フリーダ カーロ生誕100年とディエゴ リベラ 死後50年の年


今年2007年は、フリーダとディエゴの年という事だそうで、メキシコシティーではいろいろイベントが計画されているし、
なんか、フリーダ ディエゴ、ファンもどっと増えたという感じで、関係博物館美術館の観覧者も多くなった気がする。

フリーダは、映画にもなったりして、世界的に知名度もあがったし、彼女の情熱の人生は、人を魅惑するようだし、彼女の作品は、とみに最近価格が上がっているとか。

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地下鉄の駅や図書館、大学の博物館などでもフリーダとディエゴ関連展示が3月頃から始まった。
特に、フリーダ ファンに絶対見逃せないのが、6月から始まる国立芸術院でのフリーダ展。

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フリーダの作品は、そのほとんどが個人収集家の手にあるとの事だが、公共機関や個人収集のその作品を100以上集めるとの事。
フリーダの作品を実際に、これほど多く見られるチャンスは、今までも、今後も、そうないだろうと思われる。

それで、フリーダ ファンがいらしゃったら、是非、この機会にメキシコシティーへおいでください!

ディエゴの壁画は、メキシコのソカロ近辺だけでも、相当数見られる。興味のある人は、一日かけて見て歩いては?

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ついでに、アステカの遺跡博物館 テンプル マジョール博物館の隣のPalacio de Autonomia Universitariaの博物館に今、行方不明になってしまった中国に贈ったというディエゴの「戦争の悪夢、平和の夢」という作品の下絵が展示されている。
写真を撮ったのだが、フラッシュが使えないのと、絵が鉛筆の絵と言った感じで、ピンぼけ状態でお見せするほどのものでないのが残念です。

フリーダを大変可愛がった、彼女のお父さん ギジェルモ カーロは、ポリフィリオ大統領時代の政府お抱えの写真家だったが、今年のフリーダイベントという事もあってかどうか?は、知らないが、今、彼の写真展を、サン カルロス博物館でやっている。

また、現在国立芸術院で、フリーダとディエゴの建築に関しての展示会が行われている。フリーダの青い家、2人のアトリエの家、また、ディエゴのアトリエとなったアナワカリの建物などについての展示である。

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メキシコ銀行は、2009年に、今の500ペソのお札のサラゴッサ将軍に代えて、ディエゴとフリーダのお札を発行すると発表した。

キリストの受難の再現劇


イスター、 メキシコでは、セマーナ サンタと言うが、これは、多くの人にとって、ゴールデン ウイークで、一年の中で重要なバケーションである。
だが、また一方、大変カトリック信者の多いメキシコでは、敬虔な信者が、キリストの受難を想い起こし、改めて、キリストを信仰する時でもある。

さて、メキシコシティーのイスタパラパ地区の星の丘という場所で毎年行われる(今年で164年目だそうだが)キリストの受難再現のイベントは、今年も140万の人が集まったと。

私も、この原稿のためにも、今年こそは行こうと思っていたが、(28年もメキシコに住みながら、一度も行ってない、いつも、みんなに行くな!大変だからと言われ続けて。)当日、お腹の調子を崩し、トイレの心配をするだけでも、大変だろうと思い、今年も断念した。

新聞によると、最前列の特等席は、4000ペソ(4万円)だったと。テレビでも、ほとんどの人は、人ごみの中で劇は見れずに、設置されたメガテレビを見るくらいだとの事で、大変な人出と。

この星の丘という場所で、このキリスト受難の再現のイベントが行われるようになったのは、それなりの理由があったのかもしれない。
この丘は、古い昔から、人々の信仰の場所であった。
最近の研究で、この丘に、ティオティオワカン時代(紀元前2,3世紀~紀元後7世紀)の月のピラミッドと同じくらいの大きさのティオティオワカン文化のピラミッドがあると。(未発掘)
また、アステカ帝国時代には、この場所で、世紀の祝い、新しい火の祭り事が、52年ごとに行われていた場所で、それは、全ての火が消され、そして、新しい世紀の訪れとともに、ここで新しい火がおこされ、その火種がすべての町の人々に与えられるという。

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まあ、イスタパラパのキリスト受難再現のイベントだけでなく、メキシコでは、それぞれの教会の地区、地区で、彼等のキリスト受難の様子を再現して、人々の信仰心を新たにする。
地区の道を、十字架を担ぐ人を中心に地区の人々がみんなで行列しながら、練り歩く、地区の、あちらこちらの場所で、キリストの受難に思いを馳せる神父の説教を聴き、また、行列がゆく。

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また、教会のミサも、この日は、特別に多くの人が参加して、キリストの受難を思い、キリストへの信仰を新たにする。

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*追記
このイスタパラパのイベントを、世界遺産に申請しようとの事。

先スペイン期時代からの伝統医学?!


