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民芸品工房を訪ねる。その2(オアハカの旅)

26 2月
2011年2月26日

織物の村、サント・トマス村の腰織りの織物
腰織りによる織物、昔から、人々がやっていた伝統織物である。
前に鈴木カツ子さんの織物の話を書いた。

メキシコやグアテマラなどの多くの場所で、今なお、その場所場所で違った風の織物作られていている。
その織物を現代風にアレンジして、テーブルクロス風やら袋物やら、小物では若者の好きな腕輪などなど。
私もサント・トマス村の織物の袋物を一つ持っているが、なかなかお気に入りのカバンだ。

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お邪魔した家も、母親と娘達みんなで、織物づくりをしている。
この村の女性はみんな機織をしているわけだ。
柱や木に一方の端を縛りつけ、腰に回しての腰織り機。何処でもできる。

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写真の説明:娘さんの一人が実演して見せてくれた。

本当に、何処の村もそれぞれの伝統の民芸品を代々親から学び、4~5歳頃からやるらしい。

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写真の説明:子供達が小さな時、機を織っている写真がかけてあった。

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写真の説明:村の市場にも行ってみた。やっぱり売っているのは、村の民芸品の織物。

刺繍ににしても織物にしても、その手作りの良さ素晴らしさを認識してもらい、それを求める市場があってこそ、その伝統民芸が生き残る。
そのために、昔からの物だけでなく、今の人好みの商品作りも必要で、私達を案内してくれた通称さるさん(ようこさん)も、こんな商品が欲しい!と助言をするようだ。

メキシコのシュールリアリズム芸術の一つとも言えるのはアレブリヘス。
前記事でアレブリヘスについて書いたが。

そのアレブリヘスの村サンマルティン。
訪ねた工房はハコボ&マリアさんの工房で、ここは、若い人たちが大勢で、工程の部分部分を担当して働いていた。
学校が休みの時は、子供達もアレブリヘ作りを習いに来ているそうで、ハコボ&マリアさん工房は後継者の育成にも貢献している。

このアレブリヘスも気の遠くなるような工程である。
ハコボさんがそのアレブリヘスの工程やその起原を説明してくれた。
もともと、先住民時代の人々の考え方の中にも、人は生まれた日によって、その保護動物というか?があるそうだ。
東洋の12支と同様に、人それぞれ自分の動物というのがあって、その動物の造形を作ったのが元祖アリブリヘス。

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アレブリヘスを作る木は、あのヤグールの世界遺産の洞窟のある荒野でも見かけたが、コパルの木である。
コパルは、昔の先住民時代の宗教儀式には欠かせない香となる木である。

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この木から、アレブリヘ製作者の創造力と想像力で色んな造形が作り出される。

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それを何ヶ月も乾燥させるというかして、その木片の傷が変形が出たら、それを修正して、色んな自然の染料で色づけする。

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その色づけの模様は実に細かく、一点一点、一本一本の線が描かれ塗られる。
その模様によっては、あのミトラ遺跡の幾何学模様に由来するものだろう。
それにしても、本当に、気が遠くなる作業である。
大物はウン十万のお値段で求められるそうで、民芸品というより芸術品としての価値で求められるようだ。
それにしてもカラフルな繊細な模様で描かれ、物によっては、空想力の極限のようなユニークな作品達。

ウン十万の作品は兎も角、小さなお手頃の可愛い動物達は、お土産に最高。
あなたの12支か、あなたの生まれた日による保護動物を知って、その動物のアリブリヘスを求めるのも楽しいかも?

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オアハカ地方は、まさに民芸品の宝庫である。
今回訪ねた村だけでなく、オアハカの村が、それぞれその村の民芸があり、それを生活の糧として民芸品を作っている。
陶器、織物、刺繍ブラウスなどの衣類、毛の織物の敷物、モンテ アルバン遺跡の7号墳墓から出てきたような金銀細工などなど。
民芸品好きには、たまらなく魅力的なオアハカ地方。
オアハカ地方の市場も実に楽しい。

オアハカのモンテ アルバン遺跡やミトラ遺跡の旅だけでなく、オアハカ地方の民芸品を見て歩く旅もまたいい!

