言わせる。
オアハカ州、オアハカ市から南東へ73キロほど、所要時間1時間50分。
ミトラ遺跡を過ぎて、舗装されていないデコボコの埃の山道を行く。
途中、先住民の小さな村に看板あり、Hierve el Agua→
じゃあ到着か?とんでもない、そこから、まだ砂漠のような山々を越え。

やっとたどり着いたのは、山の上の天に最も近い(?)小さな泉から流れる水を貯めた自然のプール、山の上のオアシス。
何ともいえない山と水の風景

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イエルベ・エル・アグアとは、「沸騰した水」という意味であるが、この泉の水は温泉ではない。
ボコンボコンと湧く泉の水がお湯が沸くように見える??

これだけだと、山の上の風景の美しい自然のプールかあ?
だが、そこから右に目を向けると、大きな滝!

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滝は滝でも石の滝!
昔々は、本当の水が流れる滝であったのだが。
石灰岩の崖をミネラルを多く含んだ水が長い長い時を経て流れ、炭酸カルシウム結晶し石化し、水は枯渇してしまったが、石の滝となった。
石になった滝だ。
実に、白いしぶきをあげて水が激しく流れる滝のようだ。

周りは山、山。潅木のような木も生えているが、大きなサボテンも生えた。
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昔、あの滝にごうごうと水が流れた頃か?2500年以上もの昔、水を利用した灌がいシステムが作られて豊かな農業がされていた事がわかっているそうだ。
そして、まさに周りの半砂漠的環境の山、山の中に沸く泉とそこから流れ出し出来た滝は、昔の人々の神聖な場所となっていた。

二つの水が湧いている泉が、自然のプールの上方にある。

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このプールがある崖も岩が少しずつ白く固まり、岩の滝になっているが、上の小さな泉の水が枯れない事を願う。

大昔は山、山の環境でも、豊かな水を利用し、段々畑が作られ豊かな農業が行われていたであろう。

ここは今、この近くの村の大切な観光という経済資産であるだろう。
20年ほど前に公開されるようになったと。
駐車場、食べ物屋やお土産屋、トイレ、水着着替え所、そして、小さなホテルもある。
入場料 20ペソ
ホテル 一人100ペソ

車利用でアクセスしない場合は、ツアーで行くのよいだろう。
公共交通機関はちょっと難しい。

このような自然と時の合作の風景を作り出しているのは、トルコのパムッカレだそうだ。
パムッカレは世界遺産だが、トルコまで行った事がない私は、メキシコのイエルベ・エル・アグアで感嘆!
メキシコへ旅する人も是非いかが?

無人島 鳥の島 コントイ

18 11月
2010年11月18日

世界のリゾート カンクンの周辺も、ドンドン観光地化がすすみ、またカンクンの南のリベラ・マヤ地区もカンクン以上に開発が進み、近年、カンクン以上の大きな空港さえもつくるという計画があるそうで、キンタナ・ロウ州のカリブ海側のあらゆる場所が観光という喜ぶべきか?の洗礼を受けるという羽目になりつつある。
観光開発という洗礼を受けると、どんなに守ったとしても、自然破壊は少なからずある。

キンタナ・ロウ州のカリブの島は、イスラ・ムヘーレス、コスメル島が筆頭であり、観光の目玉である。
この二つの島、美しいカリブの海に浮かぶ美しい島で、泳ぐにしてもスノーケルやダイビングをするにも最高であろう。
是非お勧め、行きたい場所である。

だが、ちょっと目先を変えて、もう一つの島、無人島、鳥の島、自然保護区の島 コントイ島
自然保護区の島であるため、入島に人数制限と許可が必要のためほとんど人が行かない島 鳥の島というように鳥の楽園というコントイ島へ行った。

実は、今回のコントイ島行きの失敗は、80歳の従兄を同行した事。
80歳の人には冒険が過ぎたかもであった事。

カンクンの北の港、ファーレス港からモーターボートをチャーターした。
この日は曇り日で、やや波が高かったようだ。
速力を上げて海を疾走するボート、波しぶきを全身に浴びる。

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一旦、入島許可とガソリン給油のために寄航したイスラ・ムヘーレスから北へ、コントイ島に向かう。
大海に他の船も見えない。
地平線に、珊瑚礁棚に白い波がはじけてみえる。
ボートは、水上スキーをやってるほどに、ドキドキだったかもしれない。
私は、楽しかったのだが。。。。
1時間半という予定が波の関係もあったのだろう2時間ほどでコントイ島に到着。
到着と同時に今まで黙っていた従兄がカンカンに怒り出した。
「俺は、絶対にこのボートでは帰らないぞ!大きな遊覧船があるだろう。」

