月別アーカイブ: 9月, 2008

メソアメリカ唯一の大一枚岩のピラミッド神殿

27 9月
2008年9月27日

またまた、ちょっとマイナーな、つまり、外国の観光客はあまり訪れないけど。。。。。。。
だが、メキシコ唯一の一枚岩を刻んで作ったピラミッド マリナルコの遺跡について。

一枚岩の建造物は世界では、インドのマーマッラプラム、エジプトのアブ・シンベル神殿、エチオピアのラリベラetcとか。
それと並ぶと強調しておこうかな?

遺跡はやっぱり、元気なうちにいかなくちゃあ。。。。と言うのが持論だが、このマリナルコの遺跡、山の中腹にあるから、山登りの覚悟が必要。
とは言え、片道30分くらいのハイキングコースです。
ティオティワカンほどの標高ではないが、ここマリナルコの地も1800mほどある地だから、一気に上ると心臓に優しくない結果になる。
だから、ゆっくり、ゆっくり、周りの緑を楽しみながら、また、階段のところどころに置かれたマリナルコの説明(スペイン語と英語と先住民語で書かれているけど)も
読みながら、登ってゆくのがよろしいようです。

02_01

写真の説明:登って行く途中、あっちこっちに説明がある。

遺跡は結構切り立った山の上にあるが、当時の人はやはり、そんなアクセスの面倒なところに神様を祭る神殿を作ったのは、
神様は、天により近い所に祭るという事で、メソアメリカのピラミッドは作られた訳だから、人工のピラミッドを作る手間をちょっと省いて、山をピラミッドに見立て、その上に神を祭った!?
という私の勘ぐりは兎も角、山は昔の人々にとって、神聖なもの、神聖な場所として考えられていたのも事実である。
それと、山はアクセスが大変という事は要塞の意味もあり、ティオティワカン崩壊後の都というのは、山の上に多く作られているのである。

平地から遺跡のある山の中腹までの高さは125m、その神殿が使われていた当時はどの程度の道か階段が作られていたのかは不明だが、
今は遺跡見学の人のために作られた約400段ほどの階段を登ってゆく事になる。
テイオティワカンの太陽のピラミッドが高さ65mで、その階段数は248段であるから、太陽のピラミッドの倍のピラミッドを登る気分だ!

02_02

さて、マリナルコの地も古い時代から、人々が住み始めた。そこは、マトラチィンカ族の地であった。その古い時代の遺跡は、山の頂上にあると。

15世紀、アステカ王国の発展とともに、アステカは領地を広めていったが、この地もアステカ王国に征服され、16世紀初め、アステカ王の命令により、この山の南中腹に
山を削り、埋め立てもして、テラスを作り、そこに、宗教センターを作った。
その一番重要な建造物のピラミッド神殿は、山の側面の一枚岩を削って階段もその上の神殿の部分も神殿の彫刻も全て作っているから、
ピラミッド全体がひとつの石の彫刻芸術と言えるかもしれない。

02_03

写真の説明;一枚岩で作られた一番重要なピラミッド神殿

ピラミッドの階段の下の両側に2頭の狛犬風のジャガーの彫刻(ひとつは大変風化してしまっているが)がある。

02_04

写真の説明:階段の下の狛犬風ジャガーの彫刻。よく残っている方だが、頭が壊れてない。岩の彫刻の一部であるから完全にくっついている。

上の神殿の入り口は地下の怪獣の顔で、その開いた口が入り口で、口は二枚の舌を出して、この神殿に入るには、怪獣に飲み込まれる気分だろうな。
今は入るのが禁止されていて入れないけど。

02_05

写真の説明:神殿の入り口

中には、3羽の鷲と1頭のジャガーの彫刻がある。

02_06

写真の説明:中には入れないので、博物館のコピー の写真。もともとは色がついていたようだがオリジナルは、色がだいぶ落ちてしまっている。

この神殿はアステカのもっとも強い兵士で近衛兵的 鷲兵士、ジャガー兵士の学位式が行われた所と、博物館の人が教えてくれたけど。
そして、中央の鷲とジャガーの間にある筒状の穴は、その学位を受ける兵士の自己犠牲の血が注がれたところだと?!
あー、偉い兵士の学位をとるのも痛い事ですねえ。

前にも書いたが、メソアメリカのいろんな遺跡は、天文学上のいろんな軌道と一致している建造物が多いが、このマリナルコのこの神殿も同じく、
春分、秋分、夏至、冬至の線が神殿のある線に一致しているようになっていると。

メソアメリカ文明では鷲とジャガーは太陽のシンボルである。
また、同時に二つの相反する宇宙の力を現すのだそうだ。天と地の。
この自然の相反する二つの力が合体、また競合する事で宇宙のバランスが維持され、宇宙が持続することできる。
宇宙を司る神々に、人間の生贄をささげる事で、神の怒りを沈め、宇宙が持続される事で、人間も生きながらえる事ができると考えたと。

宇宙のバランスといわずとも、人間のバランス感覚が、最近ちょっと崩れかけてるって???