民芸品工房を訪ねる。その1(オアハカの旅)

22 2月
2011年2月22日

メキシコ旅行への興味、楽しみと言うと何だろう?
やっぱり数ある遺跡見学、特に世界遺産になってるような。
人によっては、特に女の人は、それだけでなく、買い物という人もあるかもしれない。
買い物と言ってもメキシコは、流行のファッションやブッティック商品やメーカ商品がというのはこれと言うほどないようだ。

だが、メキシコで買い物となると、テキーラのようなもの以外だったら、なんと言っても民芸品という事になる。
民芸品と言うと、先住民の人たちが代々受け継いできた伝統的細かな作業で作り上げた手作り商品である。
民芸品は先住民の人たちが受け継いできた伝統工芸であるのだ。
それ故、その多くは、オアハカ州、ミチュワカン州、チャパス州、ゲレロ州などの先住民の血を持つ人が多い地区で、作られている。
しかも、一つ一つの村で、その村の工芸品というように、村の人たちがみんな同じ民芸品を作っている。
村の人々の生活の糧である民芸品作りである。

この何事も機械づくりの既製品が多い時代に、彼らは一つの商品を作り上げるのに、何ヶ月も手作業で日々、家族皆で家内作業で民芸品を作っている。

今回、オアハカ在住の日本女性で、メキシコの民芸品に惚れ込み、オアハカ地方の民芸品を日本の人に知ってもらう努力をして、その販売をしている方に、オアハカ州のいくつかの村の、特に彼女のお勧めの民芸品作りをしている人たちの工房を案内してもらった。
旅行者だけでは、ふらっと、工房を訪ねるというのは、なかなかできないが、彼女の仕事でのコンタクトでありがとう!です。

オコトラン・デ・モレロス村で、アギラール家の土器の人形工房。

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写真の説明:アギラール家の工房兼住まいの入り口。人形が飾ってある。

アギラール家は兄弟がそれぞれ親から受け継いで、家内工房で土人形を作っている。
焼き物であるが、メキシコの焼き物は低温での素焼きにカラフルな色付けされた人形達。
その人形達が素朴である。表情も豊かで、兎に角カラフルで楽しい。いかにもメキシコ風人形達。
民芸品でも、メキシコ人独特の前衛的というか超リアリズム的と言うかの芸術的なユニークな作品もあって面白い。
女の子が可愛い!と叫びそうな人形達。手作りの良さがにじんでいる。
小さなものだと、ほんの数ペソ。いいのこんな値段で?だが。
オアハカの民族衣装の人形など、メキシコらしいお土産でいいだろうな。
ただ、素焼きだから、壊さないように荷造りする必要ありだ。
メキシコの民芸品工房は、皆家庭内工房だから、メキシコの田舎の民家の生活がそこにあり、そんな様子も垣間見れると言った感じ。

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サンアントニーノ村で、文房具屋をしながら刺繍のブラウス(ウイピリ)作りをする刺繍の名人を訪ねる。
私達が訪ねたら、「ちょっと、待ってね。」と言って、お店のシャッターをガラガラ閉めてアテンドしてくれた。
ウイピリというのは、刺繍のブラウスやワンピースであるが、これは、各地方の民族がそれぞれまた違ったウイピリを作り着ているのだが、その手作りの刺繍がすごい!
手の込んだものは、何ヶ月もかかって製作すると。
ここで、小柄な名人が刺繍の手ほどきをしてくれた。
彼女は、子供の頃からやっていると。
姉妹達は、皆親から学んだ刺繍はせずに、他の仕事をしていて、彼女にも、こんな手間のかかる仕事は止めなと言うが、自分は好きだから続けていると。
そうだろうな。こんな気の遠くなるような仕事、好きと食べるため以外にはできないよね。
うちの娘が数ヶ月かけて作ったというお値段的には中くらいのブラウスを買った。
500ペソ(約4,000円)。数ヶ月の仕事が500ペソねえ。気が遠くなるよ。
私は数針刺繍やってみたけど、目がショボショボ、肩がコリコリ気分。

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次の民芸品工房は、「民芸品工房を訪ねる。その2(オアハカの旅)」へ続く!

