お札に注意!注目!

14 5月
2011年5月14日

外国旅行に出かけて、その国に入国したら、まず旅行者がする事は、両替、その国のお金を手に入れることか?!
初めての国に行ったら、その国のお金にも慣れないのだから、戸惑うのは当然だろう。 続きを読む →

メキシコの歴史を知るための歴史博物館・チャプルテペックのお城

10 5月
2011年5月10日

ツアーではほとんど行かないけれど、国立人類学博物館を見学して、あと時間の余裕があったら、是非お勧めが、歴史博物館。
人類学博物館から、チャプルテペック公園を徒歩で丘の上まで登ってチャプルテペックのお城 歴史博物館まで足をのばそう!

先住民時代のメソアメリカ文明、考古学的歴史は国立人類学博物館でたっぷり見学するといい。
が、スペインの侵略それに続く300年の長い植民地時代、そして独立以後のメキシコの歴史を、知らずして、メキシコの歴史を知る事には、ならない。
この歴史博物館には植民地以後のメキシコの歴史が、その建物チャプルテペックのお城自体の歴史と共に詰まっている。

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写真の説明:チャプルテペックのお城

メキシコシティの平地より45m高い丘、チャルテペックの丘からは眺めもいい。

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写真の説明:お城からの眺め 東側。レフォルマ大通り。
メキシコ一(エディフィシオ マジョール)・二(石油省ビル)・三(写真ではちょっと分かり難いが、ラテン アメリカタワー)番と高いビルが見える。

登りや、歩くのはちょっと苦手と言う人は、電車に乗って行けばいい。ちょっと遊園地のチンチン電車に乗った気分も楽しい。(往復13ペソ)

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アステカ族のゆかりの地でもあるチャプルテペックはアステカ王の保養地としての場所であったらしいが、植民地時代に副王の舘が建てられた。
が、植民地時代には、あまり使われた訳ではないようだが、メキシコの歴史の中では、お城は、1947年のアメリカの侵略戦争の舞台となる。

それは、当にメキシコ版白虎隊である。
ここは当時、兵学校として使われていたが、そこの13歳~19歳の少年兵がメキシコシティ最後の砦となるチャプルテペックの丘で戦い命を失う。

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写真の説明:6人の英雄少年の像

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写真の説明:博物館の階段の天井に描かれた壁画。国旗を守り体に巻いて丘から飛び降りたと。

1864~67年、このお城は、メキシコがフランスに征服された後のフランス統治のマキシミリアム皇帝の城とするために改築されたが、
結果的には皇帝と王妃カルロッタはほとんど住まわなかったらしい。

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写真の説明:当時のフランス皇帝ナポレオン三世から贈られたピアノ。額の肖像ががカルロッタ王妃とマキシミリアム皇帝。

その後、独裁政治家ポリフィリオ ディアスが大統領官邸とした。
フランス好みの贅を尽くした輸入品家具などを使った。

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メキシコ革命戦争後の何代かの大統領の官邸とされた。

そして、お城は、ラサロ カルデナス大統領時代に歴史博物館とされた。

お城はメキシコの時代時代で、何度か改築増築をされている。
ディアス大統領時代に、丘の下から上に抜けるエレベーターを取り付けた。
このエレベーターは新しい機械を取り付け、現在機能しているが、一般には丘に登るのが大変な体の不自由な人専用になっている。
たまたま、私は今回、足を捻挫して杖ついて、丘に登る電車を待っていたら、「こっちにおいで!」とエレベーターに案内してもらちゃった。
得しちゃった。初めてこのエレベーター使わせてもらった。
エレベーターは、丘に穴開けて作った訳だが、狭い。車椅子一台分の広さ。せいぜい3人乗りくらいだ。

博物館の展示は、その名の通り、メキシコの歴史。
植民地時代、独立戦争、アメリカの侵略戦争、フランスの侵略とマキシミリアム皇帝時代、ベニート ファレス大統領の改革政治時代、ポリフィリオ ディアス大統領の独裁政治時代、メキシコ革命戦争、そして現在。

