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日本の陶芸を教える学校とメキシコの陶器

28 11月
2010年11月28日

日本の陶芸は、世界に誇るものであると思う。
日本の技術を世界に伝えるジャイカの派遣の人も世界に陶芸技術を伝えるために世界のあっちこっちで活躍しているらしい。
実際、私が最初に陶芸教室に行ったのは、ジャイカで、中米で仕事をした後、メキシコで陶芸教室を開いた先生の教室だった。
残念な事に、メキシコ人の生徒はあまり集まらず、結局、日本にお帰りになってしまった。
メキシコの人に日本の陶芸の素晴らしさを宣伝できずにの結果であったかもしれない。

メキシコの陶器は、土器に近い低温の焼き物が多い。
それは、土鍋をはじめ皿、碗など。オアハカ地方ミチュワカン地方グアナファットなどのその地方のそれぞれ特色がある。

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写真の説明:メキシコの家庭でよく使われている土鍋

その色、絵、また、細かいピース作りを組み合わせた生命の樹(メテペックが産地で、メキシコ州の旅で紹介)などに代表される芸術的民芸品としての価値がある。

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写真の説明:民芸品博物館の展示 生命の樹

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写真の説明:陶芸の町 メテペックのお店で売られている沢山の生命の樹

それだけではもちろんない。
プエブラのタラベラなどは、植民地時代に、東洋や西洋の技術を学んで高温で焼き、絵付けも細かい伝統芸術である。

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写真の説明:タラベラの町 プエブラの市場

また、最近結構人気のセルビン工房などは、その独自の工程で一度焼きながら高温で細かい絵付けの独特の陶器を作っているなどもあり、なかなかのものもある。
メキシコの焼き物もそれぞれにそれはそれなりにいい。

だが、日本の陶芸の奥の深さは、初心者の初心者である私でも、すごいと思わざるを得ない。
釉薬をつけ、窯だしをするまで、その結果はなんとも言えない。

そんな日本の伝統の陶芸を教える学校がメキシコのメキシコ州の州都トルカにある。
創立以来30年以上、メキシコ人に日本の陶芸を教えている。

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写真の説明:陶芸学校

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写真の説明:陶芸学校

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写真の説明:陶芸学校

そこで学んだ人の作品なのだろか?土曜バザールでも、日本の陶器らしい商品を見かける。

私はまだまだ初心者の初心者で、作品も拙いものだが、時々物々交換市場に出したりすると、メキシコ人に買ってもらえる。
(日本だったら、絶対売れるような代物ではないが)
日本の陶器のよさで買ってもらえるのか?珍しいだけか?は兎も角。

日本人の先生が、最近には、研究を重ねて、現地の土で磁器用の粘土をつくりあげた。
「これからは磁器も作れるからね。」と先生がおしゃった。
楽しみ!

日本の素晴らしい伝統陶芸が、メキシコ人に理解され、その技術も伝わってゆくのだろう。

だが、メキシコ人一般庶民にまで、日本の陶器が日常食器として使われるのは、はるか彼方の夢かも?
工場で多量生産による安い食器も結構見栄えがいいし、プラスティックの食器さえ、普通に使われるメキシコ一般庶民の生活に、手作りの陶器が使われる日は、
そう簡単にやって来ないだろうが。。。。

陶芸学校のメキシコ人の生徒の多くが手がけるように、芸術作品を作るのに、陶芸技術を学ぶ価値があるのか?
彼らの作品を見ると、アートに縁がない私からみると、発想がユニークで面白い。
やっぱり、アート好きなメキシコなのであろう。

ソナ・ロッサを歩けば、韓国レストランに当たる。

22 11月
2010年11月22日

ソナ・ロッサ街は、昔から繁華街。
レストラン、お店、バー、ディスコなどが軒を並べている繁華街。
で、外国人観光客も、メキシコ人も、若者も、はたまたゲイなどの同性愛者も闊歩している繁華街。
メキシコのレフォルマ メインストリートから1ブロックだから、便利な繁華街。