世界遺産の洞窟って、いかに?その2

15 2月
2011年2月15日

その絶壁の岩の横を登る、山登りコースにはいる。

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その岩絵の見えた丘の上に出ると、なんとそこは畑がある。オアハカ地方の名産のお酒メスカルの材料にするアガベ畑など。

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その畑は石もゴロゴロだが、昔の時代の土器の破片がいっぱい。

その畑の向こうで仕事しているおじいさんがいて、その近くにはそのおじいさんの家らしい小屋まである。
ヤグール遺跡の一部の建造物の跡らしいものもある。この高台の建造物は、当時見張り台の役割をした建物だったらしい。

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高台から、下を見下ろす。
丘が入り江のように入り込んだところがあり、案内の人は、そこはその又昔々は海の入り江だった?と。

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確かに大昔は、メキシコは今の地図とはまるまる違って、メキシコ大陸のほとんどが海だったらしいけど。

さてさて、その肝心の世界遺産指定の洞窟であるが。
白い馬という丘の周りの洞窟に、一万年の昔にメキシコでも最初の農業をやった人達が住んだという事であり。
そこに、岩絵も描いたという事である。
そして、その後の時代、モンテ・アルバンが栄えた同時代にこの場所にも人が住みヤグールの都も栄えたという事である。

世界遺産になったとはいえ、まだ、誰も観光に来ない、来れないのだから、道はもちろんない。
枯れ草や大きなサボテンの生える道なき道や畑の中を歩いて、丘をぐるりと回る形で、洞窟めぐりである。

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丘はところどころはクライマー達の恰好の場所らしく絶壁の岩壁に差し込まれた鉄の鎖がある。

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写真の説明:鎖が岩についているけど、分かるかな?

いくつかの洞窟には岩絵も描かれているものもある。
だが、色が残っているのは分かるが、あまり絵の様子がわからない。
なかでもはっきり分かる絵は赤い人の手の形。これははっきり分かった。これは手形である。

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このような赤い手形は、メキシコの他の遺跡でもある。
よく知られているのは、ウシュマル遺跡の尼僧院のアーチの入り口の壁にいくつも見られる赤い手形がある。

うちの旦那は、すぐ言う。
「これは、先史時代の昔のものじゃあないだろう、誰かの落書きだろう。」
案内人の人は、「いや昔のものだ!専門家がちゃんと言ってる!じゃあもっと他のも案内する!」と。
うちの旦那は専門家ではないのだから、余分な事を言わないでもいいのだが。。。。

洞窟はいっぱいある。

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それにしても、洞窟よっては黒ずんだ焚き火の跡があり、それは土地の人が、畑耕作や牧畜にきて洞窟で焚き火をした跡らしいし、
その洞窟の地面は、馬などの糞の層もできている。馬と人間(現代の)が洞窟で、焚き火をして、仮小屋代わりにしているというものだ。
メキシコ革命時代には、革命兵士達もこの洞窟を隠れ家としたと聞いた。
そして、今現在、ある洞窟の一つに住んでいる人もいると。

旅行社の人も言ったが、せっかく世界遺産に指定された洞窟なんだから、保存しないとねえ。
さもないと、わずかに残っている岩絵もますます消えて、ただの洞窟だ。一万年以上前にそこに農耕する人が住んだという事実だけで。

時代は違うかもしれないが、シエラ・サンフランシスコの洞窟の岩絵ほどよく残っていないこの岩絵や洞窟だけでは、観光のアトラクションにはならないかも?

旅行社の人は、「観光客を呼ぶには、遊歩道もつくり、それなりにしないと。それには、土地の人達とも話し合いをしてゆかないと。。。。。」と。

そう、世界遺産に指定されたから、はい、じゃあ、観光客がいっぱいやってくるだろうというのは、???だろう。

そこでうちの旦那また言う。
「世界遺産だからと言って、洞窟だけで観光客を呼ぶのは無理だろう、今はエコロジーツアーというのも流行だから、世界遺産とエコツアーをミックスして、
ここの自然環境を説明できるツアーを考えるべきだろうね。」
うちの旦那もたまにはまともな事言う時もあるかあ?

