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メキシコの伝統的腰機織り

22 6月
2008年6月22日

メキシコの伝統的腰機織りとそれに学び独自の織物を作る日本女性鈴木かつ子さん

メキシコやグァテマラの民芸品の中に先スペイン期時代からの先住民の作る伝統的な素晴らしい織物がある。

地方に住むインディヘナの人々は何日も何日も大変な時間と労力をかけて作った織物や刺繍を施した民族衣装を今でも着ている人も多い。

それは、2000年以上もの昔からの彼らの祖先から、祖母、母、子、孫へと伝えられた工芸である。 それは、単に時間をかけて作ったというだけではない、近代的な機織がないからという事ではない、 決して、決して、近代的な織り機では作る事ができない素晴らしい繊細な独特な織物が出来るからである。

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写真説明 ;腰機織りの様子 人類学博物館民族学資料より

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写真説明: 先住民の作る織物の作品 人類学博物館 民族学資料より

そのメキシコの伝統的な腰機織り(テラール デ シントゥーラ)に魅了された鈴木かつ子さんは、 15年前、メキシコ、グァテマラの先住民の女性たちに学び、そして今、テーラル デ シントゥーラだからこそ、 いや、テーラル デ シントゥーラでしかできない独特の織物、また彼女自身が編み出した手法などと、 それに、素材も、メキシコやグァテマラのインディヘナの人々が使う綿や羊毛だけでなく、アルパカ、絹、麻、さらに、最新の紡績技術で作られた紙加工糸などを使い、 色も藍染、貝紫染め、茶綿、アルパカの自然色の色などなどで、彼女独特の素晴らしい織物を、 メキシコ、モレロス州のテポストラン村で、日々、腰機織りで織り続けている。

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鈴木かつ子さんの織物展覧会が、メキシコシティーで開催され、見に行った。 それは、メキシコやグァテマラの先住民に学んだ技術であるだろうが、メキシコの織物ではなく、まさに、日本女性の手によって作られたという事をひしひし感じさせる作品である。 日本人女性の色感覚、繊細さ、一本一本の細い糸を丹念に扱い仕上げられた作品である。 作品というのは、作者の人柄が表れるというが、まさにその作品は鈴木かつ子さんの人柄を感じさせる。

彼女の言葉、「インディヘナの人々のテラール デ シントゥーラは、彼女らの日々の営みで彼女達のアイデンティティーに繋がる大切な仕事。 私は、現代のテラール デ シントゥーラの中に自分のアイデンティティーを探していきます。」と。

展覧会で、メキシコの女性に話しかけられた。 彼女はかつ子さんにお世話になってるんですよという。 彼女は先住民、インディヘナ後援団体とかで、鈴木かつ子さんが、その応援をしてくれると。

鈴木かつ子さんは、メキシコの地で、孤立もくもくと機を織っているわけでは決してなく、メキシコの地の現地の人々とも深く関わり、 メキシコでメキシコを応援する人でもあるんだと知った。

日本でも展覧会を開いたそうだけれど、またそんなチャンスがあったら、是非、彼女鈴木かつ子氏の作品を見て欲しい。 そして、また彼女の作品が、メキシコやグァテマラなどのインディヘナの伝統工芸を世界に伝える架け橋になってゆくだろう事を思う。

山へのルートと魅惑の町 その2

20 6月
2008年6月20日

前回は自然の魅惑について、魅惑の町からのレポートでした。
今回は、歴史について。

メキシコの世界遺産は、歴史的コロニアルの街、自然、そして、遺跡というものが多い。
「山へのルート」名づけられた観光ルートの魅惑の町は、やはり植民地時代に作られたコロニアル風の街であるのだ。
コロニアル時代に山の中に何故街が作られ栄えたか?
それは、スペインの侵略者達がもっとも欲しがったものがあったから、そう、つまり銀の鉱山の町として、栄えたという事である。

ここ、Real del Monte とHuasca de Ocampoも山の中にある昔の鉱山の町である。

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そう、昔のである。
実は、昔といえども、レアル デ モンテの鉱山では、2000年までわずかに掘っていたそうだが、今その鉱山跡は、鉱山博物館となっている。

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また、コロニアル鉱山都市やその周りには、きっとと言っていいほど、植民地時代、その後、独立の後でさえも続いた荘園館の跡がある。
それは、今は、ホテルであったりする所も多いが、また、廃墟であったり、それもまた歴史を語る博物館でもあったりする。