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写真の説明:マキシミリアム皇帝時代、ファレスはこの馬車でメキシコ国内を移動して、あくまでも自分が正当なメキシコ政府と主張した。

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写真の説明:マキシミリアムの馬車

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写真の説明:独立戦争を描いたファン オゴールマンの壁画

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写真の説明:革命戦争を描いたファン オゴールマンの壁画

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写真の説明:お城の上の階の庭 塔は一時期天文台として使われた。

時代を追って展示物を見てゆく事で、メキシコの歴史を知る事ができる。
メキシコの歴史を垣間見るために、チャプルテペックのお城 歴史博物館訪れてみませんか?

世界一の金持ちの美術館・ソウマヤ美術館

29 4月
2011年4月29日

メキシコは貧富の激しい国で、貧しい人が多い国であるが、また、大金持ちは、桁外れの大金持ちもいる国である。 世界一の大金持ちがメキシコにいる。カルロス・スリムである。 メキシコの一社独占企業の電話会社テルメックス、サンボーズなるファミリーレストランなどの店etc.の大企業のオーナーである。

なんせ世界一のお金持ちなんだから、そのお金は、使い放題できるのだろうが。 その美術品のコレクションは半端じゃあない。 その彼の金に糸目をかけないコレクションの美術館、ソウマヤ美術館は、もともと、サン・アンヘル地区にあった。

だが、1ヶ月ほど前に、メキシコシティのポランコ地区(ブティック繁華街また高級マンションの地区として知られている)にPlaza Carsoなるものオープンした。 これは、高級マンション、オフィス、ショッピングセンター、劇場、映画館などを含む総合プラサなるものだそうだ。 Carsoはカルロス・スリムの大企業グループの名前である。

そこに、かれの美術品コレクションの美術館ソウマヤ(ソウマヤというのは彼の亡くなった奥さんの名前らしいが)も、超斬新な近代建築に移動させ、ニューオープンとなった。

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美術 芸術好きの人は、是非行くべき美術館の一つと言えるだろう。 サン・アンヘルにあった時は、あまり知られていなかったのか、知る人ぞ知るの美術館で、ほとんど来館者が少なかったけど。 今回ショッピングセンターもニューオープンで宣伝効果もあってか、メキシコ人がいっぱい、なんせ美術館の入場料はタダだし。 もっとも、高い電話料金で、がっぽり儲けているんだから、美術館タダでもいいさ。

国立美術館と比較しても、決して劣らないコレクションである。 しかもメキシコの芸術作品だけでなく、世界の有名な画家彫刻家などの貴重な作品がごっぞりあったりするのだ。 彫刻の階は、まだ準備中で見られなかったが、ロダンの作品などは世界でも、ロダン美術館に次ぐ多さなのだそうだ。

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16世紀からの宗教画・教会芸術に始まって、近代の世界の芸術作品まで、美術史の勉強にもなるかも。 世界の芸術家、ルノワール、ドガ、ゴッホ、ダリ、ミロetc.

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そして、メキシコの芸術家 Dr. Atl、ベラスコ、リベラ、シケイロス、タマヨetc. その他、工芸美術品などなど。

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美術好きの人なら、ゆっくり半日、一日かけてゆっくり見て回ってもいいかも。 お茶して、ショッピングセンターで買い物して。(美術館はタダだけど、またまた世界一の金持ちに金儲けさせちゃう事になるけど。。。)

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ソウマヤ美術館 http://www.soumaya.com.mx/index.html

 

ソチミルコのチィナンパ

26 4月
2011年4月26日

メキシコシティの南部のソチミルコは、メキシコシティの中心部の歴史地区と一緒に世界遺産である。
ソチミルコと言うと、ベニス的で、運河を手漕ぎの小船で舟遊びという事で観光地としてみんなが行くソチミルコである。
大都会の片隅ののんびりした雰囲気の、メキシコ的雰囲気の舟遊びというのもいい。

