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アマテの村を訪ねて その3

27 12月
2007年12月27日

サン パブリート村はオトミー族の先住民がアマテ紙を作る事で生計を立てる小さな貧しい村である。

そして、何故か、お年よりと子供が多い気がする村である。

子供達や、ある程度の年齢の人はスペイン語がもちろん話せるが、お年よりは、オトミー語しか話せない風であった。

庭のコンロを見て、おばあちゃんに、話しかけると、笑顔で何か言ってくれた。でも、私には分からない。
小学生の孫が代わりに、答えてくれた。

お年よりの女性達は、細かな何ヶ月もかけて刺繍したブラウス、腰巻のように巻いてはいたスカートの彼らの民族衣装を着ている。
だが、その多くの女性達は、裸足である。

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もう一人のお友達が、そのようなブラウスが欲しいんだけれどと言うと、子供がオトミー語に通訳してくれて、
お母さんらしい人が奥から数枚のブラウスを持ってくれた。

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一枚は、胸のところの飾りがびっしりとビーズで飾られたブラウスであり、あと二枚は細かな、そう、実に細かな刺繍を施したブラウスであった。

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友人は、その中から素敵な赤で刺繍されたブラウスを選んだ。
お値段は700ペソ(7000円)であった。どのくらいの時間をかけて作ったか聞くと、9ヶ月という。

彼女らは、このブラウスを商品として売るために作っているのではなく、自分が着るために、何ヶ月という時をかけ丹念に刺繍するのだろう。

なにか、気が遠くなる想いで、時間がそこで止まて、刺繍をしているインディヘナの女性達だけがそこにいるそんな気がした。

メキシコの田舎でも、観光客の行く場所のインディヘナの子供達は、商魂たくましく商売をしており、
観光客が彼らの売るものを買わないというと、袖を引っ張り、じゃあ、1ペソ頂戴!という。

だが、ここ、サン パブリート村は、観光客が来る村でなく、多分よそから来る人といえば、アマテ紙を買いに来る商売人くらいだろう。

子供達が多い村だと思ったが、その子供達は、外国人の我々をみて、ちょっと、気恥ずかしそうに遠くから眺めているといった風情であった。

アマテ紙について説明してくれたお父さんの一番下の息子という小学生9歳の少年に、
友達が、「勉強好き?じゃあ、あげる。」と、ボールペンを上げると、恥ずかしげにしていた息子に、
お父さんが、「サンキュウ-だろ?」と言い、
「上の二人の息子はアメリカに行ってるから、英語が上手なんだが........」と言った。

そうなんだ、村の若者達は、アメリカに出稼ぎに行っているのだろう。

メキシコの地方の田舎の多くの村の人々は、村の農業や民芸品の生産だけで生計を立てるのは、難しいという現実である。
多くのメキシコ人が、不法でも、アメリカへ出稼ぎに行っていると言う事情がある。

そして、村に残って、トントンと家内仕事をしているのは、老人と子供である。

帰りのローカルバスの中で、友達がスペイン語会話本を片手に、隣に座った13歳の少年と会話をしていた。

少年の両親も、また、アメリカに出稼ぎに行っていて、彼は、19歳のお姉さんと、サン パブリート村で暮らしていると。
お姉さんは、赤ちゃんがいると。
彼は、隣町の中学校に通っていると、彼の村には小学校しかないからと。
お姉さんより彼の方が早く帰ってくるので、彼が、毎日のご飯を作るのだと。
今日は、学校を休んで、お姉さんと、おじいさんの住むトランシンゴの町へ行くのだと。
両親が、クリスマスに帰ってくるのを待っているのだと。
アメリカは嫌いだと。

多分、この少年のような状況で暮らす子供は、メキシコには、結構いるのだろうと思う。
彼は、両親が、アメリカにいても、アメリカは嫌いだと、
多分、アメリカで仕事はあっても、辛い想いをしているだろう両親の状況を分かっているかもしれない。

そして、彼が大人になった時、メキシコで、彼は暮らせる仕事にありつけるだろうか?
彼も、又、両親と同様に嫌いなアメリカに出稼ぎに出てゆくのだろうか?

そして、今 先住民語しかしゃべれない年老いた人々が消えた日には、サン パブリート村中に響いていたあのトントンという音は、聞こえてこないのかもしれない。

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写真説明:サン パブリート村の中心にある教会

メキシコ革命記念日は......

23 12月
2007年12月23日

11月20日はメキシコ革命記念日である。

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9月16日の独立記念日と同様、メキシコ人が歴史の上で最も祝うべき日である。 その他に、本当は、プエブラ戦勝記念日とかあったりする、アメリカ、フランスの侵略に最終的に負けているが、 フランスとの戦いのたった一回きりの勝利を祝っていたのに、このプエブラ戦勝記念日5月5日は、前は祭日であったのに、 近年、公休日でなくなって、あまり、祝わなくなった気がする。

だが、何故か、この日をアメリカがメキシコとアメリカの旗を振って祝ったりしているのは、何故だ? ヨーロッパのフランスがアメリカ大陸を侵略したから?メキシコに加勢して?

