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火山溶岩の中に

27 2月
2009年2月27日

メキシコ盆地の南部は、2000年もの昔にシトレ火山の噴火によって、火山溶岩に埋めつくされた。 前の記事でパリクティン火山が村を飲み込んだと書いた、それは20世紀の火山である。 シトレ火山は、資料によってはっきりしないが紀元前後の噴火である。 昔、メキシコ盆地は大きな大きな湖であった。その湖の南部の山から川が流れてくるその河口の豊かな地にクィクィルコの都ができる。 クィクィルコは最も古くは紀元前1200年という。 そして、紀元前の先古典期の時代にこのメキシコ盆地で最も大きく栄えていったクィクィルコの都は、紀元前後にシトレ火山の噴火により完全に火山溶岩で埋め尽くされる。

クィクィルコの都の今遺跡として残っているのは、高さ20m直径135mほどの珍しい円形のピラミッドとその他わずかな建造物の跡だけであるが、 当時都が栄えていた時、紀元前の時代に2万人ほどの人口を抱えた大きな都であったであろうと言われる。

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写真の説明: クィクィルコの円形のピラミッド。

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写真の説明: ピラミッドの一番上のところに過去のピラミッドの層が見えている。ここは、川のほとりであった事もあり、火山岩の他に川の丸い石も建築材料として使われている。

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写真の説明: ピラミッドの下の部分は、今の地表よりずっと下になっている。つまり火山溶岩に埋められている。

クィクィルコ遺跡まで足を運ぶ人はほどんどいない。 だが、メキシコ中央高原地区の先古典時代の最大の都として考古学的にも重要な遺跡であると思う。

その後にメソアメリカ最大の都として栄えるのがメキシコ盆地の北東に位置するティオティワカンである。

そんな訳で、メキシコシティの南部地区は、その大地が火山溶岩地帯である。

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その広大な火山溶岩の大地に1950年代に作られたのが、メキシコが誇るラテンアメリカ最大の規模と学生数を誇る大学都市といわれるメキシコ国立自治大学(UNAM)である。 当時、多くの有名かつ先鋭なメキシコの建築家、芸術家が、UNAM建設にかかわった。 建築家がユニークな独創的な建物をつくり、芸術家がそのイデオロジーを壁画などで表現し建物を覆った。 その建築物にはこの大地を覆う火山溶岩の石も使われている。

そして、2007年に、大学中央部のこれらの建物を含めた地区が、ユネスコの世界遺産として認められた。

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写真の説明:大学の中央図書館。ファン オゴールマンは建築家であり画家であった。彼の世界最大の色の付いた自然の石を使って作られたメキシコの歴史とメキシコ大学をテーマに描かれた壁画。

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写真の説明:科学学部講堂のホセ チャベスの壁画

建物、壁画、彫刻と大学構内を歩くと、まさにその広大な火山溶岩大地につくられた大学自体が大きな野外美術館である。

大学都市の中央部から、西側へ車で走って行くと、そこは広大な火山溶岩の上に、ルイス バラガンなどの建築家が住宅開発をしたのに始まり、 今はペデルガルというメキシコシティの高級住宅地である。

もし、メキシコシティ南部に行かれる機会があったら、UNAM、クィクィルコ遺跡まで足を延ばしてみるのもいい。 UNAMの中央部は世界遺産であるように、もちろん絶対見る価値がある。

広大なUNAMの敷地には無料バスが走っている。

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それに乗って、中央部だけでなく、エコロジー保護地区という方まで行ってみると、広大な荒野のままになった地区が残されている。 2000年の歳月が、広大な火山溶岩の上に草木を生えさせた自然をみる事ができる。

そこに、彫刻家達の大きな青だの赤だの黄色だのオブジェが、自然の中に浮かぶように立っている。

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それは、自然と芸術が融合しているという事なのか。

追記  メキシコ国立自治大学や、クィクィルコ遺跡に行くのには、インスルヘンテス通りを走っているメトロバスが便利。  または、地下鉄3号線で、コピルコ駅か大学都市駅下車で、あとは大学構内を走る無料バスを利用して移動する事ができる。