だが、世界遺産としてのソチミルコは、メキシコ盆地にわずかに残った湖の名残と、もともとの大きな湖の人工の浮き島で行われていたチィナンパ栽培という多収穫な農業が今も行われているという事にあるのだ。

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写真の説明:ここは、ソチミルコでも、観光舟の行かない地区。

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写真の説明:水路の周りでチィナンパ栽培が行われている。

スペインの侵略以前、今のメキシコシティの中心部ソカロの場所にアステカ王国が栄えていた。
メキシコシティのある盆地全体に5つの湖が広がり、その一つテスココ湖の小さな島テノチィティトゥランが、大アステカ王国の地であった。

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写真の説明:アステカ王国の都の想像絵 島の周りは人工の浮き島

これらの湖のあちこちで、チィナンパという浮き島の畑耕作が行われていた。
このチィナンパの浮き島の構造は、木で筏を作り、その上に湖の底の泥をのせる。
その筏の周りにahuejoteなどの木を植えた。
木を植える事で木が根を張り、浮き島がしっかりする。
湖の泥は豊かな養分を含んでいるので、豊かな農地となる。
普通の土地では、雨季の時期(半年)しか農業ができないので主食であるトウモロコシも一年に一回の収穫しかできないが、このチィナンパ方式だと、湖の水をかける事により、また、湖の豊かな泥を積む事により土地の再生を行い、一年につまり3回ものトウモロコシ栽培が可能だったというものでる。
それは多収穫な集約農業であったといえる。

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写真の説明:今は浮き島ではないが、島の周りは木の杭がされたりや木が植えられている。

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写真の説明:今は乾季なので、畑の灌漑をソチミルコの水をポンプでかけてしている。

機会があり、ソチミルコでそのチィナンパ栽培をやっているのを、見学させてもらった。

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実家が農家であり、また自分でも小さな家庭菜園をやっている私としては、興味深かったが、同時に今のソチミルコの抱える問題も深刻である事を知った。

ソチミルコには、もともと湧き水がでる泉があり、その湧き水がソチミルコ湖の水の元であったが、
その泉の水は、大都会メキシコシティの水道の一部として、利用されるようになり、その代わりに使用済みの水を洗浄してソチミルコ湖に返すという。
また、メキシコシティの地盤沈下もソチミルコに大きな弊害をもたらしている。

アステカ大国が栄えていた時代と今の時代では圧倒的に人口に違い(数十万の人口から2千万に近い人口の差)があるのだから、
人が住むことによる自然破壊や公害は当然おこる。

ソチミルコの湖のもともとの動物植物は瀕死や絶滅の危機であり、外来種が幅を利かせている。
世界でも唯一というサンショウウオの一種アホロテ(ウーパールーパ)は、外来の魚に食われて、もう、自然の環境では生存していないだろうといわれている。
保護のための生殖飼育が行われているのみ。

ソチミルコの木も昔はahuejoteの木が植えられていたが、今は外来種の兎に角成長が早いという理由だけでメキシコのあちこちに植えられているユーカリの木がソチミルコも幅をきかせている。
ユーカリの木は、このソチミルコの環境で害はあっても利はないのに、隣の土地で植えられているのに、人様の土地だから、迷惑だけど、文句を言えないと、訪ねたチナンパの農家の人がこぼしていた。

ソチミルコの人工の島は、かつてはもちろん浮き島であったであろうが、今は浮き島ではないが、そこに多くの人が住み、舟で出入りをして、畑も耕している訳である。
人工の島に住む人たちの下水はどうなっているの?
下水道はあるのだが、地盤沈下で、機能しなくなっていて、人々は湖に流すようになったと。湖の汚染問題である。

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写真の説明:民家の多くある地区は、水が特に濁っている。各家の前には自家用舟が止めてある。

