メキシコも火山国と言っていいかもと思う。
メキシコで火山というと、日々煙を吐き続けるポポカテペトル、メキシコ第二の5452mの山がよく知られているが、メキシコでも世界でも最も若い火山として
知る人ぞ知るというのが、1943年、昭和新山と同じ年に生まれたという、トウモロコシ畑が突如(突如といってもその兆候はあったのだろうが、)噴火をはじめ、
9年間噴火を続け、パリクティン火山が生まれたというもの。
火山への登山の起点となる村、プレペチャ民族のアンガウアンに宿を取った。
前日到着した時から、火山への観光客というので、火山まで行くために馬とガイドの提供をしてきたおじさんの話にのり、朝8時出発。
私の乗った馬は15歳という。馬としたら、壮年は過ぎたという年かもしれないが、リーダ格の馬。いつも、先頭を歩く事を自分に言い聞かせているように、
後から他の馬が追い越そうとすると、若い馬に負けまいというように、先頭の座を守るように歩く。
4頭の馬と、6.7時間のお付き合いをして、馬にも性格がそれぞれある事を知り、馬に初めて乗せてもらって、少々おしりが痛かったけど、馬にも愛着がわいた。
馬に乗ってゆかなくっても、頑張って徒歩で行く事もできると思えるが、この馬とガイドの提供というのは、この村の大事な仕事である事も確かである。
村の人に言わせると、パリクティン火山が我々に仕事、生活の糧を与えてくれたと。
ただ、馬の背中に乗せてもらって、火山灰のはまり込むような灰の道や岩だらけの溶岩がごろごろしている道を馬は、自分のかって知る道だが、その足場を選ぶように歩くところをみていると、
馬に申し訳ないねえ、頑張って!と声をかけたくなりような気分であった、おしりがだいぶ痛いけど、全工程歩くのとどちらがいいか?
火山の溶岩で埋め尽くされた広大な大地を、遠くにその火山を眺めながら、3時間ほど馬はテクテクと歩き続ける。
時々馬、道草も食ったが、馬の忍耐力もすごいものがあると思う。
そして、やって来ました。パリクティン火山。
そこからは馬には一休みしていただいて、今度は本当に私たちの登山となる。登山といっても、40分ほどであるが。
それでも大変だ。
なんせ、はじめ溶岩のごろごろの道のない上り道をガイドの後に続いて歩く、そのあともっと上へ行くと、今度は火山の砂利の山、これが兎に角、滑る、滑る。
一歩上に上がったと思っても完全に半歩以上は落ちるのだ。
途中まだまだ、蒸気があがっているところがあっちっこちにある。
山の周りは、まだまだ、不毛の大地が遠くまで広がっている。だが60数年の年月で、所々に木が生え始めている。
この山のこの場所に、パリクティンの村があったのだ。
吹き上げたマグマはその村を飲み込み、火山となり、そしてまたその溶岩でその隣のサン ファン パラングリティロ村も教会の尖塔と祭壇だけ残しで全てを溶岩の下に埋めてしまったのだ。
二つの村を飲み込んでしまったパリクティン火山である。
幸いな事に、火山は、村人が他の場所へ避難する時間を与えてくれた。木でできた家々は、そのまま運び出す事ができたと。
苦労してやっとの思いで上った火山の頂上。
こんな時、人はなぜ苦労して山に登るかの気持ちを知る。
パリクティン火山の標高は、3,170m。 下から上るのは500mくらい。その頂上の噴火口の深さは60m以上と、そして噴火口の直径は約250mほど。
その噴火口の周りをぐるりと歩いて回れる。まだ場所によっては煙をあげ、地面が熱い。
頂上から、周りを全貌する。遠くにシエラ マドレー山脈の山々が望め、パリクティン火山の周りの大地は、溶岩に覆われ、その溶岩が流れた跡さえ生々しく残っているのが遠くまで広がっている。
そして、遠くに小さく、埋められた村の教会の尖塔が見える。
下山は超楽々。ただし埃まみれ。火山の砂利の斜面をただただ滑り下りるというもので、上りに比べたら、あっと言う間でした。
大の大人が嬉々と声をあげちゃって下山しました。
一休みしていただいた馬の背中にまた乗せてもらって、元来た道を戻り、途中から、また道をそれて、今度は、旧サン ファン パリングリティロの埋もれた教会を見にゆく。
火山の登山をする人はそう多くないが、埋もれた教会まで行くのは、最近は車でも行けるようだし、馬でも小1時間くらいなので行く人が多いようで、
火山へ行く人で見かけたのは、私たちを除いては、その日平日という事もあったであろうが、二人だけだったが、教会の方は結構な人が来ていた。
食べ物を食べさせる露店も何件かあった。
ここは、車の駐車場というより、馬の駐馬場があって、そこには、お客さんと待つ馬達が何頭もいた。
私たちを乗せてくれた馬達、自分の止まるべき場所をご存知のようで、まっすぐ、そこへ行き、そして、その場所でぴたりと止まった。
教会は、結構大きな教会であったようだ。まるまる溶岩の中に閉じ込められ、片側の尖塔が、遠くからも見える。もう片側の尖塔は完成してなかったとか?
そして、尖塔は教会の正面側にある訳で、尖塔の反対側というか、教会の一番奥に祭壇があった訳だが、その祭壇は深い溶岩の下にやっぱりそこだけ埋められる事が避けられたように
残っている。
それは、奇跡によって、溶岩の流れが変わって、キリスト像が守られたと言われている。
写真の説明 :人が覗いている奥が洞穴のようになっている。そこだけ溶岩が入り込まず、そこがまさに祭壇であった。
もともとその場所にあったキリスト像は、村の人々と一緒に新しいサン ファン パリングリティロ村へ引越し、今も、新しい教会で村人の信仰を集めていると。
溶岩の中の祭壇には、同じに作ったキリスト像がおかれ、ここに来る人に信仰されているのだろう、花などのお供えが飾られていた。
この地には、この埋もれてしまった教会を中心にして、何千人かが住む村が、あった。
自然は、どんなに科学を進歩させた人間をも、あっと言う間に、その猛威によって、押しつぶすしまう巨大な力を持っていると感じる。