パツクアロ

19 2月
2009年2月19日

ミチュワカン州の中でも湖のあるパツクアロは観光地としても人気の場所であると思う。

パツクアロ湖の周辺は、昔のタラスコ王国の領地であったところである。
その遺跡としては、ツィツンツァン遺跡がツィンツンツァン村に残っている。
そこは、ペレペチャ語で、ヤカタという前円後方型の神殿ピラミッドが5個並んでいる事で、他の遺跡と異色である。

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だが、ほとんど訪ねる人が少ない遺跡である。
今、遺跡として都の面影を残している部分は小さくたいした事がないからと言って、その都がたいした都ではなかったと決め付けるのは間違いである場合が多い。
パツクアロの町の今は博物館、だが、植民地時代はカトリックの修道院だった建物の下などに昔々の都の建物の残骸が残っていたりする。

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写真の説明 :博物館の中庭から公開されていない一つのドアを通り抜けた向こうに先スペイン期の建造物と植民地時代の修道院の部屋の壁があった。
何処でもドアでドアを抜けたら過去の時代へ迷い込んだような気分であった。
修道院のこの部屋は修道士のお仕置きの部屋で、そこに閉じ込められた修道士が、壁に日を刻んで、日を数えたという壁に刻まれた印。
7日目ごとに十字の印が付けられている。

つまり、植民地時代、征服当時栄えていたインディヘナの都の建造物はほとんど破壊された事を考えるべきであろう。

タラスコ王国は、アステカの征服の試みにも最後まで屈することなく自治を守り通した勇敢な王国であったが、スペインの征服には
他の先スペイン期のインディヘナの王国同様、屈せざるをえなかった。
だが、幸いというべきか?この地にやってきたキロガ神父は、この地にユートピアを建設する事を夢みて来た人であったのだ。

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写真の説明: パツクアロの町の広場にあるバスコ デ キロガ神父の像

カトリックの布教というのは、インディヘナの宗教を否定し、その神の神殿を破壊する事であった。
過去の都を当然破壊し、その文化を否定したわけである。

だが、ユートピアの理想をもってやってきたキロガ神父は、他の侵略者達が自分の利益のためにインディへを搾取しただけと違って、
インディへのための最初の病院を建てたり、インディヘナ達が経済的に自活できる方策として、彼らがもともと持っていた工芸の技術を西洋の技術なども
取りいれる事で、より一層その技術を高め、工芸、民芸の生産を行わせた。

今このミチュワカン州の村々は、それぞれその村独特のそれぞれの民芸品の生産をする村になっていて、このパツクアロ周辺の村々もそれぞれ民芸品の村である。

それ故、このパツクアロや、ミチュワカン州を旅するもう一つの楽しみは民芸品でもある。

パツクアロの町にも、パツクアロ湖の周辺の村々にも、その村の民芸品やミチュワカン州の民芸品のお店がいっぱいである。
そんなお店や市場を覗き歩きのも実に楽しい。
またパツクアロの町はコロニアルの町で、シックに統一されたきれいな街並みを散歩するのも楽しい。

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写真の説明 : パツクアロの町中を走る観光バス。これに乗って町を一回りしてみるのもいい。

パツクアロの観光のもう一つの要所はもちろんパツクアロ湖とその中に浮かぶハニツィオ島。

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ハニツィオ島は、死者の日の祭りで、あまりにも有名である。
島の村人は、先住民の人々で、彼らの祖先代々からの伝統的な仕方で、今なお死者の日に祖先を祭っているのである。
11月1日、2日の死者の日、お墓をマリーゴールドの花で飾り、蝋燭を点し、村の女性達が、一晩中、物言わず、ただ、死者を祈り死者と過ごすという。

ハニツオ島の小さな島の一番頂上には、大きな大きなメキシコの独立の英雄モレロス像(高さ48.75m)が、聳え立つ。

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大仏とか、キリスト像とか大きな事はいいことだ!で大きな像が世界のあっちこっとにあるのだろうが、メキシコは英雄好きだから、メキシコの英雄像もでっかく!?

