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国立芸術院のコンサート

25 11月
2009年11月25日

メキシコで芸術に触れようと思ったら、意外と安く、本物に触れられる。
メキシコの街のあっちこっとに彫刻が置かれていて、風景になっている。
その彫刻を鑑賞する気があったとしたら、タダで美術館を歩いているようなものだ。

そんな環境の中で生活しているメキシコ人は芸術好きかもしれない。

メキシコの人は音楽もこよなく愛する人々である。
色んな音楽があるが、全てをひっくるめて、メキシコ人の生活の中に音楽がない生活は考えられない。

私は音楽に疎く、音楽を知らない。
楽器が弾けるようになりたい願望は、自分の音痴的能力に気づき、そうそうに昔諦めた。
楽器ができる人、音楽の出来る人は、羨望と同時に本当にすごい人と思う。

私も子育てなどの生活から少しづつ開放されて、最近は自分のしたい事をする、できる年齢になった。
その上この年齢になると、メキシコでは特典付きになるのだ。
博物館などの入場料金が無料とか長距離バス料金半額とか、国立芸術院などの大劇場などのコンサートなども半額とか。
最近はそんな訳で、この特典を利用しないなんて、もったいない根性である。

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写真の説明:メキシコシティ セントロにある国立芸術院

過去の自分があまりにも芸術、音楽にも無知であったが故にも、遅まきながら、今、本物をみよう、生を聴こう!と出かける。

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写真の説明:国立芸術院でのコンサートの様子

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写真の説明:国立芸術院内。コンサートが終わって帰ってゆく人たち。

国立芸術院や国立美術館などで常に行われるコンサート。
そのコンサートが20ペソとか無料とか、本当にこれてお申し訳ないって思うくらいに安く生の音楽一流の音楽を聴かれるのだ。
タダさえ安い料金が、お年寄りの部類に入った者、教師、学生など半額だ。
芸術を大振る舞いするメキシコよ!である。

世界の有名歌手なんぞのコンサートは、メキシコでも一番安い席でも何百ペソ高い席だとウン千ペソとか?
国立公会堂で何千人とかの観客をいれてあったりするが、そんなのはいい。
娘の聞いているCDで充分。
そんな大枚を確かに払うお金はないが、悔しくっていい訳してる訳でもなくって。。

国立芸術院の小さなサロンでの100人かせいぜい200人くらいの観客のクラシック音楽のコンサート。
何回か行くようになって、いいなあと思う。
音楽に無知な私でも、目を瞑ってじっと聴くと心地良い音楽が体に染み込んでくるような気がする。

観客は、本当に音楽好きな人なんだろうと思う。
有名歌手のコンサートのように、誰もギャーとも言わない。みんな音楽に耳をすまして楽しんでいる。

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写真の説明:コンサートで音楽に耳を傾けている観衆。

先日は、メキシコ在住のギタリストの菅原まりもさんの演奏でソプラノ歌手の方のコンサートがあった。
菅原まりもさんは、メキシコシティでギター教室も開き、ギタリストとして活躍している人だ。

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国立芸術院のパンフレッドにその月のコンサートの予定表がある、ちょっとチェックしてみて。
メキシコに来て、時間の余裕があったら、国立芸術院のコンサートを聴きに行ってみませんか?

メキシコのファースト フードの トルタ!

20 11月
2009年11月20日

メキシコ食と言うと、ほとんどの人がタコスと言う。世界に知られたタコス。 そのタコスに比べてイマイチ知名度がないようではあるが、メキシコサンドイッチとも言えるトルタの食べられる量は決してタコスに引けを取らない。 子供が学校へ持ってゆく(メキシコの学校には給食はありません)お弁当とのナンバー ワンは、なんと言ってもトルタ。 メキシコの街を歩くといたる所にあるタコスの屋台、だが、そのタコスの屋台と並んで必ずあるのがトルタ屋の屋台。

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写真の説明:早朝から準備中のタコス屋とトルタ屋の屋台

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写真の説明:夜雨降りにも営業中のトルタ屋の屋台

メキシコのファースト フードの東と西の横綱がタコスとトルタとも言える。

屋台や下町の小さなお店のトルタ屋または市場の食堂、地下鉄の駅の回り、バスターミナルなどには必ずトルタ屋があるが、 なんせ、ファースト フードの横綱ゆえ、しゃれたレストランやホテルのレストランのメニューにはありません。

最近はとみにメキシコの街にも増えたアメリカ系のハンバーガー屋は、同じファースト フードでありながら、りっぱな広い店舗で、いたる所に店を持っているし、 ハンバーグをパンに挟んだだけのこのファースト料理ハンバーガーはレストランのメニューにもアンブルゲッサなどという名で、ちょっとポテトを添え物に現われる。 パンにハンバーグを挟んだだけで、何で?

