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ジャカランダの花見ごろ

26 3月
2009年3月26日

ただいま春到来。
日本は桜の見ごろが桜前線と共にやって来る季節。

メキシコは一年中暑い南国のイメージであるが、春はやはり確実に毎年やってくる。
メキシコシティに住んでいると、春到来は、ジャカランダの花が町中に咲き始めるので知る。
ジャカランダを、メキシコではハカランダと発音します。

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桜の薄いピンクも美しい日本の春を演出する。

だが、メキシコは、ジャカランダの紫が、南国の明るい春を演出するようだ。

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ジャカランダを、メキシコに住む日本人は、メキシコ桜と呼ぶ。
そして、春咲くジャカランダを愛でては、多分、日本の桜の花に思いを馳せるのだろう。
私もお多分にもれず、ジャカランダが咲き始めると、日本の桜を思い出し、小学校の校庭に見事に咲いていた桜を思い出したりするのだ。

ぱっと咲いて、さっと散ってしまう桜はいかにも儚いというイメージであるが、ジャカランダは、そういう意味ではしぶといといえるかもしれない。
最近はジャカランダ前線も早くなったようで、2月頃になると、気の早いジャカランダがちらちら咲き始め、3月今頃から、もう満開。
そして、4月まで、たっぷりメキシコシティ中で満開の真紫の花を楽しませてくれる。

この時期、メキシコシティを、もし、上の方から眺めてみたら、本当に、大都会メキシコシティに紫色の絵の具を塗りたくったようだ。

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いつもは、メキシコシティの街路樹にこんなに多くのジャカランダの木があった事を知らずにいるが、
この時期は、ジャカランダがその存在を一斉に自己主張しているかのようだ。

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ジャカランダの事を、日本語で別名「桐もどき」と言うそうだ。
そうなんだ、桐の花に色も形もそっくり、だが、筒状の紫の花は桐より小ぶりだが、その花がいくつも束になるように咲く。

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ジャカランダは、花木の中でも「世界三大花木」のひとつでそうだ。
ところで、あと二つは、カエンボク、ホウオウボクだそうだが、これって、なんか皆南国に花咲く花木だよね。
ハカランダは、メキシコシティなど、結構標高の高い地でよく見かけられる。
メキシコでも少し低地に行くとやはり、よく、カエンボク、ホウオウボクも赤い花を咲かせているのにお目にかかれる。

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写真の説明 :ホウオウボクの花

桜の花も、世界何大花木に加わってもいい!と、思うよね、日本人としては。

ところでメキシコシティは、名古屋市と姉妹都市で、何年も前に、名古屋市から贈られた桜の木が、チャプルテペック公園の第3セクションに植えられたそうだが、
気候の違いからか、育たなかったようだ。
去年は、日墨修好通商条約120周年、名古屋市との姉妹都市31周年で、やはり、また桜の花が日本から贈られたそうで、
今度は、チャプルテペック公園の動物園の近くに植えたらしい。
これは是非是非育って欲しいなあと願っている。
一度、私もその桜の木の様子を見に行きたいと思っているが。

メキシコへこの時期旅行されたら、きっと紫のジャカランダの花を楽しんでいただける事でしょう。

自然にミイラになる。ミイラになったら、博物館に展示される。

21 3月
2009年3月21日

ミイラというと、エジプトのファラオと思う。 エジプトの偉大なる王達は死後の永遠を願って、わざわざミイラにされた。

だが、メキシコの地では、条件が合えば、誰でもミイラになれる可能性があるらしい。 最も有名なのが、グアナファト市のミイラ博物館のミイラ達。

ミイラというと、ホラー映画やマンガに出てきそうな、包帯ぐるぐる巻きのミイラを想像する人もいるだろうが、 メキシコのミイラはもっと凄い! 人間の体の水分が全て蒸発したら、ミイラになるのだ。水分のない人間、ミイラとはいかに?!

