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ポーランドで馬

18 6月
2010年6月18日

 

頻繁に山に出かけている我が家。道路の接続がよくなり、びゅんびゅんと南部の山岳地帯のほうに車を進めるのですが、いつも道すがら、車の中から目にしていた馬の集団がありました。高速道路とまでは行かないけれども、どの車も時速100km以上は出している道路を挟んで右と左の草原で走り回っている馬たち。

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こちら、ポーランドのシロンスク地方では1番2番を争う有名な馬舎、オハビ。敷地内は関係者以外は立ち入り禁止でしたので、ここから撮影。

こちらの馬舎の歴史は古く、1947年にフランスから持ち込まれたアングロアラブ種の馬たちを1952年に国がこの地オハビで繁殖するように決定したとか。その後、馬がこの地の風土に適したのか次々といい馬が誕生し、現在に至るそうです。

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囲いの中の草は食べつくされた感があったので、囲いから離れた場所に生えている草をぬいてあげてみると、これまた食欲旺盛。むしゃりむしゃりとやっています。

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ただ馬に触りたい人たち。運転に疲れて、一息休憩でここに立ち寄る人もいるようです。完全無料の馬セラピーというのでしょうか。

とにかく馬が一杯。それもそのはず。ここは馬のペンション?もやっているんです。現在は約30頭の馬にプライベートの飼い主がいて、彼らは週末や時間があるときに自分の馬と出かけ、平日はこの馬舎で面倒を見てもらっています。それに加えて、この馬舎所有の馬もいるので、あっちもこっちもどこでも馬・・・なのですがそれ以上に敷地を広く取っているので窮屈感がありません。あたり一面に広がる草原。はっきり言って、この馬たちが羨ましい。

でも、道路で敷地が2分にされるのは、馬たちにとっては不本意だろう、と勝手に思っていましたら、驚くなかれ。なんと、この道路の下にトンネルを掘り、馬が道路を左右挟んだ敷地を行き来できるようになっておりました。まさに、『お馬様』のための道路です。
ここ数年、ヨーロッパでは新たに高速道路を建設するときに、森にすむ動物が道を挟んだ向こう側に安全に渡れるよう、動物用の橋をかけることが多くなっていますが、馬用の地下道というのは初耳。

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ポーランドを襲った洪水警報が解除されたばかりの時分に訪れたので、道の下にはまだ水がたまっていますが、普段はここを通り抜け向かい側の牧草地に向かいます。左上方の水色の屋根の建物は屋内練習場。

さて、これだけ馬がいるんですからもちろん、一般観光客も馬乗りに挑戦できます。昨年は、こちらでは10匹のレクリエーション用(初心者用)の馬と10匹のスポーツ用(中級者から上級者用)が用意されておりました。

宿泊施設もあり、27人(2~3人部屋)収容可能です。2日以上宿泊すれば、ひとり30z以下なのでポーランドの夏場の値段としては安めですね。

ちょっぴり、馬の体験をしたい人から本格的に馬に乗る人まで楽しめるこちらオハビ。ポーランド南部で馬体験をされたい方はこちらをどうぞ。

Stadnina Koni “Ochaby” Spółka z o.o.
Ochaby Wielkieul. Hodowlana 1643-430 Skoczów

北欧からやってきた教会

12 6月
2010年6月12日

教会って、その地の人々が祈りをささげる場所を確保するために、民が自分たちの血と汗で建てるものだと思っていたのですが、先日その(特に根拠があるわけではなかった)確信を打ち砕くようなものを見てしまいました。

ポーランドの南部には日本で生活していても耳にしたことがある『カルパチア山脈』があります。この地に、ヴァングという有名な教会があるというので観にいくことにしました。ヴァング・・・響きがポーランド語に聞こえないと思われた方、その通り。なんとこの教会、ノルウェー産なんです。ポーランドでノルウェー産といったら、真っ先に頭に浮かぶのは鮭なんですがね、まさか教会までノルウェー産とは!