ソチミルコでの観光の舟遊びで行くところはほんのわずかで、大体手漕ぎ舟で1時間くらいで往復するだけだが(3時間コースくらいのもあるが)、実にソチミルコの水路の長さは180キロもある。
その水路も場所によって、地盤沈下のため高さに差があり、ダム方式で水の調整を行っているそうだ。
生活使用済み水、つまり下水の水を洗浄してソチミルコ湖に給水しているわけだ、もちろん雨季の雨水もソチミルコにとって、恵みの水であるだろう。
昔メキシコ盆地にあった大きな5つの湖には、山からのいくつもの川が流れ、湖を潤していたのであろうが、その多くの川はなくなり、湖もなくなった。
そして、その湖の名残のソチミルコも水の水位がさがり、乾くかもしれない危惧。

自然破壊、環境汚染や湖が干上がるかも?の現実がある。
その真実、現実を土地の人が認識して、対処していかないと、と、案内してくれた人が言った。
そしてもちろん、ソチミルコの汚染が進んだり、ソチミルコが干上がってしまったら、世界遺産認定も取り消しだ。
個人の今日のエゴをやめて、未来を見る目を持つ事が、環境汚染のないソチミルコ、ソチミルコを永遠に残こす事でもあるのだろう。

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日本への想い

21 4月
2011年4月21日

日本での地震津波、そして原子発電所の事故による日本において過去最大の被災に、世界中の人が日本に、被災者に同情の目を向けてくれている。
お金のある人もない人も、その人ができる事をしてくれている。
本当に、嬉しい事である。

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写真の説明:メキシコ自治大学内で行われていた「千羽鶴を作って、日本のために祈ろう。」の様子

道を歩いていたら、私が日本人と思ってか、見知らないメキシコ人が声をかけてくれた「アニモ!アニモ!(元気だして!)きっと良くなる!」

ある人が言ったとか「お金のある人はお金を出して、知恵のある人は知恵をだして、何もなくても、元気をだそう!」
ホントに、みんなが元気をだして、日本を復活させなければ、明日の日本を担っていかなければならない子供達のためにも、未来の子供達によりよい日本を引き継ぐためにも。

日本で今、地震津波の被災者救済のために、原発事故処理のために自分の心身を省みず働いてくれている人にどんだけ感謝しても感謝しきれない。

メキシコでも、色んな人が色んな活動で、義援金集めをしてくれている。
メキシコ在住のヴァイオリニスト 黒沼ユリ子さんが発起人になって、マラソンコンサートが開かれ、多くのメキシコのアーティストが参加して義援金集めをしたり、
メキシコ国立自治大学のコンサート会場、ネツアルコヨトゥルでもチャリティーコンサートが開かれた。
メキシコの歌手の人たちが協力して、CDを製作 「Voces por Japón」 その収益はすべて日本への義援金とすると。

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写真の説明:日本への義援金のために売り出されたCD

日本メキシコ学院でも、大変親日家のアルマンド・マンサネロやスサナ・サバレッタのコンサート、メキシコの日本舞踊の会の公演などを開かれる。
色んな場所で色んな人がアーティストが、チャリティーコンサートをしたり、義援金集めをして、日本の災難を救おうとしてくれている。

有名な人だけでない、個人でも今自分が、何かをしなければと思って行動してくれる人の行動力には本当に頭がさがる。
メキシコシティ、オアハカ市、グアダラハラ市と色んなところでチャリティバザーをして義援金集めをして活動している人たちがいる。
そして、それを支援手助けする多くの人。みんなみんなすごい!

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写真の説明:日本メキシコ学院で、子供達がコインを並べて。長く長く続くコイン、一枚一枚がメキシコの子供達の日本への想い。
写真は友人にお借りしました。

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写真の説明:オアハカ市で行われたチャリティバザーの様子。
写真はバザーの発起人になり行動した友人にお借りしました。

世界中の人が、日本へ想いをこめて応援してくれている。
「アニモ!アニモ!」 「頑張れ! 日本!」という、世界中からの声。
私の国、日本が復興してゆくのに、原発事故を含めて、先は長い。
でも、きっと良くなる!