西洋文化とともに西洋医学も、入ってきたのであろうが、メキシコの先スペイン期時代の医学は、クランデロ(祈祷師)と言われる人によってなされた。
その祈祷師は、もちろん薬草の知識をもつ人で、人々の病気治療をやった。しかし同時に、病気の原因は、魔がつくと言う考えの元に体を清めるという儀式も行う人である。

メキシコシティーのソカロ広場に行くと、その祈祷師なる人が、香を焚き、体を清めるという商売をしている。
(人々は、もちろん、病気になったら、西洋医学である病院に行くであろうが、同時にまた、祈祷師に体を清めてもらうという行為も今なおする人々も結構、多いのである。)

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メキシコの先スペイン期時代の薬草の知識、所謂、漢方の知識は、今なお、人々の生活の中で、生きている。
市場などでも、必ずあるのが、薬草茶などのお店。その薬草茶の種類は、たくさんで、これは、何に効く、これは、何に効くと色々ある。
実際、多くの人が、そのお茶を、飲むという事で、病気治療のひとつにしている。

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田舎の先住民の間では、彼等も、また、カトリック信者であるが、特に、祖先伝来の宗教兼祈祷が普通に行われているようだ。
写真は、チャパス州のマヤ薬草博物館の祈祷の様子の展示

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また、そこでは色んな薬草の薬や、薬草茶も売っていた。

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私は、ちょっと持病の薬草茶を買ってみた。どうかな?効くかな?

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たぶん、昔ながらの伝統医学が、普通に生活の中で生かされているのだと思う。

2人のノグチ


メキシコに関わった二人のノグチがいました。 それは、野口英世とイサム ノグチである。

野口英世は、よく知られた人で、昔、子供の頃読んだ英雄伝の本にもあったりでよく知られていると思う。 あっ!お札でもありましたね。知られている訳だ。

メキシコとの関わりは、1919年末から1920年にかけて半年ほど、メキシコのメリダのオーラン病院へ、黄熱病の研究にやってきた。 メリダは、世界遺産のウシュマルやチィチェン イツアー遺跡の玄関になるユカタン州の州都である。

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当時、熱帯の病気、黄熱病で苦しむ人を救ったという訳で、今でも、ドクトル ノグチは、メリダの人々に感謝され、その日本から贈られた銅像がオーラン病院の門の前に立っている。

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もう一人のノグチ。 イサム ノグチは、知る人ぞ知る彫刻家である。

イサム ノグチの立体壁画の作品がメキシコのダウン タウンのごちゃごちゃした市場の中にある。 だが、残念な事に、あまり知られていない。 私も新聞記事で知って、訪ねた。

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イサム ノグチの名は、最近の映画などですっかり世界に知られるようになった画家フリーダ カーロの恋人の一人として、言われたりするが。   イサム ノグチは、日本人を父に持つ日系アメリカ人である。

2人のノグチは、メキシコの地にその足跡を残している。 そして、2人とも、その人生は、波乱の人生であったろうが、また、歴史に残る業績を残した人である。

 

春分の日は、太陽の恵みの日!?