モレロス像の中は、螺旋階段が作られその壁には、モレロスの生涯を描いた壁画。
その壁画を眺めながら、モレロスの揚げた右手のところまで登ってゆける。
最上階と言うかまで行くと螺旋階段もドンドン狭く、ドキドキでもあるが。

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パツクアロ湖は昔から、つまり先スペイン期時代から、その湖の魚を蝶の形の網でとるというのが知られている。
今も実際に昔からの伝統的その同じ方法で漁が行われているのかどうか定かではないが。

お友達から見せていただいた40年前のパツクアロ湖の写真に私は感動した。
なんと牧歌的な風景なんだろう。

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写真の説明 :友人山田さんからお借りしたパツクアロ湖で蝶の形の網で魚をとる人の様子。1968年頃。

今ももちろんパツクアロ湖の小魚料理を観光客に提供するレストランが、桟橋の周りに軒を連ねている。
その客を呼び込む声々は、昔から多分響いていたのだろうが、ここで、何が変わらず、何が変わったのだろうか?

人懐こいリスがいっぱい

07 2月
2009年2月7日

リスというのは、自然のあるところ、木のある森などには、何処にでもいっぱいいるものであるだろう。
だから、リスを見かけてもそれほど、どうって事はないかも?
だが、都会に住んでいると、自然の中で自由に走りまわっているリスを見かけると、ちょっと感激のようだ。

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メキシコシティで、もっとも大きな公園 チャプルテペック公園を歩いていると、きっとリスにお目にかかる。
チャプルテペック公園内には、博物館、美術館、動物園などいろんな見るべき施設があるので観光の人も特に、国立人類学博物館などを見に足を運ぶところである。

公園内を歩いて、ちょっと目を凝らしてみると、リスに出っくわす。
もし、リス好きだったら、リスとお友達になってみたかったら、ちょっと餌を持っていったらいいかも?
リスでも性格がいろいろだから、臆病でなかなか近寄ってこないリスもいるだろうが、なかなか人懐こいやつもいる(餌が欲しいだけだけど)。

私は、お菓子売りのお菓子を万引きしているリスを見かけてしまった。
セロハン紙に包んであったお菓子の紙を剝いで、戦利品を食べてる実行犯をみて、ついつい笑ちゃいましたが。

地下鉄の入り口の近くの屋台のおねえちゃんが、お馴染みのお得意さんのリスなんだろうけど、トルティージャを肩ごしに、
後ろの垣根に乗っかってるリスに、手渡ししていたのも見かけた。

ゴミを漁って、タバコの箱を開けようとしていたリス。
タバコは吸わない方がいいと思うけど。

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メキシコシティで、もっともリスの楽園は、なんと言っても、コヨアカン地区にあるビベロス。
リスをわんさか見たいって思ったら、ここには、もう、あっちにも、こっちにもわんさか。

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公園の入り口の露店でピーナツを売ってる。
このピーナツをもって、公園に入って、ちっらとでも見せたら、わーと十匹以上のリスに取り囲まれるだろう。

ビベロスとは、植物栽培場である。ここでは、いろんな木や植物の種をまき、植物を育てている公園であるのだ。
それで、種をまく、リスが種をほじって食べる、果物などの木が実をつける、リスがいち早く失敬してゆく。
なんって、ビベロスの人はリスに寛容なんだろう。
リス夫婦は、産児制限なんてしません。ここは、まさにリスの楽園のようです。

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本当のところは、ビベロスも、あまりにものリスに困っているのか?
リスに餌をやる事で、リスがドンドン増えて、木が被害を受けているなどなど書かれてた看板もあった。

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木の苗を育てているところでは、ここでは餌を上げないでくださいと書かれていた。

メキシコシティーの南部地区、コヨアカン地区に観光に行って、ちょっと、メキシコのフレンドリーなリスに会いたくなったら、ビベロスに寄り道してみては!

居酒屋ツアー

02 2月
2009年2月2日

メキシコシティーのセントロ 中心地は世界遺産で、古い時代の建物が軒並みである。
それで、興味深い、見るべきものが結構あるのだが、メキシコシティー一日観光では、ソカロ広場の周りの建物をほんのちょっとみる事しかないというか、
できないというのが、実際である。

だが、メキシコシティー政府は、その古いを売り物にして、観光に力を入れていると言えるかもしれない。

なんせ、このセントロという場所は、昔、もっとも多くの人がやって来て、買い物もしたり、娯楽の場所でもあったという事だろう。
そして、夜も昔はいわゆる居酒屋も栄華を誇っていっぱいあったようだ。

