月別アーカイブ: 5月, 2007

庭師 松本辰五郎氏がメキシコに残した物

26 5月
2007年5月26日

(お孫さんのエルネスト氏の講演を聴いて)

02_01

メキシコへの日本人移民の歴史も、世界へ移民として渡って行った人々の歴史同様、そこには、人々の壮大な人生ドラマがあると思う。

先輩諸氏の人生物語を聞くと、多くを学び、感動させられる。
メキシコに、時には不満を言いながらも、それでも、メキシコを第二の故郷とし、私の人生の半分を、メキシコの地に生きてきた、そして、また、いつかはこの地に消えてゆく人生である。
それ故に、この地に何かを残していった大先輩の人生を羨ましく思い、感動する。

松本ファミリーは、メキシコ移民の中でも、もっとも成功なさったファミリーであるだろう。日系社会でも、松本ファミリーのその名を知らない人はいない。花卉栽培、花屋としても、メキシコ社会に名を残している。
それは、庭師という素晴らしい技術、職人魂をもった松本辰五郎氏1世の方の功績であり、その後の家族の方たちの努力であるのだろうと思う。

02_02

松本辰五郎氏は、江戸の末、つまり、明治以前の生まれという方だそうだ。
講演をしてくださったお孫さんのエルネスト氏は、84歳という年齢だが、その年齢にはとても見えないその記憶力といい、かくしゃくと立ったまま、1時間以上の講演を続けたその元気さにも、驚きました。

松本辰五郎氏が、メキシコの地に最初にやってきたのは、明治29年のかの榎本メキシコ移民以前の明治22年と。歴史書では、榎本移民をメキシコの最初の移民として扱っているが、それ以前に、メキシコにやってきたわけである。

彼は、メキシコに定住する前に、庭師として、ペルー、メキシコのイダルゴ州やサンフランシスコで日本庭園を作り(1888年~1896年の間)、今もそれは残っているのだそうだ。
彼は、メキシコへ来るにあたって、多くの植木を船に乗せ、サンフランシスコでそれを受け取るために待つが、その船は、予定通りに到着せず、3ヶ月後、受け取るが、すでに全て枯れていたという。それで、彼は財産の多くを失う事になると。
だが、その時、サンフランシスコの金門公園内の日本庭園を作るという仕事を得たと。

メキシコに、1896年8月 定住で来た彼は、庭師として、多くの造園をし、また植林をし、大統領官・私邸など政府の関係の仕事もし、チャプルテぺックや、メキシコ市の南のオブレゴン公園の植林もしたと。
そして、今、大木となった古木は、彼の植林したものであるようだ。
オブレゴン公園に何年か前まで、イチョウの木が一本あった。多分、この木も彼が植えたものであったようだ。

また、メキシコ市の春を飾るジャカランダは、ペルーへ行った時に松本氏がメキシコに持ち込み、メキシコの地に伝えたものと、また、紫のブーゲンビリアもまた、松本氏によって植林されたと。
そんな話を聞いて、松本辰五郎氏は、91歳でメキシコの土となっても、彼は、毎年メキシコの春を人々に楽しませる物をメキシコの地に残したのだと思った。

メキシコシティーの夜景はお奨め!

21 5月
2007年5月21日

メキシコへ夜到着の飛行機で訪れる人は、きっと、おっしゃる。「夜景がすごく綺麗ですねえ。」
「そうなんですよー。大都会メキシコシティーの300万台以上からの車のスモッグも、2000万からの人々のゴミも夜の闇に消え、ただ、宝石のように輝く電灯の光が、メキシコ盆地に散らばる。。。。。」なあ~んて、言わないけど。

メキシコシティーを訪れて、チャンスがあったら、夜景を是非お楽しみください。

01_01

夜の繁華街のネオンのカラフルな何色もの色でなく、街灯の、家々の、建物の電灯の黄色の光が、まるで、夜空の星をもっともっと掻き集めて、メキシコシティーの街、そして盆地の山の上までにも、ばら撒いたようだ。

ホテルの高い階の部屋に泊まってもいいが、そうでなかったら、次の3つの場所がお奨め。

① マジョール タワー の展望台 (現在メキシコで一番高いビル)
残念ながら、現在只今は、一般公開されてない。

01_02

② ラテンアメリカタワー の展望台
入場料金 50ペソ   (2007年5月現在)

01_03

③ 世界貿易センターの回転展望台レストランでエレガントに食事をしながら
(このレストランは正装してお出かけください。スニカーやジーパンでは断られます故)

01_04

メキシコの夜は夏時間の頃は、8時過ぎ 冬時間の頃は7時過ぎくらいから始まります。
メキシコの夜はちょっと遅く始まるが夜は長い。
夜景は朝まで輝き続けます。

えっ!脱ぐのがお好きなの?!

