民芸品工房を訪ねる。その2(オアハカの旅)

26 2月
2011年2月26日

織物の村、サント・トマス村の腰織りの織物
腰織りによる織物、昔から、人々がやっていた伝統織物である。
前に鈴木カツ子さんの織物の話を書いた。

メキシコやグアテマラなどの多くの場所で、今なお、その場所場所で違った風の織物作られていている。
その織物を現代風にアレンジして、テーブルクロス風やら袋物やら、小物では若者の好きな腕輪などなど。
私もサント・トマス村の織物の袋物を一つ持っているが、なかなかお気に入りのカバンだ。

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お邪魔した家も、母親と娘達みんなで、織物づくりをしている。
この村の女性はみんな機織をしているわけだ。
柱や木に一方の端を縛りつけ、腰に回しての腰織り機。何処でもできる。

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写真の説明:娘さんの一人が実演して見せてくれた。

本当に、何処の村もそれぞれの伝統の民芸品を代々親から学び、4~5歳頃からやるらしい。

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写真の説明:子供達が小さな時、機を織っている写真がかけてあった。

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写真の説明:村の市場にも行ってみた。やっぱり売っているのは、村の民芸品の織物。

刺繍ににしても織物にしても、その手作りの良さ素晴らしさを認識してもらい、それを求める市場があってこそ、その伝統民芸が生き残る。
そのために、昔からの物だけでなく、今の人好みの商品作りも必要で、私達を案内してくれた通称さるさん(ようこさん)も、こんな商品が欲しい!と助言をするようだ。

メキシコのシュールリアリズム芸術の一つとも言えるのはアレブリヘス。
前記事でアレブリヘスについて書いたが。

そのアレブリヘスの村サンマルティン。
訪ねた工房はハコボ&マリアさんの工房で、ここは、若い人たちが大勢で、工程の部分部分を担当して働いていた。
学校が休みの時は、子供達もアレブリヘ作りを習いに来ているそうで、ハコボ&マリアさん工房は後継者の育成にも貢献している。

このアレブリヘスも気の遠くなるような工程である。
ハコボさんがそのアレブリヘスの工程やその起原を説明してくれた。
もともと、先住民時代の人々の考え方の中にも、人は生まれた日によって、その保護動物というか?があるそうだ。
東洋の12支と同様に、人それぞれ自分の動物というのがあって、その動物の造形を作ったのが元祖アリブリヘス。

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アレブリヘスを作る木は、あのヤグールの世界遺産の洞窟のある荒野でも見かけたが、コパルの木である。
コパルは、昔の先住民時代の宗教儀式には欠かせない香となる木である。

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この木から、アレブリヘ製作者の創造力と想像力で色んな造形が作り出される。

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それを何ヶ月も乾燥させるというかして、その木片の傷が変形が出たら、それを修正して、色んな自然の染料で色づけする。

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その色づけの模様は実に細かく、一点一点、一本一本の線が描かれ塗られる。
その模様によっては、あのミトラ遺跡の幾何学模様に由来するものだろう。
それにしても、本当に、気が遠くなる作業である。
大物はウン十万のお値段で求められるそうで、民芸品というより芸術品としての価値で求められるようだ。
それにしてもカラフルな繊細な模様で描かれ、物によっては、空想力の極限のようなユニークな作品達。

ウン十万の作品は兎も角、小さなお手頃の可愛い動物達は、お土産に最高。
あなたの12支か、あなたの生まれた日による保護動物を知って、その動物のアリブリヘスを求めるのも楽しいかも?

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オアハカ地方は、まさに民芸品の宝庫である。
今回訪ねた村だけでなく、オアハカの村が、それぞれその村の民芸があり、それを生活の糧として民芸品を作っている。
陶器、織物、刺繍ブラウスなどの衣類、毛の織物の敷物、モンテ アルバン遺跡の7号墳墓から出てきたような金銀細工などなど。
民芸品好きには、たまらなく魅力的なオアハカ地方。
オアハカ地方の市場も実に楽しい。

オアハカのモンテ アルバン遺跡やミトラ遺跡の旅だけでなく、オアハカ地方の民芸品を見て歩く旅もまたいい!

