玄武岩の大岩の景観と先スペイン期の彫刻


黒曜石の鉱山を訪ねた記事を書いたが、黒曜石は火山岩であるが、また玄武岩も火山岩である。

メキシコの大地は一般的になんとなく荒野の感が多いにあるが、その荒野なる理由はいったい何か?
石、岩の大地、雨が少ないなどの理由が考えられるか?

前回の記事のツバメの地下室の大穴、大洞窟は石灰岩大地の産物。
石灰岩は、海の産物らしい(?)

メキシコの大地は石灰岩や火山の産物の岩石から出来てるようだ。(私見)

火山の産物 玄武岩
その火山の成り行きによって、その玄武岩がきれいな角柱になっているというのがプリスマ・デル・バサルティコス(玄武岩のプリズム)
※前の記事 「山へのルートと魅惑の町その1」

メキシコシティ近郊にもう一つプリスマ・デル・バサルティコスがある。
前の記事で書いたイダルゴ州のものほど有名でなく、まったく観光の人がいないというのが、私にとって魅惑の地であったが。。。
なんせ、こちらは入場料というものも払う必要のない荒野の野っぱらというもの。
それはメキシコシティから北西、メキシコ州のアクルコの田舎町の郊外のラ・コンセプショーンの滝である。

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こちらの玄武岩の柱は、イダルゴ州のプリスマ・デル・バサルティコスほど角柱が揃っていないが、大きさがもっと大きく、その広さも広大である。
高さは30mほどで、雨季の雨の多い時期には素晴らしい滝をつくるようだ。私達の行ったのはまだ、水量の少ない時期だったが。
また垂直の岩は、ラペル愛好家の絶好の場所らしい。

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野ぱっらに流れる小さな水の流れに放牧の牛が水を飲みにやってきている。

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その小さな水の流れが、ずとーんと玄武岩の大地が裂けて落ちたその垂直の岩に滝となって落ちて行く。

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その裂けてできた玄武岩の谷をみると、野原の大地は大きな大きな玄武岩から出来ているのを想像できる。

そのラ・コンセプショーンの滝の最寄の田舎町、アクルコでは、この玄武岩を使って、一枚岩の彫刻を作るらしい。

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昔の先スペイン期の文化は石の文化であるとも言える。
石の造形、特に神や記念碑、彼らのイデオロジーを石に刻むという。
その材料として玄武岩が使われている。

国立人類学博物館の貴重な展示物の大一枚岩の彫刻は玄武岩のものがほとんどのようだ。

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トラロック像 雨の神、168tの一枚岩。(ティオティワカン文明)

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チャルチルティクエ女神像 大地の水の神(ティオティワカン文明)

アステカの太陽のカレンダー、25t。(アステカ文明)

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ティソック王の戦勝記念碑の円形彫刻(アステカ文明)

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コアトリクエ女神像 神々の母なる神 大地母神 生と死の神(アステカ文明)

コヨルシャウキ女神の円形石彫 月の神(アステカ文明 大神殿博物館蔵)
etc.etc.

そして、2006年にメキシコシティソカロ広場のアステカ大神殿遺跡博物館の前で発見され、今月間もなく公開されるというトゥラテクトリィ(Tlaltecuhtli)女神 大地の神の石彫。
この石彫の公開は楽しみだ。

それら大きな石彫の重さは、トラロックの168tは桁はずれの大きさ重さとしても、ほとんどの物が数十トンというもの。
トラロック像は未完成で、実際には当時の都ティオティワカンに運ばれていないが、運ぶつもりであっただろう事は当然予想される。
当時人力しか運搬方法がなかった時代、あの大きな一枚岩をどのように運んだものか?
数百人もの人がエンコラエンコラ掛け声かけて押して引っ張って、玄武岩の産地から遠路都まで運んだのか?

国立人類学博物館の前にあるトラロック像は、その像が発見された場所メキシコ州のクアトリンチャンから、博物館が作られた年(1964年)、大きなトラクターでやっとの思いをして運んだそうだが。
そして、その日、雨の神、雷の神トラロックが悲しんだのか?怒ったのか?乾季なのに、雨が降り雷が鳴ったそうだ。

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