銀の町、山の町、絵になる町タスコ

15 4月
2011年4月15日

メキシコシティから日帰りで行けるところでお勧めの一つがタスコの町。
メキシコの植民地時代に作られたスペイン風のまたはヨーロッパ風の町を、コロニアル都市という。
そのコロニアル都市は、大体、植民地時代鉱山が見つかり、その鉱山が栄えた事により出来た町が多い。

タスコも18世紀、銀の鉱山が見つかり、栄えた町であるが、今現在もなお、メキシコ一の銀の町だ。
アカプルコが世界のリゾートとして栄えた時、コロニアルの美しい町タスコはメキシコシティからの中間点というので、観光地としても大繁栄した。
今も、もちろん山の鉱山に作られた美しい町タスコは観光の町である。
で、町のほとんどのお店が銀のお店。

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銀が好きな人、お土産に銀をという人は、お店を梯子して、買い物するのも楽しいだろう。
タスコは銀細工に関わっている人が大変多く、その工房ごとに違ったデザインなどだそうで、自分好みの物を探すのもいい。

18世紀の銀山のオーナ ホセ・デ・ラ・ボルダは、銀で大もうけしたわけだが、その儲けた金をつぎ込んで作ったというサンタ・プリスカ教会は、黄金教会で、メキシコバロック建築の最高傑作だ。

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それは、タスコの町のあっちこっとで違った角度で眺められる。
昼ご飯を食べながら、また、一杯のコーヒーを飲みながら、美しいタスコの町やサンタ・プリスカ教会を眺めて過ごすのも、旅の最高のひと時かもしれない。

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タスコの町は、鉱山の上に作られた町であるから、山の町である。
山の町は、坂道、細道、迷路の道である。そして、鉱山の町であるから石がいっぱいあるからだが、その道は全て石畳。
坂道を歩くのはちょっとしんどいかもだが、タスコの町を散歩するのは絶対お勧め。

タスコの町は画家に好まれる町らしいが、本当に絵になる町である。
写真好きの人だったら、町を散歩しながら、ちょっとシャッターを押したら、それはなかなか美しい絵になっていたりするかも。
赤い屋根、白い壁、南国の花、青い空、石畳の曲がりくねった坂道、道行く人。

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メキシコに来て、一日の余裕があったら、タスコまで足を伸ばすのはいかが?
もう一日余裕があったら、一泊してもいい町だろう。

白鳥の湖

26 3月
2011年3月26日

「白鳥の湖」と言ったら、バレエや音楽に詳しくない人でも、思い起こすだろう。チャイフコスキーのバレエ「白鳥の湖」

日本から来た友達に、「チャプルテペックの公園の湖でやっている白鳥の湖を見に行きたい、とっても素晴らしいって!」と言われた。
「え!?知らなかった。」

残念な事に友人の滞在中は、公演がなかったけれど。

チャプルテペック公園の湖の小島という自然の野外の舞台での「白鳥の湖」のバレエ公演は、1977年から毎年、この時期2月末から3月の週末行われてきたと。
湖の自然の中の夜の公演は、なかなか雰囲気があってよろしい。

メキシコは雨季と乾季があるが、野外での公演は、はやり乾季でないと。。。。ではあるが。
日本の友達と一緒に行けなかったけど、是非行こうと、切符を買いに行ってみると、売り切れ。
翌週の公演の切符を買った。
高い席と安い席の差が30ペソくらいで差がそれほどないので、せっかくならいい席と思ったのだが、売り切れで一番安い席になってしまった。
人気なんだねえ。

バレエというと、なんか切符高いんじゃあないか?と思ったりするのだが、高い席で180ペソ(円高なので、1400円くらい)、安い席で152ペソであった。

日本ではこんな値段ではバレエさすがに見られないでしょう!
メキシコで見ては?
安いから、たいした事ないんじゃあないかって?いやいや。とんでもない。
私、バレエ知らないけど素晴らしかった!欲を言えば、もっと近くで見たかったけど。

私が見に行った日は、乾季のはずが、公演が始まる前、6時頃結構な雨が降ったのだ。
公演がキャンセルになるんじゃあないかと心配しながら、行ったが、雨も止んで、結局、係りの人が客席の椅子をせっせと拭いて回って、舞台もせっせと雨水拭いて
30分遅れになったが、観覧できた。

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(夜の遠景の動きのある写真って、難しい。いい写真が撮れなかった。残念!でも雰囲気は分かってもらえるかな?)