メキシコシティで、観光客を含めた人が行く繁華街として、高級繁華街としては、なんと言ってもポランコの繁華街がある。
だが、高級ではなく、やや庶民向け風な繁華街はなんと言ってもソナ・ロッサ。
この辺も、メキシコの経済事情か?最近お店がよく変わるようだ。お店の経営もなかなか難しいものがあるのだろう。

だが、最近この辺で元気なのが韓国のお店。
ソナ・ロッサは実のところ、韓国街になりつつある。

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じゃあ、メキシコシティで日本街は何処?と言われると、少々僻んで「ありません。」

ソナ・ロッサを歩けば、韓国のお店、レストランにぶつかります。
韓国人経営のレストラン、パン屋、カフェ、食材店、美容院、スパ。
それにつれて、ソナ・ロッサで、東洋人を見かけたら、結構、日本人じゃあなくって、韓国の人。

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写真の説明:韓国人のケーキ屋兼カフェ。ケーキも日本風であまり甘くなく美味しい。

僻んでばかりいても仕方ない。

昔は、韓国レストランは、メキシコシティ内にせいぜい2件くらいしかなかった。
それで、たまに、日本人観光客の方に、「中華レストランか、韓国レストランは何処にありますか?」と聞かれたりすると、
(日本人は、洋食やメキシコ食に飽きると、日本食や東洋食が食べたくなるらしい。)
その2件の韓国レストランを教える事になったが。

今は、「ソナ・ロッサ街へ行ってください。そこを歩けば、韓国レストランが軒を並べていますよ。」

そんな訳で、韓国レストランへ行かれた観光客の方
「美味しかったですよ焼肉、二人で飲んで食べて500ペソくらい、安いですねえ。」
今の円高効果もあって、お安かったのでしょう。

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私も、先日娘の韓国人のお友達に誘われて、焼肉食べに行きました。
美味しかったです、焼肉。

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ソナ・ロッサを歩けば、韓国レストランに当たります故、東洋食、恋しくなったら、ソナ・ロッサを歩くのもいいでしょう。

無人島 鳥の島 コントイ

18 11月
2010年11月18日

世界のリゾート カンクンの周辺も、ドンドン観光地化がすすみ、またカンクンの南のリベラ・マヤ地区もカンクン以上に開発が進み、近年、カンクン以上の大きな空港さえもつくるという計画があるそうで、キンタナ・ロウ州のカリブ海側のあらゆる場所が観光という喜ぶべきか?の洗礼を受けるという羽目になりつつある。
観光開発という洗礼を受けると、どんなに守ったとしても、自然破壊は少なからずある。

キンタナ・ロウ州のカリブの島は、イスラ・ムヘーレス、コスメル島が筆頭であり、観光の目玉である。
この二つの島、美しいカリブの海に浮かぶ美しい島で、泳ぐにしてもスノーケルやダイビングをするにも最高であろう。
是非お勧め、行きたい場所である。

だが、ちょっと目先を変えて、もう一つの島、無人島、鳥の島、自然保護区の島 コントイ島
自然保護区の島であるため、入島に人数制限と許可が必要のためほとんど人が行かない島 鳥の島というように鳥の楽園というコントイ島へ行った。

実は、今回のコントイ島行きの失敗は、80歳の従兄を同行した事。
80歳の人には冒険が過ぎたかもであった事。

カンクンの北の港、ファーレス港からモーターボートをチャーターした。
この日は曇り日で、やや波が高かったようだ。
速力を上げて海を疾走するボート、波しぶきを全身に浴びる。

