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テマスカルとは、メキシコの昔からのサウナ風呂である

28 4月
2009年4月28日

テマスとは先住民語で、蒸気、カリとは家、つまり蒸気の家 メキシコの遺跡、たとえばチチェン イツアーや、ソチカルコにもテマスカルが残っている。

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写真の説明: ソチカルコの遺跡のテマスカル

石を焼き、それに薬草などを浸した水をかけ蒸気を上げるらしい。

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写真の説明:テマスカルで焼く石。 蒸気風呂の中の壁には、なんか昔の神様の絵が描いてある。

それは、神官などが、宗教儀式をする前に身を清めるために風呂にはいったり、また、生贄にされる人も神にその身を捧げるわけだから、 やっぱり、風呂に入って身を清めてから生贄にされたらしい。

チチェン イツアーのテマスカリは、聖なるセノーテ(泉)の前にある。

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写真の説明:チチェン イツアーの聖なるセノーテ

これは、セノーテに投げ込まれる生贄が身を清めたのだろうか。

また、ソチカルコのテマスカルは、球技場の上の場所にある。 これも、競技選手が身を清めて、宗教儀式である球技をやり、最後には、どちらかの球技選手も生贄にされたらしいし。

まあ、身体の毒素を抜き、身を清めて、瞑想状態になり、宗教儀式したり、生贄にされるだけでなく、もちろん昔からテマスカルの用途は健康のためもある。

そして今、その健康のために美容のためにが見直されてか?スパなどでテマスカルの施設を作ってやってくれるところが多い。 スパのテマスカルは、昔の伝統的やりかたを現代風に簡略アレンジしてやっているのかもしれないが。

知り合いが前に田舎へ行った時、伝統的らしいテマスカルをやってもらって、薬草で体をバンバン叩かれたりで、もう、どっきりであったけど、 あとは、すっきりいい気分だったというのも聞いていたし、

また別の知り合いが、メキシコシティのソチミルコのチナンパ (チナンパとは浮島の畑の意味。今はもう、浮島ではないが、昔メキシコ盆地が湖であった頃、畑耕作をするために筏と泥で作った浮島の事。) の住民が行っているエコロジーツアーでやっていて、とっても良かったよ!と。

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写真の説明:ソチミルコの水郷

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写真の説明:チナンパの住民は、花などを栽培している。おじいさんに花いかんかね?って言われたけど。

それで、私も実体験しようと日曜日に行ってみたのだけど、10人以上集まらないとやれないし、準備があるから予約しないとできないとの事。

説明によると、このテマスカルの建物の方位があって、二つある施設のひとつは間違っているので使えないとか? シャーマンがまずお祈りの儀式をしてからやるのだとか。

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写真の説明:テマスカルの建物

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来週3月21日に来なさい。この日は特別の日(春分の日)だから、特別料金で特別のテマスカルをやってあげるから。。。

特別料金の金額を聞いたら、普段は200ペソというのに、300ペソと。 「な~んだ、料金取る方の特別料金じゃんか!客への特別料金と違うよ。」 と言いたかったけど、メキシコの人にとって、春分の日は、皆、ピラミッドにお祈りだか、エネルギーをいただきにいったりと特別の日である事はあるようだが。。。。

それにしても、世界遺産であるソチミルコもいろんなソチミルコがある。 日曜日でさえ、人がほとんどいなくって、ここは、本当に自然がいっぱいのソチミルコである。野鳥もいっぱいいたり、静かで、いいや。

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まあ、今回は目的のテマスカル体験できなかったけど、またのチャンスに。

八木啓代(のぶよ)氏のライブとラテン音楽

22 4月
2009年4月22日

ラテン音楽、メキシコの音楽、スペイン語の歌などはお好きですか?

今年は2009年日墨交流400周年、去年2008年は日墨修交120周年でもあったし、2007年は日本移民110周年であった。
それで、結構、イベントが目白押し。

400年の歴史の中で、メキシコに関わった多くの日本人もいたであろう。
色んな分野で関わり、活躍した人もいたと思う。そして今も関わり活躍している人もいる。

八木啓代氏もその一人である。
メキシコで音楽を学び、メキシコ、中南米、日本で、ラテン音楽の歌手として、活躍している人である。

メキシコの新聞記事に、八木啓代氏の会見と彼女のライブ記事をみて、日墨会館で行われたライブを聴きに行った。

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写真の説明 :日墨会館 本館

メキシコではいつでも何処でも音楽が流れている。
流行りの歌など、音楽無知な私でも、何度も聴かされると、耳に胼胝である。

ラテン音楽と一口に言っても、多分色んな音楽があるだろう。伝統的音楽も今の流行りの音楽も。
ラテン音楽というと、ダンス音楽としても知られているサルサ、マンボ、クンビア、チャチャチャなどなど、本当に、踊れない者でも
体を動かしたくなるようなリズムの音楽もあれば、アンデスのフォルクローレ。ケーナの響きはなんとも言えない郷愁を呼ぶ音楽。
メキシコのマリアッチなどの愛と恋の歌。etc.etc.

人生の折々に、誰でも、心に残る音楽の一曲、二曲はあるものだと思う。
思い出の中にラテン音楽の一曲もあるでしょうか?