民芸品工房を訪ねる。その1(オアハカの旅)

22 2月
2011年2月22日

メキシコ旅行への興味、楽しみと言うと何だろう?
やっぱり数ある遺跡見学、特に世界遺産になってるような。
人によっては、特に女の人は、それだけでなく、買い物という人もあるかもしれない。
買い物と言ってもメキシコは、流行のファッションやブッティック商品やメーカ商品がというのはこれと言うほどないようだ。

だが、メキシコで買い物となると、テキーラのようなもの以外だったら、なんと言っても民芸品という事になる。
民芸品と言うと、先住民の人たちが代々受け継いできた伝統的細かな作業で作り上げた手作り商品である。
民芸品は先住民の人たちが受け継いできた伝統工芸であるのだ。
それ故、その多くは、オアハカ州、ミチュワカン州、チャパス州、ゲレロ州などの先住民の血を持つ人が多い地区で、作られている。
しかも、一つ一つの村で、その村の工芸品というように、村の人たちがみんな同じ民芸品を作っている。
村の人々の生活の糧である民芸品作りである。

この何事も機械づくりの既製品が多い時代に、彼らは一つの商品を作り上げるのに、何ヶ月も手作業で日々、家族皆で家内作業で民芸品を作っている。

今回、オアハカ在住の日本女性で、メキシコの民芸品に惚れ込み、オアハカ地方の民芸品を日本の人に知ってもらう努力をして、その販売をしている方に、オアハカ州のいくつかの村の、特に彼女のお勧めの民芸品作りをしている人たちの工房を案内してもらった。
旅行者だけでは、ふらっと、工房を訪ねるというのは、なかなかできないが、彼女の仕事でのコンタクトでありがとう!です。

オコトラン・デ・モレロス村で、アギラール家の土器の人形工房。

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写真の説明:アギラール家の工房兼住まいの入り口。人形が飾ってある。

アギラール家は兄弟がそれぞれ親から受け継いで、家内工房で土人形を作っている。
焼き物であるが、メキシコの焼き物は低温での素焼きにカラフルな色付けされた人形達。
その人形達が素朴である。表情も豊かで、兎に角カラフルで楽しい。いかにもメキシコ風人形達。
民芸品でも、メキシコ人独特の前衛的というか超リアリズム的と言うかの芸術的なユニークな作品もあって面白い。
女の子が可愛い!と叫びそうな人形達。手作りの良さがにじんでいる。
小さなものだと、ほんの数ペソ。いいのこんな値段で?だが。
オアハカの民族衣装の人形など、メキシコらしいお土産でいいだろうな。
ただ、素焼きだから、壊さないように荷造りする必要ありだ。
メキシコの民芸品工房は、皆家庭内工房だから、メキシコの田舎の民家の生活がそこにあり、そんな様子も垣間見れると言った感じ。

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サンアントニーノ村で、文房具屋をしながら刺繍のブラウス(ウイピリ)作りをする刺繍の名人を訪ねる。
私達が訪ねたら、「ちょっと、待ってね。」と言って、お店のシャッターをガラガラ閉めてアテンドしてくれた。
ウイピリというのは、刺繍のブラウスやワンピースであるが、これは、各地方の民族がそれぞれまた違ったウイピリを作り着ているのだが、その手作りの刺繍がすごい!
手の込んだものは、何ヶ月もかかって製作すると。
ここで、小柄な名人が刺繍の手ほどきをしてくれた。
彼女は、子供の頃からやっていると。
姉妹達は、皆親から学んだ刺繍はせずに、他の仕事をしていて、彼女にも、こんな手間のかかる仕事は止めなと言うが、自分は好きだから続けていると。
そうだろうな。こんな気の遠くなるような仕事、好きと食べるため以外にはできないよね。
うちの娘が数ヶ月かけて作ったというお値段的には中くらいのブラウスを買った。
500ペソ(約4,000円)。数ヶ月の仕事が500ペソねえ。気が遠くなるよ。
私は数針刺繍やってみたけど、目がショボショボ、肩がコリコリ気分。

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次の民芸品工房は、「民芸品工房を訪ねる。その2(オアハカの旅)」へ続く!