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一旦、入島許可とガソリン給油のために寄航したイスラ・ムヘーレスから北へ、コントイ島に向かう。
大海に他の船も見えない。
地平線に、珊瑚礁棚に白い波がはじけてみえる。
ボートは、水上スキーをやってるほどに、ドキドキだったかもしれない。
私は、楽しかったのだが。。。。
1時間半という予定が波の関係もあったのだろう2時間ほどでコントイ島に到着。
到着と同時に今まで黙っていた従兄がカンカンに怒り出した。
「俺は、絶対にこのボートでは帰らないぞ!大きな遊覧船があるだろう。」

イスラ・ムヘーレスから小さな(ボートより大きい)船がでているそうだ。
お勧め1. コントイ島へ行きたい人はそちらがお勧めだろう。

従兄の怒りに、すっかりしょぼくれた私は島を楽しむ余裕がなかったが、人が来ていない島で自然を満喫するのは素晴らしいと思う。

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カンクン在住の知人は、ダイビングにしばしばコントイ島に行くそうだ。

怒る従兄に帰りは波と同方向に走るから、それほどでないとボートの船乗りの言葉を伝え、説得した。
帰りは船乗りの言うように、波しぶきにもほとんどぬれる事なく、ほっと、従兄のご機嫌を観察。

お勧め2. ご年配は連れて行かない。

私もそろそろご年配の歳だけど、チャンスがあったら、もう一度コントイ島へ行こう。
もっとゆっくり島の自然を観察したい。
鳥の楽園で、もっと鳥を観察したい。
私はダイビングが出来なくって残念だけど、ダイビングをする人にとっても最高の場所らしい。

最近、観光のお客様で私と同じ年でメキシコにダイビングにいらっしゃった方に会った。
彼女は、57歳からダイビングを始めて今はすっかりハマってあっちこっちに行かれるそうだ。
海の魚達の世界にお邪魔できるダイビング、いいなあ!
あー、私も今からチャレンジしようかしら?ダイビング。

残念、無念のプエブラのゲラゲッツァ

02 11月
2010年11月2日

祭りと言うと、教会の祭りが日常茶飯事のごとくある。
なんせ、メキシコには、あっちの街角、こっちの街角と教会がある、その教会の聖人などの祭りがあると言うことは一年中どこかの教会で祭りをやているという事になる訳だ。
普通教会の祭りというと、まず移動遊園地がやってくる。
道をふさいでメリーゴーランドだか?ぶつかりっこ自動車だか?小型ジェットコースターだか?移動遊園地と言うべきか、仮設遊園地と言うべきかができ、昼間だけじゃあない、夜中まで、子供連れの家族で賑わっている。
もちろん露店も、どっとやってくる。食べ物の露店やら、矢当てだか?拳銃当てだか?ゲーム屋だか?なんかいっぱい商売屋が店を並べてる。
それは、全て、教会の周りの道路をふさいで露店が立つわけであるから、そこを通らねばならない者にとってははなはだ迷惑この上ないのだが。
なんせ、すごい交通渋滞になってしまうのだ。
私の家から車で5分圏内に教会が4軒ある。それが、しばしば祭りをやるから、またか!祭りはもう結構!の気分にならざるを得ない。

前置きが長くなってしまったが、そんな教会のお祭りにヘキヘキしている私だが、前から一度行きたい!行きたい!と思っていたお祭りがある。
それは私、名づけて「プエブラのゲラゲッツア」 本名はAtlixco(アトゥリスコ)の町の「Atlixcayotl」の祭りである。
世の中に(観光的に有名な)知られているメキシコ先住民のフォルクローレの祭りと言うと、なんと言ってもオアハカのゲラゲッツアの祭りである。
オアハカのゲラゲッツアの祭りは、あまりにも有名で、世界からの観光客もやってくる祭りである。

だが、「プエブラの民族祭りは、あまり知られていないが、決してオアハカのゲラゲッツアの祭りに引けを取るものでなく素晴らしいものだ。
観光的に知られていない分、素朴で、商業化されていないで、昔からの伝統が生きている祭りであろう。
ゲラゲッツアとAtlixcayotlの祭りのどちらがいいとを言われればAtlixcayotlの祭りだ!」と友人から聞いて、
今年は是非是非行かなくては!と、前々から、9月の最終日曜日は、仕事があっても断ってでも行くぞ!と、思っていたのだが。。。。。