始まる前、湖を見ていたら、一羽の白鳥が、泳いでいた。
そう、ここは白鳥の湖でしたねえ。

もし、この時期、メキシコにいらっしゃるんだったら、「白鳥の湖」をチャプルテペック公園の湖で観覧いかがですか?なかなかお勧めですよ!

この時期じゃあない人も、白鳥の湖でなくっても、メキシコでバレエをみるのもいいかも?!で、

「眠れる美女」
4月6日~24日 チャプルテペック公園のお城の広場

「シンデレラ」
5月29、30日 6月2、5日 国立芸術宮殿

「BALANCHINEの祭典」
6月30日 7月3日 国立芸術宮殿

などなど
12月には、毎年、「くるみ割り人形」を国立アウディトリオで確かやっている?と思う。

国立芸術宮殿で毎月配布している案内書でチェックしてみると、バレエ何かやってるかも?です。

メキシコでバレエ 観劇いかが?

なお、切符、国立芸術宮殿で買うと正規の値段だけど、チケットマスターで買ったら、20%ほどコミッション分高いようでした。

ゲラゲツァの踊り

18 3月
2011年3月18日

オアハカの民族舞踊フェスティバル、ゲラゲツァの祭りは大変有名で、外国の観光客も、この祭りを目当てにやってくる。 毎年、7月の第三月曜日と第四月曜日なので、それに旅の日程を合わせないとゲラゲツァの祭りを見られないという事になる。 この祭り日は、兎に角、オアハカの町中、観光客でいっぱいになるのだから、ホテルも何もかも、いっぱいで、早めに予約をしておかないと大変な目にあうかも?の日であるようだ。 オアハカ の魅力は、もちろんゲラゲツァだけではないわけだから、賑やかなゲラゲツァの祭りだけが目的の人は兎も角、オアハカの色んな旅を楽しみたい人は、むしろゲラゲツァの日を避けた方がいいのかも。

では、ゲラゲツァの日にオアハカへ行かなかったら、オアハカ地方の各民族の華やかな衣装とその踊りを見られないか?と言うと、そんな事はない! あまりにも有名なゲラゲツァ故、レストランなどでショーとして見せてくれる。 ゲラゲツァの祭りほど大々的で大勢の踊り子さんとはいかなくっても、充分、華やかな民族衣装やその踊りを楽しむ事ができる。

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ゲラゲツァとは、先住民語で、「相互の助け合い・贈り物」の意味だそうだ。 日本の田舎で昔、農作業の忙しい時、また、家を作る建前の時など、大勢の人の労働を必要とした時、結という、お互いの労働の助け合い、扶助をした。 また、多くの費用も必要とした時、ご祝儀の扶助、贈り物もある意味助け合いになるかもしれない。

私の子供の頃も、まだ結の習慣はあった。 今のような農機具がなかったので手で田植えや稲刈りなどした。 その農作業をお互いに一日で済ませるために、近所の人がみんな来てくれてみんなで仕事をした。 その家の女性は、おこびる(お小昼)のご馳走を作るのにかかり切りで、結構なご馳走を出した。 わいわい近所中の大人も子供も集まっての仕事、おこびるで、まるで祭り事のように楽しかった思い出がある。

多分、日本の結のような習慣と共通するものが、メキシコの田舎にもあったのだと思う。 それが、ゲラゲツァの語源だろう。 相互扶助の労働の後は、飲んで食べて踊って!というのは当然あるだろう。 そして、自分達の民族の誇りでもある民族衣装でみんなで踊る。 踊りと音楽は、太古の昔から、人々が事ある事に楽しんできたものだろう。

