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日本メキシコ学院創立30周年

25 10月
2007年10月25日

海外へ出てゆく人は今でこそ多く、世界の何処にでも、日本人はいる。
だが、鎖国の江戸時代から明治になって、夢と希望を抱いて海外へ出て行った人々がいた。
それは移民といわれる。メキシコ移民、今年110周年。

海外で一生を過ごす、その地に骨を埋めるつもりでやってきた日本人の人たちは、子供達にも祖国の文化を
日本語を伝えたい、教えたいと思い続けてきた。

そんな人々は移民史の中で、日本語学校を作った。メキシコシティーにもいくつかの日本語学校があった。
それは、補習校のようなものであった。

日系の人々は、そのいくつかの日本語学校を統一して、もっとしっかりした一環教育のできる学校、補習校でなく
文部省の認可のスペイン語も日本語もしっかり教える学校が欲しいと願った。

田中首相が、メキシコを訪問した時、その事を陳情した。
そして、日本メキシコ学院という幼稚園から高校教育までのりっぱな大きな学校が、広い敷地に30年前に生まれた。

それは、幼稚園から高校まで一環して日本語を必須科目として教える学校である。

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創立当時、いろいろあっての結果、それは、日本の企業や会社の数年メキシコへ赴任でやってくる人たちの子供が行く
日本の文部省の教育課程による日本人学校の日本コースと、日系の子供達や、子供が日本語を学んで欲しいと願うメキシコ人の子供達が行く、メキシコ文部省の教育でその中に毎日、日本語の授業があるというメキシココースという、二つの別々の学校が同じ敷地に両立する学校となった。

日系の人々の熱い熱い想いから生まれた日本メキシコ学院は、今年で30年と。
9月21日、その30周年記念が大勢の人々の参加でいろんなイベントと共に行われた。

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日本メキシコ学院は、日本語を日本文化を学んで欲しいと願う日系人やメキシコ人の子供と、また、日本へ帰ってゆく日本人の子供に、メキシコをもっともっと知って欲しいという願いを込めた日墨交流の学校でもある。

残念だが、私はこの30周年記念のイベントに仕事があって、参加できなかった。
10周年記念の時は、私はここのメキシココースの日本語教師として参加したが。
そして、なんと時の過ぎるのが速い事か。。。。

40周年、50周年、そして100周年と、メキシコと日本の深い交流がいつまでも。。。。。

そして、メキシコへ初めて移民した人々の想いも、その後、メキシコへやって来て、このメキシコを終の棲家と決めた人々の想いも同じ、子供達に日本語を覚えてほしい、子供達に祖国の日本の事を知ってほしい。

そんな日本人の想いを、願いを背負ってきた日本メキシコ学院も 今年で、30周年になると。

追記
写真は日本メキシコ学院からお借りしたものです。

メキシコの秋

22 10月
2007年10月22日

10月というと秋である。秋真っ只中。
だが、メキシコは日本のように、季節がはっきりしない。
言ってみたら、季節感がないというちょっと情緒なさ。
紅葉もなければ、虫の声も聞こえるふうでもない。(野に行ったらやっぱり聞こえるかあ?)
暑い夏から、あー涼しい風が。。。アー秋だ。と思う風情なし。

もっとも私の住むメキシコシティーは大都会で、「やっ!今日は青空があるぞ!こりゃあいい日だ!」と言う日常。
季節を楽しむなんて、余裕も外観もなしである。

だが、メキシコにも秋は来ていた。
メキシコシティーからちょっと、郊外へ車を走らせたら、そこには、秋がやって来ていた。

ありとあらゆる雑草が花を咲かせているのだ。10月でメキシコの雨季は終わりである。
その後はメキシコの大地は、半年間、雨のない乾燥した砂漠のような地となる。
植物は、今の雨の恵みのある最後の時期に実を、種を つまり、子孫を残すのに、必死になる。

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メキシコシティーから北へ、ティオティワカンのピラミッドに向かう野は、小さな雑草ひまわりの花やもっと小さな黄色い花が、
もう大きく実を膨らませたとうもろこし畑の雑草で、一面に真っ黄色のカーペットを広げたように咲いている。

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メキシコシティーから今度は南にモレロス州からゲレロ州方向へ車を走らせると、そこは、真っ青のカーペット。
朝顔に似た青い花が、一面に咲いている。

メキシコシティーから、西や北西へ車を走らせて行くと、一面ピンクのコスモスのカーペット。
実に一面のコスモスが雑草で花を咲かせている。ついで言うとコスモスはメキシコが原産地です。
毎年、毎年、去年の種が、今年、芽を出し、秋の今、花を咲かせ、また来年の種を大地に落としているのだろう。

だから、毎年、秋のこの時期に一面のコスモスの花が絶えることなく咲いているのだろう。

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私はこの頃になると、日本の秋を想いながら、微風にサワサワとゆれるコスモスの花に秋を感じたくって郊外へ行きたくなる。

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追記
もし、9月中旬から10月中旬の頃、機会があったら、メキシコシティーから1時間ちょっと北西へ、ケレタロへ向かう街道を走って行き、
料金所の前で左の方向、トポツォトランの村へ向かい、村を過ぎまだ25キロほど走って行くと、シチオという植民地時代イエスズ派の修道士が
作ったメキシコの数ある水道橋の中でも最も高い、アーチが高いところはアーチ4段重ねという水道橋をコスモスのお花畑の観賞とともに見に行くといい。

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現在は、公園風になっていて、水道橋の昔は水が通った所を歩いて谷の向こうへ行ったり釣り橋を渡ったり、結構楽しい遊歩道である。
指定された場所では、バーベキュウなどもできるらしいし、近くで、キャンプもできるらしい。
ピンクや黄色の花を楽しみ、秋の青い空を眺めて一日を過ごすのもいいだろう。