まあ、革命記念日は、幸い公休日から、まだ、はずされていないが、最近、メキシコ人得意の休日の橋かけ (飛び石休日になっている時は、休みでない日も勝手に休みにする方式)を防ぐために、 「メキシコ人よ!もっと働け!」の政府の方針なのか、公休日を動かすようになった。 つまり、今年は、11月20日の革命記念日は火曜日にあたるが、19日に変更して、19日を公休日にして20日は働く日である。

日曜日に祭日があたった場合、日本だったら、ハッピーマンデイとかでちゃんと休みになるのに、メキシコは、それもない。 メキシコは、何故か休日がどんどん減っている気がする。

働き者の評判の高い日本は、「もっと休もう!」を最近はモットーにているか?休日が増えているというのに。

暢気で怠け者の評判が在るかどうかは兎も角、メキシコは、「もっと、働け!」か?  メキシコ政府の陰謀か? 兎に角、休日が減っている。

まあ、私の愚痴はさておいて、独立記念日や革命記念日の行事は、デモンストレーションの行列がレフォルマ大通りから、ソカロ又革命記念塔まで、行進する事である。 独立記念日は軍隊の行進であり、革命記念日は、スポーツ選手やスポーツ関係者の行進である。

だが、去年、フォックス大統領の最後の年、フォックス大統領は、つまり中央政権は、革命記念日の行事はしない、中止だと、決定。 それに対して、メキシコ市政府が、「何を言う、革命記念日の行事をしない、祝わわないとは、どういう事だ。じゃあ、我々がやる!」と。 それで、去年から、革命記念日の行事のデモンストレーションは、メキシコ市政府の主催となった。

まあ、中央政府は、右派、メキシコ市政府は中道左派でして、お互い色々ありまして、対立しておりまして...... 時々、お互い口争いなんぞもあったりして.........

まあ、ごちゃごちゃ言いましたが、デモンストレーションの写真でもどうぞ、ご覧ください。

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ジョロナ 泣き女

14 12月
2007年12月14日

メキシコの伝説で最も親しまれている、そして最も知られているお化けとうか?幽霊というか?アステカ時代の女神というか?我が子を心配して泣く母親というか? それが、ジョロナ 泣き女。

伝説のお話はいろいろバージョンがあるらしい。 だが、兎に角、メキシコ、アステカ王国のコルテス征服当時、そして、その後のスペイン支配のコロニアル時代当初、 ジョロナは、白いドレスで、顔は長いベールで覆われている。

夜ごと夜ごとに現れ、空中をフワフワと漂い、「あー、わが子よ、あー、わが子よ、どうなるの。」と、悲しみの悲鳴をあげ泣くと。 毎夜、昨夜はあちら、今夜はこちらと、町のいたるところに現れ、その声は、すべての人々に恐怖を与えたと。 そして、湖の岸まで来て、長い嘆きの悲鳴をあげ、その後、消えたと。

ジョロナの曲もある。歌詞もまたいろいろあるらしい。 メキシコの曲は、たとえ、コリードという大衆歌などでも、歌詞は悲しい辛いものであっても、リズムは、踊りたくなるような曲が多いが、 この有名なジョロナの曲はゆっくりとしたちょっと、悲しげなメロディーである。

さて、毎年10月11月の毎週末、世界遺産にもなっているメキシコのソチミルコの特にクエマンコの湖の人口の島 チナンパで、 このジョロナ 泣き女の劇が、夜行われる。

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説明:ジョロナの観劇の看板   これは、もう、15年もやっているのだそうだが、今年、初めて、見に行ってみた。

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説明:クエマンコの船着場、多くの人が行列をつくって小船に乗ってゆく

この頃、急にメキシコシティーも寒くって、寒くってで、しかもソチミルコの湖の上で、小船の上からの観劇であるから、寒いのは覚悟して行ったが、本当に、おー寒だった。 風邪ひかなかったのが、不思議なくらい寒かった。 でも、わざわざこんな所でやるには、それなりに雰囲気満点でいいけど。

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説明:会場まで、舟で行く。その途中のチナンパ(人口の浮き島)に火が灯してある。

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説明:私達の乗った舟の船頭さんは若いがなかなか舟を上手の操り、他の舟を追い越してどんどん     進んでゆく。乗客が喝采してたが、最後チップを手渡したら、体がびっしょり濡れていた。この寒いのに。

ここで、上演されたジョロナ 泣き女は、アステカの蛇の女神 シワコウアトル説バージョンである。 何故かというと、シワコウアトルは、ソチミルコの守り神だそうだ。

アステカの王 モクテスマに賢者達が、いくつかの不吉な出来事を伝える。 それは、いろいろあって、不吉な流れ星があった事、奇怪な鳥が見つかり、その鳥の目を通して、肌の白い髭の長い異国人が、 金属に身を包んで、鹿のような動物に乗って進んでくるのが見えた事。 昔、この地を去って行ったケツアルコアトル神が、予言した年に戻ってくると。などなど。