パンに具を挟む同じ作りだが、トルタの方がよっぽどバリエーションが豊かで、その具の種類がなんでもござれ!ハンバーガーなんってせいぜいハンバーグとチーズくらいじゃん。 この扱いの違いはなんだ! アメリカ生まれとメキシコ生まれの違い?メキシコ贔屓の私としては憤慨したい! メキシコのトルタを知れ!と、声高く言いたい。

トルタはフランスパンほど長くないが、ちょっと外がぱりぱりの固めのボリージョやテレラというパンに具を挟んだハンバーガーまたはサンドイッチと言ったところ。 このテレラはちょっと平べたくて、特にこのトルタを作る専用のぱんと言うところ。テレラがなくってもボリージョでもいいのだ。

このテレラやボリージョはメキシコの街のあっちこっとにあるパン屋の棚に菓子パンがいっぱい並んでいる中で、大概大きな柵のような中に山盛りになって置かれている。 菓子パンに比べて圧倒的に安く一個1.5ペソ(12円くらい)、これが、メキシコの主食のトルティージャと並んで、メキシコの食卓の主食のパンである。

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写真の説明:パン屋で、今焼きあがったばかりのボリージョ

トルタはこの特にテレラを上下に半分に切ってそこに塗り物のメキシコ料理に欠かせないお豆のペーストやら、好みで、クリーム、カラシ、マヨネーズ、バターなどを塗り 下と上のパンの間にハム、ソーセイジ、肉、卵、腸詰め、その他お料理したもの何でも好きに挟み、その上にチーズなどをのせ、またさらにその上にトマト、レタス、アボカドなど野菜を乗せ、その上にやっぱり欠かせないのが、唐辛子の酢漬けのピックルスを挟む。具は単品でもいいが、いろいろいっぱい挟んでもいい。 サンドイッチ風と馬鹿にしたものではない結構なボリュームである。 お値段は、はさんである具の内容、また場所によって少々違うが、大体10~40ペソくらい。

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写真の説明:これは、クリスマス料理でもあるタラの魚の料理を挟んだトルタ。大きいので二人で半分づつ食べたが満腹。

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写真の説明:トルタ屋は、生ジュース屋も兼ねていたりするところもある。         メキシコ人は、炭酸飲料水を飲むが、私お勧めは、季節のフルーツの生ジュース。絞りたてのジュースが10ペソくらい。私はミカンジュースを飲んだ。

メキシコ料理にホークとナイフはいらない?! タコスもトルティージャに具を挟んで丸めて手で食べる。 トルタも結構具で太ったパンを両手で持ってそのまま丸かじりが普通。

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写真の説明:トルタ屋の前で、立ち食いしている人も。         先日は、地下鉄の中で、立って恋人同士がうまそうにトルタを丸かじりしていたのを見かけた。

こりゃあ、トルタって、やっぱり上品なレストラン向きではないかあ? でも、うまい!

メキシコに来たら、是非一度お試しください。 小さなトルタ屋に止まり木風椅子に腰掛けたり、立ち食いしているメキシコ人がいっぱい。 安くって、美味しくってお腹いっぱい!言うことなし。

 

ボラドーレス(Voladores)は昔の宗教儀式

11 11月
2009年11月11日

今年の世界無形文化財に選ばれたボラドーレスは、メキシコの先スペイン期文化の中での宗教儀式の一つである。
先古典期の時代から、それらしい儀式が行われていたというものである。

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写真の説明:メキシコシティ 国立宮殿内のディエゴ・レベラの壁画部分
トトナカ族のエル・タヒンの都の様子が描かれた絵 ボラドーレスの儀式が行われている。

メキシコシティの人類学博物館の前で、またテイオティワカンの遺跡で、エル タヒンの遺跡で、トゥルム遺跡などなどで観光向けに主にトトナカ族の人がやっているのをみる事ができるので、機会があったら是非一見してみてください。
観光地、遺跡などで行われているボラドーレスの様子

