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食事は一日5回

20 3月
2007年3月20日

ポーランドでは、食事は一日5回とるのが理想といわれています。

まず朝早くおきて、ホットコーヒーやミルク、サンドイッチなどで朝食(シナダニェ)をとり、職場や学校へ向かいます。ポーランド人の朝は早く、大体6時か7時には、皆起きています。

午前10時頃、はやくも小腹がすくので、第二の朝食(ドゥルギエ・シナダニェ)をとります。家から持参したサンドイッチや、リンゴやトマトなどで軽くビタミンを補給、職場ではコーヒーブレイクタイムに、子供は学校の休み時間に、このドゥルギエ・シナダニェをとります。

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ポーランドの朝の食卓

15時頃家に帰ると、一日のメインである昼食(オビヤド)です。子供が学校から帰り、仕事のほうも午後2時ごろに一区切りつくので、昼食は自宅で家族そろって取るのが基本です。オビヤドでは、まず前菜としてスープ、その次にメインの肉料理を食べます。主食のじゃがいもを、マッシュポテトやベークドポテトにして、コトレット(ポーランド風カツ)やゴロンカ(豚もも肉の煮込み)など肉料理の付け合せにします。肉料理の付け合せには、マカロニやリゾットも好まれていますが、洋食ばかり食べている日本人が白いお米が恋しくなるように、ポーランド人も、三日に一回はじゃがいもを食べないと、恋しくなるそうです。

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今日のオビヤドはコトレットに茹でたじゃがいもの付け合せ

18時頃の四回目の食事(ポド・ヴィエチョレック)では、コールドプレートなどの軽いものか、ケーキなどのデザートに紅茶かワインですませます。午後のティータイムにあたる感覚です。

昼食(オビヤド)と、この4回目の食事ポド・ヴィエチョレックは、どこの家庭でも力が入ります。肉料理は料理の腕の見せ所ですし、ティータイムに代々伝わる自家製のケーキを焼く家もあります。日本の夕食同様、一家団欒のひと時だからです。なので朝食や夕食(夜食)などは各自キッチンで済ませても、オビヤドとポド・ヴィエチョレックは、一家そろってダイニングでとるのが理想とされています。また親戚や友人を家に招待する際も、このオビヤドかポド・ヴィエチョレックに招待するのが普通です。

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親戚一同そろっての、ポド・ヴィエチョレック

そして夜20時ごろに、5回目の食事、夕食(コラツィア)をとります。パンにハムやチーズなどを挟んだ簡単なサンドイッチが一般的ですが、昼食の残りのスープをパンと一緒に食べる人もいます。夕食というよりは、夜食といったほうが適当かもしれません。

ざっと以上がポーランド人の伝統的な食生活です。なんだか読んでいるだけで、おなかがいっぱいになりそうですね。もっとも最近は時間の都合で3回や4回の家庭も多くなってきており、その場合は、第二の朝食(ドゥルギエ・シナダニェ)や、四回目の食事(ポド・ヴィエチョレック)は省かれることも多いようです。

また何回目にこれを食べなければいけない、という決まりはありませんが、例えば、朝食は、サンドイッチなどの軽いものが普通のようです。いつだか私が朝からラーメンを食べていたら、ポーランド人の夫から「朝からそんな重い物を食べるなんて信じられない」といわれてしまいました。逆に、メインである昼食(オビヤド)は、温かいものと決まっています。真夏に冷やし中華を出したら、「こんなサラダみたいなもの昼食に食べられない」とまたまた文句が来てしまいました。どんなに暑い日でも、汗を流してでもオビヤドは温かいを食べないと、食べた気がしないそうです。「美味しいもの=温かいもの」の図式は北国ポーランドならではですね。

ポーランドでは昔から、「どんなに経済的に苦しくても、食事にはお金を惜しまず」を美徳としてきました。1980年代の経済破綻の時も、一部肉や果物などが不足したものの、農業国のポーランドでは、食べるものには困りませんでした。バラエティにとんだメニューを、少量ずつ(日本人にはそれでも結構な量ですが!)、小分けにして食べることで、日ごろから健康的な生活を心がけています。その証拠に、ポーランドのお年寄りはみなとても長生きなんですよ!

