月の女神コヨルシャウキの大きな石彫が、電気会社の地下工事中に発見されたのが、1978年。
それから、30年というので、メキシコシティーのソカロ広場の一角にある大神殿(テンプロ マヨール)博物館で、記念展示との事で、見学に行った。
いつもの展示と比べて、そう真新しいものがある訳でもなかったが、一応、特別説明が掲げられていた。
まあそれは兎も角、この博物館がある場所は30年前まで、たぶん崩れかけたような植民地時代の古い建物立っていた所である。
ところが、この月の女神コヨルシャウキの発見で、センセーションとなり、アステカ王国の遺跡の発掘が始まった。
写真の説明 :発掘されたコヨルシャウキの石彫
このメキシコシティーの中心部ソカロ広場を中心としたセントロの地区は、植民地時代に作られた建物が多いのでコロニアル地区として保護地区で世界遺産でもある地区である。
だが、植民地以前は、大アステカ王国の都が、湖の島にあった場所であった事は全ての人の知るところである。
コロニアルの建物がそれ自体も歴史的建造物であるが故、それを壊してまで、その下にある可能性は大でも、アステカ王国時代の遺跡を発掘する事が、それまでは、行われなかった訳である。
だが、コヨルシャウキの発見は、この場所がアステカ王国の最も重要なピラミッドが立っていたその場所であるというのが、
保障されたも同様である故に、コロニアルの建物を壊してでも、その発掘をすべきだという事になったのであろう。
コルテスのアステカ王国征服によって、全てのアステカ時代の建造物は、破壊され、そのアステカ時代の建造物を土台として利用して、その上にコロニアルの建造物が立てられた。
そこで、発掘された大神殿のピラミッドは、まさに、土台部分だけというものであるが、メソアメリカ文化において、
ピラミッドは常に古いピラミッドを壊さずそれを埋めて、その上に次ぎの新しいもっと大きなピラミッドを作ってゆくという方式であるゆえに、
古いピラミッドの層や、また、新しいピラミッドを建設するに当たって、多くの奉納物や生贄を埋めたりするという習慣で、ピラミッドは征服によって完全破壊されたが、
その場所に多くの過去の栄光が埋まっていたわけである。
写真の説明 :古いピラミッドが重なっている。7つのピラミッドが上へ上へと作られていった。
写真の説明 : 二層目のピラミッド。完全な形で発掘された。彩色された壁なども分かる。
前の記事「アステカ マヤ インカ展 in Japan」で、ちょっと、テンプロ マヨール遺跡からの発掘物の写真も載せたが、今回は、コヨルシャウキついて。
コヨルシャウキの石彫は、アステカ3大発掘物のひとつと言われている。
写真の説明 :三大発掘物の大きさ
その3大発掘物とは、①アステカカレンダーと言われる国立人類学博物館のアステカ室のど真ん中にある石彫。
②テンプロ マヨール博物館のど真ん中にあるこのコヨルシャウキ像
③そして、まだ未公開であるが、2006年10月にテンプロ マヨール遺跡の前の場所に発見された大地の女神の石彫である。
大地の女神の公開が楽しみであるが。
コヨルシャウキ 月の女神は、死んでいるのある。
コヨルシャウキの月の女神とアステカの最高神で大神殿双子の神殿の右側の神殿に祭られた太陽神の戦いの神話。
蛇の丘(ヨアテペック)で、神々の母、大地母神、生と死の女神 コアトリクエ(蛇のスカートをはいた女神)が掃除をしていたところ、
天から、羽の生えた球が落ちてきた、彼女は、それを大事に懐に仕舞ったところ、それが原因で妊娠してしまう。
写真の説明 : 国立人類学博物館にあるコアトリクエの像
人はグロテスクと思うか?美しい芸術品と思うか?
それを知った娘の月の女神と400人の南方人という星の兄弟達が、不義の母を許せない、そんな母は殺してしまおうと、母殺しにやってくる。
母が恐怖におののいていると、お腹から太陽神であるウイチルポトリーが剣と蛇の松明を持って生まれ出て、
母に心配しないでもいいと慰め、攻めてきた兄弟の南方人達と月の女神の姉をやっつけ殺してしまった。
特に月の女神は、首を切りそして死体を蛇の丘から転げ落とした。それで、死体の手足もバラバラになり、その死体からは、血が滴り落ちた。
こうして、太陽神が生まれ、姉兄に勝ち、最高神となり、アステカの神殿に祭られた。
月の女神は、太陽神であるウイチルポトリーが祭られている側(もう一方は雨神トラロックの神殿)のピラミッドの下の位置に置かれていた。
写真の説明 : 大神殿ピラミッドの模型 右が太陽神ウイチルポトリー 左が雨の神の神殿。
太陽神の神殿の下の位置に敗者の月の女神の石彫が置かれていた。
それは、このピラミッドを蛇の丘で起こった戦いにたとえ、勝者が上に祭られているのに対して、敗者は
殺され、丘から転げ落とされたという神話により、その位置に置かれていた訳である。
写真の説明 : 国立人類学博物館にある月の女神 コヨルシャウキの頭。
死んで、目を閉じている。
写真の説明 : コヨルシャウキの石彫には色が塗られていたというのが分かっている。
その復元図。
メキシコの古代文明において、常に、物事の相反するものは戦い続けているという考えがあった。
昼と夜も、明と暗も、生と死も、そして太陽と月も。
メキシコを旅行する時、メキシコ国立人類学博物館へは訪れる人が多いと思うけど、もうちょっとだけ時間の余裕があったら、
是非、テンプロ マヨール博物館も訪れてみてください。