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写真の説明:まず、ポールの周りをぐるぐる回りながら踊る。

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写真の説明:するするとポールに登り、紐を柱に巻きつけ、その端を体に縛り付ける。

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写真の説明:そして、一斉に宙に身を投げ逆さになって回転して降りてくる。

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写真の説明:普通はポールの上で太鼓を叩き笛を吹く人がいるのだが、この場合、降りてくる人の一人が笛を吹いていた。

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写真の説明:地に頭が着くぞ!と思うと、ぐるりと回転して猫のように着地

トトナカ族の人とは主にのエル タヒンの遺跡の地方に住む部族である。

ボラドーレスの踊りとして、民族舞踊という形で、植民地時代、昔の先住民の宗教儀式が禁止された中、形を変えて生き残ったものであろう。

昔の宗教儀式は、トトナカ族の豊穣信仰、またアステカの太陽信仰などとして行われたものであるらしい。
世界の東西南北を表す4人の人が逆さづりになって高い柱の上から回転して降りてくるアクロバット的なものである。
柱の一番上では足踏みをしながら笛を吹き太鼓を叩くもう一人の人が踊る。
儀式的に4人の人がそれぞれ13回転して降りてくる事になっている。
4×13これも重要な意味があった。
4×13=52 それはまさにメソアメリカ文明においての1世紀、カレンダーのひとつの大きな区切りを表す数である。

メソアメリカ文明において暦は大変重要な宗教的意味があった。
暦の特別の日はそれぞれの神を祭る日でもあった。
彼らは、太陽暦の365日の暦と宗教暦というもう一つの260日の暦を使い、その二つの暦をあわせ使用して、太陽暦の52年目が二つの暦の始まった日にぴったりと戻ってくる日になる訳で、
その日、新しい火の祭りという、つまり新世紀の祭りを大々的に行ったものである。

今は柱は鉄骨の柱であるが、昔はもちろん一本の高いまっすぐな木を柱にした訳である。
昔はそんな高いまっすぐな木があったらしい、今はそんなに高くますっぐな木はあまり存在しなくなったらしい。
諏訪大社の御柱祭りではないが、その木を柱として切り出し、地に柱を触れさせる事なく運び、ふたたび、まっすぐ空に向かって立てる事は多くの人々の神への信仰という共同の力でなされたものであっただろう。
その宗教儀式は、木を切り出す事から始まったらしい。木に感謝し、木を切る事をお詫びして。

メキシコを旅したら、きっとボラドーレスを見るチャンスにめぐり合うでしょう。

太平洋側のオルメカ文明もすごい!ものだっただろう

02 11月
2009年11月2日

遺跡や遺物から、過去の人類史を研究する学問が考古学。
未知で、分からないからこそ、出てきた遺跡や遺物で、想像の世界が広まって、魅力的なのかもしれない。

メキシコには、メソアメリカ文明という文明が、スペインの征服以前あったが、神を祭る場所として、ピラミッドを作った。
それで、こんもりとちょっと形良い山があったりすると、あれって、昔のピラミッドだったんじゃあないか?なーんて、思ったりして。。。。

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写真の説明:テオパンテクアニトゥラン遺跡の後方にある山、土地の人はピラミッドであると信じている。
オルメカ文明のラ・ベンタ遺跡も円錐形の土のマウンドのピラミッドがあるが、そう考えると本当にピラミッドのように思える。
土地の人が信じるようにピラミッドだったら、すごい!と想像の世界が広がる。

メキシコには、まだ、発掘されていないかもしれない過去の都の跡、遺跡が結構あるらしい?!

特に、紀元前の大きな都だったかもしれないと思うようなところは、ワクワク想像の世界を広げる。

ほとんど観光で行く人もいないけれど、本当はすごい都の跡だった遺跡があったりするのだ。
観光的にはまだまだマイナーな遺跡(将来は分からないかも?)だけど、本当はすごい都だっただろう遺跡などを、考古学の雑誌で見つけて行くという、マイナーな事が意外と私は好きである。

ゲレロ州のTeopantecuanitlan(テオパンテクアニトゥラン)遺跡。

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写真の説明:最も重要な神殿のところ。保護のための屋根がつけられているが、写真撮影ができなかったので遠方からの写真だけ。

先住民語で、ジャガー神の神殿の場所。
舌を噛みそうな名で、車の中で皆で、誰が一番先に名前を覚えるか?などと言いながら、また、入場料がタダだというので、誘った友達にもあまり期待しないで行こうねと言いながら出かけた。

入場料がタダなのは、まだまだ、観光地として、誰も行かないから?入場料を取るほど、見せるのもがないから?遺跡の重要な場所の写真撮影を禁止しているから?施設が整っていないから?