ポーランドらしい風景とは

17 3月
2007年3月17日

北方ルネッサンス建築の傑作であるヴァヴェル城、ハンザ同盟都市トルンやグダニスクなど、ポーランドには、世界に誇るべきとても美しい街並みの数々があります。とりわけクラクフの旧市街は、第二次世界大戦の戦火を免れたため、中世からの町並みがそのまま残っており、大変歴史的価値のある場所です。

ですが日本から来た知人やお客様などに、これらの旧市街の街並みをご案内していると、たまに「もっとポーランドらしい景色のところはないんですか?」とたずねられることがあります。どういうことか詳しく聞いてみると、もっと社会主義風の街並みを見たい、ということらしいのです。

ポーランドは民族的・地理的には東欧スラブ人国家に分類されますが、建国以来キリスト教を国教とし、西欧カトリック文化圏に属してきました。文字はアルファベットを使い、建築様式もルネッサンスやバロックなど西欧のものが伝わっています。戦後はソ連の共産主義経済圏に入り社会主義の時代が40年以上も続きましたが、90年代の体制変換を経て、2004年5月には悲願の欧州連合(EU)加盟も果たしました。

ポーランド人にとっては、社会主義時代とは、過去の出来事・過ぎた悪夢であり、ルネッサンスやバロックなど西欧文化・西欧建築こそが誇るべき自分たちの文化、帰属する場所であるという意識があります。ですのでポーランド人にとって、外国人観光客に見せるべき街並みとは、旧市街のルネッサンス・バロック建築なのであり、決して社会主義時代の統一規格住宅やプレハブ工場ではありません。各地の市内観光のコースも、旧市街のお城や教会を中心に周るようになっており、当然のことながら、社会主義時代の灰色アパート群はコースに入っていません。

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ポーランド人の思う、ポーランドらしい風景

しかし一方でほとんどの日本人は、ポーランドを社会主義の国として習ったため、どうしても「ポーランド=旧共産圏」のイメージがいまだ強いようです。そのため体制変換から15年たち、ポーランドがEUに加盟した今も、「元社会主義の国」のイメージでポーランドを訪れている旅行者の方が少なからずおり、旧市街のルネッサンス建築を目の当たりにして、「あれ、何か違う」と感じるようなのです。

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日本人の思う、ポーランドらしい風景

実際こちらで観光案内をしていて、日本人のポーランドに対する認識に、ポーランド人のそれと非常にギャップがあるのを感じます。「ポーランドはまだ社会主義ですか?」「ポーランドはいつEUに加盟するのですか?」などの質問をうけることもしばしばです。日本人の私は、いつも笑って質問に答えますが、しかしポーランド人が聞いたら激怒しそうです。旅行で来た外国に対する知識ですから、それほど詳しく知らないのも無理のないことではありますが…

なんていうことで、私もこのブログ記事を通じて、少しでも、皆様のポーランド理解の一助になれたらと思います。

EUに加盟して

15 3月
2007年3月15日

ポーランドほか中欧10カ国は、2004年5月1日に欧州連合(EU)に加盟しました。
加盟の日から2年10ヶ月を経て、ポーランドでの暮らしにもさまざまな変化がでてきました。

1 物価の上昇

事前に予想されていた通り、物価が上昇しました。砂糖、パンなどの食料品から、ガソリン、タバコ、子供服、ありとあらゆるものが値上がりしました。極めつけは不動産で、2004年のEU加盟以来、不動産価格は二・三年で、三・四倍に上昇しています。ポーランドでは、EU加盟後の現在も、引き続き自国通貨ズウォーティを使用しており、EU共通通貨ユーロの導入は早くても2009年以降と言われています。EUROが導入されれば、さらにインフレが進むことが予想されます。

