月別アーカイブ: 6月, 2009

ティオティワカン特別展

27 6月
2009年6月27日

メキシコ人類学博物館は、メキシコの遺跡や考古学に興味のある人には絶対お勧めの博物館である。

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写真の説明 :メキシコ国立人類学博物館 正面

人類学博物館は大変大きな博物館であるが、その大きな博物館でも、メキシコの遺跡の発掘が進むにつれて、発掘物もどんどん増えるわけで、
その大きな博物館でも重要で素晴らしい発掘物でも、全ては展示しきれない。
そんな訳で、博物館の倉庫に、人目に触れずにこっそり隠されている重要な発掘物があるのだ。

メキシコ人類学博物館は、時々特別展をやる。
それは、世界の他の国の特別展であったり、テーマを決めたメキシコの特別展であったりする。
今、5月から8月までの特別展は、「テイオティワカン 神々の都」展である。

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写真の説明 :特別展 「テイオティワカン 神々の都」の看板

これは、素晴らしい!最高です!
メキシコに、この期間にいらっしゃる人で、メキシコの遺跡、テイオティワカンに興味がある人は絶対お見逃しなく!
普段見れない本物の重要な遺物をまとめてごっそり見れるチャンスです。
今のティオティワカン室にも展示されてないし、個人の収集品やら他のなかなか地方であったりで行かれない博物館からの持込の展示品、
最近の発掘物など、これだけまとめて、ティオティワカンの発掘品を見られるチャンスはなかなかありません。

ティオティワカン展、全部の展示品ではなさそうですが、世界へ出張するという話もききました。
もし、日本へも行くようだったら、お見逃しなくね!

メキシコの公共の博物館や美術館など、ほとんどのところは写真撮影はフラッシュなしでokなのですが、このティオティワカン特別展は、
写真撮影は禁止です。残念ですが、そんな訳で、写真が撮れませんでした。
個人の収集品もあるのでそのポリシーもあるのでしょう。

今回の写真はそんな訳で、写真を写真に撮ったもので申し訳ないけど、いくつか載せます。

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写真の説明 :トルコ石などのモザイクの模様を張った仮面
これは、何年か前の博物館展示改装前は展示されていたものだが、今のティオティワカン室には展示されなくなってしまったもの。

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写真の説明 :日本人考古学者杉山三郎さんが中心になって行った月のピラミッドの下の発掘では見つかったもののひとつ。
この発掘で、月のピラミッドは7つのピラミッドが上へ上と大きく作り変えられていった事がわかった。
そして、作り変えて行くたびに生贄や色んな奉納物を埋めた。その一つという事である。

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写真の説明 :ティオティワカンの都は建造物が全て、赤で塗られていた。
あの大きな都が真っ赤に塗られていた事を想像してみてください。なんとも素晴らしい都の風景だった事でしょう。
エリートの住所などは、宗教的モチーフの絵で飾られていた。
この絵は、やはり、雨の神トラロック。トウモロコシを収穫している。
確か?よその博物館所蔵のもの。
メキシコの遺跡も多くの盗掘にあっているのでしょうが、ティオティワカンの壁画さえ、剥ぎ取って行かれたものもあるようです。

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写真の説明 :鳥の容器 貝殻で飾られている。これも昔は展示されていたが、倉庫にしまわれてしまたもの。

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写真の説明 :羽をつけたジャガー
今も発掘は続けられている訳で、最近の発掘物の一つで、多分今回が初めてのお披露目だろう。
羽をつけている神はケツアルコアトルで蛇の神なのだが、羽毛をつけたジャガーとは、これまた興味深い。

メソアメリカ最大の都であったティオティワカン。
後の人々が廃墟でさえ「神々の都」と名づけた都は当時いかなる都であったのか?
文字の記録のない文明は、未知の謎を秘めて、私たちにその発掘物で、その昔を想像にかりたてる。

インフルエンザ そして、今のメキシコ

19 6月
2009年6月19日

何とも、騒々しかったインフルエンザ騒動。

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写真の説明 :インフルエンザ騒動真っ最中の頃の写真、道行く人

だが、今となってみるとあれはいったい何だったんだ?!と思いたくなる。
メディアのお祭り騒ぎ?何処かの国のあるいは何処かの誰かの陰謀?
それに乗せられ踊らされた世界?みんな、私たち。

そうも言いたくなる。
メキシコの人々の噂はもっぱら、そうだ。

一時期、世界は、メキシコから来る人々を加害者のように扱い、国によっては飛行機の乗り入れさえ禁止した。
インフルエンザ発生の地 メキシコとして扱われた。
だが、本当にそうだろうか? もともとは、もっと以前にアメリカで発生していたという事が言われている。
だが、死者を出してしまったメキシコがその罪を押し付けられてしまった。

実際のところ、最大の被害者は、メキシコ。
特に観光関係。

そして、インフルエンザ騒動で儲けたのは?