イスラ・ムヘーレスから小さな(ボートより大きい)船がでているそうだ。
お勧め1. コントイ島へ行きたい人はそちらがお勧めだろう。

従兄の怒りに、すっかりしょぼくれた私は島を楽しむ余裕がなかったが、人が来ていない島で自然を満喫するのは素晴らしいと思う。

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カンクン在住の知人は、ダイビングにしばしばコントイ島に行くそうだ。

怒る従兄に帰りは波と同方向に走るから、それほどでないとボートの船乗りの言葉を伝え、説得した。
帰りは船乗りの言うように、波しぶきにもほとんどぬれる事なく、ほっと、従兄のご機嫌を観察。

お勧め2. ご年配は連れて行かない。

私もそろそろご年配の歳だけど、チャンスがあったら、もう一度コントイ島へ行こう。
もっとゆっくり島の自然を観察したい。
鳥の楽園で、もっと鳥を観察したい。
私はダイビングが出来なくって残念だけど、ダイビングをする人にとっても最高の場所らしい。

最近、観光のお客様で私と同じ年でメキシコにダイビングにいらっしゃった方に会った。
彼女は、57歳からダイビングを始めて今はすっかりハマってあっちこっちに行かれるそうだ。
海の魚達の世界にお邪魔できるダイビング、いいなあ!
あー、私も今からチャレンジしようかしら?ダイビング。

大きな鮮明な壁画の残るカカストラ遺跡

26 7月
2010年7月26日

メキシコシティからの日帰りツアーと言うと、プエブラ&チョルラ・ツアーかクエルナバカ&タスコ・ツアーというのが通常コースで、どこの旅行社でも
また、英語ツアーでも日本語ツアーでも、このツアーである。

だが、もし、メキシコシティの近くの遺跡で、テイオティワカンの他に一日で行くとしたら?と訊かれたら?
モレロス州のソチカルコ遺跡とトラスカラ州のカカストラ遺跡を勧めたい!
ソチカルコ遺跡は世界遺産になったので、最近は日本からのツアーでも盛り込まれている場合があるようになった。
だが、カカストラ遺跡は、まだ、ほとんど行かない。

だが、ここは本当のところお勧め!
友人がツアーでなく個人的にチョルーラ遺跡に行こうと思うというので、カカストラ遺跡にしなさいよ!と勧めた。

壁画のある遺跡として、マヤのボナンパックと並んで大きな鮮明な壁画が残っている遺跡である。
ボナンパックの壁画は、残念な事に大変劣化してしまったと思う。

カカストラ遺跡は壁画を保護さるために、1100平方メートルもの大きな屋根で遺跡全体を覆った。

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写真の説明:遺跡は大きな屋根で覆った。

それでも、一旦空気にさらされ、人の目にさらされると、赤、青の鮮明な色が少々あせて来ている気がする。
保存保護というのは、大きな課題なのだろうと思う。
戦いの様子を描いた大きな壁画も、屋根だけでなく、ガラスで壁画をおおい、保護するようになった。

ボナンパックの壁画は、国立人類学博物館のコピーを見てからオリジナルを見に、チャパスの密林まで行ったが、もう一部を除いて、
何を描いてあるのか識別さえも苦労するという状態で、悲しくなった。

カカストラ遺跡は、1975年まで、丘の上の畑だったところなのだ。
大地に1000年以上もの間埋まっていた壁画はその色が昨日描いた絵のように鮮明な濃い赤や青であった。

壁画の国、メキシコの先スペイン期における最大の壁画とも言える22Mに及ぶ大壁画、ジャガー軍と鷲軍の戦いの絵は、ちょっと消えているところもだいぶあるが、
よく見ると、生なましく血を滴らせている戦士、内臓まで描かれている戦士、額に槍が刺さっている戦士、勝ち組の勝利を誇る戦士などなど。
なかなか、今のアニメ作家も驚くかも?
さすが、壁画の国のメキシコ人の芸術家の血は、古い時代から、脈々とあったんだろうねと思ったりする。

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写真の説明:戦闘の壁画

その他、金星に関係あるだろうという男女の絵。

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赤い神殿名づけられたトウモロコシとカカオの木が、水のシンボルの亀や水鳥、商人らしい人物像などと共に描かれた絵。

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ジャガーの衣を着たジャガー人、鷲人etc。

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写真の説明:鷲の衣類の着た人物像

また、浮き彫り絵など、見るものがたっぷり。

もし、興味がありチャンスがあったら、色があせない、絵が消えない前に、是非カカストラ遺跡の壁画を見に行ってみては?