2 多くのポーランド人が就労のため出国

EU加盟により、イギリス、アイルランド等でポーランド人が合法的に働けるようになりました。そのため大量のポーランド人が国外に流出しました。MSWの統計によると、2004年5月1日から同年9月までに、新加盟の10カ国からイギリスにやってきた人は90950人、そのうち56 % がポーランド人だったそうです。移住先はイギリス、アイルランドなど英語圏が好まれますが、ドイツ、フランス、スペイン、イタリアにも多く、スウェーデン、ノルウェーなどスカンジナビア諸国へ行く人も増えています。元々人口の少なかったアイスランドでは、すでにアイスランド人の数をしのぐ勢いでポーランド人労働移民が増えています。日本人観光客が「日本人は海外のどこにでもいる」というのと同じく、ポーランドにも「ポーランド人はどこにでもいる」という言い回しがあるのですが、本当にその言葉どおり、ポーランド人の流失はとどまるところを知らず、ヨーロッパ中の至る所にポーランド人がいるといった感じです。

3 医者・看護婦など医療関係者が大量に流出

隣国ドイツやスウェーデンとポーランドでの医者の給料には約10倍もの開きがあります。そのためEU加盟前後から医者ら医療関係者が大量に国外に流出しました。特にスウェーデンなど北欧諸国では長年医者不足に悩まされており、外国人の医者を積極的に誘致していることも、ポーランドからの国外流出に拍車を掛けています。チェコとハンガリーでは医者の流出を防ぐためEU加盟後医者の給料が2倍に引きあがりました。しかしポーランドでは予算不足のため逆に給料カットや解雇になった人がいます。ポーランドの医療システムは医療改革の失敗で完全に崩壊していますが、EUに加盟しても、まったく好転の兆しが見られませんでした。

4 車の免許など資格・検定がEU標準規格に

資格・検定がすべてEUの基準に沿うものに変更になりました。特に運転免許は大勢の免許保有者が書き換えのために役所に列を作る事態になり混乱しました。

5 外国からの留学生が増加

西側の国に比べ学費が安く、かつ卒業すればEU圏内どこでも学歴が通用するため、外国人学生の数が急増しました。特に医学部を中心に、北欧やアメリカなどからの学生が英語で学んでいます。

6 国際結婚の件数が激増

例えばワルシャワのある事務所では、EU加盟直後の5月1日以降一ヶ月の婚姻件数が9件から50件に急増しました。ポーランド人と結婚すればEU滞在資格が手に入るからと、金銭をやりとりしての偽装結婚をする人が目立って増えたためで、警察当局が取調べを強化しています。私の家にも抜き打ちで警察が来て、実際に夫婦で住んでいるかを調べていました。

EU加盟後、暮らしの質はそれほど向上したようには思えず、むしろインフレ、所得格差の開きなど、マイナス面も目立ちます。しかしポーランドでは、EU加盟を悔やむ声はほとんど聞かれません。世論調査でも、大多数の国民がEU加盟を素直に喜んでいます。

クラクフとワルシャワ~ポーランドの京都と東京

14 3月
2007年3月14日

ポーランドの古都クラクフと首都ワルシャワは、ちょうど日本の京都と東京(江戸)に例えられます。

私の住む街クラクフは、中世からの街並みが残る、とても美しい街です。ヨーロッパで有数の規模を誇る中央広場、ゴシックの劣塔が美しい聖マリア教会、ヤゲウォー大学とルネッサンス様式の中庭コレギウム・マイウス、ダビンチの「白テンを抱く貴婦人」のあるチャルトリスキ美術館など、まるで中世にタイムスリップしたかのような街並みは、ユネスコ世界遺産にも指定されています。

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クラクフ コレギウム・マイウス

とりわけ旧市街南にそびえるヴァヴェル城は、北方ルネッサンス建築の最高傑作です。14世紀にクラクフがポーランドの首都となると、ヴァヴェル城は歴代のポーランド王の居城となり、栄華の限りを極めました。16世紀に首都がワルシャワに移ってからも、王の戴冠式や結婚式、葬式などの冠婚葬祭の行事は、引き続きこのヴァヴェル城で行われてきました。第二次世界大戦では奇跡的に戦火を逃れたため、中世からの街並みがそのまま現在まで保存されています。2000年には「ヨーロッパ文化都市」にも選ばれました。それゆえクラクフは「ポーランドの文化・芸術の首都」といわれ、同じく戦火を逃れ貴重な文化財が残る日本の古都、京都に好んで例えられます。