もし、これが、普通のインフルエンザとして扱われていたら。。。
どうという事なかったんだと思う。
この新インフルエンザAは実際のところそのウイルスが弱毒性で、適切な処置をすれば、どうという事がない事は、公然の事実。
それなのに、何故こうも大騒ぎを世界はしたのか?

普通のインフルエンザだって、手遅れになったら、死ぬことだってある。
普通の風邪だって、風邪は万病の元って昔から言うように、手遅れにしたら、肺炎などで死ぬ。

なのに、何故、このインフルエンザ騒動は起されたのか?
メキシコ人の間での噂ではないが、恨みと疑いを持ちたくなるのは、私もまたこのインフルエンザ騒動の被害者であるからか?

今のメキシコは、まったく平常である。もともとの陽気なメキシコ人が町を闊歩しているメキシコである。

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写真の説明 :6月7日 日曜日 今日もレフォルマ大通りで日曜日のマラソン大会で走る人たち。

メキシコ厚生省の発表においても、新しい死者はなく新たな発症者もほとんどなくなり、まったくコントロールされていると。

町でマスクをする人は、誰一人として見かけなくなった。

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写真の説明 :一時期は閉鎖もされたチャプルテペック公園だが、
6月7日、日曜日 人々は、皆で公園へ遊びに行きます。

一時はくしゃみをすることさえはばかられる思いがしたのに、今は、くしゃみをしようが、咳きをしようが、誰一人振り返りもしない。
誰も気にもしない。そして、誰かが言ってくれる。「サルー!」(お大事に!)

インフルエンザ騒動は、昨日の悪夢であったのか。

私も、観光に係わる一人としても、メキシコに住む者としても、今のメキシコが、インフルエンザの心配がまったくない事を
みんなに、知って欲しい。

エコーツアーそして、ラカンドン族の今は。。。

15 6月
2009年6月15日

マヤの末裔であり、最後まで、チャパスの密林に西洋文化と接触もほとんどなく、20世紀まで過ごしてきたラカンドン族。
昔ながらの生活をし、長髪で、白い冠頭衣を着た少数民族。300人くらいの民族はいつか滅亡するだろうと言われていた。
パレンケなどの遺跡にやって来て、槍や彼らの民芸品を観光客に売っているラカンドン族。

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ラカンドンの住む地区の近辺は、70~80mの高い木が生える密林ジャングル地帯で自然保護地区である。

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その自然保護地区を守り、又、ラカンドン族の自活の方策として、観光客に密林ジャングルを案内するエコーツアーを行い、
また、特に、ボナンパック遺跡へたどり着く最後の10キロほどの道程は、ラカンドン地区という建前の元に観光の車も個人の車も
そこは強制的に高めの料金を払い、ラカンドンの運営する車に乗らなければならないということになっている。

そんな訳で、ラカンドンの人々は、観光で結構潤っているらしい。

多分10年から20年前と、今では彼らの生活はだいぶ違っているのであろう。

チャパスを旅して彼らが行うエコーツアーに参加し、彼らの経営するバンガローに一泊した。

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写真の説明 : バンガロー

そのラカンドンの村は、メキシコの田舎の何処にでもある村と変わらない村で、いやメキシコのインディヘナの村としては、むしろ
豊かな村で、家の前には、結構新しい車が置かれ、子供たちは自転車に乗っていた。

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写真の説明 : 車を持つラカンドンの家も多いようだった。

例の長髪に白い冠頭衣を着ている人は、ちらちらいるが、ほとんど多くの人は普通の洋服で、普通の髪をしている。
むしろ、観光向けにその仕事をする人や遺跡に来る観光客に商売する人や子供たちが、また少数の年配の人たちだけが、
彼らのトレードマークである伝統的長髪で、冠頭衣を着ているように見受けられた。
冠頭衣も今は白だけでなく、カラフルな普通の布の物を着ている子供や人も多い。

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写真の説明 :観光客に民芸品などを売るラカンドンの子供たち。

