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チレ コン リモン

29 8月
2008年8月29日

メキシコ人の嗜好は、手っ取り早く言うと、チレ コン リモン つまり、唐辛子とレモンをたっぷり、何でもかけちゃえ!加えちゃえ!である。
チレ コン リモンなしには、食事もおやつもあり得ない。

メキシコ料理になくては、メキシコ料理とは呼べないものが唐辛子であるが、その種類はそりゃあ、唐辛子の故里を誇るメキシコである、
実に多い、生のもの乾燥したもの、同じ唐辛子でも、生と乾燥したものでは名前が違っているからややこしい。
まあ、その何十種類もある唐辛子も好みで使い分けるわけだ。

メキシコ料理のレストランで唐辛子のサルサを置いてないレストランはもぐりだ。

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写真の説明:唐辛子のサルサもいろいろあって、好みでで選べるように何種類か置いてあったりする。

それでは、メキシコ料理はみんな辛いか?というとそうではない。辛いものもあるが、大概、それ自体は辛くないものが多い、
辛いもの大好きな人はサルサをたっぷりかければいいのであるから。
だが、現地の人が辛いと言ったら、それは辛いから、辛いものが苦手な人は絶対やめるべきだ。

そして、レモン。メキシコ人は、サルサの唐辛子も料理にたっぷりかけるが、レモンもかける。
スープに肉に魚に何でもレモンをたっぷり絞りかける。
だから、テーブルには二つ切りしたレモンがいっぱい入ったお皿もきっと置かれている。

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写真の説明:メキシコでレモンというのは、小さくって酢橘のようなレモンである。

メキシコにしばらくいると、このチレ コン リモンがなくては、物足りなくなるから不思議だ。

お料理にレモンやサルサをかけるだけではない。
お酒、メキシコのお酒テキーラを飲むのには、塩とレモンだし、ビールにレモン汁をたっぷりいれると、ミチェラーダ。
その上、唐辛子粉をたっぷりかけて飲む方法さえある。ビールに唐辛子とレモンだぜ!

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写真の説明:唐辛子入りミチェラーダを作る人。

フルーツにレモンをかけるのは普通。その上唐辛子粉をかけて食べる人もいる。トウモロコシもレモンと唐辛子。

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写真の説明:フルーツやきゅうりの野菜などにもチレ コン リモンである。

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写真の説明:とももろこしもチレ コン リモンである。
その他、メキシコのトウモロコシはスイートコーンではないから、マヨネーズ、粉チーズまでたっぷりかけて食べるが普通。

もちろん、ポテトチップスのようなものも、もちろんチレ コン リモンである。

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写真の説明 :豚の皮を揚げて作ったチチャロン、チップス風にも、もちろんチレ コン レモンです。

アイスキャンディでさえ、唐辛子入りのものがある。マンゴアイスにたっぷり唐辛子が入っているとか。
あー、そうそう、今日本でメキシコマンゴが結構売られれいるそうだが、唐辛子とレモンをかけて食べてみる?いかが?

先日失敗したのは、チャワカン 梅アイスというのがあったから、美味しいかも?と食べてみたら、たっぷり唐辛子入りだった。
考えてみたら、メキシコでは、梅は唐辛子梅干だったよ。お菓子で売ってるけど。

梅唐辛子アイスは兎も角、メキシコに来たら、意外とこのチレ コン リモンにはまるかもよ!

ほとんど訪ねる人もないけどすごーく重要な遺跡

25 8月
2008年8月25日

メキシコには、いったい幾つくらいの遺跡があるのだろうか?
観光で外国の人が訪ねる遺跡は、世界遺産などで知られる遺跡くらいになってしまう。
よっぽどの遺跡好きで興味がないかぎり、遺跡をかたっぱしから訪ねる物好きは多くないだろう。
でもでも、もしも時間の余裕があったり、こんな遺跡も行く気になったら是非行ってもいいだろう遺跡、
それはモレロス州にあるチャルカルツィンゴ(Chalcatzingo)遺跡。

ここが何故重要かというと、兎に角古いのだ。先古典期という時代である。
特に中央高原においては、紀元前1000年という時代の重要な遺跡としては、唯一なのである。
それは、メキシコの母の文明といわれるオルメカ文明が紀元前1500年~紀元であるからそれと同時期であるといえる。

