人間が、まだ存在していなかった大昔、世界地図は、今とだいぶ違っていたらしい。
メキシコの地図もだいぶ違うらしい。
今、メキシコの標高1500~2000mに及ぶ高地も海であったと。
人間が、地球を我が物にしている今から、1億年以上も昔は、恐竜が、世界を制覇していた時代であろう。
そんな大昔に思いをはせてみるのも面白いかもしれない。
何によって、学者は、そんな大昔を研究するか?
化石もその研究のひとつだろう。
メキシコシティーから約4時間ほど車で南東に走ってゆく。プエブラ州のはずれ、テワカンの町、そこから、荒野のようなサボテンが山中に生える地区を
まだ、1時間ほど走って、また、その先は、舗装もされてない、モンモン土埃が上がるガタガタ道、周りの風景はただサボテンばかり。
そんな道を40分も走ってゆくと、人口200人ほどの小さな小さな村にたどり着く。
サン ファン ラヤ(San Jaua Raya)村。
そんな小さな貧しい、サボテンの荒野しかない田舎の村へ行った。
その村には、朝6時のテワカンの町へ行くバスと夜10時にテワカンから帰るバスが、一日に1往復だけしているという。
辺鄙も辺鄙な小さな村である。
村人は、荒れた大地で農業と牧畜と生業にしているようだ。
だが、そこが化石の村なのである。
村は、その化石ツアーの観光も生業とする。まあ、観光といっても、一日に何人の客があるか?
私たちが行った日は月曜日で、多分、我々が唯一のその日の観光客であったであろう。
化石の村、そこの雨季になると川になる場所の周りの地にわんさ、わんさと海の貝の化石が露出している。
そして雨季の雨、雨季だけ流れる川が、地表を削るとまた、わんさとまた海の貝の化石が現れる。
つまり、そこは、大昔の海であり、海辺であった所であのだ。
貝殻の化石だけでなく、恐竜の足跡の化石も見つかっている。
つまり、昔そこが海べで、砂の海岸を恐竜が、どんどこ歩いていった足跡であるわけだ。
村では、3つのツアーを組んでいると、1、貝の化石をみる。2、恐竜の足跡をみる。3、樹齢1,000年以上もの丸型サボテンなどをみる。
私たちは、その日メキシコに帰らなければならないので時間的に、みんなは見る事はできなかったけれど。
村に着くと、子供が走り出てきて、今、呼んでくるからと。
そして、11歳の女の子と4歳の少年が机とシュロの葉で作った動物の造形など民芸品を持て、早速、お店を出した。
おばあさんも現れ、やっぱり、われわれ3人の観光客のために、店を広げた。
そこで、小さな民芸品のいくつかを買っていると、鍵を持った管理の人がやって来た。
ガイドが案内するからと言うので待っていると、民芸品を売っていた11歳の女の子サラがガイドだと。
サラを我々の車に乗せて、村落のあるところからちょっと離れた場所へ行く。
そのサボテンの荒野に鍵をかけてある一応入り口があり、サラがその鍵を開けて案内してくれた。
その場所のあっちこっちにざらざら貝の化石が散在しているという感じである。
りっぱな化石は、村の小さな博物館に収まっていたが。
サラは、サボテンなどの植物の説明もしてくれる。
あのユカの花はこうして食べるのだとか、このサボテンの実はこうしてサルサにするといいとか。
この植物はハーブでお茶にすると、何に効くのだとか、このノパルの刺は、煮ると簡単に取れるとか。
なかなか物知りである。
恐竜の時代は、1億年以上も昔の事であるが、その頃、この地は、海べであったという訳である。
この村から、また、1時間ほど離れた場所は、沢山の魚などの化石が発見されている地区である。
そこは、海の中であった訳である。
そして、つい1ヶ月ほど前には、このサン ファン ラヤ村で、マンモスの骨の化石が発掘されたと。
まだ、公開されていないとの事だったが、マンモスの時代は、恐竜の時代から、ずーと時代が新しく、人間も現れ、マンモスを
追っかけ、マンモスを食べたりしていた時代で1万年とか2万年とか前の時代であるが、その頃は、もう、ここは当然陸地であったのだが。
走れども、走れども、サボテンの山、大地が続くのを眺めながら、ここが昔々、恐竜が歩き回わっていた海辺であり海であった事を想像していると、
隣で、ダンナが、「あの恐竜の足跡を追っかけていったら、恐竜に追いつけるかもだぞ。」と、タイムマシーンに乗ってみたいな事を冗談に言った。