02_07

写真の説明:他の建造物も山の岩にへばりついたように作られているし、一部は山の岩が刻まれ作られている。

02_08

写真の説明:遺跡からマリナルコの町が眼下に広がっている。

追記
マリナルコの遺跡への行き方。
メキシコシティーから、約100キロ バスで行く場合、メキシコシティーの西バスターミナルから、マリナルコ行きのバスで。
月曜日は休み。

伝統的民間医療

22 9月
2008年9月22日

コロンブスのアメリカ大陸到来(メキシコでは、アメリカ大陸発見という言い方はけしからんというので、アメリカ大陸、新大陸発見とは言いません)以来、西洋文明がメキシコにも入って来た。
そして、西洋医学なるものも。

だが、西洋人のアメリカ到来以前にも、メキシコのもともとの住民、先住民、インディヘナは、彼らのやり方で病気に対処してきた。
その伝統的民間医療といえる病気対策方法は、今なお、西洋近代医学とともに、人々に特に先住民の多くの人々に実践されている。

昔からの人々の考え方の中で、病気になるのは、体に悪い気などが取り付いたとか、他の人のmal de ojo(目の悪)、つまり他人に嫉妬や悪意で見られたために病気になると考え、
それを排除してもらうために祈祷師に清めをしてもらったり、お払いをしてもらうという方法で病気を治す。
また、村のそういう祈祷師とかcurandero(民間療法医)というのは、代々受け継がれて来た薬草の知識を持った人であり、清めを行うと同時に薬草を処方することによって
病気を治すという医者の役目を果たしてきた。

西洋医学が入ってきてから、つまり、メキシコが征服され、そして、独立しての歴史、500年もなる今でも、特に地方の田舎においてクランデロと言われる人が、
病気治療に重要な役割を果たしている。
特に、シャーマン的加持祈祷という方法は、昔の先スペイン期のインディヘナの宗教と植民以後のカトリックと融合した形で、今でも先住民の人々などの間で特に実践されている。

01_01

写真の説明: チャパス州 サン クリストバル デ ラス カサスの伝統民間医療博物館の展示
クランデロといわれる人は、宗教的儀式を執り行い、病人の治療をする。

地方の田舎では、西洋医学の機関が少ないと同時に、多くの人々は西洋医療機関の病院などに支払うお金がないためにクランデロ、祈祷師などの民間医療に頼るという現実もある。

彼ら、クランデロの薬草などの知識は、必ずしも、まったく西洋医学が否定してしまうには値しない、長い伝統と歴史があるものである。

メキシコの田舎の人だけでなく、都会の人々でも、病気治療のために病院へ行くと同時に、市場には必ずあるが、いろんな薬草を売っている薬草店がある、その薬草を買い求め、
日常生活の中で、ハーブティーなどのお茶として、常用している。

01_02

写真の説明: クエルナバカの薬草植物園の博物館の展示であるが、このような薬草を売る露天は、必ず何処の市場にもある。

また科学薬品の弊害を心配して、薬草などだけを使った薬を処方し、食事も菜食主義を薦める医者 ナトリスタ(メキシコの漢方医と言ったところか?もっとも、これは、メキシコの伝統薬草医学によるものである。)に、
病気治療を頼る人も多い。(我が家の寝たきりになってしまった姑もそうであるが)

01_03

写真の説明:サン クリストバル デ ラス カサスの博物館には、薬草から作った薬や薬草茶を売るお店があった。
私は自分のために高血圧に効果があるというお茶を買った。

薬草店の薬草の種類は、実に多く、これは何に効果がある、これは何の病気のよいというのがある。

民間医療に使われる薬草などの薬草植物園がクエルナバカ市にある。

01_04

写真の説明:クエルナバカ市の薬草植物園

その広い敷地には、多くの植物が植えられているがその植物が、それぞれ何かに効く薬草になるという事であろう。
なんか、全ての植物がそれぞれ何かの効果がある気がしてくるが。