だが、今はセントロ地区の居酒屋へはあまり人が行かないらしい。
今は、もっと現代風のバーが他のいろんな場所で流行っていて、セントロへは行かないそうだ。
そして、セントロの古い伝統をもつ居酒屋は、消えつつあるというのが現実らしい。

そこで、メキシコ市政府は、歴史ある、だが今はちょっと寂れつつある居酒屋を残そうという心意気か?居酒屋梯子ツアーをやている。
ちょっと興味をもって、ツアーに参加してみた。
実はメキシコ人に人気ツアーらしい。当日、申し込んだら、もう、いっぱいだと、2度も断られたのだ。3度目の正直で、2日前に申し込んだ。

毎週木曜日だけのツアーで、夜8時。料金100ペソ(約8ドル)国立芸術院の前より、ちんちん電車風バスで出発。

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写真の説明 :このバスで出発

まず、ガイドが、料金に入っているというワインを一杯振舞ってくれる。居酒屋での個人消費は個人会計です。飲むか飲まないかはその人の勝手。
私はあまりいける口ではなく、振舞ってもらったワイン一杯で、赤くなちゃうし、私に誘われて来たうちの旦那は、車を運転しなくちゃあだから、
結局、何にも消費しませんですみません。

でも、メキシコ人は、一軒約30分くらいの滞在時間に、店の歴史をガイドから傾聴した後は、大いに飲み気勢をあげ盛り上がり、懐かしの居酒屋気分満杯。

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飲まない私は、店の外に出てみた。
昼間は、人がわんさかのセントロ、賑わいのセントロである。
だが夜はうって変わって全ての店がシャッターを下ろし、閑散とし歩く人もいないし、車もほとんど走っていない。
ゴースト タウンとまで言わなくってもその雰囲気十分。
たまに明かりを点し、店があいているのは、今流行りの24時間営業のコンビニだけ。

そんなセントロだけに、そんなセントロ地区だから、伝統のある居酒屋も消えてゆく運命なのかもしれない。
ツアーで行った3件の居酒屋も、一軒はイベント会場として貸し出ししたり、また別の一軒は昼間は軽食のトルタというサンドイッチ屋で、持ちこたえているという風。
最後の一軒は、セントロでもまたメイン通りで、夜もアクセスしやすい場所というので、なお客が多いらしい。昼間は、レストランとしての客が多いようだ。

どの居酒屋もやっぱり歴史あるというもので、建物の内装など、今ではありえない凝ったもので、それを見るだけでも、面白い。

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写真の説明 : この居酒屋La FAENAは昔は闘牛士の溜まり場の場所であり、闘牛博物館でもあると、それ関係の展示がいっぱい

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写真の説明 : この居酒屋Salon Españaは壁には、歴史上の需要人物や俳優などの写真がずらりと飾ってあるが、
テキーラの品揃えが、もっとも多い居酒屋として、227種とか。全部試してみるには、227杯飲まなくちゃあかあ。

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写真の説明 : Salon España入り口 昼間は、トルタや定食食堂となっている。

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写真の説明 : La Opera オペラ座の近くにあったとかで、オペラ歌手も多く来たとか。有名人もよく訪れたお店と。

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写真の説明 : La Opera  昼間は特にレストランとしてお客も多い。
天井に、メキシコ革命のパンチョ ビージャの撃った弾丸の穴

セントロ地区の古い建物は、個人のものであっても、世界遺産という重荷を背負って、勝手に改造する事も、壊す事もできない。
建物などの内装なども、過去の歴史がそこで時を止めて、止まったままでいるような気分にさせるものである。

寂れつつある居酒屋を残すとしたら、それは博物館にするか、
メキシコ市政府の企てる観光ツアーで、お金を落としてもらうというのも、いい方策かもしれない。

お酒好きで、何処か飲みに行きたいけど、何処へ行っていいか分からない人、また、何処のバーも似たり寄ったりで面白くないって思っている人、こんな居酒屋梯子ツアーはいかが?
最後のお店で居残って飲むのは、自由。帰りは、お店でタクシーを呼んでもらってホテルへお帰りください。
ガイドがメキシコのお酒の歴史や、お店の歴史のお話もしてくれます。ただし、今のところスペイン語だけ。
そのうち、このツアーが外国人にも人気になったら、英語ツアーもできると期待してます。

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