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季節はずれの雨

25 2月
2010年2月25日

今はメキシコ、乾季のはずなのに。。。。
メキシコの乾季は半年間雨が降らないというのが常識なんだけど。。。
私も30年メキシコに住んでいるが、こんな季節はずれの雨は初めて。

今年は変?!異常気象?!
一月の前半も雨、雨、雪なんて降った事がない所でも雪のニュース。低温で、寒い寒い。
家のない人はどうして、この寒さをしのいでいるのだろうか?と思っていたが、ニュースではやっぱり。。。。

そして、2月の初めもまたまた雨、雨。
寒さは1月の時ほどでない気がしたが、2日以上、止む事なくしとしと雨。
雨季の雨は、短時間の激しい雨だけれど。
このしとしと雨。たいした事ないと思うのは間違いだと知った。
雨、しとしと雨、されど雨。
しとしと降り続いた2月の雨はあっちこっとで絶大な被害を引き起こした。

あっちこっとから洪水のニュース。
大都会メキシコシティは雨に弱いらしい。

兎に角、大都会は何処もかしこもアスファルトとセメントの大地なのだ。
家やビルディングの屋根はもちろんセメント。セメントの屋根は雨を流すだけ。
道は、皆舗装されたアスファルトの大地なのだ。アスファルトの道も雨を流すだけ。
メキシコシティの広大なセメントの大地は、土の大地と違って、雨水を流すだけ。ひたすら、下へ下へと。低い所へ低い所へと。
確かに道には雨を下水に流す排水溝がある。
だが、多量に降る雨を処理しきれないらしい。そして、下水道からさえ水が溢れ出す事さえある。

都会の低い道、低い場所は、その雨水の行き場になる。

そして、水の道路を車が泳いでいる映像や、家が水に埋もれている映像がテレビニュースに流れる。

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私も、この雨の日ティオティワカンのピラミッドツアー。あーこんな時に。
もちろん傘をさして歩くわけだけど、ピラミッドに登るのはやっぱり無理。

月のピラミッドのあの45度ほどの急な階段を登るのは。。。

太陽のピラミッドも下さえ強風でく傘がチョコ傘になるんだから、ピラミッドの上は、すごい風だろう。
ピラミッドに登ったら、降りてくるのは、メリー ポピンズのように降りてくるはめになるかも?
私達は魔法使いではないので、もちろん登るのは諦めた。

お客様には気の毒だけど、お天気ばかりは、どうしようもありません。

帰りも道が交通大渋滞。普段の倍以上の時間が掛かった。
途中の道路を車がみんな泳いで通る状態でどの車も恐る恐るのノロノロ運転なのだった。
私は渋滞にイライラだったけど、幸いお客様は時差ボケで、ぐっすり2時間以上お休み。うー助かった!時差ボケ様様だ!

2日以上の昼夜のしとしと雨が終わった次の日の朝は、まったく雲が一つもない真っ青の青空。

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そして、久しぶりに輝く太陽はニコニコ顔で、雨の被害を受けた人々にどうしたの?と、おとぼけ。あーあ。

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メキシコシティからは、あまり普段はその雄姿を見せてくれない5000m級の山ポポカテペトルとイスタシウァトルがすっかり雪を被って、その姿を見せてくれた。

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カンデラリアの日

15 2月
2010年2月15日

去年の記事で「三賢人の日のロスカ」を書いたが、その続編

三賢人の日にメキシコの人は、家族皆で、又職場で、友達同士で集まって、ロスカの菓子パンを切って食べて、その食べたパンの中に セルロイドの小さな裸のキリスト人形が入っていた人は、赤ちゃんのキリストのパドリーノス(代父母)になるというわけだそうだ。

それで、赤ちゃんのキリストのパドリーノスはカンデラリア聖母の日(2月2日)には、キリストの赤ちゃん人形に洋服を着せて着飾って、 教会へ連れて行く、そして、パドリーノスは、タマレスを作って皆に振舞うという訳だ。

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写真の説明:教会のミサに行って神父さんに祝福してもらうのを待つ素敵な洋服を着たキリストの赤ちゃん人形

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写真の説明:この日は、何処の教会も大勢の人が人形を抱いてやってきて、教会堂の庭まで溢れてる人。

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写真の説明:教会に花も持ってゆくので、教会の前では花売りも商売

パンの中に入っていた裸のキリスト人形に洋服を着せてというのはあまりないようだが、でも赤ちゃんキリスト人形の洋服を売っているお店を覗いたら、 この小さなセルロイドの人形にも洋服着せてあったから、やっぱりあるのかな?