カカストラ遺跡の隣はソチテカトル遺跡である。紀元前300年の頃の先古典期時代の都の跡である。
カカストラ遺跡の入場料の同じ切符で、二つの遺跡見学ができるので、是非、こちらもお見逃しなく。
車で行った場合は、車でぐるりと回って行く。
徒歩の場合はカカストラ遺跡の丘を下り、またソチテカトル遺跡の丘を登って行く。

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写真の説明:カカストラ遺跡からソチテカトル遺跡を望む。

ソチテカトル遺跡については、また、次の機会に書きますね。

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写真の説明:遺跡からポポカテペトゥルとイスタシーワトルの山がよく見える。

ネバード・デ・トルカへのトレッキング

14 6月
2010年6月14日

メキシコシティは標高2230mくらい。富士山の5合目と言ったところ。その周辺の山々は3000~5000級の山。
2つの5000m級のメキシコ第2、第3の山ポポカテペトルとイスタシワトルの山も聳えている。

日本からの登山家もメキシコ第一の山ピコ・デ・オリサバや第3の山イスタシワトルを目指してやってくる。
第二のポポカテペトル山は噴火が活発なため、もう何年も前から、登山が禁止になっている。

登山家達が、メキシコにやってきて、まず足慣らし、高所慣らしに登る山が、メキシコ州にあるメキシコ第4番目に高い山、ネバード・デ・トルカ山(4558M)

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だが、頂上までは兎も角、この火山のカルデラ湖、太陽と月と名づけられた二つの、世界でももっとも高い場所にあるカルデラ湖までは車で登れるのだ。
英語ツアーもあって、そのツアーに参加した。
なんせ、4000M級の山へ簡単に行けちゃうツアーだ。高所で酸素不足になってぜいぜいする事もなく楽勝だ!と思った訳だ。

ところが、この日、そうは行かなかった。
この日はメキシコの祭日で、祭日や休日に、メキシコ人は家でのんびりなんてしないのだ。
みんな出かけるのだ!そこで、山だってラッシュになると言うので、車で登るのが、禁止になっていたのだ。
両側通行が不可能で危険と言う訳だ。平日だったら、車一台すれ違う事もないというのに。

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写真の説明:この日は山も大勢の人で賑わっていた。

ガイドの言うに、「いつもだったら、こんな事はないんだけど、歩いて登るしかない。」
そこで、思ってもいなかったトレッキングとなった。
登り道でなければ、結構歩くのは平気な私だが、参った!参った!なんせ、4000M級だ。ぜいぜい、ぜいぜい。心臓はパクパク。
ちょっと歩いては、立ち止まり、ちょっと歩いては立ち止まり。

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写真の説明:残雪で遊ぶ人たち

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写真の説明:途中まで、馬で登るというサービスもあったんだけど。

他の若い外国人観光客に申し訳ないので、後からゆっくり登るからと断って、遅れを取る。
残雪のある所まで登ったが、もう、いいやの気分。
ダンナが、もう少し上まで行って、帰ってくるよというので、私は高山に生えた枯れ草の上に座り込んで待つ事にした。
ところがである。
風がそよそよ、気持ちいい。それに兎に角疲れた。で、ちょっと横になったら、ウサギと亀のウサギじゃあないけど、寝てしまった。
たいして長く寝たつもりはない。
だが、その間に戻ってきたダンナは私を探したらしいけど、草の中に埋もれて見えなかったらしい。
それと呼んだらしいけど、すっかり寝てしまった私が答えるはずがない。
ダンナが携帯電話をかけたと、すると大分上へ行った娘が携帯に出た。そうなんだ。私のリック、娘が背負ってくれてたんだ。

こんな山の上で携帯が通じた。結構上に携帯用の受信塔があったのだ。メキシコの田舎へ行った時は通じなかったのに。

そんなこんなではぐれて、私は目が覚めてから、いつまでも戻ってこないダンナを呼べど待てども、ダンナは現われない。
1時間以上待っても現われない。下って来た人に尋ねたら、上の方結構危ない所があるよなんて言うし。。。。。
ついに私も未亡人か?という思ったり、いやこんな所で遭難するはずがないと思う気持ちでごちゃごちゃになりながら、兎に角下山の約束が4時半だからと山を下った。
そして、しばらく行くと、途中でダンナが座っているじゃあないか!