01_05

01_06

写真の説明:木に絡まってツルをのばしているバニラとその効用の説明の写真。ちなみにバニラもメキシコ原産の植物です。
香料として使う他に、熱ざまし、出産の助けに効果と。

話は別の事になるが、その植物園の土地は、もともとは、1862年のフランスのメキシコ侵略の結果、メキシコの皇帝となったマキシミリアムが、恋するインディヘナの女性のために手に入れた土地であった。
彼の恋は実る事もなく、この土地を手に入れた翌年1867年には悲劇の皇帝マキシミリアムは銃殺された。

01_07

写真の説明:薬草植物園の博物館の建物にかけられたプレート
「 インディア ボニータの家 1866年マキシミリアムの命令で建てられた、修復され、伝統医学博物館となる。」と書かれている。

誰もいない美しい緑の植物園の中をびっくりするような大きな白い蝶が一匹ひらひらと飛んで行った。
ふっと、それは、蝶の採集が好きだったというマキシミリアムの化身だったような気がした。

トラクアチェ(Tlacuache)あんた何者?あんたに会いたい!

17 9月
2008年9月17日

メキシコの先住民語で、トラクアチェと言う動物がいる。
実は、メキシコシティーの人類学博物館の展示物の中にいくつかのユニークなこの動物の陶器や造形がある。
これは、日本語はオポッサムと言うのだそうだ。和名は袋ネズミ。

02_01

写真の説明:メキシコ国立人類学博物館展示物 先古典期室
農業村落時代、お墓の奉納物として多くの陶器や土偶が出てきている。そのひとつ。

私は、いつもトラクアチェと呼んでいた。観光のお客様、私の説明不足、分からなかったでしょうね、御免なさい。
有袋動物、つまり、カンガルーのように袋があって、その袋の中に赤ちゃんを入れて育てる動物なのだ。
だが、和名で袋ネズミというように、ネズミそっくりという訳だ。

最近、何かトラクアチェの話をたまたましばしば聞いたので、トラクアチェにむしょうに出会いたい気分だ。

メキシコには、トラクアチェは、姿は見せずとも(夜行性なので)、結構いるらしい。

我が家の近くがメキシコシティーの南西の山の森林公園なので、うちのダンナは、そこへ、犬の散歩やジョキングに行く。
多分、この自然の中には、トラクアチェはいっぱいいるかもしれないが、なんせ夜行性だから、二十数年、散歩していても、
お目にかかった事がなかったが、一度だけ、死んでいるのか?死んだふりをしているのか?のトラクアチェに出っくわしたと。
なんせ、こやつ死んだふりがうまいやつらしいから、やっぱり死んだふりしていたに違いないが。
私「見たかった!」と言ったら、
ダンナ「死んだ振りしてたから、捕まえられただろうに、捕まえてきたらよかったかな?」と
でも、やっぱり、トラクアチェ、ペットにしても、我が家には猫も犬もいるから、トラクアチェ、死んだ振りしても、
大変な事になっただろうから、仕方ないねえ。残念だったけど。

私の友人はモレロス州の山の町テポソトランの、またその山奥に別荘を持っているが、彼女の話
車で走っていたら、多分、他の車に轢かれたらしいトラクアチェがふらふら歩いていたので、別荘まで連れてきたけど、助からずに死んでしまった。
お腹に赤ちゃんを抱えていたよ。との事。
可哀想にトラクアチェも、現代の車社会の被害者である事よ。

友人の言う事に、トラクアチェは姿は見せないけど、しばしば別荘の広い庭にやって来て、フルーツなどを失敬しているらしいと。
そして、置き土産を置いてゆくと。

その話を聞いて、あっ!そうなんだ、あれだ!と疑問が解けた。
そう、まえに「ネツァルコヨトル王の偉業」という記事で、ネツアルコヨトル王のお風呂のある遺跡についての書いたけど、
あの遺跡の石の水路などの建造物のあっちこっちに何かの動物の糞がそこにわざわざ置いたようにあったのだ。

なんの糞なんだろう?野うさぎでも、馬でもロバでもないし。。。。と思ったのだった。あれは、トラクアチェの置き土産だったのだ。
糞の中には消化してない何かの種やらが、めったやたらと目立って見えた。

今考えると、お姿には、お目にかかれないけど、皆さんにあの糞だけでもお見せしたかった。残念!糞の写真撮ってなかった。

ティオティワカンの近くの村を村のタクシーに乗っていた時、運転手さんに聞いた。
「この辺でも、トラクアチェいる?」
そしたら、彼、言いました。「あー、いるよ、捕らえて食べるよ!」
えっ!?本当!