グアナファト観光の人気スポット。

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写真の説明 : ミイラ博物館

気が弱い人、グロテスクなものが苦手な人にはあまりお奨めではないけれど。 私も初めて訪れた時は、さすがに寒気と吐き気に襲われ、必死で通りぬけるのが精一杯であった。

人間慣れと言うのもすごい、今では割合に平気。 メキシコ人並みの死に対する感覚が身に付いたのかもしれない。

メキシコ人は、人にもよりけりだろうが、4歳くらいの小さな女の子が、両親と博物館に来ていて、ミイラと一緒の写真を撮っていて、 彼女「今度は、彼女との写真を撮って!」と、女性の妊婦らしいミイラの前でニコニコポーズ。 うへー、本気かいな?!と、さすがの私も女の子を見つめてしまったが、いやいやペットの動物と一緒に写真でも撮る感覚なのかも?

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写真の説明 ; ミイラの前で、記念写真を撮ってもらう女の子

お墓に埋めた死体が、メキシコ高原のこの地の乾燥した気候や、土質のためだろうという説などあるらしいが、自然にミイラ化する訳である。 このミイラ博物館のあるところは、グアナファトの市立墓地で、お墓にする場所が足りないので、無縁墓地になったものを掘り起こしたら、死体がミイラ化して出てきたというもの。 大体、ここでは死体の2%がミイラ化するというが、それは多いといえるのか少ないといえるのかは兎も角、ミイラになる可能性がある訳だ。

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写真の説明 : セメントの墓の中でミイラが製造されるようだ。

ミイラは5年ほどでできるらしい。 体の水分が全部抜けて、皮と骨と髪の毛と歯だけになる。 そのミイラが、この博物館には100体以上、これでもか!これでもか!というように、展示されている。 壮絶だ。

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写真の説明 : 小さなミイラは世界で一番小さなミイラだそうだ。

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無縁仏といえども、それを博物館を作って展示してしまうところがメキシコ感覚かあ? そして、それが人気スポットで、行列作って博物館見学。

今は、土葬や箱のお墓にそのまま埋める事も少なくなったし、グアナファトでも、お墓を掘り返す事が禁止になったようだし、 で、これから、新しいミイラがミイラ博物館の展示品として増えてゆく事もないだろうが。

いやはや、壮絶!壮観!というのも変だが。一度、気が向いたらお訪ねください。

メキシコの博物館で、ミイラがみられるのは、このグアナファトのミイラ博物館だけではない。 古い修道院跡が今は博物館というものが多いが、いくつかのそういう今は博物館になっている昔の修道院などのお墓から出てきたミイラ、修道女などのミイラなどが展示されている 博物館は結構、あっちこっとにある。 ミイラ博物館の100体以上のミイラはすごく、また特別であるが。

それにしても、死んでから、ミイラになったのは運がよかったと言うべきか、運が悪かったと言うべきか? 死んでからもミイラになって、永遠に残るのが、幸せか不幸か?しかも、後世の人に見物されて。

メキシコの地で火葬されないで、そのまま埋められたら、ミイラになる可能性もあるって事らしい。 私はやっぱり、灰や土となる方がいいや。

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写真の説明 : ミイラ博物館のお土産のミイラ飴           博物見学した後、この飴なめる気になる?でも、皆買ってゆくから、やっぱり舐める!

踊れ!踊れ!踊らにゃ、損!損!(テポストランのカーニバル)

09 3月
2009年3月9日

今年は2月21日から24日まで、世界のあっちこっとで、世界一斉にカーニバルをやっていただろう。
メキシコでも、いろんな所で、衣装も派手に賑やかに夜遅くまで踊りと音楽で祭りが行われたようだ。
それぞれの場所によって、それぞれ、その特色がある。
メキシコでもリオのカーニバル風はベラクルスのカーニバル。

だが、メキシコの田舎のカーニバルもいい。
今年は、私は、メキシコシティから、1時間くらいのモレロス州のテポストランのカーニバルに行ってみた。

テポストランは、観光地としても知られている村である。
それは、ほとんど垂直のような切り立った山の上に小さなピラミッドがある。

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そして、また、町の古い16世紀初めのドミニコ会教会修道院は、「ポポカテペトル山麓の16世紀初頭の14の修道院跡」のひとつである。

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そんなわけで小さな観光の村でもあるが、伝統的な先住民文化の雰囲気が残るどこかノスタルジアを感じさせる村であるためか、
外国人にも好まれ、この地に住む外国人も多いらしい。