11 5月
2007年5月11日

メキシコの4月5月、雨季に入る前のこの時期、メキシコはもっとも暑い季節となる。
メキシコは北回帰線より少し、南に位置している所が多いから、その意味でも、天頂から太陽が暑い日差しを注ぐのは、5月中旬と7月中旬である。

暑いからって訳ではなさそうなんだけど、、、、、
皆さん、脱ぐのがお好きなようで。。。。いえ、いえ、上着だけじゃあなくって。。。

地方から抗議の人々が、メキシコシティーのメインストリートのレフォルマ通りのメキシコの英雄王、クワウテッモック像の前で、裸で抗議です。(写真)

02_01 

彼等は、「悪い政治家を罰してくれ!俺等は、彼等のせいで、裸にされた、身包み剥がされた!」と言う事で、裸になって抗議という事だそうだ。

でも、まる裸にはならない、そうしてもいいんだけど、そうすると、風紀上の理由で、捕らえられる事もあるからとの事らしい。

先日は、メキシコシティーだけでなく、地方都市メリダでも、郵便配達夫さんが、支給の郵便配達夫の帽子だけかぶって、「俺等は、制服さえも支給されず、配達用の自転車だって、ボロボロで使えない、歩いて配達しなくちゃあならない、裸状態だ!」(シンボルの帽子だけは支給されているらしい)と労働条件向上のために裸で抗議という事らしい。
メリダは、今、40度近い気温だから、郵便配達夫さんじゃあなくっても、みんな衣類なんぞ、剥ぎ取りたい気分かも?だけど。

さて、もうひとつは、あの世界遺産のティオティオワカン遺跡とメキシコ最高学問の地メキシコ国立自治大学構内で、有名なカメラマン(この人、世界のあっちこっちで、世界の裸の集団を撮る人らしい)が、何千人の裸の男女を写真に撮ると。これは、5月はじめに予定されてると。
これに参加するボランティア、無料奉仕の裸になってもいいよ~の人を募集したところ、あっと言う間に何千人が応募したと。

みんな、脱ぐのがお好きなようで。。。。みんなで脱げば、恥ずかしくない!?
芸術写真撮影の方は、スッポンのようだけど。

余分なお節介だけど、メキシコの方って、お腹周りが大きい人が多いと思うんだけど、あれでは、ビーナスやアポロと言う訳にはいかないのではないでしょうかねえ?

タコス、タコス屋

02 5月
2007年5月2日

メキシコ料理というと、多くの人が、まず、タコスと思うようだ。
タコスはメキシコの大衆料理。なんせ、フォークやナイフを両手に持って構えて食べる料理じゃあなく、手でつまんで食べるのがタコスだ。
ちょっと、レストランという店構えのお店より、日本で言うなら、ラーメン屋と言うように、〇〇屋の名があう。タコス屋は、タケリアという。

タケリア、つまりタコス専門のお店が、メキシコには、屋台

01_01

01_04

を含めて、あっちこっちにある。
タケリアのチェーン店も、多い、これは、さすが、ハンバーグやピザのように、アメリカ系の店にシェアを乗っ取られる事もなく、メキシコ大衆料理の看板を維持しているらしい。

01_02

さて、タコスとは? タコスは、その種類は、何ともいろいろである。つまり、トルティージャに何でものせて、その上に唐辛子ソースをかけて丸めて食べるものは、何でもタコスである。

牛肉、鶏肉、豚肉、腸詰、etc それに、例えば、牛肉でもその肉の部分で種類が分かれるし、それに野菜や、チーズのコンビネーションもあるし。

そして、テーブルの上には、3種類以上の唐辛子ソースが並んでいる。好みのソースをかけて召し上がれと言う事である。それと、玉ねぎのみじん切り、レモン 香草なども。
それらを、好みで、トッピングする。

多くのタコス屋では、メニューの紙切れを持ってくる、そこには、タコスの色んな種類がずらり、そこへ、ボールペンで、食べたいタコスに、1とか2とか注文数を、書き込む。これで注文ができた。

何人か一緒だったら、違う種類のタコスをいくつか注文するのがいい、ひとつのオーダーで、いくつかのタコスが食べられるから、みんなでシュアするのがいい。
小玉ねぎ焼きもお勧めです、一皿いかが? レモンと塩をかけ、小玉ねぎを、かじる。

メキシコ音楽がガンガンなんってるのを聞きながら、タコスを食べる。これぞ、メキシコ気分ですぞ!

メキシコにいらしゃった折には、一度、メキシコの本場のタコスをどうぞ!

01_03

Copyright© 2017 メキシコ情報 All Rights Reserved.