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ゴミ問題とエコーバック

25 3月
2010年3月25日

メキシコシティは2000万都市と言われているが、人が多いところはゴミも多いわけだ。
当然ゴミ問題は大きな課題のはずだ。

日本へ里帰りした時、こりゃあ、大変だ!と思ったのがゴミの仕分け。
生ゴミか生ゴミでないゴミかの問題じゃあない。
紙、缶類、プラスティック、ガラス、ビン類、ビン類でも種類が色々、金物、生ゴミetc.etc.
行政区によって、仕分けが割りと大雑把の所もあるようだが。
それにしても、そのゴミの種類によってゴミ出し日がそれぞれ違うと。
ゴミ出し大変だ!と、ゴミはみんな一緒くたの国メキシコから行った私は、ため息が出るほどだった。

エコー時代、当然のゴミの仕分けなのだろうが。

メキシコの政府もここ何年か前から、世界に遅れをとってはいけないと生ゴミと非生ゴミを分けなさい!と奨励している。
が、結果的にあまり効果がない。
だって、ゴミ集取車が、生ゴミと非生ゴミ分けないで、みんな一緒くたにドンドン積んでけ!積んでけ!だものね。
誰も分ける訳ないよ!

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写真の説明:ゴミ集めの車。

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写真の説明:街のゴミ箱。 これって有機物のゴミって書いてあるんだけど、何でもかんでも一緒。誰も分けやしない。

政府、言う事とやる事が伴ってないんだものねえ。まったく政治家だね。有言不実行。

我が家は家庭菜園やってるから、生ゴミは大事な肥料だから、前々から生ゴミ分けてるけど。

ところで、こんなに何もかも一緒くたのゴミ、困るだろうと思うところだが、これが、メキシコ、ちゃんと仕分けされるのだ。
ゴミ、ゴミと言えども、そのゴミで、生活を立てている人というのがいるのだ。
紙やダンボール、アルミ缶、金物、布類、全て拾い分け、お金に換える。
もちろん、資源の再生である。

本当に、最近は、エコー、エコーが叫ばれているようで、エコーバックなるものも流行りだした。
メキシコのスパーなども今在庫のあるビニール袋は使うけど、これからはビニール袋はくれない、自分でエコーバックを用意しないという意向だそうだ。
まだまだ、ビニール袋に入れてくれてるけど。
実際ビニール袋は廃止と言ってるけど、何処までそうなるか?これまた疑問だが。

それで、スパーでもあの緑の大きな袋、エコーバックが売られている。
大きくって便利?!たまにカバンとして使っている人、最近は見かけるねえ。

でも、そんなバックわざわざ買わなくっても、メキシコは昔からエコーバック使ってるよ!
市場へ行く時、必ず持っていく丈夫な袋。

これって、便利だよ。
大中小いろいろ大きさもあるし、色もカラフルで色々、いくら重いもの入れても、兎に角丈夫で破けたり、取っ手が取れたりなんてしない優れもの。

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写真の説明:メルカード(市場)バック

今、市場でも、野菜ごとにビニール袋に入れてくれるけど、昔は、買う野菜をそのまま、この大袋にどんどこみんなそのまま入れてもらって買い物した。
昔の方がエコーやってたんだよ。ビニール袋になんか入れてくれないんだから。
なんせ、メキシコはトルティージャでだって、包み紙代金とられるんだから、トルティージャ包みを持ってトルティージャ買いに行くのが常識。

ところで、日本の方がよっぽど、包装過剰です。見栄えはすごくいいんだけど。
特に高級お菓子。お菓子は、最高に美味しいけど、あんなに幾重にも包まなくって良いから、もうちょっと安いと嬉しいけどねえ。
包装紙、箱、そのまた中の袋、みんなゴミになるんですよね。

着物ショーと私的着物の思い出

18 3月
2010年3月18日

日本メキシコ交流400周年 まだまだ続く!
日本メキシコ交流400周年は去年2009年のはずなのだが、2009年はご存知、メキシコが発祥の地?と言われたインフルエンザ年。
それで、2009年は、特に4月末から9月頃まで、みんな何もせず静かに、息を呑むようにしてた?と言うか、
兎に角、何もせず何も出来ず、日本からの渡航もみんな出来なかったという事情もあって、
で、今年2010年も引き続き日本メキシコ交流400年祭のイベントは続くのだそうです。
それで、色々イベントが行われている。
そのイベントにメキシコ人の人が結構興味を持って行くようで、この日本メキシコ交流400周年祭りも、 日本をアピールする、
日本の文化を知ってもらうと言う国際交流の意義を果たしていると言えるのだろうと思う。
着物ショーのイベントもあった。

