ティオティワカンやチィチェン イツァーのように、人がわんさと行く遺跡の紹介もいいが、そういう観光地の情報はいっぱいあるから
あえて人がほとんど行かない遺跡の紹介もいいのではないか?と勝手に決めて、カントナ遺跡。
このカントナ遺跡は、実は、過去記事「メキシコシティからの一日の旅 アルチチカ湖」の小旅行の続編である。
つまり、アルチチカ湖とカントナ遺跡はメキシコシティから車をチャーターすれば一日で行ける私のお勧め新コースなのである。
誰も行かないけど。。。。。
アルチチカ湖を出て、めったに車も通らない何もない平原、作物も作られていない平原の(多分ここは雨季真っ盛りには車が通れないだろう)のわずかに通る車が作った道を走りぬけ、多分、道があるから村に着くだろう道を走り抜けると、小さな村に着いた。
その村が、カントナ遺跡に最も近い小さな村。
その村を抜けて、さらに数キロ。カントナ遺跡の標識をみて、そろそろだろうが。。。。と思いつつそれらしきがないので走り抜けると。
やっぱり通り過ごしていた。あとから走ってきたパトカーに聞くと、もっと後ろだよと、わざわざユーターンして先導してくれた。
パトカーも暇なのか?めったにない観光客?に親切。
遺跡の入り口に確かに看板あり、だが、あまりにもカントナ遺跡の文字が小さく、何かごちゃごちゃ書きすぎだよ。
カントナ遺跡だけの文字を大きく書いてよ!
さてさて、前置きが長くなったけれど、カントナ遺跡は、まだまだ、人があまり行かない遺跡であるが、その入場料から推察しても(遺跡はその重要度、見学物の多さによって料金に差がある。カントナ遺跡は5ランク中の3ランクの料金41ペソ、世界遺産のカラクムルや前の記事で取り上げたボナンパックなどと同料金)重要な遺跡であるのだ。
何で重要なのか?と言うと、
メキシコ先スペイン期の都として最大の人口を誇ったであろう都、住居遺跡であるのだ。
今はそのほとんどの住居があった場所は、広い広いシュロとユッカなどしか生えていない原野である。
その大地は多分昔の住居に使われた石の瓦礫がごろごろなのであろうが。
8000に及ぶ住居地区があったと。
写真の説明:公開されているところはほんの一部であるが、ここを歩いてみてゆくと2時間ほどもかかる。発掘された部分のその向こうは原野。
写真の説明:道は縦横に作られていた。
そのそれぞれの住居地区は、石の塀に囲まれ、また塀に囲まれたそれぞれの地区地区を結ぶ多くの道が整備され、またその地区ごとに神を祭る祭壇があり、また発見されているだけでもメソアメリカ最大の数の27の球技場を数える。
写真の説明:27個あるという球技場のうち4個だけ公開されている。この都のあった場所全体が発掘されるとしたら、何個の球技場があったのだろう?
カントナ遺跡の繁栄期は、紀元500~950年。
メソアメリカ最大の力を持ったであろうティオティワカンの繁栄期から衰退期そしてティオティワカンの崩壊後も繁栄する都である。
世界遺産の遺跡ソチカルコなどと同時代に栄えた都でもある。
写真の説明:アクロポリスのエリート地区には、いくつかのピラミッドがある。
その都の広さは1400haと。
その広さ、人口からの観点から、メソアメリカの都でカントナと比較できるのは、かのメソアメリカ最大の都ティオティワカンのみであろうと。
もちろん、現在発掘公開されている遺跡の部分は、昔の都のほんの一部である。
アクロポロスのピラミッドに登って、なにも遮るもののない360度の広い原野、ここに20万以上の人々の住居が広がった都があった事を想像すると、
1500年~1000年昔の日々の生活をする人々の声がこだまのように聞こえてくる気がした。
写真の説明:周りは本当に広い広いシュロとユッカの原野
「夏草や兵どもが夢の跡」かあ?ユッカやシュロの木とかサボテンだけど。。。。
石の瓦礫がゴロゴロといった遺跡であるが、周りの風景もまたいい。
写真の説明:遠くに火山が見える。