帰り道には、テポツォトランの村の古い教会修道院が、今は、副王時代博物館であるので、素晴らしい黄金教会を覗いたり、町の露天や市場、
ちょっと、民芸品など買ったりしても、いい。

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メキシコ犬

14 10月
2007年10月14日

先回チワワと言う犬の事はチワワ鉄道の話でちょっと言ったけど。

今日本でも小型犬なので、愛玩犬として、日本の住宅条件にもぴったりというので、人気の犬らしい。
だから、チワワ犬を飼っている人は、日本でも多いと思う。

チワワ犬というのは、短毛もいれば長毛もいるようだが、これはきっと改良された結果なのだろうなあと想像する。

チワワ犬は、ペットの人気犬になったようだが、メキシコ犬には、もう一種いる。
もう一種と言うべきか、もともとをたださせば、同じなのか?いまいち分からない。

これは、毛のない犬 へアレスドッグで、本名を Xoloitzcuintleと言う。

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(説明;幼犬の時は、頭や尻尾の部分に僅かに毛がある。街を散歩していた犬)

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(説明:独立記念日の日、メキシコ犬の彼、家をメキシコの旗の色に飾ってもらっていた。)

なんと発音するか? って。
そう、私も、ちょっと難しくって、なかなかすぐ覚えられない。ソロイツクイントレ。
日本でこの犬を飼っている人っているのか? あまりいないだろうなあ。

動物園には、いるだろうと思う。
メキシコが他の国と動物をあげたりもらったりする時には、この犬が交換にあげらるから。

種類ももともと色々いたらしい。大きいのから小さいの、スマートなのから、ずんぐり子。

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昔、スペインメキシコを侵略する以前の先住民文化において、牛、馬、羊、豚などの家畜が存在しなかった
メソアメリカ文明においては、この犬は、家畜とされた。
つまり、食用になった訳である。

その後のスペイン侵略のメキシコの歴史の上で、絶滅の危機になったりもしたらしい。
スペイン征服当時、スペイン人はその肉が大好きで、アステカ人の真似をして食べたし、
フランスの征服の当時は、フランス人達は、その皮を、鞄や靴や、財布にする事に夢中になったと。

そして、第2次世界大戦の時は、その犬の皮膚が人間の皮膚に似ているという理由から、毒ガス室の実験に使われた。と。

ソロイゥクイントレの悲しい歴史。でも、今は大丈夫!

食べられないし、絶滅の危機から、今は、結構、メキシコでは飼う人も多くなったようで、
時々、町でも見かける。

メキシコの先スペイン期の遺物の中に犬の造形の物がよく出てきている。

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(PHOTO 02_04.jpg)(PHOTO 02_05.jpg)

犬が死者のお供をして一緒に埋められたというのもある。

先スペイン文化の中で、犬が三途の川をご主人を背負って渡るとか?
あの世に死者を導いてくれるのが犬だとか?
いや、これは私がかってに言ってるのではなく、本当に先住民文化でそう考えられていた。
三途の川とは言わなかっただろうが、川を渡って行くと。

チワワ犬は、ご主人背負っては無理だろうけど、ソロイツクイントレだったら、何とか背負えるかな?
毛がないから、つるつるしているから、落っこちないようにね。

犬って、昔も今も人間に仕えてくれる代表の動物だよね。

アンチックな宝物?ゴミ?

01 10月
2007年10月1日

好みで古い物、アンチックなもの物が好きな人、また、人によっては、コレクションと言う趣味を持っている人も多い。 そんな人にお勧め市場。

ソナ ロッサという繁華街のプラサ デル アンヘルというところは、骨董品のお店がいっぱい入っている所。 そういう骨董品のお店も、それが好きな人は、覗いてみるのもいいかも。 そのプラサ デ アンヘルは土曜日になると、その空間の地べたにいっぱい露天が風呂敷商売を始める。 つまり、アンチック市が立つ。

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興味のない人から、他人様から見たら、ゴミと思う物でも、人によっては、あるいはコレクターには、 ものすごい価値ある物って物があるかもしれない。 その人にとっての掘り出し物ってのがあるかもしれない。

掘り出し物が見つかるか?あなたの欲しいものがあるか?あるいは、ゴミの山と思うか? それは、あなた次第。 値切るのも、忘れずにね。その物の価値は、売り手と買い手の価値判断で決まる。

日曜日はラグニージャの日曜日市場へ。 ここは、普段も、市場であるが、日曜日になると、その辺いったいに道を塞いで露天のお店がいっぱい立つ。 普通、メキシコ人の間でも、ラグニージャとテピットというとその名が知られた、ちょっと気をつけた方がよいと言われている市場。

ラグニージャの日曜日市場を誰が言ったか?ノミ市、又の名をどろぼう市場と。 まあ、懐中物には、気をつけてくださいね。

日用品や衣類、本、その他も売ってるけど、ガラクタ?と思えるもの、アンチック?商品もあるある。

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メキシコ古代文明のマヤの古文書というのは、ほとんどが植民地時代カトリックの神父によって焼かれてしまったという歴史がある。 そして、世界で、3枚しか残っていないといわれてきた。 それは、マドリー、ドレスデン、パリ古文書と言われるものである。

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ところが、メキシコ国立人類学博物館の図書館にあるもう一つのものがマヤ古文書と認められるだろうと言われいる。 Grolier古文書という。

これは、「マヤ古文書を読み解く」という最近読んだ本によると、 あるコレクターが、1965年に、まさに、ラグニージャのノミ市場で手に入れたものだと。

はてはて、もしかしたら、本当の宝物が、掘り出し物がゲットできるかも?ですよ!

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