八木啓代氏のライブは、ソプラノの透き通るような美しい歌声で、情緒たっぷりのスペイン語の歌をたっぷり聴かせてくれました。

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写真の説明 :ライブが始まる前、ライブに集まった人々。結構日系の人日本人が集まり、お知り合いのオフ会風。

彼女のCD「La Mujer」を買いました。
音楽音痴で無知の私だけど、私のお気に入りのCDになるようです。

ところで、メキシコの若者のマンガオタクは、日本のマンガを原文で読みたいという動機で、日本語を学ぶ若者が多いと聞いたけど
ラテン音楽が好き、スペイン語の歌が好きで、スペイン語を学ぼうって人いるかな?
これもいい動機になると思ったりするけど。。。。。

ところで、ラテン音楽、メキシコの音楽、スペイン語の歌などはお好きですか?
メキシコへ来て、ちょっと、耳を傾けたら、聞こえてくるでしょう、ラテン音楽、メキシコの音楽、スペイン語の歌などが。

細道、坂道、口づけの小道 そして地下道 (グアナファト)

14 4月
2009年4月14日

グアナファトは、植民地時代に鉱山町として栄えたコロニアル都市である。  歴史に隠れたものの中には、辛い人々の生活というものがあるであろうが、銀ラッシュで栄えた町は、今、その歴史と美しい街並みとで、世界遺産にもなっている。  歴史のある町であると同時に美しい街である。

グアナファトへ車で入ってくると、走ってきた周りの荒野のような風景から、急に、カラフルな、そう、実にカラフルな家々が小さな盆地にぎっしりと建つ町へ入っていく。 それは急にお伽の国へ迷い込んだ気分だ。

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だが、町に入ってしばらくすると、とたんに視界が閉ざされた。地下道に入り込んだのだ。 グアナファトの町は昔の鉱山の地下水路や坑道をそのまま利用して町を走る地下道にしているのだ。

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そして、地下道を抜けるとそこは、古い建物や教会など立ち並ぶグアナファトの中心地である。

グアナファトの町は、足が丈夫でないと暮らせないのではないかと思ったりする町。 車が走れる道路も地下道を含めてあるが、山に囲まれた盆地といえども、実に小さな盆地で、平地が実に少ないのだ。 車の走れる道路をちょっとそれたら、兎に角坂道、細道しかないのだ。

多分多くの家の人は、車の走る道まで、重い荷物を持ってても、えんやらと歩かなければならないだろう。

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写真の説明 :水屋もガス売りも、皆、細道、坂道、担いで。

車社会のメキシコシティなどからくると、車公害にならなくって、いいかもと思ったりもする。

グアナファトの観光名所のひとつ、口づけの小道。

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ロミオとジュリエット並のお話もある口づけの小道である。 確かにこの小道、隣の家同士の窓から、キスができるほど狭い。

キスはできるかどうかは兎も角、細道、坂道は、グアナファトの町では何処の路地にはいり込んでもあるある。

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グアナファトの町は、テクテク歩いて歩いて観光するのがいい。小さな町で、歩いて見て回れるのだ。 それに、車で走ったのでは、歩いて見えるものが見えない事もしばしばあるかもしれない。

 

独立戦争の発祥の地 ドローレス イダルゴ

04 4月
2009年4月4日

ドローレス イダルゴは小さな町である。15分も歩けば、町を歩き抜けるられるだろう。 だが、そんな小さな田舎町でも、メキシコ人ならば誰でも知っている名前の町である。

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写真の説明 : ドロレス イダルゴの夕暮れの街並み

そう、そこは、メキシコ人にとって、独立の起点の町であるのだ。 独立の父と言われるイダルゴ神父が、1810年、9月16日早朝に、その教会の鐘を打ち鳴らした。

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写真の説明 :イダルゴ神父が叩いた鐘

そして、教会で、イダルゴ神父は独立を訴えた。 イダルゴ神父の独立の訴えに賛同した大衆が、怒涛の独立戦争に加わって行った。

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写真の説明 : 独立戦争の様子を描いた壁画。 ドロレス イダルゴの町の役所

今年は2009年、そして、メキシコの国道などを走っていくと色んなところに「2010年 独立の道」の看板を見かける。 2010年の独立200年祭の記念のための看板である。 独立の英雄、イダルゴやモレロスなどが、独立の熱望を持った大衆を引き連れ通っていったであろう道。

この小さな町で始まった独立戦争はたちまちメキシコ中に広まっていったのだ。 300年という長い長い植民の時代、虐げられた人々の怒りが爆発したのだ。

メキシコ人にとって独立記念日は、もっとも記念すべき祝うべき祭日である。

ドローレス イダルゴは、独立の発祥の地である事を除けば、何処にでもあるメキシコの田舎町である。

そこまで観光でゆくのは、独立戦争の軌道をたどってみようという人や修学旅行の学校の子供達くらいかもしれない。

見るべきものがこれと言ってある訳ではないが、私も一人旅の宿を、ここに取った。 数軒の小さなホテルがあった。

どうという事のない小さな町であるが、200年前の出来事に思いを馳せて、広場のベンチに座り、イダルゴ神父の銅像を眺めてみた。

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写真の説明 : 広場に立つイダルゴ神父の銅像と独立の鐘が叩かれた町の教会。

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写真の説明 : イダルゴ神父が独立を訴えた同じ教会で、神父さんの話を熱心に聴く人々。神父さんはしきりに説教をしていた。             夜まで、町の人々は、広場で繕いでいた。 広場の音楽堂で、愛の歌う人。それを聴く人。

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写真の説明 : 夜の街の広場

そこに、200年目の歳月が静かに流れていたのだろう。

 

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