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着物というと普段なかなか特に外国に住んでいると、着る機会もないし、多くの若い(私も)人は、自分でちゃんと着られないというのもあって、着物を着るという事もない。
私の親の時代は、まだ、子供の頃、着物で生活していたのだから、着物も持っているし、自分で着れるのだから、
正式な行事の時は、やっぱり着物!と言うのがあると思うが、もう、私達つまり戦後生まれの世代は、正式な行事の時でも洋服が楽と言うのもあって、
着物より洋服にしてしまうという人も多いと思う。
それに、着物は高い!という感覚がある。
だがら、着物ショーの人の説明で最近は着物を着る人も増えたそうだが、なかなか、その着物好きの人とか趣味の人以外はそうそう、自分の着物を持って、
普段しばしば着るという人は絶対数的には少ないと思う。

だが、外国の人は、日本と言うと、着物と言うイメージが強いと思う。
やはり、着物は日本文化の代表格らしい。

私も母親や叔母が着物は必要と考える世代の人だったから、訪問着を作ってもらった。
何回も着る機会があったわけではない訪問着。
でも、メキシコに来る時、まだまだ若かったから、着る機会があるかもしれないしと思い持って来た。
ついに私はメキシコでは着る事が一度もなかった。
私も着物着付け教室にでも通っていたら、なんとか着られただろうが自分の結婚式のパーティにも、訪問着を自分で着れる自信がなかったので、その時は、普段着用の伯母が作ってくれた着物を着た。
その普段着用の着物でさえ、メキシコ人の中で、素敵!綺麗!と見栄えがした事(私でなく着物が)。
さすが、日本人は着物!悪くないなあ。

あの訪問着、実は、メキシコで、娘が着た。
娘の結婚式?いやいや、そうじゃなくって、娘がアルバイトのテレビのドラマでの通行人役 つまりエキストラで。
正装の着物で、と言われて、着物はあるが、着られない、着せられないと言った。
着物を自分で着られないというのは、「えっ?!」と思われたようだが、テレビ局の人、日本大使館に問い合わせて、日本舞踊の先生に着付けを頼んだ。

ドラマの設定場面、麻薬のマフィアの親分の結婚式で、世界の色んな国の招待客というもの。
マフィアの親分が、何処かの国の王様並みに世界中の人を招待するという設定も、イマイチ分からなくって、でもメキシコ的だったりするけど。
日本は着物を着てしゃりしゃりで、日本代表です!みたいでこれもちょっと笑える気分だけど。

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写真の説明:ドラマの撮影の様子

ところで、日本の文化の代表格の着物だけど、海外旅行をする時、着物を着てとか、着物を持って行くというのは、
よっぽど何か特別の理由がない限りあまりないだろうと思うが、
他の観光ガイドの人の話で、普段から着物を常に着ている人が、メキシコ旅行でも着物で通していた人がいたよと。
それで、あっちこっとで人気者だったよと。

メキシコのピラミッドも素敵な着物でせっせと登る!想像しただけで楽しい。人気者だよ。そりゃあ。
いかが?あなたも。

ところで、着物ショーが始まる前、近くに居たメキシコ人の女の子達の話が聞こえて来た。
「あのリュックサック、どう?」
「もっと上がいいよね」
「未婚の人と既婚の人では、キモノの袖が違うらしいよ」
「ふ~ん」

無料着物ショー、大人気で、私も一時間前に行ったけど、もう立見もないよ!と言われてしまった。
受付やってた友達の計らいで、写真撮りにちょっとこっそり入れてもらった。遠くっていい写真撮れなかったけど。

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写真の説明:着物ショー会場前で入場を待つ人たち

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写真の説明:メキシコの人がリックサックと思った帯の説明の様子

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写真の説明:花婿、花嫁はメキシコ人にモデルさんをしてもらったそうです。

ウルトラバロック教会

12 3月
2010年3月12日

バロック建築というと、ヨーロッパの教会などの建築様式を思い起すと思う。
メキシコは植民時代、スペインの影響で、バロック建築、特にスペインのチュリゲーラ様式が、メキシコに伝わるが、それが、メキシコの現地の先住民の手によって、
教会が作られたので、その彼らの美的感覚、伝統、また、描かれる造形の天使などさえ、先住民風顔立ちに描かれていたりというメキシコ独特のバロック建築の教会が建てられた。
それはまったく隙間のないほどの装飾、彫刻で教会の教会のファザード(正面)、祭壇、いや教会の壁、天井まで埋め尽くされた。
その名もウルトラバロック、メキシコバロック、またメキシコチュリゲーラ建築と言われる教会がメキシコのあっちこっちにある。
特に、植民地時代銀鉱山などの富をつぎ込んで作られた教会なども。
またそのすごい装飾の祭壇が全て金箔で覆われているというので黄金教会の名でも呼ばれる教会も。