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クラクフ ヴァヴェル城

首都のワルシャワは、ポーランドの政治・経済・学問の中心であり、200万人以上の人口を誇る、中欧の大都市です。1611年にポーランドの首都となると、幾多の戦乱の時代を経て、「北のパリ」と呼ばれるまでに大きな発展を遂げました。第二次世界大戦では、ナチス軍とワルシャワ市民との市街戦により、市街の90%以上が廃墟になるまでに破壊されましたが、戦後は市民の努力により完全に復興されました。現在のワルシャワは、おしゃれなブティックが並ぶ近代的な街並みで、ワルシャワ旧王宮、キューリー夫人博物館、ショパンの生家、ワジェンキ公園、 ヴィラヌフ宮殿など、見所がいっぱいです。

やはり首都となって400年の歴史をもち、第二次世界大戦で破壊されながらも戦後目覚ましい復興を遂げた日本の首都、東京ととてもよく歴史背景が似ているため、京都に例えれる古都クラクフに対し、首都ワルシャワは東京(江戸)に例えることができます。

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ワルシャワ 旧市街

クラクフの人は、ワルシャワが好きでないそうです。ワルシャワに行く用事があっても、「落ち着かない」とすぐ帰ってきてしまうとか。ポーランドが最も栄えたヤゲロー王朝の時期にポーランドの首都であったクラクフは、何かと新しいワルシャワと比較され、クラクフっ子、ワルシャワっ子でお互いに対抗意識があるのだそうです。

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ワルシャワ 文化科学宮殿

ワルシャワは私にとってとても思い入れのある街です。初めてポーランドに来たのが9歳の時、まだ共産主義の時代に見た文化科学宮殿は強烈に印象に残りました。その時は二週間ほどの滞在でしたが、ワルシャワの街は、初めて見た外国の街としてその後も特別な存在になりました。そして縁あって2003年4月からクラクフに住んでいるのですが、残念ながら最近はワルシャワにあまり長居していません(私はゆっくりしていたいが、クラクフっ子の夫がすぐクラクフに帰りたがる)。そしてなぜか、ワルシャワからクラクフに帰ってくると落ち着きます。住んでいるうちにワルシャワ派からクラクフ派に移行したのでしょうか?

スラブ美人の国、ポーランド

03 3月
2007年3月3日

3月8日は国際女性デー(International Women’s Day)です。

ポーランドでは、国際女性デーのこの日に、家族やガールフレンド、職場の同僚や友達などに、花を贈る習慣があります。厳しい冬がようやく過ぎて、春の陽気を向かえるころ、花をもった女性が街にあふれます。

この国際女性デーとは、ドイツの社会主義者であるクララ・ツェトキンが、1910年にコペンハーゲンで行なわれた国際社会主義者会議で、「女性の政治的自由と平等のために戦う記念日を設けること」を提唱したことが始まりといわれています。もともとポーランド人は、お花がとても大好きで、折につけてお花を贈る習慣があります。そのため社会主義にロシアの指導でこの国際女性デーのイベントが導入されると、広く全国に広まりました。

ところでポーランドは美人の多い国として知られています。スラブ系、ゲルマン系、バルト系、ユダヤ系など古来より幾多の民族が共存してきたことに加え、16世紀のロシア軍・スウェーデン軍の襲来に代表されるように、戦乱がたえない土地であったため、さまざまな民族の血が混じり、世界でも有数の美人の産出国になったといわれています。

そんなポーランド美人を、ポーランドの男性はこよなく愛し、大切にしています。ヨーロッパのレディーファーストの習慣は、ポーランドでも根付いています。建てものに入るときや車に乗るときにはドアを開け、女性が椅子に座るときには、さっと椅子を引いてあげて。そして挨拶では、ひざまずいて、女性の右手の甲にそっとキスをします。こうしたポーランド人男性のやさしい気配りが、美しいポーランド人女性を、よりいっそう美しく輝かせているのかも知れませんね。

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