また、この紙を使い、昔から、そして、今なお、この紙で切り紙し、神の造形を作り、神といて祭る先住民もいる。
写真説明:この写真のものは、額に入れて装飾にしてあるが、このような切り紙の造形をつくり神として祭る。
今現在、もっぱら、この紙はゲレロ州の先住民の人々よって、絵が描かれ、メキシコの民芸品のひとつとして売られている。
アマテ紙は、昔々からと同じ方法で、オトミー族の先住民の人々によって、村の人々の生活の糧として、
プエブラ州の山深い サン パブリート村で作り続けられている。
そこの小さな村への案内は、日本の観光本には、もちろん載っていないし、スペイン語の観光本にさえ、
ほんの数行の紹介が載っているだけである。
アマテの里、この村を前々から訪ねてみたいと思いつつ果たしてなかった。
絵を描く日本の友人がこの紙を少し多量に買いたいというので、じゃあ、是非その生産の村を訪ねてみようと行く事にした。
一等バスは、大きな町しか行かない。ローカルバスとタクシーを乗り継いで行った。
数週間前に、雨で川の橋が落ちてしまったとかで、がたがた道を大きく迂回して、また山道は、雨で崖崩れして通りぬけられる道幅さえ
狭くなったそんな山道を、少々心細い想いをしながら、昼ご飯を食べる間も惜しんで、半日以上かかって、午後、その村へ着いた。
そこは、緑の濃い山の中腹に、小さな家々がへばり付いたような小さな村であった。
昼ご飯を食べたくとも、レストランはなく、ビスケットで空腹をごまかし、さあ、何処で紙を買ったらいものか?と見まわしても、
紙を売っている市場もお店も何処にもない。
坂道の村を歩いていくと、トントン、トントンという音が、あっちの家、こっちの家からと響いてきた。
それが、まさに樹皮を柔らかくして、板の上で叩いて広げて紙にしている音であった。
トントン、トントンという音は、村中の家々から、ひっきりなしに田舎の青い空と山の緑に溶け込こんでゆくように、響いていた。
年配の女性達は、細かな手間隙かけて作った刺繍を施した彼らの民族衣装をまとい、その又何人かの人は裸足でさえ歩いている。
年配の人々はスペイン語さえ話さず、彼らの母国語オトミー語で話していた。
私は、ふっと過去のメキシコにタイムスリップしている気がした。