日本の観光の方もよく行かれるウルトラバロック教会は、メキシコシティのカテドラルの祭壇、タスコのサンタ プリスカ教会、テポソトランの今は博物館になっているサン フランシスコ ハビエル教会、プエブラのサント ドミンゴ教会のロサリオ礼拝堂、オアハカのサント ドミンゴ教会などなどであろう。

あまり日本の方の観光では行かないけれど、このウルトラバロックの名に恥じない教会で、メキシコシティからも日帰りで行かれる教会を2つ紹介したいと思う。

一つは、前に「世界一のピラミッド」で紹介したチョルーラのピラミッドは観光でもよく行くが、そのチョルーラから4キロほどで行ける距離にある。
チョルーラに行ったら、是非寄り道して行きたいところのトナンツィントラの教会 サンタ マリア トナンツィントラ教会。

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トナンツィンというのは、当に、先住民時代、アステカなどの太陽神の女神の名である。
つまりこのマリア トナツィントラは先住民の聖母。カトリックに強制された先住民のマリアであるのだろう。

この教会の中に入ると、さすが、あっと驚く!教会内部全てに隙間なく描かれたその装飾のすごさ!
またその装飾を見ると、まさにそれはメキシコインディヘナ芸術であり、まったく、インディヘナの教会としか言えないものである。
ふつう教会の模様に使われるのは葡萄であるが、その葡萄の代わりにメキシコのフルーツ、テホコーテらしい黄色のフルーツやらトウモロコシなどメキシコ色一色。
天使や聖人は、当にインディヘナの顔であり、それが、全ての空間を埋め尽くす。
キリストは、メキシコ先住民時代の神、ケッツアルコーアトルが描かれていると言う。

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それは、メキシコバロック、ウルトラバロックでも、メキシコポピュラーバロック、メキシコ大衆バロックと言えるものだそうだ。
植民地時代の支配者であった白人系の人々のものでなく、土着のインディヘナの大衆による彼ら自身の中からの溢れ出た彼らの教会芸術であるのだろう。
是非、チョルーラ遺跡の寄り道でも、寄ってみて!絶対行って後悔ないと思う。

もう、一つはトラスカラ州の州都、トラスカラ市から丘に向かって徒歩でも行けるオコトラン教会である。
ここはメキシコの有名な奇跡の聖母グアダルーペの第2弾的で、やはりスペイン侵略当時あったという奇跡の聖母オコトラン聖母を祭った巡礼の教会である。

このオコトラン聖母は、かぐや姫ならぬオコトラン聖母。
オコテという木の根元が火が燃えるように輝いていた。そこを切ってみたら現われたのがその聖母像であるのだ。

この聖母の奇跡というのが、やはりファン ディエゴというインディオが、疫病の人への水の瓶を持って森を通りかかると聖母が現われて、その水の代わりに
しかじかの所へ行ったら泉があるから、その水を汲んで病人に飲ませなさいと、普段、泉がない場所に泉があり、水がこんこんと湧いていた。
その水を聖母に言われたように病人に飲ますと、病気が治ったと。

教会へ向かって登っていく途中にその泉がある。今も泉は枯れず水が湧いている。

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写真の説明:泉のある礼拝堂

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写真の説明:泉の礼拝堂内部 壁画が描かれている

それで、その水を巡礼の人たちはみんな貰ってゆくのだ。奇跡の水を。

この教会、なかなか外観も素晴らしい。白のモルタルと赤のレンガのコントラストが美しい。

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やはり中に入って、やっぱり、びっくり!ウルトラバロックだ、ここも!
まったく聖人像など同寸大の大きさだが、その正面祭壇の何処もかしこもやはり隙間がない!

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写真の説明:オコトラン聖母像

日本の侘び寂の美と逆の世界、ウルトラバロックのその美しさの極致というものかもしれない。
正面祭壇の裏側の小さな小部屋 カマリンもお見逃しなく。

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奇跡の水を貰いがてら、この教会も是非訪ねてみるのもいい。
なおトラスカラにはカカストラという壁画の素晴らしい遺跡があるから、両方訪ねよう!

バニラのふるさと

02 3月
2010年3月2日

ケーキやアイスクリームなどの香料に欠かせないバニラ。
そして多分香水を多く使う外国などでは香水の香りとしても使うだろう。
だが、日本では、よほどケーキ作りに凝った人以外は、本物のバニラを香料として使いたいなどと思わないだろう。
バニラアイスクリームの好きな人は多いと思うが、あの味は、バニラなしには成り立たないのだろう。
今の時代は、多分科学エッセンスなんてのもあるのだろうと思うが。

バニラと言っても、メキシコを思い出してくれる人はあまりいないようだが、実は、バニラの原産地、ふるさとは、メキシコである。
だが残念な事に、今世界のバニラ産地は、マダガスカルなど他の国が多く輸出国として知られていて、メキシコの名はあまり現われないようだ。

