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水道橋

12 5月
2009年5月12日

命の水、飲料水、生活水、水を人々に供給するというのは、いつの時代でも、重要な公共事業である。

前に「ネツァルコヨトル王の偉業」と言う記事で、先住民時代の事を書いたが、今回は、植民地時代の水道橋

植民地時代の水の供給事業として、カトリックの修道士達などが、水道橋などにより、水を町まで引いてきた。
その水道橋の跡が、メキシコのあっちこっとに残っている。

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写真の説明 : シテイオのアーチというメキシコ州にある水道橋

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写真の説明 : モレリア市の水道橋

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写真の説明: ケレタロ市の水道橋

今、なお使われているものはほとんどないだろうと思う。だが、225の水道橋の跡が残っていると。
観光の呼び物となっているところもあるが、ほとんど忘れ去られた遺物としてあるだけのようだ。
ところによっては、ゴミ捨て場であったりもすると。

だが、当時、それは、修道士などの指揮のもと、絶大な先住民たちの汗と涙の労働によってなされた建設であった事は、
その高い、また長いアーチの列を眺め想像がつく。

「テンブレケ神父の水道橋(Acuedocto del Padre Tembleque)」または、「センポアラの水道橋」と
呼ばれている水道橋を見たいと思い出かけた。
メキシコ州の観光本のほんの小さな記事、ティオティワカンのピラミッドの先のオトゥンバの村の少し先と言う記事を頼りに。

いやはや、観光本もいい加減だ。
とんでもない、オトゥンバの村の人にさえ、「えっ?!水道橋?」と言われ、それでも、親切な知ってる人に教えられて、
オトゥンバから、振興工業都市サグーン市へ、 そこからまだ、村々を通り走って行くローカルバスに乗りまだまだ30分くらい、
運転手にその場所で降ろしてくれるように頼んでおいたので、隣に座っていた人が、「ほらほらあれ!」

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人っ子一人いない水道橋。
1543~1560年に作られたと言うから、450年の歳月を経ているのだが、そしてその最も高いアーチは38.75mあるというが、
ビックともせず立っていた。

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当時、センポアラの水源から48キロ、オトゥンバの村まで、まさに、丘を超え谷を越え、平野を通り抜け、荘園や村々に水を供給し、水道を引いた訳である。
道路建設で、水道の跡が見つかったというのもあるらしいが。
水道橋という言い方で言うが、その工程のほとんど90%は地下水道である故。

その途中の村々の人々も協力して、作った訳である。
水道橋の石のところにちょっこっと描かれているのは、村のシンボルだというが。

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最も難関工事が、谷を抜けるこの水道橋の訳だ。
長さ1020m 66のアーチからなる水道橋である。

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水道橋の中央、もっとも高いアーチのある下を、19世紀に作られた鉄道線路が走っている。
今は、貨物列車だけの線路。日にそれでも一回くらい走るのだろうか?

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当時16世紀の土木工事の中でも最も重要なものであるというので、世界遺産登録に申請するという話もあるらしい。
世界遺産に登録されたら、少しは見にくる人もあるだろうが。

だが今は、誰も訪れない。
しかし、450年の歳月を経て、荒野に、人間技を誇示するように立っている。
それは、昔、人々に命の水を運んで来た水道である。

世界一のピラミッド

04 5月
2009年5月4日

ピラミッドの大きさ比べとなると、誰でも、一番は、エジプトの大ピラミッド、クフ王の147mの高さがあるというピラミッドと言うだろう。 だがだが、抗議するわけではないが、メキシコのチョルラのピラミッドは体積的には、世界一だぞ!

色んな事において、ピラミッドの偉大さで、エジプトのピラミッドを尊敬しております。 だから、文句はないのですが、体積的に世界で一番大きなピラミッドは、チョルラの大ピラミッドです。

メキシコシティから約2時間、プエブラ州、チョルラ。その町に近づくと、オレンジの教会を上に頂いた丘が目に飛び込んでくる。 その丘が当に、ピラミッドなのである。 今は、頂上に教会のある丘としか見えない。

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どうも、本によってまちまちだが、高さが59mほど、底辺の長さは長い方で430mほどと。 自慢じゃあないけど、底辺の長さの比では、エジプトの大ピラミッドより200mも長い。 それで、世界一の体積のピラミッドだ!

メソアメリカ文明の中で、色んな都が繁栄し、そして、崩壊して廃墟になって行った中で、衰退期もあり、また、支配者の交代もあったが、 このチョルラの都は、2000年もの長い間、存続していった都であったのだ。 その長い間に、やはり、ピラミッドが何度も大きく増築されていった結果、世界一の体積のピラミッドになった。

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写真の説明 : チョルラ遺跡の博物館のピラミッドの模型

だが、1519年、スペインからの侵略者、エルナン コルテス軍は、このチョルラで、丸腰のチョルラの3000人以上の人々の大虐殺を行った。

そして、侵略者達は、雨の神トラロックを祭った大ピラミッドの神殿も破壊した、だが、この巨大な何億個もの日干し煉瓦で造られたピラミッドを、 アステカの大神殿のように全て破壊し、平らにして埋めてしまう事は出来なかったようで、多分土で被いかぶせ、その上に、 彼ら侵略者の信仰するカトリックの神を祭るための教会を建てた。 今ある教会は、何度か立て替えられたものらしいが。

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写真の説明 :この丘の壁面を掘れば、これが日干し煉瓦で造られていることが分かる。

それ故、今は丘となっているが、この丘全体がもともとの大ピラミッドなのである。 このピラミッドは、ナワトル語で、Tlachihualtepetl トラチィウワルテペトル、意味は「人口の山」と呼ばれていたと。

1930年代に丘というかピラミッドにトンネルを掘り調査が行われた。そのトンネルの長さは8キロ以上と。 そして、遺跡見学で、そのほんの一部のトンネルを通って、下に埋もれているもっと古いピラミッドの階段やら側面の一部を見られるようになっている。

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写真の説明 :発掘のために掘られたトンネル中。下の層のピラミッドの階段の一部が見られる。

また、天気がいいと、このチョルラから、ポポカテペトルとイスタシワトルの5000m以上の山が実に美しく見られる。

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世界遺産の町プエブラに行ったら、ちょっとまたチョルラの遺跡まで、足をのばしてみるのもいい。 もともとは、ティオティワカンと並ぶ大都市として多くの建造物が立ち並び栄えていた都であたが、 今、その昔栄えた都は、Tlachihaltepetlしか残されていない遺跡であるが、 ティオティワカンの遺跡ほど人が行かないけど、なんせ、世界一の体積を持つピラミッドだよ!

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写真の説明:ピラミッドの下の一部が発掘されている。

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写真の説明: 増築増築を繰り返しているので、複雑怪奇である。           発掘で、残している場所のどの層が先でどの層が後かも、よく分からない。

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写真の説明: 飲む人々という壁画も見つかっているが、アクセスできない場所で、本物は見られない。           博物館のコピーの絵。

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