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高台から収めた教会とその敷地。観光客と比較するとそれほど大きな教会ではないのがわかります。

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こちら入場口。教会の右手にある白い塔は、向かい側の山から吹いてくる風に直接教会が曝されないよう後から立てられたもの。

ここで、お手元に世界地図を準備してもらうといたしまして、、、で、ご覧ください。ノルウェーとポーランド南部がどれだけはなれているか。そして、こちらカルパチア山脈という名前がついています。はい、立派な山岳地帯。

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30人も入れば一杯になるぐらいの小さな教会。でも、この教会は釘などを一切使わずに建てられた木造教会です。プロテスタント系ですので、キラキラとはしておりませんが、内装はなかなか味があります。

このヴァングの教会はノルウェーで実際に使われていたものなのですが、19世紀にはその町の教会としては規模があまりにも小さく、人々を収容できなくなりました。改築するには非常にコストがかかるということで解体し売却することになったそうです。売るのは結構だけどそんな建物一体誰が買うのか、と一般庶民の私なんかは考えてしまいますが、いたんですね、買う人が。もちろん、その方、庶民ではありません。
購入したのは当事のプロイセン王。ベルリン博物館に飾る目論見で購入したらしいのですが、途中で気が変わったというか、計画変更になり、『じゃ、どうしよう』と考えていたときに王様と親しい貴族の一人が『カルパチアにもっていきなさいよ』(ちなみに、当事はその地域はプロイセン領)アドバイスをして、そこに運ばれることになったそうです。王様の考えること、庶民の私にはさっぱりわかりません・・・。

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道案内

解体された教会はノルウェーからまず、現ポーランド領のシチェチンという北の町に運ばれ、一度はベルリンまで運ばれましたが、最終的にカルパチア山脈の上に現地のプロテスタント用の教会として再び息を吹き返したのでした。

この教会は周りとぐるっと門で囲まれていて、入り口は一箇所のみです。教会の中を見るのには入場料がかかりますが、教会の中に入らなくても、門をくぐりモニュメントだけを見たいという場合でも見物料がかかりますので、要注意。(2010年現在、教会見学大人6ズロチ、子供4ズロチ。敷地の中の見学は1ズロチ)

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ヴァングの教会の入り口(右)と、国立公園の入り口。

この教会の出入り口のすぐ10m先は、国立公園の入り口となっていますので夏場は観光客でごったがえします。おかげで、駐車場とトイレの設備はばっちり完備されていますので安心してお出かけください。ただ、この地域は強烈な石畳の坂道が多いので、歩きやすい靴でどうぞ。

国境沿いの町、チェシン散策~後半~

03 6月
2010年6月3日

国境で肩透かし?にあったあと、気を取り直して、目指すは『3人の兄弟の井戸』。ネーミングがすごいです。これは、9世紀にいたポーランド王の3人の息子が、長い放浪の後この水源で落ち合うことができたのを喜び(この「喜ぶ」というポーランド語がこの町の呼び名「チェシン」という音と非常に似ている)、それを記念にこの町を建設したため、この町が『チェシン』となった、というのがこの井戸にまつわる話。

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この井戸にまつわる話は、昔はポーランド語、ドイツ語、ラテン語で表示されていたそうですが、現在はポーランド語とラテン語のみ。

しかし、今現在では、町の名前の起源に関してはこれが後から作られた話と学者の間で一致しておりますが、ま、御伽噺として楽しむには悪くないですからね。
リネックから少し外れたところにあるこの井戸。実際、中世には人々の日常生活に実際に利用されていたようで、現在のように鉄の柵で囲われたのは19世紀に入ってからだそうです。もちろん、今は観光客を呼び寄せるこの町の観光名所となっております。井戸+観光名所となれば、当然?あるのは『コインを井戸に投げ込むと、再びこの地に戻る』という言い伝え。
あちらこちらで耳にする話ですが、これも御伽噺と楽しむことにして、エイっと、コインを投げ込みましょう。

井戸の次は、ベネチアに・・・って、あれ、ベネチアってもう少し南のほう・・・正確にはイタリアとかいう国にありませんでしたっけ?と本日の遠足を仕切っていた旦那に確認すると『ポーランドにもあるんだ!』という、彼の地理感覚は大丈夫なのかと疑念を抱かせる自信に満ちた返事。念のためこっそりとガイドブックを覗いてみると、あらほんと、ありました。
チェシンのベネチア・・・ゴンドラには乗れません。乗れるぐらいだったら、きっと今頃世界的に有名な観光地になっていたでしょうに。