世界遺産の洞窟って、いかに?その2

15 2月
2011年2月15日

その絶壁の岩の横を登る、山登りコースにはいる。

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その岩絵の見えた丘の上に出ると、なんとそこは畑がある。オアハカ地方の名産のお酒メスカルの材料にするアガベ畑など。

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その畑は石もゴロゴロだが、昔の時代の土器の破片がいっぱい。

その畑の向こうで仕事しているおじいさんがいて、その近くにはそのおじいさんの家らしい小屋まである。
ヤグール遺跡の一部の建造物の跡らしいものもある。この高台の建造物は、当時見張り台の役割をした建物だったらしい。

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高台から、下を見下ろす。
丘が入り江のように入り込んだところがあり、案内の人は、そこはその又昔々は海の入り江だった?と。

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確かに大昔は、メキシコは今の地図とはまるまる違って、メキシコ大陸のほとんどが海だったらしいけど。

さてさて、その肝心の世界遺産指定の洞窟であるが。
白い馬という丘の周りの洞窟に、一万年の昔にメキシコでも最初の農業をやった人達が住んだという事であり。
そこに、岩絵も描いたという事である。
そして、その後の時代、モンテ・アルバンが栄えた同時代にこの場所にも人が住みヤグールの都も栄えたという事である。

世界遺産になったとはいえ、まだ、誰も観光に来ない、来れないのだから、道はもちろんない。
枯れ草や大きなサボテンの生える道なき道や畑の中を歩いて、丘をぐるりと回る形で、洞窟めぐりである。

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丘はところどころはクライマー達の恰好の場所らしく絶壁の岩壁に差し込まれた鉄の鎖がある。

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写真の説明:鎖が岩についているけど、分かるかな?

いくつかの洞窟には岩絵も描かれているものもある。
だが、色が残っているのは分かるが、あまり絵の様子がわからない。
なかでもはっきり分かる絵は赤い人の手の形。これははっきり分かった。これは手形である。

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このような赤い手形は、メキシコの他の遺跡でもある。
よく知られているのは、ウシュマル遺跡の尼僧院のアーチの入り口の壁にいくつも見られる赤い手形がある。

うちの旦那は、すぐ言う。
「これは、先史時代の昔のものじゃあないだろう、誰かの落書きだろう。」
案内人の人は、「いや昔のものだ!専門家がちゃんと言ってる!じゃあもっと他のも案内する!」と。
うちの旦那は専門家ではないのだから、余分な事を言わないでもいいのだが。。。。

洞窟はいっぱいある。

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それにしても、洞窟よっては黒ずんだ焚き火の跡があり、それは土地の人が、畑耕作や牧畜にきて洞窟で焚き火をした跡らしいし、
その洞窟の地面は、馬などの糞の層もできている。馬と人間(現代の)が洞窟で、焚き火をして、仮小屋代わりにしているというものだ。
メキシコ革命時代には、革命兵士達もこの洞窟を隠れ家としたと聞いた。
そして、今現在、ある洞窟の一つに住んでいる人もいると。

旅行社の人も言ったが、せっかく世界遺産に指定された洞窟なんだから、保存しないとねえ。
さもないと、わずかに残っている岩絵もますます消えて、ただの洞窟だ。一万年以上前にそこに農耕する人が住んだという事実だけで。

時代は違うかもしれないが、シエラ・サンフランシスコの洞窟の岩絵ほどよく残っていないこの岩絵や洞窟だけでは、観光のアトラクションにはならないかも?

旅行社の人は、「観光客を呼ぶには、遊歩道もつくり、それなりにしないと。それには、土地の人達とも話し合いをしてゆかないと。。。。。」と。

そう、世界遺産に指定されたから、はい、じゃあ、観光客がいっぱいやってくるだろうというのは、???だろう。

そこでうちの旦那また言う。
「世界遺産だからと言って、洞窟だけで観光客を呼ぶのは無理だろう、今はエコロジーツアーというのも流行だから、世界遺産とエコツアーをミックスして、
ここの自然環境を説明できるツアーを考えるべきだろうね。」
うちの旦那もたまにはまともな事言う時もあるかあ?

旦那の「この手形の絵は、昔のものじゃあない」説に、ちょっとムキになった案内人の他の岩絵も案内するというのを、時間がないからと断って、2時間ほどの
わが家族のメキシコ2010年世界遺産のほんの一部であるだろうが(世界遺産の指定の範囲は5000ヘクタールの地区)初お目見えツアーを終了。

一年後かに、遊歩道が作られ、観光ルートになるか?