エコーツアーは、朝の9時から4時間ほど密林を歩き、植物の観察をし、密林ジャングルやそこを流れる川や滝の自然を
楽しむツアーである。

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動物は、この密林でサル、鹿、南国の鳥などが、しかも、ジャガーさえいるのであろうが、昼間はあまりお目にかかれないらしい。
鳥は、もっと早朝がいいそうだし。

残念ながらお目にかかれたのは、この時期、やたらと姦しいセミ、せっせと働く、葉を運ぶ葉切蟻、そして一匹の蛙、一羽のハチドリ、トカゲくらいかあ。

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写真の説明 : 葉切蟻が葉を切り巣に運ぶ。

だが、歩けども歩けどもの一面の深い深い密林ジャングル、木漏れ日が高い木々のわずかな空間から差し込む緑のジャングル。
ジャングルから生まれた清流に足をつけると、ひんやりと、本当に癒される気がした。

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パレンケ遺跡

08 6月
2009年6月8日

数あるマヤ遺跡の中でも私が最も美しいと思う遺跡パレンケ
チャパスの緑の密林の中で、昔の都の栄華のほんの一部の姿をそこを訪ねる人々に見せてくれている。
発掘され姿を表しているのは、もちろん、その最も繁栄期のもっとも重要な都の建造物である。
だが、その建造物の周りの密林の中には、長い時間と密林の木々で崩壊し、瓦礫と化している
未発掘の都の建造物が埋まっている。

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写真の説明 :十字の神殿より、碑銘の神殿、宮殿を望む

パレンケは1952年、碑銘の神殿のピラミッドの下からパカル王の墓が発見され、世界をあっ!言わせた。
その素晴らしい彫刻を施した一枚岩の石棺、その蓋、王を飾っていたヒスイの仮面やヒスイの装飾品の数々。

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写真の説明 :碑銘の神殿のピラミッド。その隣の小さい神殿ピラミッドは13号神殿で、赤い女王の墓が見つかった建造物

そして、碑銘の神殿やその他の神殿に描かれた沢山のマヤ象形文字の解読が進み、パカルの生涯をはじめ
パレンケの都の歴史も、だんだん分かりつつある。
603年に生まれ683年に死んだというパカル王であるが、謎も多い。

パカルのお墓は、これ以上の風化を防ぐために、完全に密閉されてしまった。
だが、その実物大のレプリカがメキシコシティの国立人類学博物館にある、

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写真の説明 :メキシコシティーの人類学博物館 マヤ室のレプリカのパカル王の石棺

また近年オープンしたパレンケ遺跡の博物館にもレプリカがある。
パカル王の面を覆っていたヒスイの面は、過去に博物館から盗難されたという事件にもあっているが、
また、ばらばらになっていたヒスイの石のピースを組み立てなおして修復した訳で、前に修復した形は
あとの研究の結果では、間違って修復したらしいというので、修復し直した。
そんな経緯のあるヒスイの仮面であるが、やはり国立人類学博物館で見られる。

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写真の説明 :メキシコシティーの人類学博物館 パカル王のヒスイの面とヒスイの装飾品

宮殿や神殿ピラミッドの漆喰の壁の彫刻などの多くは落ちてしまっているが、高い屋根飾りなどが付いた神殿が
オリジナルで美しく残っている。

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写真の説明 :宮殿の柱の漆喰の絵のひとつ、比較的よく残り、人物像の姿が分かる。

この美しい都の建造物群をじっくり見学するといい、ピラミッドも碑銘の神殿以外は上の神殿まで登れる。
神殿の部屋には、象形文字と絵が描かれた石版を見る事ができる。

時間の余裕があったら、遺跡の中心部から、オトムル川の流れに沿っての遊歩道を通って博物館まで行く事をお勧めしたい。

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写真の説明 :パレンケの都の水の供給源であったオトムル川、遊歩道を下って博物館まで行く。

所々に発掘された住居跡などの建造物もみれるし、チャパスの密林の散歩もまた楽しい。
そして、博物館も是非覗いてみたい。そこには、発掘で見つかった貴重な石彫などをみる事ができる。

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写真の説明 :博物館の展示品 19号神殿から見つかった石彫。赤い色までよく残っている。
19号神殿は中心部の後方にあるあまり人がいかない地区にある建造物。

遺跡好きだったら、是非行って欲しい遺跡パレンケである。
当時80歳という高齢まで生きたという、背の低いマヤ人という常識を破った感じで背の高い人物だったというパカル王。
まだまだ、謎を秘めたパレンケ遺跡であろう。

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