メキシコのメソアメリカ古代文明は、文化的に特に天文学の発達は、驚きであった。
農耕民であった人々は、毎年、太陽と雨の恵みによって農業ができた。
天体の動き、太陽暦を知ることによってそれが可能であったのだ。

多くのいろんな過去の都、今の遺跡は、天体の動きを考慮して、それに則って作られている。
昔の人々は、太陽の動きの特別な日に、きっと祭り事をして、神に祈ったのだろう。

いつから、誰が言い始めたのか知らないが、メキシコの多くの人が、春分の日に、自分達の祖先の都、遺跡にお祈りに行くようになった。
特に、メキシコシティ-の北にあるティオティワカン遺跡へ、人々がどっと押し寄せる。

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太陽のエネルギーを、太陽パワーを、この日、太陽のピラミッドの上で授けられると、人々は言う。
この日、太陽エネルギーを、ティオティワカンの遺跡に行く事によって、授けられたら、一年、健康で幸運でいられると人々は信じるようだ。

そんな訳で、メキシコシティーはじめ、遠方の他の州からも多くの人が家族総出でやってくる。

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多くの人は、白い衣装、洋服を着、赤いリボンか鉢巻かスカーフを着け、太陽のピラミッドの壁面で、両手を上げて、太陽エネルギーを体に受ける。
また、昔の先住民の祭り衣装に身を固め、太鼓を叩き、ほら貝を吹き、香を炊き、踊り祈る人々もいる。

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3月21日は、メキシコで、過去の大統領の中で、もっとも尊敬されているベニット ファレスの生誕日で、この日はメキシコの祭日である。
日曜日、祭日は、メキシコ人は、遺跡、博物館の入場料が、無料になる日である。
そんな訳で、毎年、50万人からの入場料は、政府の懐には入らないと言う訳であった。
ところが、去年は、政府、もったいないと思ったのか、突如、入場料を取る事にした。
それにたいする多くの批判があった。
遠方から、10何人車に詰め詰め家族親戚一同やってきた人が、言ったと。
「入場料は取られないと言うのが毎年の事だから、それを勘定に入れてなかった。
ここで、皆の入場料を払ってしまったら、食事もできず、帰る旅費もなくなってしまう。」

太陽の恵みは、皆に平等に!じゃあなかったのかあ??

メキシコ伝統料理 タマレス


主食のトルティージャの高騰でちょっと困ったメキシコであるが、メキシコの地で、とうもろこし栽培が始まった起源前5000年以来、
とうもろこし料理がある訳であるから、そのとうもろこし料理のバリエーションは多く伝統料理である。
その中で、今回は、タマレスを紹介しよう。

タマレスとは要するに、とうもろこしの粉にラードを入れこねたその中にいろいろはさみ、とうもろこしの実の皮やバナナの葉のに包んで、
蒸かしたメキシコ饅頭か?、または、ちまきか?と言ったもの。
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タマレスはパーティー料理でもあり、また、朝、街のあっちこっとにタマレス屋がいて、仕事に行く人、道行く人が、蒸かしたアツアツのタマレスとアトレと言う
これまたアツアツの飲み物で朝食をして、仕事場へ行くという常食でもある。

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タマレスはたっぷりのラードでこねると言うもので、カロリー満点であるが、メキシコの人は、このタマレスをまた、油で揚げそれをパンにはさんで食べる。
これで、一日お腹がすかないですむと。
だが、タマレスを食べ過ぎると、肥満にてきめん!

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味付け、また、中の具はいろいろで、地方によって、その種類は本当にいろいろだ。
最近、タマレス祭りに行って、初めて知ったのだが、中南米の国々でもタマレス料理があると。
だから、そのバリエーションも、その土地土地で本当に多いようだ。

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一般に甘いお菓子風タマレスと肉などが入った肉饅頭ならぬ肉系があると言えるが、肉だけでなく、チーズ、唐辛子、干しぶどうや干しプラムアーモンドなどのナッツなどを
入れたり蜂蜜入りだったり、味付けも、肉の種類も、何でもあり。
要するに、何でもあり、何でもよいである。だが、その主なるものはとうもろこし粉である。

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2月2日はカトリックのカンデラリアの日、この日は、メキシコ中の人がタマレスを食べる日。
1月6日の三賢人の日に食べるロスカと言う大きなパンを切り分けて食べるが、その切り分けられたパンの中に小さなセルロイドのキリスト人形が入っているパンにあたった人は、
皆にタマレスをカンデラリアの日に振舞わなければいけない。

毎年、家族の誕生日の日には、タマレスや、メキシコお祭り料理を作ってくれていた我が姑が、寝ったきりになってしまて、もう、タマレスも作る事もできなくなってしまった。
もう、すぐ、姑の誕生日、今年は、私が、姑のために、植物性ラードでタマレスを作ろうと思う。

