月別アーカイブ: 7月, 2010

大きな鮮明な壁画の残るカカストラ遺跡

26 7月
2010年7月26日

メキシコシティからの日帰りツアーと言うと、プエブラ&チョルラ・ツアーかクエルナバカ&タスコ・ツアーというのが通常コースで、どこの旅行社でも
また、英語ツアーでも日本語ツアーでも、このツアーである。

だが、もし、メキシコシティの近くの遺跡で、テイオティワカンの他に一日で行くとしたら?と訊かれたら?
モレロス州のソチカルコ遺跡とトラスカラ州のカカストラ遺跡を勧めたい!
ソチカルコ遺跡は世界遺産になったので、最近は日本からのツアーでも盛り込まれている場合があるようになった。
だが、カカストラ遺跡は、まだ、ほとんど行かない。

だが、ここは本当のところお勧め!
友人がツアーでなく個人的にチョルーラ遺跡に行こうと思うというので、カカストラ遺跡にしなさいよ!と勧めた。

壁画のある遺跡として、マヤのボナンパックと並んで大きな鮮明な壁画が残っている遺跡である。
ボナンパックの壁画は、残念な事に大変劣化してしまったと思う。

カカストラ遺跡は壁画を保護さるために、1100平方メートルもの大きな屋根で遺跡全体を覆った。

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写真の説明:遺跡は大きな屋根で覆った。

それでも、一旦空気にさらされ、人の目にさらされると、赤、青の鮮明な色が少々あせて来ている気がする。
保存保護というのは、大きな課題なのだろうと思う。
戦いの様子を描いた大きな壁画も、屋根だけでなく、ガラスで壁画をおおい、保護するようになった。

ボナンパックの壁画は、国立人類学博物館のコピーを見てからオリジナルを見に、チャパスの密林まで行ったが、もう一部を除いて、
何を描いてあるのか識別さえも苦労するという状態で、悲しくなった。

カカストラ遺跡は、1975年まで、丘の上の畑だったところなのだ。
大地に1000年以上もの間埋まっていた壁画はその色が昨日描いた絵のように鮮明な濃い赤や青であった。

壁画の国、メキシコの先スペイン期における最大の壁画とも言える22Mに及ぶ大壁画、ジャガー軍と鷲軍の戦いの絵は、ちょっと消えているところもだいぶあるが、
よく見ると、生なましく血を滴らせている戦士、内臓まで描かれている戦士、額に槍が刺さっている戦士、勝ち組の勝利を誇る戦士などなど。
なかなか、今のアニメ作家も驚くかも?
さすが、壁画の国のメキシコ人の芸術家の血は、古い時代から、脈々とあったんだろうねと思ったりする。

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写真の説明:戦闘の壁画

その他、金星に関係あるだろうという男女の絵。

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赤い神殿名づけられたトウモロコシとカカオの木が、水のシンボルの亀や水鳥、商人らしい人物像などと共に描かれた絵。

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ジャガーの衣を着たジャガー人、鷲人etc。

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写真の説明:鷲の衣類の着た人物像

また、浮き彫り絵など、見るものがたっぷり。

もし、興味がありチャンスがあったら、色があせない、絵が消えない前に、是非カカストラ遺跡の壁画を見に行ってみては?

カカストラ遺跡の隣はソチテカトル遺跡である。紀元前300年の頃の先古典期時代の都の跡である。
カカストラ遺跡の入場料の同じ切符で、二つの遺跡見学ができるので、是非、こちらもお見逃しなく。
車で行った場合は、車でぐるりと回って行く。
徒歩の場合はカカストラ遺跡の丘を下り、またソチテカトル遺跡の丘を登って行く。

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写真の説明:カカストラ遺跡からソチテカトル遺跡を望む。

ソチテカトル遺跡については、また、次の機会に書きますね。

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写真の説明:遺跡からポポカテペトゥルとイスタシーワトルの山がよく見える。

大地の女神 初御目見え

19 7月
2010年7月19日

2006年10月メキシコシティのアステカの遺跡の正面側の地下で見つかった大地の女神Tlatecuhtliが6月の中旬からやっと、人々に初御目見えとなった。
来年の1月まで大神殿博物館(Museo de Templo Mayor)の特別展で公開されている。
この一枚岩の(破損して割れているが)石彫は、アステカ 3大遺物という事で、公開が待たれていたもの。