もともとゲラゲツァの起源は、先住民時代、トウモロコシの女神の豊穣祈願の祭りであったと。 スペインの植民地時代になってから、トウモロコシの女神はカトリックのカルメン聖母に代わったが。

オアハカ地方を旅したら、一夜、オアハカ地方の食事に舌鼓を打ちながら、カラフルな民族衣装のゲラゲツァの踊りを楽しむのも、お勧め。

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以下3つの写真は、広場で行われていた子供達のゲラゲツァの踊りの様子。

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ミトラ遺跡とミステカ族の芸術とオアハカ州立博物館

14 3月
2011年3月14日

オアハカ州で、モンテ・アルバンと並んで重要な遺跡で、やはりオアハカツアーでは、必ず入っているミトラ遺跡。
この遺跡の特徴はなんと言っても切石のモザイク模様の建造物の壁。
いくつかの中庭を囲む部屋のある建造物の外内部の至る所の面がこの石切モザイク模様で覆われている。
実に、細かく、繊細に一つ一つの石を切りそれを組み、色んな種類の幾何学的美しい模様を作り上げている。
その石切モザイクの模様は昔は色づけされていて、今以上に綺麗なものだったのだろう。
このモザイクの壁を持つ部屋は、メソアメリカ文明の中でも最も装飾の素晴らしい豪華な部屋であったと言えるだろう。

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この模様を見たら、何か美術的な事を考えている人は、真似してみようと思うに違いない。
偉い近代の建築家も真似たとか?

ミトラ遺跡やヤグール遺跡の後方の山の洞窟は、紀元前1万年も昔に、農耕を始めた人々が住み始めた痕跡があるというので、2010年の世界遺産に、指定されたように、この地は、モンテ・アルバン遺跡と同様に、最も古い時代、紀元前500年頃には、サポテカ族の都として、栄え始めたというところである。
サポテカの都は、後に、ミステカ族によって侵略され、今残っている遺跡の建造物はそのミステカの都のものである。
だが、そこを、16世紀スペインの侵略で、そのミステカの美しいモザイク模様の壁を利用して、スペイン人たちは、教会を建てた。

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ミステカ族は、モンテ・アルバムなどにも進入したけれど、そこの都のサポテカ王のお墓を利用して、そこに彼らの王を埋めた、サポテカ族の都、モンテ・アルバンを彼らの王のお墓としただけだから、モンテ・アルバン遺跡は、サポテカ族の都と言えるが、ミトラ遺跡はミステカ族の都と言える。

それにしても、ミステカ族のその芸術的工芸の素晴らしさは、その都のモザイク模様の壁だけではない。
ミステカ王の墓、モンテ・アルバン遺跡の7号墳墓が発見された。
その墳墓の発見は、マヤのパレンケ遺跡のパカル王の墓の発見と並ぶ大センセーションの発掘であったと言える。
その墓の奉納品の財宝は、メキシコ考古学史上最高のものであった。
そして、いかにミステカ族がその芸術的工芸に秀でていた部族であったかを知らしめる。
金銀の鋳造、彫工、細工の素晴らしい技術力。
またその美しいモザイク模様などは陶器にも遺憾なく発揮されメキシコでも最も美しい陶器を作り出した。
その細かな芸術性は、骨細工、石などの細工などにも発揮されている。
ミステカ王の装飾品、墓の奉納品の数々の素晴らしいさ、はやり一見すべき。

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オアハカシティのサント・ドミンゴ派修道院跡の建物を使ったオアハカ州立博物館も、足を運こぶべきところ。
7号墳墓の発掘物のほとんどがこの博物館に展示されている。

サント・ドミンゴ派の修道院跡とその教会自体も、大変興味深い建物で、スペイン植民地時代史、カトリックの布教、建物、その装飾などなどの観点からも、オアハカ旅行で必見の場所と言えるあろう。
お見逃しなく!