でも多くの人が、ロスカのパンで人形が当たったかどうかでもなくっても、このカンデラリアの日には、自分の家の赤ちゃんのキリスト人形に素敵な洋服やら、 その他の装飾で着飾って、籠や椅子に乗せて教会のミサにつれて行って、キリスト人形を祝福してもらって、家に飾っておくのだろう。

パドリーノスというのは、代父母というキリスト教の習慣で、子供が生まれて洗礼するとき、その子のパドリーノスなるという事は、その両親と同様に、 特に親が子供の面倒を見れないという状況だとしたら、親に代わってその子供を育てる義務があるという関係を結ぶと言う、助け合いの関係という訳で、 子供をとおしてコンパドレスの関係を結んだ親とパドリーノスは、兄弟以上の助け合い関係、信頼関係を結ぶというものであったというのが昔の習いらしい。

今は、あまり、育てるまでの義務をするという事はもちろんないが、コンパドレスの関係を結んだら、お互いに親友として助け合うという関係になったと解釈されるだろう。 よく、メキシコはコンパドレス社会と言うが、それは良いにつけ悪いにつけだろ。 つまりコネ社会というやつか?

着せ替え人形が好きなのは、女の子だけではないのだろう。 赤ちゃん人形に洋服を着せて着飾るは、女性の母性本能なのだろうか。 昔女性の修道院だった博物館に修道女達の遺品が展示されているが、赤ちゃんの人形にその洋服もあった。 修道女達は、一生を処女で修道院の中だけで過ごす。そんな修道女の慰みは赤ちゃん人形とか?

ちょっと話が逸れたが、カンデラリアの日の前、兎に角お店、市場、露店などで、キリストの赤ちゃんの洋服が飛ぶように売れる!らしい。 特に最近は、流行なのか、大繁盛らしい。

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写真の説明:カンデラリアの日の当日まで、露店でも赤ちゃんのキリストの洋服が売られている。

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写真の説明:イエス キリストさんって男の子なんだけど、こんな可愛い女の子のお洋服ぽいんだよね。

 

トゥーラはチチェン・イツァーの本家の都?!

09 2月
2010年2月9日

メキシコで最も知られている遺跡というとやはり世界遺産となった遺跡であろうし、 その上、最も観光客の多く行く遺跡と言うと、なんと言っても、世界のリゾートカンクンからツアーがじゃんじゃん毎日出ているチチェン・イツァー遺跡であろう。 2007年には、世界7不思議にも選ばれて、その知名度はまたぐーんと上がっただろうし。

まあ、言ってみれば、チチェン・イツァー遺跡はあまりにも有名な遺跡であるのだ。

だが、その新チチェン・イツァーの建造物、特に戦士の神殿などは、中央高原、メキシコシティから1時間半ほどにある遺跡トゥーラ遺跡の建造物に酷似している事がよく言われる。

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写真の説明:チチェン・イツァーの戦士の神殿(カンクンに住む友人の写真提供)

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写真の説明:トゥーラの最も重要な建造物 トゥラウイスカルパテクトゥリ神殿、つまり明けの明星、金星つまりはケツアルコーアトルを祭る神殿。         チチェンの戦士の神殿によく似ているといえる。

実際、色んなモチーフがトゥーラとチチェンはそっくりなのだ。

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写真の説明:チチェン・イツァーの鷲とジャガーの台座。鷲とジャガーが人間の心臓を食べている絵が描かれている。その他蛇の頭など。(友人からお借りした写真)

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写真の説明:Tlahuizcalpatectli神殿の後ろの壁の彫刻がオリジナルで残っている部分。ここにも鷲やジャガーが描かれている。         また、チチェンにも描かれているケツアルコーアトルも鳥蛇人間として描かれている。

特にケツアルコーアトル(羽毛の蛇)神の信仰。マヤ語ではククルカンの神と言うが。

中央高原の伝説で、ケツアルコーアトルはトルテカの都トゥーラを追われ、987年に東のメキシコ湾岸から舟で東へ去ったと。 マヤのチラン・バランの書によると、ククルカンというメキシコの王が987年、ユカタン半島に姿をあらわしチチェン・イツァーを占拠したと。

中央高原の一部の人がユカタン半島の特にチチェン・イツァーにやって来て、マヤ地区にケツアルコーアトル信仰を持ち込んだ事は、確かだろう。 新チチェンの最も重要なククルカン神殿(カスティージョ)はククルカンつまりケツアルコーアトルを祭ったピラミッドである。 02_05

写真の説明:チチェン・イツァーのククルカンの神殿のピラミッド(友人の写真提供)         下の蛇の頭の胴体が、春分、秋分の日に太陽の光の影で現われる。

新チィチェンには、多くの羽毛の生えた蛇、ケツアルコーアトルのモチーフがあらわされている。

そんな訳で、トゥーラはチチェン・イツァーの本家の都だったんだ!

チチェン・イツァー遺跡に行く予定の人で、もし興味がありメキシコシティでちょっと余分の時間があったら、 メキシコシティから1時間半のトゥーラ遺跡行ってみませんか?