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写真の説明:大地の女神 トラテクトィリ像

この特別展は、大地の女神公開であると同時に、スペインの征服者コルテスがやって来た時、アステカ王国を治めていた王、モクテスマ2世についての展示である。

それで国立人類学博物館のアステカ室で、いろいろ重要な展示品が消えていると思ったら、この特別展に出張中という訳だった。
モクテスマ2世の展示は、イギリスでも公開され、多くの人が訪れたそうだが、今回の特別展はそれに加えて大地の女神とそこの場所から発掘された100点近い遺物がはじめて公開され、大変興味深いものである。

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写真の説明:大地の女神と共に発掘された遺品。 生贄のナイフが石や貝殻やサルの皮などで飾られたもの。
今回の発掘で初めて出てきたというものだが、神として扱われたものであろうと。

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写真の説明:大地の女神と共に発掘されたもの。香炉。

その発掘された遺物の中に金の装飾品なども含まれている。

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写真の説明:大地の女神像と共に発掘された金の装飾品

アステカは、ペルーのインカ文明のぞくぞくの黄金のように、スペインの侵略者が期待したほどに金を持っていた訳ではなかったが、金が目的の征服者によって、見つけられた金は略奪され、金の延べ棒にされ、スペインへと持ち去られた。

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写真の説明:これは漁師の財宝と呼ばれているが、メキシコ湾で見つかったもので、征服当時、メキシコから略奪された金が船に詰まれてスペインへ運ばれる途中        船の難破で、海の底に沈んでしまった財宝が見つかったもの。

業突く張りのコルテスによって、「もっと金がある筈だ!在り処を白状しろ!」と、最後の王 クワウテモックは捕らえられてから、足を焼かれて拷問されたが、英雄なるクワウテモックは、その在り処を言わなかった!

そのお陰(?)で、地下に奉納されていた金が500年の歳月を経て、今、我々の前に現われた。な~んてね。
クワウテモックの銅像のお話の中で、「アステカの黄金が、まだ何処かに隠されているかもしれません!」などと言ってたけど、やっぱり出てきた!?か!

展示品は、国立人類学博物館など他の博物館からの出張展示品もあるが、個人所蔵品のものもあるようで、そう易々見られないものもある。

大地の女神は、アステカ三大石彫のアステカの太陽のカレンダー、月の女神よりなお大きく、12トン 4.19m×3.62m×0.4m(厚さ)というもの。
大地の女神は、太陽、月の母であり、全ての生物の母、創造神であり、同時に死を食う大地の女神であると。
うー、そうか!なんとなく納得。

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写真の説明:大神殿博物館の常設展示の月の女神像と初公開の大地の女神像。
大地の女神像は1階、月の女神像は2階に展示されているので、3階から見ると二つの像を見比べられるように見える。

もし、この特別展の期間中にチャンスがあれば興味のある人は是非どうぞ。

サッカー

18 7月
2010年7月18日

ただ今、ワールドサッカー、世界の参加国中で、大騒ぎ。
メキシコも、もちろん!
日本もサッカーフアンが増えたようで、しかも、サッカー狂なる人も増えているようで。

ところで、メキシコなどラテンアメリカの国は、スポーツと言えば、サッカー、サッカー、サッカーである。
道でも広場でもちょっと数人集まれば、子供も大人もサッカーをする。

週末など男共は、テレビを見ると言えば、サッカー。
しかも、みんなでワイワイ観戦するのが好き。

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写真の説明:ソカロ広場に備え付けられた大スクリーンで試合を観戦する人たち。

ワールドサッカーともなると、みんな仕事をサボってでもサッカー観戦。
そして、勝てば、国中が大騒ぎ。交通ラッシュなんってもんじゃあない。まったく麻痺状態だ。

今回のワールドサッカーは、南アフリカであるが、メキシコとの時差があまりないようで、試合はメキシコの昼間のそれこそ、みんな仕事中に当たる時間帯である。
メキシコの試合中は、誰も仕事なんかしません。
職場に居ても、テレビで観戦です。
9時はじまりの試合に当たったら、今日は遅れて仕事に行きます、なんてのもざら。

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写真の説明:子供達も観戦。ところで彼ら、今日学校は、親に付き合ってお休み?!でしょう。

家でテレビ観戦より、兎に角みんなでワイワイ観戦する方が、楽しいというのか、レストランやバーへわざわざ行って観戦する人も多い。

メキシコシティ政府は、中央広場のソカロに、ワイドスクリーンテレビを何台も備え付け、皆、おいで!皆でメキシコを応援しよう!と。
それで、あの広いソカロ広場が、人で満杯。
周りの道は全部車をシャットアウト。

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写真の説明:ソカロ広場に入りきれない人は車が通行止めになった道にも溢れて観戦。

皆、家のテレビをのんびり見ればいいのに、炎天下、大勢の人の肩越しで、背伸びしないと見えないのに、わざわざ、ソカロに何十万人もの人が出かけてゆく。

ところで、今までのメキシコの勝敗結果は、ご存知の方はもちろんご存知だが、アイコ1、勝ち1、負け1で、次のトーナメント進出を果たせた。
ワールドサッカー、私の知る限りでは、毎回、アイコ1、勝ち1、負け1でなんとか、一次トーナメントクリアーで、その次は負けになちゃうんだけど。。。。。
今年はどうかな?