世界遺産の洞窟って、いかに?その1

08 2月
2011年2月8日

2010年の世界遺産に登録されたオアハカ中央渓谷のミトラ遺跡とヤグール遺跡の後方の山の先史時代の洞窟。
ここは一万年以上前に最初の農耕栽培が行われた跡があり、沢山ある洞窟を住居としていたというもの。

洞窟と言うと、メキシコの世界遺産で、バッハカルフォニア半島のサンフランシスコの洞窟の岩絵がある。
ここの洞窟・岩絵はなかなかのものらしい。

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写真の説明:メキシコシティの国立人類学博物館の岩絵のコピー

残念ながら、私はまだ行った事がない。なかなかアクセスが難しいのだ。
バスや車でブーと簡単に!とはいかないのだ。
セスナ機で最寄の町までゆき、その後は、砂漠の中を馬やロバに乗ってキャンプして行かなければならないと。
私、お金と時間が許してくれたら、是非是非行きたい!

バッハカルフォニアの洞窟・岩絵は、放浪狩猟の人々が
多分一時的に雨風をしのぐのに、洞窟が利用されたであろうが、
そこの洞窟の壁に彼らの願いを込めて、つまり沢山の食料(動物の狩り)が得られますように!と。
祈りの絵が描かれたと言える。
時代的には、紀元前1000年以上前から紀元後にわたる時代だそうだが、バッハカルフォニア半島は、メソアメリカ文明圏(トウモロコシを主食とする農業文化)には入らないように、その気候風土のため、それほど農業の発展はなかったと言える。
農業が主食料の糧でないところは、やはり狩猟が主食料元になる。
その狩猟民によって、動物や狩をする人々が描かれている。

さて、今回、家族で、オアハカへの旅行をしたので、2010年登録の新しい世界遺産を訪れたいという思いがあった。
洞窟というので、一般にアクセスができるのか?情報はまだ何もない。現地で確かめるしかない。
ミトラ遺跡後方の洞窟は、ミトラから相当遠いと言う事もだが、まだまだ不可能という事。
期待したのは、ヤグール遺跡の後方の山の洞窟。

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ヤグール遺跡を訪れた時、入り口の管理人に訊いたが、まだアクセスできないとの事。
徒歩で4時間くらいかかり、案内する人もいないし、不可能との事。
アクセスできるようになるにはあと4年くらいかかるだろうと。
残念、諦めるしかないかあ。

現地の旅行社とコンタクトのある婿が旅行社の人に訊いたところ、まだ一般公開されていないが、現地の人で詳しい人が最短距離の行路を知っていて、2時間で行けるとの事。
案内をお願いして翌日行く事になった。
ヤグール遺跡の近くで合流して、早速、徒歩での世界遺産、初お目見えである。

しばらく歩いて、「あそこ!あそこ!」と案内の人。
指差す方を見ると絶壁の岩に絵が!

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あの高い絶壁に昔の人はどうして絵を描いたのか?
バッハカルフォニアのサンフランシスコ洞窟の絵も場所によって、人間が届かないほど高い場所に岩絵が描かれているところもあるそうだが。

この岸壁のある高台が「白い馬」と名が付けられている。
この高台をぐるりと囲むように沢山の洞窟とそこにいくつかの岩絵があるようだ。

さてさて、その世界遺産の洞窟は一万年もの昔、人々がメキシコで、最初のかぼちゃなどの農耕を始め、そこに住んだという価値ある場所であるのだが。。。。

世界遺産の洞窟って、いかに?その2へ続く。

石化した滝 イエルベ・エル・アグア

29 1月
2011年1月29日

大自然と時の合作は、人をあっ!と言わせる。
オアハカ州、オアハカ市から南東へ73キロほど、所要時間1時間50分。
ミトラ遺跡を過ぎて、舗装されていないデコボコの埃の山道を行く。
途中、先住民の小さな村に看板あり、Hierve el Agua→
じゃあ到着か?とんでもない、そこから、まだ砂漠のような山々を越え。

やっとたどり着いたのは、山の上の天に最も近い(?)小さな泉から流れる水を貯めた自然のプール、山の上のオアシス。
何ともいえない山と水の風景

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イエルベ・エル・アグアとは、「沸騰した水」という意味であるが、この泉の水は温泉ではない。
ボコンボコンと湧く泉の水がお湯が沸くように見える??