歴史・過去は地下に


考古学を研究しているある人が言った。 「考古学では、すべての過去、つまり、一分前の物も それは全て、考古学的資料であり得る。」と。 「へ~、そうなんだ!」と感心した。

ところで、メキシコシティーも、高層近代ビルが建ち並ぶ大都市である。

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全ての場所、全ての地区、全ての国に歴史がある。 ここ、メキシコシティーのその近代都市の下にも、もちろんその歴史・過去がある。 それが、工事などで、大地を掘り返すと、歴史の過去の考古学的資料が、今の人々の前に現れる。

もともと、メキシコシティーの中心部は、先スペイン期のアステカ王国の文明が栄えていたその場所であるのだから、 地下を掘り返したら、出てくる、出てくる。

シティーの中心地ソカロ広場の一角には、29年前に発掘されたアステカ遺跡がある。

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これは、やはり、地下電気工事中にアステカ文明のもっとも重要な石彫、月の女神 コヨルシャウキ

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の発見がきっかけとなったもの。

去年の10月、その遺跡の前での建設工事の場所から、

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アステカ太陽のカレンダー、月の女神の像と並んで、アステカ三大石彫となるべき大地の女神像の石彫が発見された。 それは、太陽のカレンダー、月の女神よりなお大きい4m×3.95mの石彫である。(まだ未公開)

また、ちょっと前に、これは、もっと時代が近代になるが、レフォルマ大通りの一角の小さな公園にあるフランス人の細菌学者パスツールの銅像

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を工事のため動かしたところその下から出てきました、タイムカプセルが!

この銅像は、1910年、メキシコ革命の年、フランス人のコロニアルの人々が寄贈した銅像なのだそうだが、当時、未来のいつか、この銅像が動かされる事が あるだろう、その時、この時代を知ってもらうと銅像の下に、その時の新聞雑誌などの当時を知るための資料がタイムカプセルとして、埋められたものと。

今年は、まだメキシコ革命100年に3年欠ける、もう数100年後に発掘されたら、よかったのに、タイムカプセルの価値がもっと上がるだろうに....なあんて思うのは 私だけかな?

さて、歴史・過去は、今地上の街の下、地下に埋まっていて、見えない!? いやいや、覗き窓を作ったのです! 透明のガラスの下に、アステカ時代の建造物の壁が、コロニアル時代の建物の階段などなどが、覗けます。

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メキシコシティーのソカロ広場あたりを歩く事がありましたら、覗き窓からメキシコの過去をちょっと覗き見してみては、いかが?

メキシコのある村のカーニバル


メキシコでも、いろんな町でカーニバルがある。 一般的には、仮装行列や、美人コンテスト並に女性達を乗せた山車で、賑やかな音楽と共にパレードするといったもの。

メキシコシティーから、東へ2時間プエブラ州の州都のプエブラの手前の小さな村 ウエホティンゴ。 農業の村、5000m以上のポポカテペトルとイスワトルシワトルの二つの山の麓の村。

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そこで、毎年、村人全員参加の、懐をはたいて衣装作りをした、彼らの誇りとする独特のカーニバルがある。

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1862年からのフランスの侵略戦争で、プエブラの町とその周辺の村人は、勇敢に戦かった。 そして、唯一そのプェブラの戦いでは、フランス軍に勝ったと言う。 このプエブラの戦いはメキシコ人の誇りとなり、5月5日はプエブラ戦勝記念日である。

そう言う歴史を、カーニバルの仮装パレード、劇の中で表現しているという。 この地だけの独特のカーニバルでもある訳である。 仮装は、いろいろあるのだが、基本的にフランス軍を現わすグループ、メキシコ軍を現わすグループがあるが、その衣裳の区別はあまりわからない。 背中にフランスの旗の印をつけた火薬箱を背負っているのは、もちろんフランス軍を現わすのだろう。 仮面をかぶり、その衣裳もいろいろ。刺繍や羽飾りなど大変凝った手をかけた衣裳である。

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カーニバルは、キリスト教の祭りであるが、もともと、先スペイン時代、先住民は、彼らの神、雨神や戦いの神を祭った。 その彼らの元々の神を祭った祭りがキリスト教の祭りと混同、すりかえられて行った事もまた、事実であろう。

ウエホティンゴの村の一年で一番の大きなお祭りであるカーニバル。 カーニバルの数日間、村は、爆竹の煙や鉄砲の火薬の煙にもうもと包まれ、パレードの音楽は朝から夕方遅くまで鳴り響き、

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静かな田舎の村は、村中の人々が、全員参加の華やかさと賑やかさと、そして、ちょっと騒々しいけれど、村人みんなが主人公の祭りである。

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春が来た!