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写真説明 :サンタ マリア レグラ荘園館跡、ホテルとして使われている部分
その他は、広い廃墟の博物館

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写真説明 :サンタ マリア レグラ荘園館跡

荘園跡にしても、鉱山跡にしても、それは、支配する者の栄華と、奴隷や労働者として、厳しい労働の提供者であった人々の血と涙のメキシコの歴史の一面を語りかける。

レアル デル モンテの観光ポイントに取り上げられているその一つに、イギリス墓地とある。
「何で墓地なんか、見に行きたいのだ?なんで観光ポイントなんだ!?」とは、娘の言い草。

このレアル デル モンテの鉱山は、最初植民地時代には、もちろんスペインの、そして、その後は、イギリス人の、そしてその後はアメリカ人の鉱山主によって発掘がされたと。
メキシコ人は、ずーと労働者かあ!?と言いたくなるけど。。。。。

実際、鉱山博物館を案内してくれた博物館のガイドは、2000年、閉山するまでの鉱夫であったと、その労働賃金は、一日わずか100ペソ(1000円相当)程度であったと。

鉱山での危険、高山病でなくって鉱山病(肺をやられるとの事)の病などにもかかわらず、
人々は働かざるをいない、生活のために。人々の辛さを、また、歴史の過酷さを思う。
荘園館跡に、植民地時代、鉱山病になってしまった人は、一つの部屋に押し入れられたという。その狭い部屋跡をみて、これって、牢獄並みだと思った。
いや、実際、当時植民地時代など、病気になった者は、やっかいなだけ、早くあの世に行ってくれと支配者達は思ったくらいだろう。

イギリス墓地も、娘の抗議があったが、行ってみた。
鉱山の仕事で移民したイギリス人であったろうが、このメキシコの山の地で死を迎えても、
ふるさとイギリスへの望郷の思いで、墓地は皆、祖国イギリスの方に向けて作られていると。
なんか案内によると、唯一人を除いては、だそうだ。

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労働者として働いた人にも、支配する立場にいた人にも、それぞれにその人の人生の思いがあったのだろう。

この地区の、食べ物の名物は、イギリス人達が伝えたパナーダ。
それは小麦粉で作った中に色んな物をいれて焼いたおやつ風パン。

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写真説明 :鉱山博物館の展示品、イギリス人によってこのオーブンでパナーダが焼かれた。

過去にやって来たイギリス人の子孫が、今なおいるのか?いないのか?
いたとしても、長い年月の間に、皆メキシコの人となっているかもしれない?
パナーダもメキシコのこの地の名物になっているように。

そう、メキシコ人は、過去の祖先にいろんな血を持っている人々である故に。
それがまたメキシコの歴史でもあるといえるかもしれない。

ラバの日

15 6月
2008年6月15日

何故か?ラバの日。ロバでも馬でもなくって。

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写真の説明 :この日、教会の前で、トウモロコシの皮で作ったラバ人形が売られている。

それは、キリスト教においての復活祭から60日の木曜日、聖体の祝日の日を、メキシコの人々はラバの日と言う。

16世紀、植民地となったメキシコの先住民に征服者はカトリックへの改宗を強制した。
カトリック教会の行う祭りに、先住民のインディヘナの人々も、ラバやロバなどに荷を乗せて、教会の前で開かれる市にやってきた。

いつ頃からか?
メキシコの人々は、自分たちの祖先である先住民の民族衣装は、普段は着なくなったけれど、この日、子供たちにインディヘナの民族衣装を着せて、
市のために農産物や物を入れて運んできた箱や、プルケのお酒を入れた袋や、籠などを子供にも持たせて、教会へミサにやって来て、神の祝福を願う。

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言ってみれば、日本での七五三みたいなものかも?

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でも、教会の祭りとしては、キリストの聖体と聖血を祝う祭りである、
つまり、生贄のキリストの肉と血をいただくって事?なんだ、キリスト教って、アステカの宗教と同じじゃん?!