チャルカルツィンゴ遺跡は、紀元前3000年に始まっていると。
紀元前1500年頃には、オルメカ文明の影響を通商貿易などを通して多く受け、オルメカ的要素が、多く現れる。
紀元前1000年には重要な宗教センターとなったらしい。
そう、その岩絵に描かれているのは、ジャガー信仰でありまた多くの絵がオルメカ的であるのだ。

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写真の説明:ジャガーの岩絵 ジャガーの下になっているのは人間。
オルメカ文化のジャガー神はジャガーと人間の女性の合いの子の神とされている。
つまりこの絵は、ジャガーと人間の女性が性交しているところという解釈。そしてジャガー神が生まれたと。

モレロス盆地の中に所々、何故か切り立った岩山がある。
チャルカルツィンゴもその二つの岩山の麓の遺跡である。

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その岩山、結構険しい山であるが、そこに幾つもの岩絵が見つかっているのだ。
現在までに発見された岩絵は37と。まだまだ、この岩山に埋もれている可能性ありとの事。

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写真の説明:この写真では分かりにくいと思うが鷲、蛇などが描かれている。

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写真の説明:全体の絵を写真に撮る事は大変難しかった。絵の一部である。
支配者らしい人物像であるが、この人物像の他にも何人かいる。みんな、ジャガー風の被り物をしていて、
指揮棒のようなものを持っている。

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写真の説明:上の壁画があるのは、岩絵のある岩と前の岩が迫ったその間にあり、ちょっとドキドキしながら岩の上から覗く
ようにしてみる。

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写真の説明:王様という絵
洞窟らしいところで、大きなペナッチョをかぶった王様が王座に座っている。
その洞窟から水があふれている。
やはり、古い時代から、水信仰であるらしい。

チャルカルツィンゴは、その繁栄は、紀元前のオルメカ文化期と同時代であるが、その衰退は、オルメカの都サン ロレンソや
ラ ベンタより早く、紀元前5世紀頃と。
だが、チャルカルツィンゴは、衰退しても都はその後も継続して、完全放棄はされていないらしい。

私が行った時、ピラミッドの修復などが行われていたが、これからの発掘修復で、新しい事が分かってくる事を期待したい。

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写真の説明:修復中であったピラミッド

この遺跡が本当のところ重要な遺跡である事は、国立人類学博物館の先古典期の部屋の庭に、この遺跡の岩絵のコピーが作られている事でも、
メキシコの考古学を考察する上で、欠かせない遺跡である事を推察できると思う。

なかなか、ローカルのこんな遺跡まで足を運ぶ事は難しいと思うから、国立人類学博物館でコピーだけでも鑑賞してみてください。
彫刻はなかなか芸術的に美しいものであるとか。
考古学の遺物の芸術というのは、そのほとんどが、彼らの宗教の神への思い、また支配者のその権力を誇示して描かれているものであるが。

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写真の説明: 山の斜面を利用して階段が作られた事がわかる。この階段を上がって壁画のある場所へ行く。

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写真の説明: この遺跡にも球技場がある。

追記
もしこの遺跡に行こうという気を起こしたら、車で行くか、タスケーニャの南バスターミナルからCuautla行きのバスでCuautlaまで行きそれからローカル
ぺセロなどの乗り合いでChalcatzingo村へ行く。村のはずれに遺跡がある。

シエラ ゴルダ その2 シエラ ゴルダの自然環境保護の努力をする人々

15 8月
2008年8月15日

我々が申し込んだエコツアーをやっているのは、シエラ ゴルダの環境保護協会である。

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彼らは、木を植え、木の不法伐採を監視し、子供達や学生達に自然保護教育をするイベントを実行し、また山奥の産業のない村人のために、
村おこし的に民芸品製作の指導をし、その民芸品販売を行い、村人に山小屋を運営させ、山歩きガイドは村のガイドをお願いしてなど経済援助も行っている。

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写真の説明:彼らが指導して作らせた民芸品の販売もしている。
日本から来た友人が沢山お土産を買ってくれて、少しは、村の人のためになって、よかった!