試合の終わった後は、アイコでも、もちろん勝ったら、そりゃあ大喜びで、皆独立記念塔へ駆け参じて、大騒ぎ。
負けても、次のトーナメント進出決定だ!ってんで、やっぱり独立記念塔で気勢を揚げてたけど。

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写真の説明:負けたウルグアイ戦のあと、ソカロ広場から帰宅する人や、まだ独立記念塔で気勢を揚げに行く人達の波。
この日は、負け試合だったから、全体的に静かであったが、フランス戦で勝った後はすごかったらしい。

メキシコ、負けて、次がなくなっても、心配ご無用。
メキシコを、もう応援できなくなったら、ラテンアメリカの国を応援するんだから、最後まで楽しめちゃうのです。

日本で、お相撲さん関係者が野球賭博とかで、騒いでいますが、そんなでっかい事じゃあないけど、
メキシコではワールドサッカー、仲間同士で小額を楽しみで賭けあう人は結構居るようです。

知り合いは、「メキシコ対フランスの試合で、フランス勝ちに賭けたら、負けちゃったけど、まあいいや、メキシコが勝ったんだから」ですって。

それこそ、ソカロ広場や独立記念塔にウン十万人もの人が集まり、大騒ぎ興奮するんだから、怪我人もでるんじゃあないか?事故もあるんじゃあないか?であるが、
メキシコ市政府も万全の警戒!

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荷物チェック、物売り禁止など、普段のデモ以上の警戒態勢。
で、数十人の若者、物売りが捕まり、厳重警告ってのもありだったようだが、無事、今までのところ事故もなくお祭りは続いているようだ。

まあ、しばらく、ワールドサッカー終わるまで、お祭り騒ぎは続きますねえ。

アカプルコ

06 7月
2010年7月6日

メキシコの最も昔からのリゾート アカプルコ。
カンクンがリゾート化される以前は、外国からの観光の方もほとんどがアカプルコのリゾートへというのが定番だった。
世界のリゾート アカプルコであった。

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写真の説明:アカプルコ湾が見える。リゾートのホテルが海岸側に並ぶ。

カンクン、ロス・カボスなど他のリゾート開発がなされ、外国のお客様をそちらへ取られてしまった感はなきにしもあらずだが、
アカプルコは、太平洋側の最も昔から(1531年開港)の港町でもある。
歴史あるリゾート、港町アカプルコである。
世界からのクルーズ船がアカプルコの港へ寄航する。日本のクルーズ船もアカプルコに寄航する。

世界のリゾートの名はカンクンに譲ってしまった感はあるが、歴史ある、また日本とも縁の深いアカプルコである。

去年2009年は日本メキシコ交流400周年記念で色々イベントも行われた。

1609年、マニラとアカプルコの間を就航していたガリレオ船の難破で、御宿(千葉県)の人々に助けられたフイリッピン代理総監のロドリーゴ・デ・ビベロや船の乗組員を、
徳川家康は船を作って、ヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)に送り帰してくれた。
そのとき、何人かの日本人もメキシコに渡航したようである。

だが、歴史的に公式にメキシコを最初に訪れた日本人は、慶長遣欧使節 支倉常長ローマ使節団の一行であった。
そしてもちろん彼らは当時のメキシコの太平洋側の港町アカプルコの町に、メキシコに、日本人として最初に降り立ったのである。1614年の事である。

そんな訳で、仙台市そして御宿の町とアカプルコは姉妹都市である。

アカプルコの町に仙台市から贈られたサムライの名で呼ばれている支倉常長の銅像が立っている。

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写真の説明:オルモスビーチの日本プラザに立つ支倉常長像

アカプルコがリゾート開発されたのは、メキシコでも最も早く、80年以上の歴史を持つリゾート地である。

そして、その観光地としてのアカプルコの一大ショーはその名も「死のダイビングショー」と言われる40mの絶壁断崖からのダイビングショーである。
これは、もしアカプルコに来る事があったら、絶対見るべきものである。なかなかインパクトあるショーである。

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写真の説明:ダイビングショーの様子。よくよく見てください。飛んでる人がいる!でしょう。

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