ここがベネチアと呼ばれる理由は、家の前に川が流れているのです。小さな橋を渡らないと、自分の家にも入れないという代物。昔はこの地域は、繊維業者、製皮業者、鍛冶屋そして水車屋が点在し、趣のある場所だったそうなのですが今は多湿による建物の損傷が酷く、町も数年前から思い腰を上げこの地域を活性化させるべく投資をしているそうです。ポーランドでベネチアを見る・・・話の種にはなりそうですので、ここまで足を伸ばされた方は是非見ていってください。あ、でも、ベネチアグラスは売ってませんからね。

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これをベネチアと呼んでいいのかというためらいが無いわけでもありません。

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でも、やっぱりチェシン・ベネチアとして呼ばれているようです。

国境沿いの町、チェシン散策~前半~

02 6月
2010年6月2日

ポーランド南部にチェシンという町があります。週末に日帰り旅行に出かけようと地図を見ていると、視界に読みきれない町の名前がはいってきます。よくよく見ると、ポーランド語ではなく、チェコ語で書かれている通りが沢山あり、その一帯はチェコのチェシンとな。はて、ポーランドの町だと思っていたのだけど・・・と更に見てみると、はい、確かにポーランド。どこをどう見ても、ポーランド領。
しかし、チェコにもチェシンという町があるのでした。(読み方は多少違うかもしれませんが・・・)この二つのチェシンの町は川一本、それも濁流とか広大な川なんてものではなくて、申し訳ない程度の幅なのですが立派に町というか領土わけをしています。川が国境線という自然の要塞でできた国境・・・なんておこがましくて言えないような川なんですけどね。

とりあえず、国境沿いということもあり、私と子供たちは念のためにパスポートを持参し、チェシン目指すこと1時間半。

ハプスブルグの支配下(私のうろ覚えのヨーロッパ史の知識でも記憶にあるあのウィーンを中心に栄えた王朝ですね)で栄えたとされるチェシン。町の中央市場(リネック)はその面影をふんだんに残しています。非常に洗練された町並みで、ポーランドでも過去ロシア領になった場所とは全く趣が違います。

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チェシンのリネック。上品にこじんまりと仕上がっております。

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日曜日の朝。特別に有名な観光地というわけでもありませんので、人もまばら。

町の中央にはエレガントなハプスブルグを髣髴させるような建物でうめつくされていますが、町の中央から5分も歩かないところに、更に昔のポーランドのピアスト王朝が栄えたころの建物がいい保存状態で観光客の目を楽しませてくれます。その上、小山の上に聳え立つ砦は上まで登ることができるというので、上ることにしました。

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これがその砦。下の入り口で入場チケット(大人5ズロチ、子供3ズロチ 夏季は家族チケットも販売するとか)を買って、いざ頂上へ。
が、この砦の中、移動手段は階段のみ。その階段というのがメタボとお年寄りを拒否しているんじゃないかと思うくらいの幅が狭い造りの上に急傾斜。この日は、町散策だからとせめて3cmのローヒールを履いて見栄を張っていたのですが、それでもきつい階段昇降。

かび臭い階段を上り詰めて、頂上に出るとさすがに砦であっただけに辺りの展望が一面見渡せます。

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誇張じゃなくて、本当に狭い幅。降りるときは一言で恐怖そのもの。

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頂上には、そのアングルから見える建築物の名称を書き込んだ写真が掲示されていて、なかなか親切。

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チェコとポーランドを繋ぐ端。

橋を渡ったらチェコという近さなら、出かけてみようといそいそと橋のふもとに来てみれば、確かに国境のマークが出ております。そして、橋を渡ったところから、看板の文字が変わっています。でも、店先を覗くとポーランド通貨でも商品に値段がついていたので、いちいち両替をしなくてもよさそうです。

どうみても、外国人チックな我が家(というより、私がれっきとした外国人)ですので、突然国境警備隊があらわれて、「身分証明を見せろ」とか言われるドラマがあるのかとドキドキしていたのですが、見向きもされないというか誰も何も言いません。ドラマを期待していたわけではありませんが、ちょっと拍子抜け。

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この看板の向こうはチェコ。ここでよっぽど挙動不審な行動をとらない限り、国境警備隊にはとめられないのか・・・・。

チェシン散策~後編~へと続きます。

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