メキシコは日本の5.3倍の広さの国であるが、北と南、標高が高い地区と海岸地方では、 気候風土もだいぶ違ってくる。 そして、今年の冬は、寒波が何度もやってくるという結構、寒い冬であった。 だが、春が来たかな?と思うこの頃である。    メキシコシティーは朝晩の温度差が激しく、一日のうちに春夏秋冬があって、一年の季節感がない。 などといわれたりするが、やっぱり、春には春の花が咲き、やっぱり、春がやってくる。

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まず、今満開なのが、桃、スモモ、なしなどの花。 つつじは一年中、ちょっこちょこ咲くが、やはり春を知っているらしく、今これからの時期がもっとも花を咲かせるようだ。

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真っ赤なデェイゴの花も街路樹で目につき始めた。

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不ブーゲンビリアの花も一年中、原色の赤紫や赤の色を見せているが、この時期になると、春の日差しに 誘われるように垣根いっぱいに自己主張し始める。

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そして、なんといっても、メキシコシティーで春を感じる花はジャカランダの紫の花。 今、ちらちらと咲き始めたが、3月中ごろ、4月と、どんどんメキシコシティー中を紫に染める。 それは、日本の桜の季節頃咲くこともあってか、ジャカランダの紫の花を見ると、日本の桜を 思うのは、多分私だけではないだろう。

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他の季節では、ジャカランダの木が、街路樹で植えられていることにも気づかないが、 ジャカランダが紫の衣装を着て、春を伝え、春の嬉しさ、うきうき気分を宣伝するようだ。

メキシコの春は原色。 ジャカランダの紫、デェイゴの赤、ブーゲンビリアの赤紫。 それは、やっぱり、南国といわれるメキシコの春なのだろう。

 

 トルティージャなしでは生きられない!


トウモロコシから作られたトルティージャというものがメキシコの主食である。

 

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メキシコ料理というと、多くの人がタコスを思い浮かべるだろうが、そのタコスの皮になるのがトルティージャである。

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このトルティージャの値段がここ1ヶ月、急騰。 去年までは、平均キロ 6ペソ(60円)が、10~15ペソに値上がり。

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慌てた政府が一部の会社と8.5ペソに保つ契約をしたが、これは全ての会社が同意したわけではないから、メキシコの地方などでは、10ペソ高価。

1キロ 100円くらいなら、大した事ではないのではないかと思われるかもしれないが、とんでもない! 一般庶民が、プラカードを持って街に抗議デモに出るというものである。

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それどころか、あるいは、社会運動が勃発するかも?のメキシコ政治、経済、社会の最重要問題である。

なぜなら、メキシコは非常に貧しい人が多い国であり、その貧しい人の食生活で何が重要で、何を食べて生きているのかというと、まさに、このトルティージャだけで生きているとも、大げさな言い方では、決してない。 トルティージャだけでなく、ここしばらくの間に基礎食品とも言える牛乳、卵などはじめ多くの食品が値上がりしている。 高級品の肉もあがったが。

庶民の生活が、トルティージャの値上がりで、ますます、厳しくなりつつある。 そんな中、多くの人がメキシコシティーで、大抗議デモを繰り広げた。

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何故 トルティージャが急騰したか? ① トルティージャの値段を政府がコントロールしなくなり自由化したが、業者が、値上がりするよう商品を隠したと。 ②メキシコ農業がトウモロコシ栽培を放棄してきた。 ③一番のトウモロコシの生産国であるアメリカから、メキシコは主食であるトウモロコシを輸入しているが、アメリカで、ガソリンの代替エネルギーとしてのエタノール生産に使われるトウモロコシが多くなり、トウモロコシの市場が値上がりした。

など、などという話。

さて、どうなる事か? トルティージャの値段、そして、トルティージャなしでは生きられないメキシコの人々。