そのタダの理由は知らないが、兎に角、オルメカ文明の重要な遺跡である事は間違いない。

1983年、一つの石彫が出てきたのが、きっかけで発掘が始まった遺跡である。

メソアメリカ文明の中で、紀元前1500年頃~紀元くらいにメキシコ湾側つまり大西洋側で起こった文明をオルメカ文明と言うが、メキシコの母の文明とも言われている。
何十トンもの石を刻み、頭だけの巨頭の像を作った、また半獣半人のジャガー神信仰のオルメカ文明である。

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写真の説明:国立人類学博物館のメキシコ湾岸、オルメカ文明 サン・ロレンソの巨頭像。

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写真の説明:国立人類学博物館のメキシコ湾岸、オルメカ文明のジャガー神の像。

このメキシコ湾側のオルメカ文明の類似的要素が、メキシコの中央高原から太平洋側、南はグアテマラにおいても見られる、そのため、このメキシコ湾の絶大なオルメカ文明の影響が、各地に波及したのだろうと言うのが今までの学説であった。

だが、最近は、メキシコ湾側から太平洋側への一方的影響ではなく、双方は、相対する2勢力的ものであったのではないか?という説もあるようだ。

このテオパンテクアニトゥラン
遺跡の発掘がされているのは、都の中心部のほんの一部であるのだが、紀元前1400年頃に始まり、紀元前1000年~800年頃には絶大な都となる、その広さは200haの都であったと。

「写真撮影は、INAH(国立人類学歴史研究所)の許可が必要で、禁止されている」と、閉められた金網の門を開けてくれ、そのあと、めったにない訪問者であった我々に付いて回った管理人のおじさんに言われて、がっくりした。
この遺跡のもっとも見ものの4つのジャガー神の石の彫刻の写真が撮れなかったのが心残り。

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写真の説明:遺跡のある村の入り口のゲートは写真に撮れなかったジャガーの石彫がモチーフ
ジャガー神は、胸と頭のところに×印を付けている。

その4つのジャガー神の彫刻は神殿の広場と言うべきかの西と東の壁に嵌め込みされた形であるのだが、現在わかっているのは、春分の日、朝は一つの東側の彫刻が対角にある西の彫刻のところに対角線の陰となって写る。そして夕方はその逆になるというものだそうだ。
そして、その広場にある球技場のような形になった長方形の2つの台座を横切るわけである。

これは2つだけの彫刻におこるわけだが、私の素人考えでは、あと二つの彫刻にもそのような現象がおこりえる可能性があるはずと思う。
一方だけなのが片手落ちというのではなく、×印になる事に重要な意味があると思う。
何故なら、オルメカ文明の中で神官などが胸などにつけている飾りがまさにこの×印である。
これは太陽のシンボルとも、太陽の動きを表すとも、権力のシンボルとも言われるが、この4つのジャガー神の彫刻にもやはりそれが描かれている。

素人の想像はさておいても、このテオパンテクアニトゥラン
遺跡が、絶大な都であった事、その文化は、すでに太陽の動きなどの高い天文観測がなされていた事、また水路の建設など高い土木技術を持っていた事は、ほんの一部の発掘であっても推測できる事である。

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写真の説明:中心の遺跡から大分離れた場所に発掘された球技場。
都の一番の中心部から、車で何分も行った場所であるというのはその距離からしても壮大な都であった事が想像される。

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写真の説明:遺跡として囲まれていない道の途中にもいくつかのマウンドがあり、一部だけ発掘されている建造物。
後方には、何処から眺めても見える土地の人がピラミッドと信じる山が見える。

さて、私の次のマイナーな旅は、乾季になったら、テオパンテクアニトゥラン
遺跡と同時代の、同じゲレロ州にあるオルメカ文明の洞窟絵のある洞窟遺跡へ行きたいと思っている。
ご期待!と言いたいけど、洞窟の絵の撮影が可能か?

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