メキシコシティーのような都会でも、中心地より離れた地区ほど、伝統的祭りに熱心なのかもしれない。
都会より田舎の方が祭りに熱心であるようだ。
それは村的なというか、教会を中心にした隣近所の連結の伝統を今に伝えているのかもしれない。

たまたま、メキシコシティーのはずれのまだサボテン栽培の農耕で、経済が成り立つミルパ アルタ地区の祭りに出くわした。
この日には、この地区のカテドラルに、この地区のすべての教会の聖母、聖人、キリスト像などが集合して、ミサが行われ
ミサが終わった後、それぞれの教会区の人々が、自分たちの区の聖母や聖人やキリスト像を新しい衣装で飾り花で飾り、
神輿で、地区の人々がみんなで担いで、町を練り歩き、その後は、また、自分の教会へ戻ってゆく。

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教会から次々と自分たちの神輿を担いで出てくる行列が、延々と続いて、このミルパ アルタ地区にいったい、
幾つの教会があるんだろう?と思わされた。

何故ラバなのか?
これは、私的に解釈すると、多分?メキシコでは、馬は、ロバやラバより高級で、先住民の人は持てなかっただろうし、
メキシコの感覚では、馬は人が乗るもので、荷物運びなどの労働には使わない。
ロバと馬の合いの子のラバは馬より安いけど、ロバより荷物運びの労働に適していて、結構先住民に使われたのか?

兎に角、この日をキリスト教の聖体の祝いの何とかという厳かな名前で言わずに、メキシコの人は、「ラバの日」と親しみを込めて呼ぶ。

山へのルートと魅惑の町 その1

02 6月
2008年6月2日

観光で何処へ行こうかとなると、その選択には、やはり世界遺産というのは大きな魅力の場所であろう。
メキシコは、その世界遺産は、結構 数ある国である。
そういう世界遺産へは、世界の観光客も多く訪ね、またその情報も多いと思う。

世界遺産もいいが、メキシコ観光局が定めたPueblos Magicasといのがある。
Magicaはマジックの意味であるが、「魅惑の町」と言ったところか。

魅惑の町の中では、メキシコシティーから一日でいけるというので、世界の観光客もよく行く所では、
タスコという18世紀に栄えた銀の町がある。
タスコは、もちろん観光本にも載っているので、日本の方もよく訪れる町である。

だが、今回紹介する町は、やはりメキシコシティーから一日で行ける魅惑の町とその周りの山の自然を楽しむ事が
できると言う事で、なかなか面白いかも?このコース。
それは、Real del Monte とHuasca de Ocampo という二つの魅惑の町とその周りの山の自然である。

山へのルートとうたっている自然の観光ポイントは、Prismas Basalticos と Pen~a del aireである。
意味は写真を見るとそのまま分かると思う。
prismaはプリズム basalticoは玄武岩の。
Pen~a は岩 aireはこの場合は空とか空中のとかと言うべきか?

メキシコも結構な火山国と言えるか?たとえば、メキシコシティーの周りの山は、ほとんど火山でできた山である。
メキシコ盆地の東の山で、ポポカテペトゥルは、メキシコで2番目に高い山(5,452m)で、煙を噴く活火山で、時々、土地の人を脅かすのである。

この観光コースは、メキシコシティーから北東イダルゴ州である。
イダルゴ州の州都パチュカまで80キロ、そこから12キロで、レアル デル モンテ そこから26キロくらいでワスカ。
ワスカの先 数キロで、プリスマス バサルティコス や ペニャ デル アイレに着く。

マグマも火山となって地表に出て来た時のその量とか冷え方とかその時のいろん状況で、いろんな形やいろんな種類の石を形成するという事になるらしい。
いつかまた記事を書こうと思うがメソアメリカ文明で大変重要であった黒曜石。
ティオティワカンは、パチュカから黒曜石を得る事により、大帝国になりえたと言われる。その黒曜石もまた火山岩である。

玄武岩が角柱になっている。
プリスマ デル バサルティコ なかなか壮大である。

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壮大と言えば、こっちもなかなか壮大である。ペニャ デル アイレのある場所は、渓谷である。
渓谷といえば、前の記事で、チワワ鉄道の銅渓谷についてもちょっと触れたが。

このペニャ デ アイレの渓谷もなかなかだ。絶壁断崖である。

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渓谷を上から見る訳だが、そこは、広い台地で、羊の群れを馬に乗って放牧している人がいた。

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崖は車が走る道の数メートル先。
崖には、何の囲いも安全杭もない。高所恐怖症の人は、ちょっとドキドキものだ。崖の高さは七百数十メートル。

そして、空中の岩と名づけられた岩。

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危険だと思うが、その岩の下まで行ける。

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崩れた石が下に落ちていて、そのそばの木が倒れていた。
下手をすると、この木と同じ運命が。。。。。

まあ、何事も自己責任ですからね。なんちゃって。。。。

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