これだけだと、山の上の風景の美しい自然のプールかあ?
だが、そこから右に目を向けると、大きな滝!

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滝は滝でも石の滝!
昔々は、本当の水が流れる滝であったのだが。
石灰岩の崖をミネラルを多く含んだ水が長い長い時を経て流れ、炭酸カルシウム結晶し石化し、水は枯渇してしまったが、石の滝となった。
石になった滝だ。
実に、白いしぶきをあげて水が激しく流れる滝のようだ。

周りは山、山。潅木のような木も生えているが、大きなサボテンも生えた。
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昔、あの滝にごうごうと水が流れた頃か?2500年以上もの昔、水を利用した灌がいシステムが作られて豊かな農業がされていた事がわかっているそうだ。
そして、まさに周りの半砂漠的環境の山、山の中に沸く泉とそこから流れ出し出来た滝は、昔の人々の神聖な場所となっていた。

二つの水が湧いている泉が、自然のプールの上方にある。

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このプールがある崖も岩が少しずつ白く固まり、岩の滝になっているが、上の小さな泉の水が枯れない事を願う。

大昔は山、山の環境でも、豊かな水を利用し、段々畑が作られ豊かな農業が行われていたであろう。

ここは今、この近くの村の大切な観光という経済資産であるだろう。
20年ほど前に公開されるようになったと。
駐車場、食べ物屋やお土産屋、トイレ、水着着替え所、そして、小さなホテルもある。
入場料 20ペソ
ホテル 一人100ペソ

車利用でアクセスしない場合は、ツアーで行くのよいだろう。
公共交通機関はちょっと難しい。

このような自然と時の合作の風景を作り出しているのは、トルコのパムッカレだそうだ。
パムッカレは世界遺産だが、トルコまで行った事がない私は、メキシコのイエルベ・エル・アグアで感嘆!
メキシコへ旅する人も是非いかが?

防塞都市 ソチカルコ遺跡

18 1月
2011年1月18日

メキシコシティから行ける世界遺産の遺跡と言うと、まず、ティオティワカンの遺跡であり、規模的にもまずティオティワカンへ行くというのが当然であろう。
だが、もう一日時間がある人は、世界遺産の遺跡ソチカルコへ是非どうぞ!

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写真の説明:二つの象形文字のステラの広場の都で一番大きなピラミッド。雨の神トラロックを祭った神殿ピラミッド

ツアーでは、世界遺産「ポポカテペトル山麓の16世紀初頭の14の修道院跡」の一つであるクエルナバカのカテドラル教会を見て、ソチカルコ遺跡へと言うパターン。
また、時間的に無理をすれば、それに、もうひとつコロニアル都市、銀の町タスコを追加する事も可能で、盛り沢山ツアーもあったりする。

高速を外れて、田舎の村を抜けると、もう、何もない。道路はちゃんとある。電線もない。(遺跡の博物館は、太陽熱利用でエコー博物館)
で、上り坂の道路を行くと、ソチカルコの遺跡が130mくらいの丘に突如現われる。

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写真の説明:博物館から遺跡全体を眺める。

ソチカルコは山の山頂を平らにして作られた町。山の上に作られた防塞都市である。
ソチカルコは650年~900年 当にティオティワカンが衰退し崩壊した時期に興りそして250年後には、やはり都は焼かれ破壊され崩壊した都。
ティオティワカン崩壊後の時代は、戦国時代というか?
いくつかの国々が連立した形で、防塞的都をつくり、敵の侵入を都作りの最重要事項とした事が窺われる。
言ってみれば、日本の山城のようなものか?
山の側面は、何重にも段々畑風の塀と堀で囲んだらしい。
そして、山の最上が、一番重要な宗教センターであり、支配者階級の住居もそこにある。

丘の遺跡の最上段の広場に、最も有名かつ重要な素晴らしいピラミッド神殿、羽毛の生えた蛇神のケッツアルコーアトル神殿がある。

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写真の説明:ケッツアルコーアトル神殿のレリーフの一部

石のレリーフが残り、それは、何を物語るのか?

ここで国際会議が開かれた?
暦の修正をした?
皆既日食の記録?
多くの他部族から租税を徴収した記録?
武器を持った兵士は軍事国家のソチカルコの兵士?
ソチカルコの「二つの球技場を動かし背負う王」は、新しい火の祭りをした?
長い袋を持った神官達らしい人物は何を表す?
ケッツアルコーアトルが主神となる事が決められた?
伝説の地、タモアンチャンは、ソチカルコ?

