サン パブリート村はオトミー族の先住民がアマテ紙を作る事で生計を立てる小さな貧しい村である。
そして、何故か、お年よりと子供が多い気がする村である。
子供達や、ある程度の年齢の人はスペイン語がもちろん話せるが、お年よりは、オトミー語しか話せない風であった。
庭のコンロを見て、おばあちゃんに、話しかけると、笑顔で何か言ってくれた。でも、私には分からない。
小学生の孫が代わりに、答えてくれた。
お年よりの女性達は、細かな何ヶ月もかけて刺繍したブラウス、腰巻のように巻いてはいたスカートの彼らの民族衣装を着ている。
だが、その多くの女性達は、裸足である。
もう一人のお友達が、そのようなブラウスが欲しいんだけれどと言うと、子供がオトミー語に通訳してくれて、
お母さんらしい人が奥から数枚のブラウスを持ってくれた。
一枚は、胸のところの飾りがびっしりとビーズで飾られたブラウスであり、あと二枚は細かな、そう、実に細かな刺繍を施したブラウスであった。
友人は、その中から素敵な赤で刺繍されたブラウスを選んだ。
お値段は700ペソ(7000円)であった。どのくらいの時間をかけて作ったか聞くと、9ヶ月という。
彼女らは、このブラウスを商品として売るために作っているのではなく、自分が着るために、何ヶ月という時をかけ丹念に刺繍するのだろう。
なにか、気が遠くなる想いで、時間がそこで止まて、刺繍をしているインディヘナの女性達だけがそこにいるそんな気がした。
メキシコの田舎でも、観光客の行く場所のインディヘナの子供達は、商魂たくましく商売をしており、
観光客が彼らの売るものを買わないというと、袖を引っ張り、じゃあ、1ペソ頂戴!という。
だが、ここ、サン パブリート村は、観光客が来る村でなく、多分よそから来る人といえば、アマテ紙を買いに来る商売人くらいだろう。
子供達が多い村だと思ったが、その子供達は、外国人の我々をみて、ちょっと、気恥ずかしそうに遠くから眺めているといった風情であった。
アマテ紙について説明してくれたお父さんの一番下の息子という小学生9歳の少年に、
友達が、「勉強好き?じゃあ、あげる。」と、ボールペンを上げると、恥ずかしげにしていた息子に、
お父さんが、「サンキュウ-だろ?」と言い、
「上の二人の息子はアメリカに行ってるから、英語が上手なんだが........」と言った。
そうなんだ、村の若者達は、アメリカに出稼ぎに行っているのだろう。
メキシコの地方の田舎の多くの村の人々は、村の農業や民芸品の生産だけで生計を立てるのは、難しいという現実である。
多くのメキシコ人が、不法でも、アメリカへ出稼ぎに行っていると言う事情がある。
そして、村に残って、トントンと家内仕事をしているのは、老人と子供である。
帰りのローカルバスの中で、友達がスペイン語会話本を片手に、隣に座った13歳の少年と会話をしていた。
少年の両親も、また、アメリカに出稼ぎに行っていて、彼は、19歳のお姉さんと、サン パブリート村で暮らしていると。
お姉さんは、赤ちゃんがいると。
彼は、隣町の中学校に通っていると、彼の村には小学校しかないからと。
お姉さんより彼の方が早く帰ってくるので、彼が、毎日のご飯を作るのだと。
今日は、学校を休んで、お姉さんと、おじいさんの住むトランシンゴの町へ行くのだと。
両親が、クリスマスに帰ってくるのを待っているのだと。
アメリカは嫌いだと。
多分、この少年のような状況で暮らす子供は、メキシコには、結構いるのだろうと思う。
彼は、両親が、アメリカにいても、アメリカは嫌いだと、
多分、アメリカで仕事はあっても、辛い想いをしているだろう両親の状況を分かっているかもしれない。
そして、彼が大人になった時、メキシコで、彼は暮らせる仕事にありつけるだろうか?
彼も、又、両親と同様に嫌いなアメリカに出稼ぎに出てゆくのだろうか?
そして、今 先住民語しかしゃべれない年老いた人々が消えた日には、サン パブリート村中に響いていたあのトントンという音は、聞こえてこないのかもしれない。
写真説明:サン パブリート村の中心にある教会