それで、ツアーに組まれていたのが、グアダルペ村での陶芸の塗り絵企画。
グアダルペ村は民芸品として陶器を作っている。

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写真の説明:左の年配の女性が中心になり、若い女性も参加して陶器作りをしている。

その素焼きの作られた陶器に塗り絵をするというもの。
ちょっと、ちょっと、幼稚園生じゃあないんだから、と言いたいところだったけど、折角企画してあり、我々を待っていてくれた人の手前もあり、また、村の人の経済の助けになる事という事であろうから、大の大人の我々、仕事場の村の人々見守る中、幼稚園生になった気分で塗り絵をしました。

陶器は、実のところ、二度焼きしているとの事だけれど、その焼き温度が800度以下の陶器であるので、器として買いたいというものではなかったのだけど、可愛い絵が施されていて、記念に、皆で1個づつでも、買いましょうと買った。コーヒーカップ1個10ペソ(100円)

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村の人の話で、去年、日本人の女性が、ジャイカで派遣されて来ていたとの事。
日本のジャイカの派遣の人は、こんな山奥の村にも、彼女だけでなく、他にも来ているとの事だった。

まったくの私見であるが、せっかく日本の陶芸の技術をもって、来ていたのだったら、日本の高度な焼き物、高温での質のよい陶芸の技術を伝えられたらよかったのに。。。。
多分、派遣期間が短いとか、その施設の予算とかの問題もあって、できなかったのかもしれないけれど。。。。

ツアーの2日目のお宿は、山奥の小さな村の山小屋。

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この悪天候、客は我々だけだった。
山小屋の施設は、村からちょっとだけ離れていたが、電気は、まったくのエコー。
太陽熱発電による電気であり、あっちこっちにその設備があった。
でも、ここ1週間ほど天気が悪く、あまり蓄電できていないようで、我々客のいる所は電気を点けてくれてあったが、村の我々のために食事を作ってくれた人のところは蝋燭で明かりを灯していた。
そして食事は、昼食も、夕飯も、朝食も、エコーというか?菜食主義のお食事だった。
メキシコのお料理にお豆は欠かせないけど、お豆がてんこ盛りで、豆尽くし。。。

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写真の説明:豆のスープ 美味しかったけど、大どんぶりにいっぱい。

豆スープで、夕食のハンバーグは、大豆のハンバーグ。
飲み物は、コーヒーとハーブティー。コーヒーにこだわる人にとっては、ちょっと?の自家製コーヒーかも?
うーん健康食なんでしょうけど。。。。
朝食には卵がでたけど。

多分、彼女達の毎日のお食事も、これなんだろうなあ。。。。

後で、ツアーを申しこんだマガリータさんに「どうでしたか?」と言われて、「食事はそれなりに美味しいかったけど、完全菜食主義はちょっとどうも。。。」って言ったら、
「多分、彼女達もこの雨で、買い物に行けないのですよ。」と言われたけど。。。。

ほんとに、トホホ。。。。の雨で、自然を満喫するはずのハイキングも満天の夜を楽しむキャンプファイアーもできず。
山小屋で、卓球とトランプをして、過ごす事に。

最も行きたかった世界最大級の大穴、深さ410m、直径200m×400mの自然の大穴に、ラバに乗って行き、
早朝、金剛インコが穴から一斉に飛び立つのを見るツアーは不可能というのは、一晩中の雨音を聞いて皆が知るところ。

ワンダーフォーゲル部長の友人の「勇気ある撤退だ!」という言葉で、予定を繰り上げた。
雨季が終わったら、絶対、今度こそ大穴を見に来るぞ!と言いながら。

という事で、大穴報告にご期待を!

追記
エコーツアーなどに興味のある方は、次のHPで。英語ページもありです。
http://www.sierragorda.net/

シエラ ゴルダ その1 世界遺産 フランシスコ会伝道施設群

03 8月
2008年8月3日

世界遺産は見たけど、トホホ…の雨

世界遺産といえば、前の記事で書いたモナルカ蝶の保護区が、今年7月、メキシコ28番目の世界遺産に、指定された。 モナルカ蝶は、毎年やってくるけれど、その地区は木の不法伐採など自然破壊が進んで、保護が必要と、だいぶ前から叫ばれているのだが、 破壊はやっぱり進んでいるという現実。 これを機会に、本当に真剣に保護されることを願いたい。