また、シコアトル女神が、ソチミルコの湖から毎夜、現れ、 「このアステカ王国が破壊される。アステカの神よりもっと強力な神がやってきて、アステカの神さえも破壊する、 あー、私の子供たちよ!私はわが子を何処へ連れていったらいいのだ?」 と嘆き、悲鳴をあげ、泣き叫んだ。

そして、彼女の予言通り、スペイン軍がアステカ王国を滅ぼし、アステカの神のピラミッドを破壊して、そこにキリスト教の十字架を立てた。

そんなジョロナ劇であったが。

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説明:劇の様子

寒くって、湖の舟の上で、トイレに行きたくなったらどうしたものか? 船20人乗りの屋形舟、約50艘1000人もの観客だそうで、そりゃあ、大変だぞ!って思ったら、 トイレ舟がやって来たのには笑えたねえ。

もちろん、飲み物や食べ物売りの舟も来て商売していて、「ケサディージャ!ポンテェ!」なんて呼び声かけて、食事も楽しんでいた。

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トイレ舟の需要も多くあり、お客さん、「トイレ!トイレ!」なんて、トイレ船を呼んだりして。

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説明:トイレ船

それにしても、夜のソチミルコの風景もまたよかったけど。 なんとなく月夜の明かりの中に、白いドレスを着たジョロナが、本当に現れるかも?の雰囲気も多いにありました。

写真は、夜の闇で、まったく、いいものが撮れませんでしたが。。。。。。

アマテ紙の村を訪ねて その2

04 12月
2007年12月4日

開け広がられた小さな家の前で、トントンと仕事をしている人が道から見えた。
そこを訪ね、友人が何枚かのアマテ紙を買った。

又、別の家を訪ねた、そこのご主人に話しを聞いた。

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アマテ紙の原料になる木は6種類あり、それは、それぞれ、少しずつ、違った趣の紙ができ、又、その行程においても、違った紙ができると。

特に、もっとも手間をかけ脱色した白い紙は、3度も脱色し洗い、太陽に当てる、そして、夏のもっとも太陽がサンサンと輝く季節でないとできないと。

また、同じ材料で同じようにやっても、その日の天気に左右されて、色合いの違う紙になると。

また、染料で染めて、ピンク、青、赤などの紙もある。格子のように穴の開いたままの紙もある。

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煮て柔らかくした樹皮を、一定間隔に並べ、トントンと叩いて広げ一枚の紙にして、
そのまだ、ぬれた紙を張り板に貼りつけ、ちょうど良い加減に乾かす。

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写真説明:樹皮をこの鍋で煮て柔らかくする。

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それは、一枚、一枚作り上げて行くもので、紙の厚さもその樹脂の繊維線も微妙に違い、この一枚、一枚の紙が手作りの民芸品である。

一軒の家では、赤い紙を作っていると思ったら、別の家では、青い紙をトントンとやっていた。
又、別の家では、樹皮のそのままの色の紙を作っていた。同間隔に穴が開いた紙を作っている家もあった。
樹皮を利用して、美術工芸の飾りものを作っている家もあった。

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小さな子供も母親のお手伝いで、トントン。おばあちゃんもトントン。

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庭のカマドでピーナツを煎りながら、子供たちも、みんなが、その周りに集まって、テレビを見ながら、
その近くで、お父さんとお母さんがトントン。

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それは、山の中腹の小さな村 サン パブリート村で、広い畑は、まったくなく、この山で取れる木を材料として、
村の生活の糧としての村の産業であり、家内産業である。

大昔から同じように、同じように、作り続けてきたであろう。
家の庭に置かれていた木の材料は大きな木ではなく細い枝であった。
多分、木を伐採して、材料を得るのではなく、枝などを切り、材料としているのだろうと想像する。

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写真説明:庭に樹皮の皮が干してあった。

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写真説明:家の屋根の向こうのあの木がアマテの紙を作る木だと教えてくれたが、どれだろう?

話しは別だが、メキシコの太平洋側の海でとれる紫貝から、
美しい紫の染料を採って布を染めてきたメキシコの先住民達はその貝から染料となる液をもらっても、
その貝をまた海に戻して、貝を殺すなどという事はしなかった。
海に返す事で、再び、貝の恩恵をいただくという自然の摂理を守ってきた。

だが、ある日本の業者がこの紫貝に目をつけ、貝を割り、その中身を日本に持って行って金儲けをした人があったと。
それで、紫貝の数が激減したと言う話しを聞いた事がある。
悲しい、情けない。日本人として、恥ずかしい、申し訳ないという気持ちにさせられる。

昔の先住民の人々は、自然からその恵みを得て生活してきたが、自然を破壊してはならないと言う摂理を守ってきたと思う。

だが、外来者が、先住民を征服したように、ブローバル化の今の時代が、自然をも、破壊しつつあるのかもしれない。

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