後で、娘とダンナに昼寝するなんて信じられない!と散々文句を言われた。
あー、それでも未亡人にならなくってよかった、よかった。

娘たちは、グループにやっぱり遅れて、道を間違えて、苦労したけど、湖まで行けなかったと。
湖まで登った他の人に、どうだった?綺麗だった?と聞いたら、
「もう、必死で登ったけど、景色を楽しむ余裕なんて何もなかったよう!」ですって。

あー、やっぱりこんな高い山へ登るには車がいいなあ。と堕落した私は思った。
今度はやっぱり車で登ろう!

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写真の説明:山の上まで登る人はぐーんと少数。

サン・ルイス・ポトシー州への旅 その1 タムルの滝

29 5月
2010年5月29日

前々からの念願の大穴を見たいを実現するために出かけた。
今回の第一目的はソタノ・デ・ラス・ゴロンドリーナス(ツバメの地下室)であったが、それについては次回という事で。

今回の旅で、ソタノは兎も角、とても私が気に入て、皆に大いに勧めたいのが熱帯雨林のこの地の水と緑が豊かな自然。
小船を皆で櫂でこぎ川上りをして、滝を見にゆくというもの。
まだまだ、あまり観光地化されていないこの地は、自然が汚されず、そのままで自然の美しさに感動させられる。

メキシコシティからバスで9時間。道はくねくね曲がった山岳地帯を行く。目的の町アキスモンへ行くまでがちょっとしんどい。
日にち制限があるので、夜行バスでゆく。
こんなにくねくね道でなかったら、距離的には6時間だと思うが、バスは兎に角ゆっくり走る。もちろん安全運転でお願いします!
お金に余裕があったら、タンピコまで、飛行機で行くのがお勧め!タンピコから車で3時間だろうが、こちらの道はずーと良さそう。

アキシモンの町への直行バスはない。途中の町まで行って、そこからローカルに乗れと言われたが、結局そこから、同じバスに乗って、
アキスモンの町の入り口の十字路で降りる。朝8時頃。そこから待機しているタクシーで町へ。
そのタクシーの運ちゃんに結局お願いして、そのまま、タムルの滝のある川へ。

友達が作って持ってきてくれたお握りを食べ、舟に乗る。
船頭さん親子二人と我々4人、皆で、上流に向かって舟を漕ぐ。

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朝早いというのもあってか週末なのだが、観光の人が誰もいない。
水が兎に角、綺麗!雨が降った後なので、ちょっと濁ってると船頭さんは言ったけど。
周りは自然の木々や岩。観光地だが、ゴミがないというのは最高に嬉しい気分。

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川の急流なところは、漕いで上れないので、我々は降りて歩いて、船頭さん親子が小船を引いたり押したりして上る。大変だ、お疲れさん。

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滝は、世界中何処にでもあるし、もっと大きなすごい滝がいっぱいあるだろうが、それはそれ。
滝がしぶきあげ、自然の中で絶え間なく水を落としている様は、やはりため息が出るほどいい。

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今は乾季なので滝の幅は小さかったが、雨季には300Mの滝になると。高さは105M。
この川の上の部分に別の川が流れそこから落ちる水という事らしいが、雨季には、小さな滝はいっぱいできるらしい。

カヤックやら、滝を下りるラッペルなどのアドベンチャーなどもあるらしいが。
またまた年寄りの冷や水と言われそうだし、泳げない私にはやっぱり無理かあ?

川で泳いだり飛び込みをしている人もいた。娘は水着を持って来なかったのを嘆く事しきり。

途中で下船して、セノーテがあるというので見に行った。
セノーテとは、天然の井戸である。
メキシコは石灰岩大地である所が多いが、その石灰大地が雨水などで落ちて陥没した所で地下水が地表に見える、それは自然の作った井戸である。
セノーテで有名なところはユカタン半島で、あそこには3000個以上のセノーテがある。
最も知られているのは、チチェン・イツァー遺跡の聖なる泉である。
もっともここは生贄の泉とも言われるように、都が栄えていた当時、多くの生贄や宝物が投げ込まれ神に祈りを捧げた所であるのだが。
それで、チチェン・イツァーの聖なる泉はどす黒いという泉である。
だが、普通のセノーテは地下水の透明な美しい水である。