メソアメリカ文明は天文学に優れていた事は周知だが、ソチカルコにも天文台があった!
洞窟天文台だが。

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写真の説明:洞窟天文台の煙突から太陽が差し込む

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写真の説明:洞窟天文台で、話を聞く学生さん達。

洞窟に作られた煙突の穴から太陽の直射日光が入る日を観察するという。

メキシコシティで時間の余裕があって、遺跡好きの人は、是非ソチカルコ遺跡にも足を運んでみてはいかが?

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新年の祈願

11 1月
2011年1月11日

メキシコはカトリックの国なので、一年でもっとも祝う日の一つは、なんと言ってもクリスマス。
その一週間後の年越し年始のお祝いは、クリスマスの延長と言った気分かもしれない。
クルスマスのご馳走も年越しのご馳走も、似たりよったり。
各家庭で、クリスマスは七面鳥だったから、年越しはタラ料理とモレーにしようか?くらい。

各家庭で、両親、息子や娘の家族が集まってクリスマスも年越しも12時の晩餐をして祝う。
結婚した子供達は、クルスマスは夫の実家に行ったから、年越しは妻の実家に行こうなどなど。
レストランやホテルなどがやる年越しパーティーなどで楽しむ人もいる。
メキシコに年末に、来ていたら、ホテルなどが催す年越しパーティに参加するのもきっと楽しいだろう。
メキシコのパーティでは踊れるとなお楽しい。

クリスマス年越しは仕事はお休みの連休だから、出かける人も、もちろん多い。
メキシコ人はバケーションと言うと海のリゾートを目指す人が多い。

さて、やはり新しい年を迎えるとなると、新しい年は、こうありたいと願うのは、万国共通だろう。
お料理はクリスマスとそう変わらないのだが、12粒の葡萄を年越し0時に食べる。
これはきっとヨーロッパとかよその国もそうだろうかと思う。
12個の葡萄は、一年の月、12ヶ月を表すのかもしれないが、同時に12個のお願いを祈りながら食べるとか?
そう、今年はこの12個の願いが達成できますように!と?

キリスト教は、葡萄がシンボルで使われるようだ。
教会の祭壇の彫刻には、天使や聖人が描かれているが、その間を埋め尽くすのは葡萄の唐草模様。
キリストの肉(パン)と血(ぶどう酒)としての葡萄の意味があるのか?

日本だと、年越しに葡萄を食べたくってもちょっとそうはいかないが、メキシコは12月のフルーツに葡萄もあるのだ。

メキシコで年越しのかわったまじないがある。
年越し新年に願かけて、赤いパンツや黄色いパンツの下着を身につける!
赤は、素晴らしい愛が得られるように。黄色はお金がいっぱい入ってきますように。

メキシコでお酒を飲む時、「乾杯!」と言うのはサルー(健康)!と言うが、それに続いてアモール!(愛)そしてデイネロ!(お金)と叫ぶ。
そうだよ!健康も一番の願いだけど、愛もお金も欲しいよ!
愛もお金も両方欲しい人は赤と黄色のパンツを二枚重ねではかなくちゃあ!

クリスマスが過ぎると同時に年越し新年商戦、町のあっちこっち、お店、露店、市場でも赤や黄色のパンツがひらひら旗めき、山積みの赤パンツ、黄色パンツ。

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それにしても、なんて単純で、物事なんでも信じて、そして、それを実行するメキシコ人なんだろう。
年越しに、「ない色のパンツはいてる?」な~んて聞きあったりして。。。

私も、お金は欲しいなあ!黄色いパンツでお金ざくざくなんって事になれば、いいんだけど。。。。ね。

クリスマスの花ポンセチア

06 1月
2011年1月6日

12月は、カトリックの国メキシコはクリスマス一色。
町の飾りつけも11月はじめの死者の日が終わると、すぐ死者の日の飾りからクリスマスの飾りに変わる。
だから、11月からクリスマス気分を押付けられる。
その至る所に溢れるクリスマスの飾りつけに使われる花は、やはりクルスマスの花と言われるポンセチア。