さて、今回書く世界遺産は、「ケレタロ州のシエラ・ゴルダにあるフランシスコ会伝道施設群」である。

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写真の説明 :ハルパンの教会

実は、本心を言うと、今回の旅の目的は、シエラ ゴルダの自然であり、世界遺産になっている教会の建物は、ついでにいくつか見れればいいと思ったのだ。 シエラ ゴルダは、メキシコで、生物圏保護区のひとつである。 山、山の地区で、自然がいっぱい!というか、自然ばかりの地区のちょっとした谷や盆地にいくつかの小さな町や村があるところと言える。

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メキシコに住む友人の大学時代のお友達が日本から来た、彼らは、大学時代のワンダーフォーゲル部の部長と副部長という仲だそうで、 メキシコの観光お決まりコースより、自分も行ったことがないけど、歳は取ったけど、山歩きの素晴らしい秘境の旅を計画したのだ。 それで、現地のエコツアーを申し込んだのだが。。。。

生憎、旅の期間中、メキシコ全土がほとんど低気圧に覆われて、毎日朝から一日中、雨、雨、雨。 メキシコは、普通は、夕方から夜にかけて雨が降るというのが雨季で、朝から一日中雨というのはあまりないので、楽観して出かけたのであるが。

シエラ ゴルダというのは、ゴルダ山脈ということであるが、メキシコは、北から南に マドレ山脈が、西、東と走っていて、その地区は、山あり谷ありの山脈地帯である。 シエラ ゴルダもその一部をなしているということである。

この世界遺産に指定されたフランシスコ会伝道施設群というのは、18世紀の建造物である。 前に書いた ポポカテペトル山麓にある16世紀初頭の修道院に比べて、2世紀以上も後の建造物である。 だが、このシエラ ゴルダのサンフランシスコ会の教会修道院跡も、ポポカテペトル山麓の修道院と同様に、スペイン人の修道士たちが、 インディヘナをカトリックに改宗するための伝道施設である。

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写真の説明 :この地区にやって来たサンフランシスコ派のミッション 修道士の銅像 かれは、その後、カルフォニアへ布教のため行きその地でなくなる。 同時は今現在アメリカの領土であるカルフォニア州はメキシコ、ニュエバ エスパーニャの領土であったのだ。

なぜ、こちらは2世紀も遅いのかというと、それは、山、山の山奥の山の谷間の小さな村落に住むインディヘナの改宗で、それは、アクセスが難しく、 2世紀以上も遅れたということである。

実際、メキシコシティーからケレタロへ向かう高速道路はまっすぐな平坦な道であるが途中から道をそれ、しばらく走ってからは、2時間半以上、くねくねの山道である。 雨季の季節で、山々は緑みどりの景観をなす。

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そこの山道を、40年以上のドライバー経験のある友人が、メキシコシティーからは、6時間、20年の愛車で走り抜けた。 私にとってはそれも感動ものであったが。

トホホ。。。の雨のせいでハイキングはほとんどキャンセル。 世界遺産のそのインディヘナバロックと言われるフランシスコ会伝道施設群の教会を見る旅となった。 世界遺産指定の5つのうち4つを雨の中、見る。

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写真の説明:ティラコの教会

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写真の説明:タンコヤルの教会

どれも、サン フランシスコ派の教会であるから、ほとんど似ている。 バロックの名のように、その彫刻が実に隙間なくばっちりであるが、インディヘナバロックというようにそれは、教会建設の指導者はスペイン人修道士であったが、 実労をしたのは先住民の芸術家達であった事をその彫刻から想像できる。

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写真の説明:ハルパン教会部分中央の十字架の所に、二つの腕が十字に組まれているのは、サンフランシスコ派のシンボル。 腕は、サンフランシスコの腕とキリストの腕と、ある資料に書かれていたけど、案内のガイドは、サンフランシスコ派の修道士の腕とインディヘナの腕だと説明したが、どっちだと思う?

それらの教会は、一様に細かい石膏の彫刻に薄い赤で彩色がなされていて、教会として小さい建築と言えるかもしれないが、 全体に調和のとれた美しいと感じさせる教会建築である。

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写真の説明 ランダ デ マタモーレスの教会 聖人などの像の頭だけ取れていたものが多い。これは後の時代に故意に壊されたと言うが?        中央、左は腕の十字架、右はキリストが処刑された時、5つの傷を受けたその傷の血のしずくを表す。

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