太平洋側のオルメカ文明もすごい!ものだっただろう


遺跡や遺物から、過去の人類史を研究する学問が考古学。
未知で、分からないからこそ、出てきた遺跡や遺物で、想像の世界が広まって、魅力的なのかもしれない。

メキシコには、メソアメリカ文明という文明が、スペインの征服以前あったが、神を祭る場所として、ピラミッドを作った。
それで、こんもりとちょっと形良い山があったりすると、あれって、昔のピラミッドだったんじゃあないか?なーんて、思ったりして。。。。

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写真の説明:テオパンテクアニトゥラン遺跡の後方にある山、土地の人はピラミッドであると信じている。
オルメカ文明のラ・ベンタ遺跡も円錐形の土のマウンドのピラミッドがあるが、そう考えると本当にピラミッドのように思える。
土地の人が信じるようにピラミッドだったら、すごい!と想像の世界が広がる。

メキシコには、まだ、発掘されていないかもしれない過去の都の跡、遺跡が結構あるらしい?!

特に、紀元前の大きな都だったかもしれないと思うようなところは、ワクワク想像の世界を広げる。

ほとんど観光で行く人もいないけれど、本当はすごい都の跡だった遺跡があったりするのだ。
観光的にはまだまだマイナーな遺跡(将来は分からないかも?)だけど、本当はすごい都だっただろう遺跡などを、考古学の雑誌で見つけて行くという、マイナーな事が意外と私は好きである。

ゲレロ州のTeopantecuanitlan(テオパンテクアニトゥラン)遺跡。

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写真の説明:最も重要な神殿のところ。保護のための屋根がつけられているが、写真撮影ができなかったので遠方からの写真だけ。

先住民語で、ジャガー神の神殿の場所。
舌を噛みそうな名で、車の中で皆で、誰が一番先に名前を覚えるか?などと言いながら、また、入場料がタダだというので、誘った友達にもあまり期待しないで行こうねと言いながら出かけた。

入場料がタダなのは、まだまだ、観光地として、誰も行かないから?入場料を取るほど、見せるのもがないから?遺跡の重要な場所の写真撮影を禁止しているから?施設が整っていないから?

そのタダの理由は知らないが、兎に角、オルメカ文明の重要な遺跡である事は間違いない。

1983年、一つの石彫が出てきたのが、きっかけで発掘が始まった遺跡である。

メソアメリカ文明の中で、紀元前1500年頃~紀元くらいにメキシコ湾側つまり大西洋側で起こった文明をオルメカ文明と言うが、メキシコの母の文明とも言われている。
何十トンもの石を刻み、頭だけの巨頭の像を作った、また半獣半人のジャガー神信仰のオルメカ文明である。

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写真の説明:国立人類学博物館のメキシコ湾岸、オルメカ文明 サン・ロレンソの巨頭像。

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写真の説明:国立人類学博物館のメキシコ湾岸、オルメカ文明のジャガー神の像。

このメキシコ湾側のオルメカ文明の類似的要素が、メキシコの中央高原から太平洋側、南はグアテマラにおいても見られる、そのため、このメキシコ湾の絶大なオルメカ文明の影響が、各地に波及したのだろうと言うのが今までの学説であった。

だが、最近は、メキシコ湾側から太平洋側への一方的影響ではなく、双方は、相対する2勢力的ものであったのではないか?という説もあるようだ。

このテオパンテクアニトゥラン
遺跡の発掘がされているのは、都の中心部のほんの一部であるのだが、紀元前1400年頃に始まり、紀元前1000年~800年頃には絶大な都となる、その広さは200haの都であったと。

「写真撮影は、INAH(国立人類学歴史研究所)の許可が必要で、禁止されている」と、閉められた金網の門を開けてくれ、そのあと、めったにない訪問者であった我々に付いて回った管理人のおじさんに言われて、がっくりした。
この遺跡のもっとも見ものの4つのジャガー神の石の彫刻の写真が撮れなかったのが心残り。

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写真の説明:遺跡のある村の入り口のゲートは写真に撮れなかったジャガーの石彫がモチーフ
ジャガー神は、胸と頭のところに×印を付けている。

その4つのジャガー神の彫刻は神殿の広場と言うべきかの西と東の壁に嵌め込みされた形であるのだが、現在わかっているのは、春分の日、朝は一つの東側の彫刻が対角にある西の彫刻のところに対角線の陰となって写る。そして夕方はその逆になるというものだそうだ。
そして、その広場にある球技場のような形になった長方形の2つの台座を横切るわけである。

これは2つだけの彫刻におこるわけだが、私の素人考えでは、あと二つの彫刻にもそのような現象がおこりえる可能性があるはずと思う。
一方だけなのが片手落ちというのではなく、×印になる事に重要な意味があると思う。
何故なら、オルメカ文明の中で神官などが胸などにつけている飾りがまさにこの×印である。
これは太陽のシンボルとも、太陽の動きを表すとも、権力のシンボルとも言われるが、この4つのジャガー神の彫刻にもやはりそれが描かれている。

素人の想像はさておいても、このテオパンテクアニトゥラン
遺跡が、絶大な都であった事、その文化は、すでに太陽の動きなどの高い天文観測がなされていた事、また水路の建設など高い土木技術を持っていた事は、ほんの一部の発掘であっても推測できる事である。

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写真の説明:中心の遺跡から大分離れた場所に発掘された球技場。
都の一番の中心部から、車で何分も行った場所であるというのはその距離からしても壮大な都であった事が想像される。

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写真の説明:遺跡として囲まれていない道の途中にもいくつかのマウンドがあり、一部だけ発掘されている建造物。
後方には、何処から眺めても見える土地の人がピラミッドと信じる山が見える。

さて、私の次のマイナーな旅は、乾季になったら、テオパンテクアニトゥラン
遺跡と同時代の、同じゲレロ州にあるオルメカ文明の洞窟絵のある洞窟遺跡へ行きたいと思っている。
ご期待!と言いたいけど、洞窟の絵の撮影が可能か?

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