ポンセチアはメキシコ原産の花である。
南国の潅木で、高さ2~3mくらい、(大きくなると6mほどになる)、日が短くなり、ちょっとだけ寒くなるクリスマスの月12月頃、黄色い小さな花の周りの葉が、
一年中緑であったけど、何故かこの頃、自己主張をするように真っ赤に色づくのだ。

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メキシコでは、ノチェ ブエナ(聖夜)と言う。
もちろんキリスト教が入ってきてからのスペイン語名で、もともとのオリジナルの先住民語の名前はあるのだが、忘れられている。
ポンセチアの名は、19世紀のはじめ頃のポインセットとか言うアメリカの領事が、本国へ種を持ち込み、それが世界に広まりクリスマスの花となった事でその名がある。

もともと南国の花なので、日本では、暖かい地方以外では、そう庭に植わっているという事はなく、クリスマスの花として、クリスマスの頃、植木鉢とかで現われるくらいか?
結構高かったりして。。。。

メキシコでは、クリスマスの月12月になると、至る所がこのクリスマスの花で飾られる。
もちろん鑑賞用に、植木鉢で。何故か切花というのはない。
ソチミルコなどの花市場も、町の露店もポンセチアの赤一色。

メキシコシティのメインストリート レフォルマ大通りも、11月中旬には、死者の日の黄色いセンパソチル(マリーゴールド)の花が引っこ抜かれ、真っ赤なポンセチアの花に植え替えられる。

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ポンセチアの花も1月には、また引っこ抜かれるんだから、花が安いメキシコと言え、もったいない、花に申し訳ないな~んて思うは私だけ。
マリーゴルドの花は一年草だけど、ポンセチアは潅木で、そのまま来年の12月まで植えとけばまた真っ赤になってくれるはずだけど。
ポンセチアは、挿し木で育つし、花生産者は植木鉢で、クルスマス用に小さく育てなくてはだから、去年の花は御用済み。
クリスマスツリーの木と同様に、1月になると、ゴミ車の大荷物?
家庭でも、クリスマスの飾りに買った花も、赤いうちは飾られていても、色がなくなると忘れられて、枯らしたり?

でも、何故かクリスマスの頃になると、やっぱり買って飾りたくなるクリスマスの花ポンセチア。
真っ赤な葉と緑の葉のコントラスト、何故かクルスマスに似合う花、ポンセチア。

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伝統的メキシコ料理が世界無形文化遺産となる!

27 12月
2010年12月27日

メキシコ料理のいくつかは前記事でも取り上げたが、いやはや、メキシコ料理が世界無形文化遺産になるとは!
メキシコ料理は、そう、かなり美味しいと思う。手抜き料理では決してない。そのバリエーションも大変豊かだと思う。
それにしても、無形文化遺産だぜ!

メキシコの家庭で日々メキシコ人が食べているメキシコ料理は、確かに歴史がある、伝統がある。
メキシコ料理に欠かせない基本食材であるトウモロコシ、唐辛子、お豆など、紀元前5000年から食べられてきたものである。
それに、アメリカ大陸に世界の他の地区から人々が入って来て、それと同時にアメリカ大陸になかった食材が加わり、昔からの調理に磨きがかかって、
前にも紹介したような、大変手の込んだモーレのような料理も生まれた。

それに、各地方ごとにその同じような料理でもそれぞれに地方の特色ある料理となり、バリエーションが実に豊かである。

隣の大国アメリカなどにメキシコはいつも虐められているので、私なんぞさえ、僻んでついつい言ってしまっているが、
「アメリカなんか食べるものがハンバーガーとホットドックばかりで食文化がないでしょうが、メキシコ人はどんなに貧しくってもトウモロコシと唐辛子とお豆で豊かな美味しい食事を作り出す国民です。」なあ~んてね。

でもでも、メキシコ人もマクドナルドのハンバーガーもインスタントのマルチャンもコカコーラも大好きらしいけど。
それは兎も角

祝 「伝統的メキシコ料理世界無形文化遺産登録」
モーレ、タコス、タマレス、アトレ、ポソレ、 サルサetc 万歳! 万歳!

で一つ、気軽に町角で、朝ごはんに世界無形文化遺産でも味わってみますか?
朝、メキシコ人のこれから仕事に出かける勤め人や労働者が、群がって食べてる、町の角ごとに露店を広げているタマレス屋のタマレスとアトレ。
寒い朝、暖かいアトレとタマレスは体もぽかぽか温まって美味しい!