このサン・ルイス・ポトシー州のワステカ地区も大穴がいくつも出来ているように、石灰質大地であり洞窟やセノーテもできるのだろう。
セノーテの水は真っ青色であった。うー、綺麗。

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船頭さんは、「泳いだらいいよ」と勧めてくれたが、水着を持ってこなかったし。
足を入れてみたら、冷やりとした気持ちいい水でした。
シーンとした洞窟の真っ青な水はそのまましておきたい気分でした。

メキシコにも、世界からの観光客はまだまだ行かないけれど、素晴らしい自然を堪能できる知られていない場所がある。

素晴らしい自然、人がいっぱい来て自然を壊す事にならないように、そっとして置きたい、人に教えたくない、独り占めにしたいという気持ちと、
こんな所もあるんですよ!と、自慢したい気持ちと半々。

次回、サン・ルイス・ポトシー州への旅 その2 大穴 「ソタノ・デ・ラス・ゴロンドリーナス」をお楽しみ?に!

世界樹 聖なる樹 セイバの樹

20 12月
2009年12月20日

今の時期、カトリックの国になったメキシコ故、世界一でなくとも、どこの家庭、街の中、商店、ホテル、オフィスと何処にでもクリスマスツリーが飾られている。
クリスマスツリー、ツリー 樹という話題となると、メソアメリカ文明の樹、メキシコ本来の樹についても。

メソアメリカ文明の宇宙観そして、世界樹の考えの中でのツリー、樹。

宇宙は天界、地界、地下界に分かれている。
天界は13あり、太陽、月、金星などや神々が住むと所
地界は、人間界。
そして地下界は、9つあり、一番下に死の神が住まわっている。

3つの界はまた東西南北の4つの方位に分けられる。
その世界の中心に母なる大樹、聖なる樹、緑のセイバの世界樹が生えている。
その枝は天界まで延び、その根は地下界まで延びている。
その緑のセイバの木が生えているのが世界の中心である。

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写真の説明:メキシコシティの国立人類学博物館の中庭シンボル的に作られた世界の中心の世界樹を現す緑の柱の噴水

そして、4つの方位には、赤、黄色、白、黒のそれぞれの色のセイバの木が生え、その木の上には、聖なる鳥ケッツアルがとまっている。

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写真の説明:国立人類学博物館 マヤ室 パレンケ遺跡の十字の神殿ピラミッドの祭壇の石彫刻
パカル王とその後継者の長男の王が世界樹に捧げ物をしている。世界樹のてっぺんに聖鳥ケッツアルが止まっている。

聖なる樹、セイバの樹
セイバの樹はまっすぐ天に伸び大きく成長する樹である。
大きくなる樹は、高さ60m 直径2m以上 特に大きなものは直径6mにもなると。

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写真の説明:チャパス州のラカンドンの密林のセイバの樹
他の樹に比べて高い樹になっている。

この樹で雨季になる前にその年に、雨が多いか少ないかを予測する事ができるそうだ。
それは、花が沢山咲くと雨が多い、少ないと雨が少ないと。
つまり、その年、農業が豊作になるかどうかセイバの樹が教えてくれる。

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写真の説明:セイバの樹につぼみがいっぱい付いていた。花にはまだちょっと早かった。花はピンクだそうだが、是非見たいものです。

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写真の説明:セイバの実 これが実ると中に綿がいっぱいできる。

マヤ地方は暑い地区で、街の広場にも昔からセイバの樹が植えられている所が多い。
そのセイバの大樹は、人々に暑い太陽から日陰を作ってくれる。憩いの場所を作ってくれる。

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写真の説明:チャパス州 チャパ デ コルソの町の広場のセイバの樹。現地の人はポチョタとも言う。

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写真の説明:これも、チャパ デ コルソの広場のセイバの樹であるが、この樹の元の樹は、スミデロ渓谷の川辺にスペイン侵略以前からあった、
つまり樹齢500年もの樹であったが、1945年に焼かれてしまい、その一部生き残った部分を移植して育ったものと。

聖なる樹 セイバの樹は、前の記事で書いたアウェウェテの樹と同様、メキシコ本来の樹 ツリーである。

セイバの樹に満開のピンクの花が咲く頃、メキシコのセイバの樹が生える地方を旅したいものだと思う。

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