プエブラ州のアトゥリスカヨトゥルの祭りのクライマックスは、プエブラ州の11の地区から7つの先住民の人々が集まり、彼らの民族衣装で民族の踊りが
アトゥリスコの町に聳える山Popocaticaの丘 別名サン・ミゲルの丘で行われるもの。

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写真の説明:踊りの行われるサン・ミゲルの丘

山というのは、特に高く聳える山は、先住民時代、神聖な神の場所と考えられ、そこで神を祭った場所であろう。
彼らの神への祈りは、踊りであり音楽であったであろう。
植民地時代、先住民は強制的に彼らの神を捨てさせられ、カトリックに改宗せざるを得なかった。
彼らの神はカトリックの聖人と名を変えたが、彼らは、神がいると信じる山の同じ場所で彼らの祈りである民族踊りを踊るのかもしれない。
インターネットで
、Atlixcayotlの祭りについてチェックはしていた。
だが、前もって切符を手にいれなくてはならないような情報は一切なかったし、行ったらその場で見られると高をくくっていた。

当日、メキシコシティからプエブラ経由でアトゥリスコの町へ約3時間。午前の程よい時間に到着。
町がそれほど、祭りで騒いでいる様子もなく、駐車場も難なくみつかり、丘での踊りは12時からだというので、町一番のお勧めレストランと言うところで朝御飯という事にした。

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写真の説明:モーレのエンチラーダ

プエブラ州なので、プエブラの有名なモーレを使ったエンチラーダなどの料理を食べ、うまい!うまい!やっぱりモーレはプエブラだ!などと満足満足!
で、朝食を済ませて12時に間に合うようにと丘を目指す事に。

町の広場は祭りらしい雰囲気さえなかったのだが、丘への登り道にはいると、道の両側に露店や風呂敷商売のお店が延々と続く。

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写真の説明:道の露店

我々と同様に丘の頂上に向かって歩く人もぞろぞろ。

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写真の説明:丘の上を目指して登って行く人々

鼻歌交じりに丘を登っていったはいいのだが、丘の中ほどまできたら、人がいっぱい集まりその先は綱がひかれ、警備の人が交通止めをしている。
聞くと、丘の会場はもう人でいっぱいでこれ以上の人が入るのは不可能で、ここから先は行かれないとの事。

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写真の説明:丘の途中で交通止めにあっている人々

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写真の説明:踊りに参加する人らしい服装をした人もいた。

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写真の説明:交通止めの警備の目をかすめて、丘に登ろうとしていた人たち。

入場切符があった風でもなく、やって来る人は皆入れて、見られたというのが今までの恒例のようで、レストランの人も町の人も「早く行かないと入れないよ」となどと予告してくれなかった。
交通ストップにあった人の中に、「おれは招待券をもってるぞ!通せ!」と叫ぶ人もあったが、警備の人は上からの命令で、人っ子一人通すなと言われているとそれも却下。

私達も、諦めて、引き帰そうとしたら、近くにいた先住民のおじさん「何処から来た?」
「韓国人と日本人だ」と言ったら、
「そりゃあ大変だ!ここまで来て見られないんじゃあ、メキシコの名がすたる。俺が交渉してやる!」
だが、親切なおじさんの交渉も功を奏せず。
大きなカメラを持った報道関係の人と言う人も、すったもんだしてたけど、やっぱり通してもらえず。

あー、残念、無念のプエブラのゲラゲッツアの祭りであったよ!
来年は入場券が配布されるかも?入場券を手にいれたり、早めに行く事が必要だろうな。
来年、行こう!

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写真の説明:町の広場でやってたインディオ踊り。丘の上で踊れなかったから広場で踊ってた訳でもないだろうが。

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