人間って、何でも食うのですねえ。あれって、ネズミそっくりらしいけど。。。。

インターネットで検索したら、オポッサムの毛皮の製品というのがあった。
そうか、毛皮にもされてるのかあ。特に赤ちゃんいれる袋の部分の毛皮が柔らかでいいとか?
だってオポッサムのママの赤ちゃんのおくるみだものねえ。

それにしても、トラクアチェ、カンガルーやコアラのように赤ちゃん育てる袋持ってるし、コアラのように、背中に子供何匹も背負って走り回るし、
ネズミの様相で、ネズミのように、人間の残飯もあさるとかだそうだし、その上、狸だが狐のように、人をだますんですって?死んだ真似がうまいそうだね。
スカンクのように、その時、悪臭も出すとか?その上、象の鼻のように器用に尻尾を使って物を持てるって?
サルのように木登りもうまいらしいし、仲間によっては、半水生で泳ぎも上手って?

トラクアチェ あんた何者? それにしても、貴方にお会いしたいものです!

02_02

写真の説明:メキシコ国立人類学博物館 オアハカ室 サポテカ文化 お墓の骨つぼ
トラクアチェ神 トラクアチェは物を取るのに長けているところから、メソアメリカ文明で、神の国から人間のために火やトウモロコシを盗んでくれた神の属性を持つとされた。

それで、メキシコシティーのチャプルテペック動物園に行って見ました。
パンダも、メキシコウサギ(小さくって、耳が短いウサギ)も、毛のないメキシコ犬も、メキシコ狼も、日本猿も、sikaという名の鹿も(日本の鹿のようです)いたけど、トラクアチェには会えませんでした。
動物園で働いている掃除のお兄ちゃんに聞いたら、「前はあそこにいたんだけどねえ、どうしたんだろうねえ?」

そこで、今度は、ソノラ市場というメキシコシティーで、何でもあり市場として有名な市場へ行ってみました。
この市場は、動物もいろんな動物が売られている事で有名なのです。販売が禁止されているような動物でも。
でもでも、やっぱりいませんでした。
今は保護動物の監視が厳しいようで、捕獲禁止、販売禁止の動物はさすがこの市場でも売られなくなったようです。
お店の人に訊ねたら、「トラコアチェはいない、禁止されてる。」と怒ったように言われた。

トラクアチェも、種類がいろいろいるが、種類によっては、絶滅危惧動物の仲間入りをしてしまい保護動物になっているものもいるようです。

それにしても、トラクアチェ!あなたに会いたい!

02_03

写真の説明:メキシコ国立人類学博物館 北部地区室
容器 北部地区の陶器の特徴的模様絵

セニョール デ チャルマ

01 9月
2008年9月1日

前にはメキシコでもっとも信仰されているグアダルーペの聖母について書いた。 今回は、セニョール デ チャルマ。

01_01 

写真の説明:チャルマの教会

メキシコの宗教はほとんどの人がカトリックであるのだが、信仰心の足りない私からみると、カトリックというのは、 何故かやったらとお祈りするべき神様だか、キリスト様だか、マリア様だが、聖人だか、聖母様だか、兎に角、 お祈りするべき対象が実にが多い宗教だと思う。

皆、祈ちゃって、ご利益を得ようというのは、あまり信仰心がないとされている日本人も同じと言えるかもしれないけど、 「皆、祈ちゃう」は同じでも、メキシコ人の場合は、本当に、奇跡を願って、巡礼などの苦行をしての信仰心だから、 エライと言えばエライぞ!

大体信仰というのは、より多くお願い事をかなえてくれる神様が信仰するに値する神様というのは当然だ。

そこで、もっとも奇跡をおこして、願い事を叶えてくれるキリスト様や、聖母様や、聖人は、もっとも多くの信者を集めるとも言えるかも? で、そのナンバーワンがグアダルーペ聖母信仰であるが、グアダルーペ聖母に続け!ではないけど、やっぱり多くの信仰を集める教会や、聖地は、メキシコにも、あっちこっとあるのだ。

01_02

写真の説明:絵馬のようなものであるが、奇跡を起こしてもらった御礼札。教会の裏手に過去の絵馬が山のように奉納されていた。

そのナンバーツー的存在。セニョール デ チャルマ。

グアダルーペ聖母は褐色の聖母とか黒い聖母とか言われていて、つまり、彼女は白人ではなく、インディへナであるのだが、 このチャルマのセニョールのキリスト像も、もともと黒いキリストと言われている。