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タマレスとは、トウモロコシの粉をラードで練って練って作ったペースト状のものにサルサ入り肉、野菜、甘い系などなど色々挟んで、トウモロコシの皮やバナナの葉に包んで蒸して作った料理。

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カロリーたっぷりで、お腹もちがいい。
しかもメキシコ人はこれを油で揚げてパンに挟んでタマレスのトルタにしてもらう。
このタマレスのトルタ一つ食べたら、一日重労働しても大丈夫という代物。

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アトレは、牛乳にチョコレートやフルーツその他色んな味付けをして、トウモロコシのコンスターチなどでどろりとさせた甘くて暖かい飲み物。

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ところで美味しいけど、カロリーしっかり使い果たさないと、カロリー蓄積してメキシコ人並みに横幅がりっぱになります故にご注意!

食べ過ぎないように、世界無形文化遺産の伝統的メキシコ料理をお楽しみください!

マヤのラッパ

20 12月
2010年12月20日

消えてしまった過去の物、文化。でも、それを復活させるという努力。
ある会で、マヤ遺跡のボナンパック遺跡の壁画の中に、またマヤの陶器の絵に、描かれているラッパを作りそれを演奏するという人の話を聞いた。

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写真の説明:国立人類学博物館のボナンパック遺跡の壁画のコピー。ラッパを吹く人が描かれている。

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写真の説明:国立人類学博物館のボナンパック遺跡の壁画のコピー。音楽師達がマラカスなどを持ち音楽を演奏している様子がえがかれている。

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写真の説明:マヤの陶器に描かれたラッパ。

先住民時代の音楽と言えば、それは神への祈りまたは神にコンタクトするための儀式の中で、太鼓、ほら貝、マラカスの楽器、また土器の笛を奏で、踊るというものであったであろう。

現代人も、過去の神への祈りの音楽と踊りをやっているじゃあないか?!と言えば。
グアダルーペ聖母の教会の広場で羽のペナッチョを被り、昔のインディオのなりをして、巡礼団がやってるし、ソカロ広場でも祈祷師がやり、清めをしてくれてるし、3月21日の春分の日には、ティオティワカンのピラミッドへ太陽パワーを受けに行くという人々がやっぱりピラミッドの前の広場でやっている。

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写真の説明:ソカロの大神殿前で、先住民踊りをする人々

それは、祈る神はカトリックの聖母であろうと、また、自分はカトリックと言いながら、過去のピラミッドに祭られた神は存在するのかしないのかを疑いもせず、やっぱりピラミッドに詣で、ピラミッドの前で過去の宗教儀式を行う。

そんな訳で過去の音楽を奏でる太鼓やほら貝やマラカスは今も使われている。

だが、マヤのボナンパック遺跡に描かれたマヤのラッパは、消えてしまった。
その消えてしまった楽器を再生して、それを奏でる。大変興味深い。

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写真の説明:現代に復活させたマヤのラッパを吹くヘラルドさん達

時の流れと共に、過去の物、文化が消えてしまったものは、いっぱいあるだろう。
マヤのラッパが、復活して、広まったらいいねえ。

そのラッパは少なくとも12世紀以上の昔、祭りの時、神への祈りの音楽としてその音を響かせていたのだ。

そのマヤのラッパなる楽器は、アルプホルン風といったところ。
名前をマヤ語でHom Pak 又はIncus Utop Checkとか。
音階を出すための穴はなく、呼吸と息の使い方、そして、唇、舌、ほっぺたの振るわせ方で音色に変化をもたせるらしい。
音はどちらかと言うと低音であるが、その筒の長さにもよるらしい。

そのラッパの材料は、まさにメキシコの材料アガベ(リュウゼツラン)の最後に花を咲かせた後の枯れた茎を使うのだそうだ。

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写真の説明:花を咲かせたリュウゼツラン

先の部分が茎の一番下の部分の太い所があるかないかによっても違った音色になるらしい。
その作り方は、アガベの茎を完全な空洞にするために、赤く燃える炭を入れて中をきれいにするというものだそうだ。

なかなか、面白い楽器、マヤのラッパです。
竹でもできるそうですから、日本でもできますねえ。
作ってみますかあ?マヤのラッパ。

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