旦那の「この手形の絵は、昔のものじゃあない」説に、ちょっとムキになった案内人の他の岩絵も案内するというのを、時間がないからと断って、2時間ほどの
わが家族のメキシコ2010年世界遺産のほんの一部であるだろうが(世界遺産の指定の範囲は5000ヘクタールの地区)初お目見えツアーを終了。

一年後かに、遊歩道が作られ、観光ルートになるか?

世界遺産の洞窟って、いかに?その1

08 2月
2011年2月8日

2010年の世界遺産に登録されたオアハカ中央渓谷のミトラ遺跡とヤグール遺跡の後方の山の先史時代の洞窟。
ここは一万年以上前に最初の農耕栽培が行われた跡があり、沢山ある洞窟を住居としていたというもの。

洞窟と言うと、メキシコの世界遺産で、バッハカルフォニア半島のサンフランシスコの洞窟の岩絵がある。
ここの洞窟・岩絵はなかなかのものらしい。

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写真の説明:メキシコシティの国立人類学博物館の岩絵のコピー

残念ながら、私はまだ行った事がない。なかなかアクセスが難しいのだ。
バスや車でブーと簡単に!とはいかないのだ。
セスナ機で最寄の町までゆき、その後は、砂漠の中を馬やロバに乗ってキャンプして行かなければならないと。
私、お金と時間が許してくれたら、是非是非行きたい!

バッハカルフォニアの洞窟・岩絵は、放浪狩猟の人々が
多分一時的に雨風をしのぐのに、洞窟が利用されたであろうが、
そこの洞窟の壁に彼らの願いを込めて、つまり沢山の食料(動物の狩り)が得られますように!と。
祈りの絵が描かれたと言える。
時代的には、紀元前1000年以上前から紀元後にわたる時代だそうだが、バッハカルフォニア半島は、メソアメリカ文明圏(トウモロコシを主食とする農業文化)には入らないように、その気候風土のため、それほど農業の発展はなかったと言える。
農業が主食料の糧でないところは、やはり狩猟が主食料元になる。
その狩猟民によって、動物や狩をする人々が描かれている。

さて、今回、家族で、オアハカへの旅行をしたので、2010年登録の新しい世界遺産を訪れたいという思いがあった。
洞窟というので、一般にアクセスができるのか?情報はまだ何もない。現地で確かめるしかない。
ミトラ遺跡後方の洞窟は、ミトラから相当遠いと言う事もだが、まだまだ不可能という事。
期待したのは、ヤグール遺跡の後方の山の洞窟。

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ヤグール遺跡を訪れた時、入り口の管理人に訊いたが、まだアクセスできないとの事。
徒歩で4時間くらいかかり、案内する人もいないし、不可能との事。
アクセスできるようになるにはあと4年くらいかかるだろうと。
残念、諦めるしかないかあ。

現地の旅行社とコンタクトのある婿が旅行社の人に訊いたところ、まだ一般公開されていないが、現地の人で詳しい人が最短距離の行路を知っていて、2時間で行けるとの事。
案内をお願いして翌日行く事になった。
ヤグール遺跡の近くで合流して、早速、徒歩での世界遺産、初お目見えである。

しばらく歩いて、「あそこ!あそこ!」と案内の人。
指差す方を見ると絶壁の岩に絵が!

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あの高い絶壁に昔の人はどうして絵を描いたのか?
バッハカルフォニアのサンフランシスコ洞窟の絵も場所によって、人間が届かないほど高い場所に岩絵が描かれているところもあるそうだが。

この岸壁のある高台が「白い馬」と名が付けられている。
この高台をぐるりと囲むように沢山の洞窟とそこにいくつかの岩絵があるようだ。

さてさて、その世界遺産の洞窟は一万年もの昔、人々がメキシコで、最初のかぼちゃなどの農耕を始め、そこに住んだという価値ある場所であるのだが。。。。

世界遺産の洞窟って、いかに?その2へ続く。

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