何故か、今教会の中央祭壇の本尊様のチャルマのセニョールのキリスト像は、黒いキリスト像ではなく、 どう見ても、元来のキリスト像と同じ白人のキリスト像であると思えるが。 教会の前のお土産屋の中には、沢山の黒いキリスト像も沢山売られているが。 黒いキリスト像がなぜ白いキリスト像に摩り替わっているのかは、よく分からない。 あの本尊様を白いとみるか黒い見るかはその人のかってか? (メキシコシティーのカテドラル教会の懺悔の祭壇のキリスト像は、誰が見ても黒いキリスト像であるが。)

この本堂の裏手の岩のところにある洞窟は、もともと、先スペイン期の洞窟信仰が行われていた所で、先住民はそこに置かれた彼らの神の偶像を祭っていたのである。

01_03

写真の説明:昔先住民の神が祭られていた洞窟には、今はカトリックの聖人の像や天使の像が置かれている。

スペインの侵略で、先住民の人々をカトリックに改宗するために、やって来た修道士や神父は、そういう先住民の神の偶像を破壊した。

チャルマの伝承によると、 その洞窟にあった彼らの神の偶像も、破壊した。だが、そこに、3日後キリスト像が現れたというのだ。 それで、カトリックの神父や修道士達は、そこの場所に教会を建て、カトリックの布教を始めた。

だが、その後、自分達のもともとの神を信じ、カトリックに改宗する事を拒否した、カトリック宗教からすると不信仰の人達が、教会に火をつけた。 教会の後ろの中庭の回廊にある宗教画にそうの様子が描かれていて、不信人の人達が、火をつけている上で、天使達が水がめで水をかけて火を消そうとしている絵がありました。

01_04

写真の説明:不信人の人が教会に火をつけている様子の絵

伝承であるが、作り話も利用されるであろうし、都合で話しが摩り替わる事はあるから、ますます本当は分からないものであるが。

昔のインディへ達の先スペイン期の宗教は、もともと笛や太鼓の音楽を奏で、踊る事が、彼らの神への祈りの方法であった。 だから、今でも、グアダルーペ寺院でもそうであるが、地方からやって来た巡礼の人々は教会の前で、インディオ踊りを踊って神に捧げる。

このチャルマの聖地は、踊りながら教会へ入らないと、奇跡が起こらないと言われていて、踊るのが正しい巡礼の法則らしい。

このチャルマへの伝統的お参りの仕方いうのは、 このチャルマの手前の村に、古い大きな木、メキシコ本来の木で、アウェウェテの木がある。 その場所に泉があり、其処で、神聖な木に水をかけ、自分にも水をかけて(身を清めるの意味ありだろう) その場所で売っている生花で作った花輪の冠をかぶり、踊りながら、教会のセニョール デ チャルマのキリストにお祈りに行くというもの。

01_05

写真の説明:教会に奉納された花の冠

01_06

01_07(Photo01_06.jpg) (Photo01_07.jpg)

写真の説明:衣装を着けて踊って巡礼する人々

メキシコのカトリックの聖地になっている所、また、古い植民地時代に作られた教会のある場所というのは、 ほとんどが、昔の先住民の人々のもともとの彼らの神の巡礼の地であったり、神を祭ってあった所であるのだ。 このチャルマの教会も例外ではない。 そして、メキシコ全土から、多くの巡礼の人々がやってくる聖地となっている。

01_08

写真の説明:チャルマの教会のある後ろは切り立った岩山であるが、そこに沢山の十字架が立っている。それは、魔よけのために立てられた十字架だと。

01_09

写真の説明:教会への参道は、どこのどんな宗教でも同じだろうが、キリスト像やら聖人像やらお守りを売る店がいっぱい。

特に聖週間の日はすごい巡礼の人だ。 私の住むメキシコ盆地の南西部の山、コントレラス地区から徒歩でメキシコ盆地の周りの山を半周する形で、多くの巡礼の人が歩いて行く。 毎年の聖週間復活祭の時、家の近くで、毛布や食料を背負って行く多くの巡礼の人を見かけるので、一度、この行程を巡礼の人達と一緒に歩いてみようかとも、思ったりしているのだが。。。。。 いや信心のない私は奇跡を願ってるわけでなく、体力試しにと。

Copyright© 2017 メキシコ情報 All Rights Reserved.