メキシコにおいて特に、田舎のカーニバルは、その村独特なものがあるのは、キリスト教の祭りではあるが、先住民の昔の宗教、文化、歴史がその中に隠れ融合して生き残っているからだろう。

テポストランのカーニバルでは、面を被り、衣装を身に付けたチネロという踊り子達が広場で踊り続ける。

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そのチネロの衣装は、やはり、同じように見えても、それぞれに刺繍など凝ったものが施され、そのチネロの時間をかけて作った心意気がその衣装に現われているといったところらしい。

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このテポストランのカーニバルは他からやってくる若者などにも大人気らしい。

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写真の説明 :この飲み物、唐辛子かけミチェラーダ(ビールのレモン汁割り)。ニコニコして味見させてくれた。美味しい!

何故なら、初めはチネロだけの踊りに始まる祭りも、途中からは、観客も参加して、踊れ!踊れ!踊らにゃ、損!損!になるのだ。

土地の人が言った。
「私も踊りに行く!だけど、メキシコシティから来た若者はだめ!チネロの踊りを知らない!チネロの踊りはこうやって踊るんだ!」

そして、カーニバル最後の夜は、露店などで商売する人々も、商売なんかどうでもいい!早仕舞いして、踊れ!踊れ!踊らにゃ、損!損!になるそうだ。

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写真の説明: 今は商売!商売! 祭りの露店。

Mexcaltitan アステカ人の故郷?

04 3月
2009年3月4日

「メキシコ」と日本語でいうが、Mexico メヒコと言う。

前の記事の「メキシコの国旗と国章」でも書いたが、スペインの征服まで、最大の王国として栄えていたアステカ王国の人々は、
メキシコの北西の地から神の導きによって長い放浪の末、神のお告げの地、テノチティトランに到着しそこに定住するのだが、彼らが出発してきた故郷は、アストランと言う。

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写真の説明 :放浪の巡歴誌の古文書の最初部分 アステカ人が祖国アストランを船に乗って出てゆくところの絵

一般的にアステカというのが良く知られた名前であるが、それは、アストランの人々という事でアステカと言う訳だが、専門家は、メヒカという言い方をする。
放浪の旅の途中で、彼らは神に名をメヒカと変えなさいと命令されたのである。

メヒカの人々の場所と言う意味がメヒコである。

一説としてはアステカ、メヒカ人の故郷、アストランと言うのは、現存する場所として、ナヤリー州のメスカルティタンではないだろうかという。

実際、アステカの古文書の放浪の歴史が書かれた書物に、アストランの地は河口の潟の中の小さな島だったという。
アストランの意味は鷺の場所という意味だそうだ。

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写真の説明 :先スペイン期のメスカルティタンの想像図

メスカルティタンも塩水の潟湖の中に浮かぶ小さな島である。今現在は、400世帯ほどが住む村である。

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写真の説明 :現在のメスカルティタンの地図

その湖は今も鷺のいっぱいいる場所である。

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潟湖の魚、スズキや海老が実に美味しい。

ところで、アステカの人々が、神のお告げでにたどり着いた島、テノチティトランはテスココの塩湖の中に浮かぶ小さな島であったのだ。

そう、メスカティタンとテノティトランは海の近くと2200m海抜の内陸の地の違いはあるが、何故が環境が似ているのだ。

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写真の説明:マングローブ

マングローブと泥で作られた壁、木で張られた天井、瓦の屋根の家々。
そこは、田舎の静かな漁村。

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ここが、アステカの故郷であったかもしれないという事に思いを馳せる事も一興であるが、
その事なしにしても、田舎の小さな島の村で潮風に身をゆだねていると、ふっと現実の雑多を忘れ、旅の安らぎを感じる。

美味しい海産物でお腹もくちく、間延びしたような眠気がやってくる。

島はどうというほどの観光呼び物なるものあるという訳ではないだろう。

そう、そんな物はなくってもいい。
そよ風と、自然と。少し物恥ずかしげな村人がいて。それだけでいいかも。

そこは、メヒカの、アステカの故郷なのかもしれない。

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