バニラの元々のふるさとは、メキシコの特にベラクルス州北部のトトナカ部族の住んでいた熱帯密林地区、エル タヒンなどの古代都市が栄えた地区である。

世界遺産にもなっているエル タヒンの遺跡からもっとも近い町、パパントラの周辺が今でも、メキシコのバニラ産地である。

私は一泊の小旅行でこのパパントラの小さな田舎町に泊まった。
今回の一つの楽しみはバニラの栽培の様子を見たいと言うのがあった。
エコロジー公園と名づけたところで、バニラなどの栽培もしていてそれを見せてくれると、メキシコの旅行案内本にあったのだ。

だが、運悪く、メキシコシティを出た時は曇り日だったが、途中からシトシト雨。
この雨は旅行中、ずーと降り続いた。
メキシコ湾あたりにやってくるノルテという寒波の影響。今年3度目の乾季の雨である。

一泊して、今日こそはいい天気になるかな?と期待したが、雨は止まない。
ホテルの人に聞いたら、この雨では公園は閉まっているだろう、公園は泥で歩けないだろうしと。
それでも、もしかして見せてくれるかも?の期待で、パパントラの郊外にあるその公園とやらにタクシーで行ってみた。

広い公園と言うから、りっぱな入り口があってと想像していたが、いや、まったくメキシコの普通の農家という趣。
柵や入り口は、密林の木で作られた手作り、その奥にある家は、田舎の小さな掘っ立て小屋風。
入り口は閉まっていたが、それでも大声で呼んでみたが、誰も現われない。
残念でした!

パパントラ出身のメキシコ人の友達がいるが、前に、私がバニラ、バニラと言うものだがら、彼、実家に帰った時、つるの延びたバニラを持って来てくれた事があった。
バニラは、熱帯の密林に育つランである。そのつるは十メートル以上もどんどん伸びて行くらしい。
私としては大事にしていたつもりだったけど、我が家はメキシコシティでも山の麓にあって、寒いのだ。
熱帯密林に育つのだ、日向でなく日陰に置くようにと言われて、せっかく貰ったバニラ、寒かったのかねえ?

もともと、バニラは原生林の密林の中、つまり、木々が生い茂る中で木に絡まり大きくなって行くのだった。
今は人間が多くなってそういう密林はなくなってきているわけで栽培されるようになった訳だから、農家では、オレンジの栽培と平行して、オレンジの木に絡ませて育てるのだそうだ。

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写真の説明:この写真は、大分前の記事で伝統的民間医療のところに載せた写真であるが、バニラが木に絡まって伸びて行く様子。
今回はバニラの植物の写真がまったく撮れなかったので。

友人の話で、バニラの花は5月頃咲くそうだ。
その花は今は人口受粉をしているが、昔野生では、我が家でもよく見かけるが花の蜜を吸う鳥ハチドリという小さな鳥が、花の蜜を吸いに来て受粉してくれると言うものだった。

そして、その花が実をつける。その実の莢を乾燥させたもの。大体15センチくらい。それがのバニラのエッセンスとして使われるものである。

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写真の説明:バニラの実の莢を乾燥させたもの。この4本で20ペソだった。

バニラの栽培の様子は見られなかったが、パパントラの町の市場で、バニラやバニラのお酒、バニラ入りコーヒー(ベラクルスの産物にコーヒーもある)などを買って帰る事にした。

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写真の説明:バニラエッセンスの他バニラのお酒、バニラ入りコーヒー、バニラエッセンス、バニラで作ったアクセサリーなど売っている。

ところで、前の記事に書いたボラドーレスをメキシコシティや色んな観光地でやっている人達は、このパパントラのトトナカの人たちである。
先スペイン期時代にはいろんな場所で宗教儀式として行われていたであろうこのボラドーレスも、今はこのパパントラのトトナカの人たちだけが継承しているという事だろう。
パパントラの町の広場の一角の町の教会の庭に高いボラドーレスの柱が立っていた。

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写真の説明:教会の庭に立っている高いボラドーレスの柱。高さが教会の尖塔と同じ位だった。
雨でもちろん、ボラドーレスをやるどころではないだろうが、教会の祭り、村の行事、何かあるたびごとに、ここでボラドーレスが行われるのだろう。

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写真の説明:パパントラの町の小高い丘の上に立っているボラドーレスの彫刻

メキシコシティの博物館の前や、ティオティワカンの遺跡の前でボラドーレスをやって見せてくれる人たちも、もちろんこのパパントラの町の人たちで、ボラドーレスをして、また、彼らの町の産物、バニラも彼らは売っています。

もし、パパントラまで行かなくっても、メキシコシティなどでボラドーレスをみたら、ついでにバニラを買ってもいいでしょう。

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