命の水、飲料水、生活水、水を人々に供給するというのは、いつの時代でも、重要な公共事業である。
前に「ネツァルコヨトル王の偉業」と言う記事で、先住民時代の事を書いたが、今回は、植民地時代の水道橋
植民地時代の水の供給事業として、カトリックの修道士達などが、水道橋などにより、水を町まで引いてきた。
その水道橋の跡が、メキシコのあっちこっとに残っている。
写真の説明 : シテイオのアーチというメキシコ州にある水道橋
写真の説明 : モレリア市の水道橋
写真の説明: ケレタロ市の水道橋
今、なお使われているものはほとんどないだろうと思う。だが、225の水道橋の跡が残っていると。
観光の呼び物となっているところもあるが、ほとんど忘れ去られた遺物としてあるだけのようだ。
ところによっては、ゴミ捨て場であったりもすると。
だが、当時、それは、修道士などの指揮のもと、絶大な先住民たちの汗と涙の労働によってなされた建設であった事は、
その高い、また長いアーチの列を眺め想像がつく。
「テンブレケ神父の水道橋(Acuedocto del Padre Tembleque)」または、「センポアラの水道橋」と
呼ばれている水道橋を見たいと思い出かけた。
メキシコ州の観光本のほんの小さな記事、ティオティワカンのピラミッドの先のオトゥンバの村の少し先と言う記事を頼りに。
いやはや、観光本もいい加減だ。
とんでもない、オトゥンバの村の人にさえ、「えっ?!水道橋?」と言われ、それでも、親切な知ってる人に教えられて、
オトゥンバから、振興工業都市サグーン市へ、 そこからまだ、村々を通り走って行くローカルバスに乗りまだまだ30分くらい、
運転手にその場所で降ろしてくれるように頼んでおいたので、隣に座っていた人が、「ほらほらあれ!」
人っ子一人いない水道橋。
1543~1560年に作られたと言うから、450年の歳月を経ているのだが、そしてその最も高いアーチは38.75mあるというが、
ビックともせず立っていた。
当時、センポアラの水源から48キロ、オトゥンバの村まで、まさに、丘を超え谷を越え、平野を通り抜け、荘園や村々に水を供給し、水道を引いた訳である。
道路建設で、水道の跡が見つかったというのもあるらしいが。
水道橋という言い方で言うが、その工程のほとんど90%は地下水道である故。
その途中の村々の人々も協力して、作った訳である。
水道橋の石のところにちょっこっと描かれているのは、村のシンボルだというが。
最も難関工事が、谷を抜けるこの水道橋の訳だ。
長さ1020m 66のアーチからなる水道橋である。
水道橋の中央、もっとも高いアーチのある下を、19世紀に作られた鉄道線路が走っている。
今は、貨物列車だけの線路。日にそれでも一回くらい走るのだろうか?
当時16世紀の土木工事の中でも最も重要なものであるというので、世界遺産登録に申請するという話もあるらしい。
世界遺産に登録されたら、少しは見にくる人もあるだろうが。
だが今は、誰も訪れない。
しかし、450年の歳月を経て、荒野に、人間技を誇示するように立っている。
それは、昔、人々に命の水を運んで来た水道である。