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写真の説明:サント・ドミンゴ教会正面

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写真の説明:サント・ドミンゴ教会内部天井の装飾

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写真の説明:サント・ドミンゴ修道院跡(現在博物館)の内部の中庭

石のスープ

06 3月
2011年3月6日

旅の楽しみの一つは食べ物。
その土地ならではの食べ物・料理を味わってみるのは、やはり楽しみ。
まあ、中には、それって、やっぱり食べられない。。。。。という人もあったりするかも?だが。

今は、野生のものは特に禁止されるようになり、食べられなくなりつつあるようだが、
昔はたとえば、メキシコシティからタスコの町へ行く途中には、「イグアナ料理あります!」の看板を出してるお店があった。
もちろん土地の人はそれを山で捕獲して常食としていたのだ。

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写真の説明:ソチカルコの遺跡で日向ぼっこするイグアナ

文化の違いで、食べる人もいれば、食べるのを嫌がる人もいるわけだが、
牛や羊はいくらでも食べるが、鯨は可愛そうだから、食べないとか、またその意見を他人にも強制するとか。(私の子供の頃、鯨の冷凍刺身が美味しかったが。)

オアハカは特産の食べ物も多い。オアハカチーズ、オアハカモーレを筆頭に。
バッタもオアハカの特産だ。
日本の今の若い人はあまり知らないかも?だが、私の子供の頃はイナゴを田んぼで、捕って、炒って食べたのを思い出す。

イグアナやバッタは、兎も角。
今回オアハカ地方の旅で、勧められて、食べに行ってみようとなったのが、「石のスープ」
「石は食べられないよ。食べたくないよ。」と、うちのダンナ。

そう言えば、画家のディエゴ リベラの最初の奥さんルーペは、ディエゴが遺跡の石彫や土器、土偶の収集にお金をどんどん使う(昔は買えた)のに、腹を立て、
ある時、その土器かなにかを割ってスープに入れて、ディエゴに出したとかと言う話があったなあ。

かの有名な大きな木、世界でも最も大きな木(特に太さ)として知られている、樹齢2000年のトゥーレの木のある村、サンタ・マリア・デ・トゥーレに
その「石のスープ」のレストランがある。
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写真の説明:サンタ・マリア・デ・トゥーレの木

レストランと言うと、ちゃんとした立派な建物の内装の綺麗なというイメージであるが、ここは田舎の家風。
結構広いが、数テーブルが置かれ、お客さんが食べてる。

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そのテーブルから大分離れたところで火がボンボン焚かれている。
ここの料理は唯一「石のスープ(cardo de piedra)」のみ。

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この石のスープというのは、昔ながらの伝統料理なのだそうで、男の料理であるのだそうだ。
普段は、女の人が料理をするのだが、特別の時、男が代わって料理をしてくれる。それが、この料理だそうだ。
男の料理は、ダイナミックに!簡単に!
石のスープは、メキシコ料理の海産物スープであるのだが、やり方が、生の材料と汁を木の実の椀に入れて、その中にカンカンに焼いた石を放り込みそれで、熱々になって料理が煮あがるというもの。
もちろんその入れた石は食べないけど。
焼いた石は、やっぱりシンデレラ並みに灰被りだろうけど、そんなのお構いなし、なんせダイナミック料理だから。
それで、スープの底の汁は残すがいいだろうね。
まあ、美味しかったけど。

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先住民時代からのお料理だそうで、なにか、レンジがないから、庭で石を焼いて料理を作るイメージ。鍋もいらないし。

西に珍しい料理のレストランがあると言えば、出かけて行き、
東にゲテモノの料理店があれば、興味しんしん、食しに行くし。
北に美味しいお店があると聞けば、さっそく、行かなきゃ損損と食べに行く。
南に行列つくってるレストランがあると知ったら、やっぱり並んで食べに行きたい人。

オアハカ旅行に行ったら、やっぱり行ってみる?話しのタネに。

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