中央高原で、ティオティワカンが崩壊した後、小高い丘の上に多くの城砦的な都が連立するが、 その一つは世界遺産のソチカルコであり、前回のメキシコ州の旅で書いたテオテナンゴである。 同時期の多くの都の中でも最も強力なトルテカ王国として栄えた都の跡であるトゥーラ遺跡である。

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写真の説明:トゥーラ遺跡 ピラミッドの上の神殿を支えていた柱となっていた戦士の像

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写真の説明:トゥーラ遺跡 沢山の柱が屋根を支えていた。

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写真の説明:トゥーラのチャクモル像の一つ。トゥーラの時代からチャクモル像が現われる。         トゥーラのトルテカ文明の影響を受けたチチェン・イツァーにもチャクモル像が現われる。他のマヤ文明の都ではないもの。

 

2012年12月21日!?

01 2月
2010年2月1日

今、映画をはじめ話題の日付らしい。 メキシコのマヤ文明、アステカ文明などの暦にでてくる日付である。 マヤ文明もアステカ文明もすでに滅亡してしまって、今は500年もの後のマヤ、アステカの子孫であるメキシコ人達は、気にしてもいないし、あまり話題にしてもいないが。

世紀末?世界の崩壊?カタストロフィー?

最近のハイチの地震後の惨状をみていると、世界のハイチという一つの国だけど世界の崩壊をみるようだけど。 世界の部分的カタストロフィーはいつも世界のあっちこっちで起こっているじゃあないか!?って気もしないでもないが。

2012年12月21日を、マヤ人が絶望的に世界の崩壊の日と考えていた訳ではないと思うが、 彼らの長期カレンダーが終わる日である事は確かである。

マヤやアステカだけでなくても、色んなところの神話には、世界が、人間が、神によって何度も作りかえられて、今の人間が、今の世界があるという話はあると思う。

マヤの長期カレンダーのカウントは今の西暦にすると紀元前3114年8月13日に始まった。 そして、13バクトゥンでそのカレンダーが終わるのだ。 それが西暦2012年12月21日になるのだそうだ。(本によっては12月23日になっているが。)

確かに、マヤの古典期文明において、素晴らしい天文学の知識を彼らは持っていた。 だから、今話題にしている宇宙の変動を予想したと?

そこまでマヤ文明を買いかぶっていいものか?は兎も角。

マヤの長期カレンダーの最後の日が終わったとしても、「地球の崩壊」と現代の人がオカルト的に言うのは?

メソアメリカ文明においては、カレンダーにものすごくこだわった事は確かである。 正確なカレンダーを持っていたし、彼らが一世紀とする太陽暦による52年の区切り毎には盛大な新世紀の祝いなる祭りも行われた。

マヤ文明の繁栄期は、スペイン人の到来以前に、すでに終わっていたし、メソアメリカ文明を破壊したスペイン人はその貴重なるマヤの暦や天文学や神の事を書いたほとんどの多くの書物を「魔の書物」のレッテルを付け焼き破壊してしまったのだから、本当のところ、マヤの人たちが、長期カレンダーが終わったら、全てが破壊されて世界の終わりと考えていたのか?あるいは、52年の世紀の終わりがあって、また新しい世紀がやってくると同様に、長期カレンダーも一つの大きな括りで、また新しいカレンダーが始まると考えたのか?今は謎!?

マヤ文明の長期カレンダーの終わり、2012年12月21日の日をアステカ文明は、5番目の太陽の終焉の日と考えた。

国立人類学博物館、アステカ室のどっ真ん中にある有名なアステカ太陽のカレンダーがある。

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写真の説明:中央の顔が今輝く5番目の太陽トナウティウ その周りの4つの四角に描かれているのが過去の4つの太陽の時代

そこに現されている事は、 過去には4つの太陽の時代があったが、それは、ジャガーの太陽の時代にはジャガーに人間が食われ、水の太陽の時代には、洪水によって、 火の太陽の時代には、火山によって、風の太陽の時代には台風によって、それぞれの太陽の時代の世界は破壊され終わったと。

そして今光り輝いている5番目の太陽の時代は「大地の動きの太陽」の時代だと。 はてはて、大地の動きとは、やっぱり地震かなと思うよね。

メキシコシティでは1985年メキシコ大地震を経験している。 メキシコはそう年がら年中地震がある訳ではない。 だが、過去の大きな地震は、大陸のプレートの動きの関係で、25年~30年くらいに大きな地震を経験しているそうだ。

うむ!2012年大きな地震がある頃?な~んって考えない事もないよなあ。

でもでも、何処へ逃げていったとしても、同じですよ! 地球は一つですからねえ。 今、世界の何処でいつ災難があるかなんって、誰も予測なんって出来ないんじゃあないかな? 2012年12月21日も、暢気に迎えよう。 マヤの長期カレンダーの最後の日だったとしても、きっと次のカレンダーが始まるんだろうし。

つくづく今思うに、メキシコのインフルエンザ騒動、いったいあれは何だったのだ? 今となって、策略だったという調べも実際されているそうだけど。 実際、当時、日本人や外国人はメキシコから逃げろ!と、まで言われ、逃げた人もあったんですよね。 笑い話にもなりませんが。

 

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